白鬼

藤田 秋

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第十章 仁義なき文化祭!

10-3それは、地獄の始まり

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「わぁい! ありがとう、珀弥君!」
 千真は飛び跳ねながら僕の手をブンブンと振った。
 彼女の頭から一本だけ飛び出ているアホ毛が、くるくると回る。嬉しそうで何よりです。

「ちっ。黎藤も丸め……納得したことだし、あたしたちの要望も聞いてくれないかしら?」
 今舌打ちしたでしょ。丸め込めたとか言うつもりだったでしょ。決して怒りはしないけれど。

「要望って、何かな……?」
 気を取り直して答えを促す。
 とにもかくにも、これが女子の意見転換のヒントだ。一体、何を企てているのか。冷静さを失わないように、拳を固く握り締めた。
 雨ヶ谷さんの整った唇が動きだす。

「あたしたち、燕尾服を着てみたいの。執事が着てるやつ」
「はぁ」
 雨ヶ谷さんは自信満々に言うが、少し拍子抜けしてしまった。もっと、とんでもないことを言うと思ったからだ。でも……。

「燕尾服も着たいから、『メイド』に括らず『コスプレ』にしたのな」
 翼は『ほぇー』と気の抜けた声を出す。

「そうよ」
 雨ヶ谷さんはにこにこしており、思考が読めない。
 僕は翼に目配せした。彼は小さく頷き、困ったように笑う。翼も警戒しているようだ。これにはまだ、裏がある。下手なことを言って、言質を取られないようにしなくては。

「確かに、女子は妥協してくれたもんな。良いんじゃねーの? 燕尾服」
「僕も異論は無いよ」
 ここは素直に聞き入れた方が吉だ。僕としても、千真がメイド服を着ないならそれで良い。むしろ望み通りだ、ざまぁみろ野郎共。

「雨ヶ谷さんが言うなら……」
「燕尾服もアリじゃね? 男装女子イイネ!」
「ちぇー」
 素直に賛成する者、逆にノリノリになる者、口を尖らせるが不満は漏らさない者、反応は様々だが、男子も納得している。
 彼らの反応に、女子も満足そうだ。地雷は踏んでいないな。

 どうやら、嫌な予感は杞憂に終わったようだ。僕はそっと胸を撫で下ろす。

「心配して損したな」
「考え過ぎも良くないね」
 ストレスで禿げてしまうのは避けたい。

 クラスに和やかな雰囲気が戻ってきた。翼はニヤニヤしながら僕をつつく。オイ、元々お前だって男女決裂の一端を担っていたのを忘れんなよ。

 僕も翼も気を緩めた。全て丸く収まって、平和に解決したんだ。
 ……と思って油断したのが、間違いだった。

「神凪さんのメイド服姿も見たかったなぁ」
「だよなぁ! 雨ヶ谷さんもやばくね?」
「おいおい、室町さんも忘れんなよ」
 また盛り上がる男子共。懲りないな。
 うちのクラスの女子はレベルが高いからとか、何か色々くだらない事を言っている。そこで、僕は見てしまった。

「っ!?」
 雨ヶ谷さんの口の片端が、ニィッと持ち上がるのを。これは、人がまんまと罠に掛かったのを喜ぶ翼の表情と同じだった。

「やっぱり、メイドさんも必要だと思う? 正直に答えてほしいな」
 雨ヶ谷さんは少しだけ眉毛を下げ、バツの悪そうな笑みを浮かべた。先程までの威圧的な態度はどこへ行った?
 今は態度をガラリと百八十度変え、身を縮ませてしおらしく振る舞っている。

「いやっ、そんなこと……」
 話し掛けられた男子は、雨ヶ谷さんの目から視線を逸らす事が出来ず、口を開閉した。

「正直、メイドさんがいないのは残念っす……」
 そして、本音をポロリ。

「本当に? ごめんね。さすがに執事だけじゃ、女子の意見だけゴリ押しだものね……」
 あれ、風向きが?

