白鬼

藤田 秋

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第零章 千年目の彼岸桜 後編

0-36 桜散る

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 珀蓮たちは無言のまま家路に着いた。
 小屋の戸を開けると、汰助と生徒が目に入る。

「あ……あぁ……」
 彼らは身を竦ませ、じりじりと後ずさる。突然現れた化け物の姿は、脳内にしっかりと焼き付けられた。

「妖怪の討伐は終わりました。もう外に出ても大丈夫ですよ」
 血塗れの化け物に言われても、説得力が無い。汰助は生徒を抱え込み、カタカタと震え上がった。

「お、おお、お前! 俺たちを殺す気なんだろ!? そうなんだろ!!」
「……いいえ」
 ずきん、と珀蓮の胸が痛む。
 彼は異形の姿に成り果てたとはいえ、人の心はまだ残っているのだ。教え子に疑われ、恐れられることが、何よりも心に堪えた。

「嘘だ! そうやって騙してから殺すんだな!?」
「違います……」
 化け物は困ったように首を振った。
 恐怖に支配された汰助に言っても、何も通じないだろう。それに、今の珀蓮の格好も相俟って、説得力が無い。

 仕方ない、と彼は自暴自棄に

「死にたくなければ早く出て行きなさい!!」
 鬼は目をつり上げ、子供たちを怒鳴りつける。

 今までの彼なら、親しい者にここまでの怒声を浴びせることはなかった。
 心にひびが入る音が、大きくなる。

「ひぃ!」
 汰助は飛び上がり、泣き喚く生徒を担いで小屋から出て行ってしまった。
 珀蓮は彼らの背中が見えなくなるまで、後ろから眺め続けた。

 絶望した。自分はもう、人々の恐怖の対象なのだと。もう、平和な暮らしを望めないのだと。

 元々、多くは望んでいなかった。ただ、ひっそりと静かに余生を過ごしたかった。
 誰かを傷つけず、傷つけられない、そんな平穏な日々を。

「ちぃとやり過ぎじゃないかの」
「そうでしょうか? むしろ丁度良いと思いますよ」
 珀蓮は険しい表情をする狐珱に笑いかけ、小屋へと入って行った。

 自分の血や返り血の臭いがツンと鼻を突く。
 このままでは気分が悪いと、珀蓮は服を着替え、顔や手に付いた血を洗い落とした。

 赤い色は見えなくなったが、ぬめぬめとした感触はまだ手に残っている。
 水を溜めた桶の中で何度も手を擦っても、不快な感触だけは落ちないのだ。

 手がふやけてきた所で諦めたのか、彼は桶の中から手を出した。

「私は何をしているのでしょうね」
 ぽつりと呟く独り言。

 自暴自棄になって、八つ当たりをして、みっともない姿を晒して何になるのか。
 珀蓮は髪をくしゃりと掴み、表情を歪めながら瞼を堅く閉じた。

 狐珱は友の痛々しい姿を見ていられず、悔しそうに顔を背けた。

***

 珀蓮は暫く虚空を眺めた後、弾かれたように立ち上がった。棚から墨と硯、筆と半紙を取り出し、机へと向かう。

「何じゃ、藪から棒に」
「ふふ、ちょっと文をしたためようと思いまして」
 先程までとは打って変わって、明るい表情の珀蓮に、狐珱は何事かと目を見張る。

 珀蓮の中の何かが吹っ切れたのだろうか。
 精神を病んだ状態から良い方向に向かえばそれで良いのだが、何か引っかかる。

 珀蓮は硯で墨を摺り、墨汁に筆を浸す。余分な墨を硯の端で払い、半紙に筆を滑らせた。

 さらさらと達筆な文字が浮かび上がり、一文字一文字が連なって意味のある文章になる。

「何を書いておる」
「秘密ですよ」

「お主は先程から答えを濁すのう」
「ふふ、申し訳ありません」
 話し方、声の音程は全ていつもの調子だ。
 この空間だけに平和な日常が戻ったのではないかと錯覚してしまうほど、普通に話すのだ。

「狐珱」
 文を書き終えたのか、珀蓮は筆を置き、友の名を呼んだ。

「何じゃ」
 狐珱はいつものように、ぶっきらぼうに返事をする。

「色々と心配をお掛けして、申し訳ございません」
「ふん、誰が心配などしておるか」
「貴方ならそう言うと思いました」
 予想通りの反応に笑みをこぼしつつ、珀蓮は文字を書いた半紙を箪笥の中へしまってしまった。

