白鬼

藤田 秋

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第六章 狐珱なのじゃ!

6-2 異形の者に御注意を

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 ふん、儂には関係ないことじゃ。これも一つの運命よ。
 儂は変化へんげを解き、本殿へと身を翻す。

『狐珱』
 足がぴたりと止まった。脳裏にぼんやりと浮かぶとある男。
 はて、こやつは誰じゃったかのう。かれこれ千年以上生きているが、ちぃと呆けが入ってきたか?

『貴方は神に仕える者として、人に幸運をもたらしなさい。それが貴方の宿命なのです』
 勝手なことを抜かしよって。
 儂は善狐じゃのうて、悪狐なのじゃぞ。何故なにゆえ人間の為に働かねばならぬ?

『貴方はわかっているはずです』
 何をじゃ? 先ほどから、訳のわからぬことを抜かしよって。

『貴方の本質は——』

「——君、狐珱君?」
「ぬっ!」
 いつの間にか、千真が不思議そうに儂の顔を覗き込んできておった。手にはチリトリとやらが握られておる。ほう、既に掃除は片づけたのか。

「ボーッとするなんて珍しいね?」
「そんなに呆けておったかの?」

「うん、何回か呼んだけど反応無かったもん」
「そ、そうか」
 千真の頭の天辺にちょいと生えておる、アホ毛とやらが左右に揺れた。何じゃあれは。

「何か考え事してたの?」
「まぁの」
 脳裏を過った男の言葉。
 暫く忘れておった……いや、本当は記憶の隅に追いやっていただけなのかもしれぬ。

 あやつはいつもそうじゃった。最期まで儂を信じておった。
 じゃが、お主の知っておる狐はもう居らぬぞ。儂は——。

「また悩んでる」
 ぽつりと千真が呟いた。その声音は、えらく柔らかかった。

「済まぬ、また呆けてしまったか」
 儂の謝罪に対し、千真は朗らかに笑う。

「狐珱君は少しだけ、素直になればいいんじゃないかな?」
「の!?」
 あぁ、この娘は。

「本当は答えがわかってるんでしょ?」
 まことを見抜いておる。
 全く。人間の小娘に諭されるとは、儂も堕ちたものじゃ。

「千真よ、これをあそこに結んでおいてくれぬか?」
「うん、わかった。どこかにいくの?」
 儂は御籤売り場の横にある結び場を指さし、千真に御籤を急いで託す。
 彼女は素直に受け取ってくれたが、儂を不思議そうに眺めておった。

「ちぃと散歩じゃよ」

* * * * * * * *

 ぼくは神社の長い階段を降り、田んぼ道を歩いていた。
 さっき起こったことを思い出し、肩を震わせたり、顔を赤くしたりして忙しい。

****

 ぼくの町には、『いわくつき』の神社がある。

 何年前かは知らないけど、その神社で『殺人事件』が起こったんだ。家族は全員死んじゃったけど、まだ誰かが住んでいるらしい。

 それで、ぼくら小学生の間では『度胸試し』に、その住人を確認しに行くのが流行ってる。
 何人か見に行ったけど、おじいさんがいたとか、怖い女の人がいたとか、皆言うことはバラバラで、本当かどうかはわからない。
 だから僕も行ってみたんだ。

 鳥居をくぐった瞬間、空気が変わって怖かったのを覚えてる。やっぱり何かあるんだ、って。

 両脇に並ぶたくさんの大きな木と、奥に大きな建物がどんと構えていた。
 人は居なかったけど、境内はちゃんと掃除してあって、管理されてることがわかる。
 本当に誰か住んでるんだ。

 もっと奥に行けばきっとわかるはずなんだけど、行ってはいけない。そんな気がして、そこまで足を進められなかった。

『あっ』
 ふと、誰もいないおみくじ売り場が目に入った。

 丸い穴の開いた大きめの箱と、その横には細長い切れ目が入った小さな箱。
 大きめの箱にはおみくじが入っていて、小さな箱にお金を入れるようになっている。値段は百円みたい。

 周りを見渡してみる。
 地面にちょこちょこと歩いている雀しか居なかった。物音といえば、風の音くらいだ。

『……』
 ぼくはおみくじの箱に手をつっこんだ。
 がさごそと音を立て、一枚だけおみくじを引く。

 また周りを確認し、さっさと神社から逃げようとした。
 だけど、ぼくの逃走劇は始まる前に終わってしまった。

 肩に手を置いてきたのは、僕とそんなに背丈が変わらない女の子。
 見覚えのない子だ。巫女さんの格好をしているが、ここに巫女さんがいるだなんて聞いたことがない。

『おみくじの結果は見ないの? せっかくお金を払ったんだから見ようよ』
 お金を払った、その言葉に反応してしまった。この子、もしかして、おみくじを盗んだことを知っているの?

 後で見るからいいと断っても、女の子は『今見たほうがいいよ?』と、ぼくの顔を覗き込んできた。可愛いなぁ。
 ぼくは顔を赤くし、まんまとおみくじを開いてしまった。

****

 その後は信じられないことが起きて、怖くなったぼくは神様に謝った。
 あの子に見つからなかったら、きっと祟られてた。よかったよかった。

 名前は何ていうんだろう? 聞いておけばよかったなぁ。
 それにしても、本当に人がいるなんて……まさか、あの子が!?