「コスプレ喫茶なんだから、執事もメイドも両方居ていいじゃない! メイド要員も居るんだし」
 雨ヶ谷さんはパアァと輝く笑顔。
 どういうことだ。メイドを肯定している上に、それに足る人はいると言う。いや、待て、女子は燕尾服を着ると言っていた。全員意見が一致していたようだったし。

 例外なんて、いるのか?

「もう一度聞くわ。は必要?」
 先ほど質問した内容を繰り返す。何故、ここまで念入りに聞くのか。……まさか。

「待っ——」
「もちろんッス!」
「ほんと!? 他の皆は」
 ターゲットは即答し、雨ヶ谷さんは他のクラスメイトにも話を振る。

 男子は『マジか!? 必要です!』と肯定を表す歓声を上げた。女子も快く承諾。まるで打ち合わせたかのように、

 僕の声は届かなかった。
 気付くのが遅すぎたのだ。本当の罠は、時間差で仕掛けられていたということを。

「うん! じゃあ、メイド役は男子お願いね!」
 素敵な笑顔の雨ヶ谷さんの語尾には、音符がくっついていた。
 一瞬、クラスが水を打ったように静かになった。

「……へ?」
 誰かが、間抜けな声を出す。
 何を言われたのかが理解できなくて、困惑しているようだ。僕もだ。

「翼君。僕の耳がバグったみたい」
「安心しろ、お前の聴覚は正常に機能している」
 翼がマジ顔になっている。いつもの飄々としたあいつは、家出をしたようだ。

「メイド役が欲しいなら、自分でやればいいじゃない」
 雨ヶ谷さんが言うと、女子は『ねーっ!』と答える。
 パンが無いならお菓子を食べればいいじゃない、みたいなノリでとんでもないこと言ったぞこの人。

「ナツめ、なかなかしたたかな女に育っちまったぜ……」
「お兄さん、あの子にどういう教育したの?」
 血相を変えて抗議する男子を横目に、翼はどこか清々しい表情をしていた。

「あいつが小さい頃から、『強い子になれ』って言い聞かせてた」
「そりゃ強かにもなるわ」
 雨ヶ谷さんは筋の通ったロジックを組み立て、男子を説き伏せている。
 さすが外道てんぐ、妹分がああなっても誇らしげとは、本当にイイ性格をしているな。

「ぐはっ!」
「げふっ!」
「ぺへっ!」
 次々と薙ぎ倒されるモブ。哀れである。自分に素直だった君たちのことは忘れないよ。
 まんまと墓穴掘りやがってこの野郎。いっぺんとは言わねぇから何回でも死んでこい。

「珀弥君! ウィッグ見つけてきた!」
 フリスビーを持ち帰ってきた犬のように嬉しそうな千真が、こちらへ駆け寄ってきた。その赤褐色の瞳は、子供のような無邪気さを映し出している。

 手にはウェーブのかかった黒くて長い、髪の毛のようなものを持っていた。これ……ウィッグじゃないのか?

「良かったねー」
 ひとまず僕は千真に目線を合わせて体勢を低くし、頭を軽く撫でてあげた。

「えへへ! で、珀弥君——」
「着けない」

「え、まだ何も言っ——」
「着けない」

「あの——」
「着けない、絶対に」
 言わせない。そして僕は着けない。長髪なんて妖怪のときで十分だ。

「珀弥君……」
 千真は目を見開き、足を一歩退く。顔には絶望の表情が浮かび上がっていた。

「私、見つけたのに……」
「ゑ?」
 千真の幼い顔が見る見るうちに歪んでいく。何かを堪えるように口を結ぶが、わなわなと震えている。

「うわー、お前引くわー」
「黎藤君……見損なったよ……!」
 依然マジ顔の翼と、座敷わらしになっていた谷口さんにまで、非難の声を浴びせられた。何故だ、理不尽過ぎる。

「ごめん、ちさ——」
「見つけたのに! 薄井先生のバックから!!」
「今すぐ返してきなさい!」
 何で見つけちゃいけないものを平然と持ってきてるの!? この子怖い!
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