 引き出しを戻すのと同時に、外から人々の喧騒が聞こえきた。それは小屋を囲むように広がっている。

「何じゃ、やかましいのう……」
 狐珱は舌打ちをして、窓から外を覗く。
 その先には鍬や鎌などの農具を持った人々が集まっていた。皆、口々に『鬼はここにいる』『鬼を殺せ』『敵討ちだ』と騒いでいる。

「……お客さまですか」
「随分と穏やかではなさそうじゃがの」
 もちろん、ただの客ではないことなどわかっている。
 大方、化け物を退治しようと奮起した人々が押し掛けてきたのだろう。人々を脅威から救ったを殺しに。

「ったく。面倒じゃが、ちぃと脅かしてやるかの」
「お待ちください」
 狐珱は首をコキコキと鳴らし、玄関口へと向かおうとしたが、珀蓮がそれを呼び止める。

「何じゃ?」
 振り返ると、珀蓮は人差し指と中指を立て、狐珱に突きつけていた。

「……何のつもりじゃ」
「新しい術を編み出したのです。実験台になっては頂けませんか?」
 また訳の分からない行動を見せる主人に、狐珱は静かな視線を送る。このような状況で突然何を言い出すのかと眉を寄せた。

 珀蓮は悲しげな笑みを浮かべ、こう言い放つ。

「何があっても、怒らないでください」
 指の先から放たれたのは、優しい光。その光は有無もいわさず狐珱を包み込んでしまう。

「なっ! 珀蓮!! 何をする!?」
 光を払いのけようとしても、それは容赦なく纏わりついた。指先、足の先が徐々に半透明になる。

 目の前が真っ白になり、最後に聞こえたのは——。

「……さようなら」
 別れの言葉であった。

「珀蓮! 珀蓮!!」
 狐珱の必死の叫びも虚しく、彼はこの空間から姿を消してしまった。
 跡形もなく、最初から存在しなかったかのように。

 ドンドンドン、と激しく戸が叩かれる。
 小屋は軋み、いつ破壊されてもおかしくはない程に傷んでいた。

「……さて」
 珀蓮は襟元を正し、玄関口へと向かったのだった。

* * * * * * * *

 気付けば、真っ白な世界に漂っていた。何もない。ただ、白いだけ。
 狐珱は不機嫌そうに腕を組み、この空間から出ようとあれこれ考えていた。

 これは封印術の一種だろう。
 解除法は術者が自ら解く、第三者が解く、もしくは自力で抜け出すの三種類だ。

 あと一つ、解除される可能性のある方法が存在するが、それは考えないようにした。

 まず、一番目の方法で出られる可能性は無いだろう。目的は判らないが、自ら術を掛けてわざわざ解除することはないはずだ。

 二番目の方法も恐らく駄目だ。
 札のような判りやすい封印ならいざ知らず、その様なものが無い封印では無理だ。そもそも、解除してくれる人が居ない。

 ならば、最後の方法しかない。

「待ってろ阿呆はくれん!!」
 ここから出たら、気が済むまで文句を言ってやる。だから待っていろ。

 狐珱は自分の周囲に狐火を出現させ、白の世界へと解き放った。

***

「……あら」
 とある屋敷の中で、一人の女性が何かに気付いたように声を上げた。
 彼女は立ち上がると、近くの棚へと近付いていく。

 そこにあるのは、一本の桜の枝。彼女の宝物であり、心の拠り所であるものだ。
 この桜は何年経っても枯れず、瑞々しく花を咲かせていた。

 ところが、桜の花びらが一枚、はらりと散ってしまう。このようなことは初めてだ。

「ははうえ! どうしたの?」
 息子と娘が部屋に乱入し、女性に抱きつく。

「桜の様子が、おかしいの」
「えー?」
 息子は身を乗り出し、桜をまじまじと見る。桜は既に半分ほど花を散らせていた。

「なんでなんで?」
 娘も同じく身を乗り出し、母に問いかける。彼らは双子の兄妹であるためか、一つ一つの動作がそっくりだ。

「さぁ、どうしてかしら……」
 女性は散りゆく桜を見守りながら、子供たちの頭を撫でる。

 桜は散る姿まで美しい。見事な散り様に惚れ惚れとしながらも、悲しいという感情も生まれてしまう。

 朧気に、誰かの姿が思い出される。顔も名前もわからない。
 ただ、とても大切な人であることはわかっていた。

 そして、最後の一枚がゆらりゆらりと落ちてしまう。

「頑張ったね……」
 気付かないうちに、彼女の頬には涙が伝っていた。
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