「ん?」
 がしゃん、がしゃん。と重そうな音が後ろから聞こえる。荷物をいっぱい抱えてる人がいるのかな。

 振り返ると、なたを持った人がいた。重そうな音は、腰にたくさん括り付けられた鉈や鎌などの刃物のせいだろう。性別は正確にはわからない。
 だって、首が無いんだもの。

 ぼくは声が出なかった。

 鉈は振り上げられ、一気に降ろされる。
 慌てて横に避けたけれど、鉈は服の袖を削ぎ落してしまった。袖はハラリと地面に落ちる。
 下手をしたら、地面に落ちてたのはこれじゃなくて、腕だったかも……。
 思わず背筋が凍った。

「うわあああ!」
 弾かれたようにぼくは逃げ出した。
 後ろからは、がしゃんがしゃんとさっきより激しい音がついてきている。

 ぼくは走る。近くには逃げ込めるようなところが無い。ずっと田んぼ道が続いているだけだ。

 がしゃんがしゃん。その音はすぐ後ろまで迫ってきていた。

「おわぁっ!」
 ここで足をもつれさせて転んでしまった。手の平が、膝小僧が、すごく痛い。
 こわい、いやだ、ころされる……!

 恐怖が勝って、膝小僧に血が滲むのも構わず、立ち上がって駆け出した。脚が震える。
 助けて、誰か助けて!

 ちらりと後ろを向くと、首無し人間が真後ろで鉈を振り上げていた。
 その鉈は容赦なく振り下ろされ——。



 ——の頭をカチ割った。
 その残酷な光景を、ぼくは水の張られていない田んぼの中から覗き見していた。何でここにいるのかはわからない。

 気付いたらぼくはここにいて、あっちにはぼくによく似た男の子が襲われていた。正直、吐きそうだ。でも、その衝撃的な光景から目を逸らすことは出来なかった。

「あ、怪我してる」
「ひっ!」
 隣から声がし、ぼくは肩をびくつかせた。

「おーう、ごめんごめん、びっくりした?」
 恐る恐る隣を見ると、神社にいたあの子が笑っていた。

「な、何でここに!?」
「まぁまぁ、こまけぇこたぁ気にすんなってね」
 女の子は顔の前で手を振ると、田んぼの外を見た。視線の先には首無し人間。彼女は難しい顔をする。

「見慣れない顔だね……」
「いや、顔無いから」
 ぼくがつっこむと、女の子は『ウン、ソウダネ』と明後日の方を向いた。この子、あまり頭が良くないのかもしれない。

 あんなのが出るなんて、やっぱり……。

「ぼく、祟られたのかな」
 ぽつり、と言葉がこぼれおちた。
 きっとそうだ。神様は許してくれなかったんだ。だからぼくは……。

「祟られてなんかいないよ」
 力強い言葉が、ぼくの耳に飛び込んできた。女の子を見ると、不敵な笑みを浮かべている。

「じゃあ、何で……!」
「君はただ、運がすこぶる悪かっただけだよ」
 運が、悪かった?

「運が悪いだけでこんなこと……!」
 反論しようとしたけど、女の子は首を振った。

「君は本当にんだよ」
 ぼくは目を見開いた。だって、首無し人間が女の子の後ろで鉈を振り上げたから。

「——!」
 声を上げる間もなく、女の子の首が無くなってしまった。彼女の首は回りながら宙を舞う。

「あ、あぁ……っ!」
 そんな! あの子まで!

「不粋じゃのぅ」
 女の子の首がそう言い、身体共々『ぽんっ』という音を立て、煙となって消えてしまった。

「……は?」
 思わず間抜けな声が出た。え、これはどういうこと?

「ふはははは! 見えていたぞ、若造め!」
 首無し人間が振り抜いた鉈の上に、器用に乗っている男の子がいた。

 金髪で、金色の目をして……獣の耳に、尻尾!? な、何だあれ!!
 化け物は空いている方の手で、腰からもう一本の鉈を取る。そして、鋭い刃を男の子の脚めがけて振り上げた。

「ほっ」
 男の子は軽く跳び、攻撃を難なくかわして地面に着地する。

「ふん、見えておると言ったじゃろ?」
 彼は腕を組み、したり顔で鼻を鳴らした。ふさふさの尻尾が、ゆらゆら揺れる。

「てめぇ、何モンだ」
「ぬ。お主、喋れたのか」
 突然聞こえてきた低い声。
 ぼくでも金色の男の子でもない。ならば首無し人間しかいないだろう。

 口が無いのにどうやって喋ってるんだろう?

「話を逸らすな糞餓鬼」
「く、糞餓鬼じゃとぉ!?」
 糞餓鬼という言葉に、男の子は耳をピンと立てた。びしっと首無し人間に向かって指をさす。

「口を謹め若造! 儂は平安の大妖怪、狐珱様じゃぞ!」
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