白鬼

藤田 秋

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第五章 春の氷人形

5-5 幽霊の涙は何も濡らせない

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 さて、この亡骸をどう処理しようか。
 氷漬けにされたクラスメイトを眺めて唸る。とりあえず、場所を移動しなくては。

 亡骸を運ぶ際に当たらないように、刀を差す角度を上手く変える。次に爪を立てないよう、クラスメイトを慎重に抱き上げてみた。かなり冷たい。
 人間特有の柔らかさも、温もりも、全て失われていた。

「わたしをどうするんですか?」
 後ろから、恐る恐るという感じの女の声がした。

 そちらに視線をやると、前髪を綺麗に切り揃えたボブカットの少女——この亡骸の魂が漂っていた。亡骸と同じ、黒縁の眼鏡と制服姿のままだ。

「そうだな……」
 このままどこかに埋めたら、彼女が死んだことは誰も気付かないだろう。暫くは行方不明扱いか。それは、さすがに気の毒だ。

「此処ではないどこかに寝かせておく」
 誰かに見つかるように。

 もとより、警察には通報する気はない。面倒ごとは御免だからな。
 かといって、今やろうとしているのは死体遺棄だ。法に触れるが、そこはご愛嬌だ。

「そうですか……。それなら、あの、置いてもらいたい場所があるんですけど……」
 彼女は冷静だった。もう全てを諦めて悟っただけなのだろうか。死人の望みくらいは聞いてやろう。

「それはどこだ?」
「い、良いんですか?」
「構わない」
 彼女は『ありがとうございます』と何回も頭を下げた。



 場所は変わり、先程まんまと罠に嵌められた杉林。ここの氷も、今はすっかり溶けている。

「此処で良いのか?」
「はい」
 谷口に確認をとり、道の端にそっと亡骸を寝かせた。

「ここなら、お父さんが通るから……きっと、見つけてくれる……」
 これは独り言か。彼女は寂しそうに、道端の自分を眺めていた。親に自分の亡骸を見つけさせるのは、どれだけ酷だろうか。

「ありがとうございました」
 俺に向き直り、礼を言う彼女の丸い目には溜まった涙が光っていた。

「別に。礼はいらん」
 思ったより素っ気ない返事になった。

 そのまま踵を返してここを去ろうとしたが、慌てた様子の谷口に引き留められる。
 俺が振り向くと、彼女は一瞬口を開きかけて閉じ、また躊躇いがちに話を切り出した。

「あの……黎藤君、ですよね?」
 ……。

「……もしかして、ずっと見てたのか?」
「はい、格好良く登場した辺りから……」
 あぁ、翼が美味しいところを全部かっさらっていったシーンな。

「……そうか」
 死人に口無し。もう死んでるから、別にバレても問題は無いが……。何だか、何だかな……。

「や、やっぱり言っちゃマズかったですか?」
「いや、問題ない」
 慌ててぐるぐると回る彼女を止め、冷静に宥める。

 彼女は落ち着くと、おずおずと口を開いた。

「わたし、びっくりしたんです。黎藤君が別人みたいになっちゃって。……正直、怖かった」
「あぁ、そう。よく言われる」

「でも……」
 彼女はおどおどした表情を明るくし、にっこりと人懐っこい笑みを浮かべた。

「あなたも、優しい人でよかった」
 ……優しい、か。

「優しい奴が簡単に誰かの命を奪う訳無いだろ」
「それは……」
 俺は優しさとは程遠い、鬼だから。彼女は口籠もるが、負けじと首を振った。

「それでも、あなたは優しい人です! わたしが優しいって思ったから、そうなんです!」
 一際声を大きくした彼女の目は、強い意志が籠もっていた。
 怨霊でも無いのに、こんなに眼力が強い幽霊はなかなか見ない。俺は返す言葉が見つからなかった。

 彼女は面を食らったような顔になる。自分で言ったくせに、何故だ。
 そして、血の気の無い顔を更に蒼くした。

「わ、わあぁっ、ごめんなさい! 出過ぎたこと言っちゃって……」
「いや、別に、大丈夫。……ありがとう」

「……えっ」
「ゑっ」
 彼女は目をぱちくりと開閉させ、俺の顔を見た。さっきからどうしたんだ、この娘は。

「あははは!」
 今度は笑いだした。なんだ、情緒不安定なのだろうか。
 ひとしきり笑ったあと、申し訳なさそうに俯いた。

「ご、ごめんなさい。驚いてるのが面白くて……」
 色々と正直だな。

「陰鬱な気分になるよりは良いんじゃないか」
 自分が死んだことを悟った霊は、大抵負のオーラを撒き散らしているし、大笑いする奴は珍しい。マイナスに振り切れて悪霊になられても困るし。

「やっぱり、黎藤君は優しいです」
「まだ言うか」
「生きているときに、もっとあなたとお話したかったな……」
 ぽつりと、消え入るような声は淋しげだった。少しずつ表情が歪む。

「本当は、もっと、学校に通いたかったな……」
 入学したばかりなのに、すぐ通えない状態になったからな。彼女は地面に膝をついた。

「本当は……もっと……生きたかった……」
 丸い目からこぼれた雫が、地面に落ちたが、濡れはしなかった。それは死人の証だ。
 彼女は静かに涙を流し、身体を震わせていた。

「……」
 女に泣かれるのは正直苦手だ。
 俺は谷口の前にそっとしゃがんだ。刀が空気を読まずに音を立てる。

「黎藤君……?」
 俺がしゃがんだことに気付いたのか、彼女は顔を上げた。目が真っ赤だ。

「もうあんたは死んだ」
 生への執着を断ち切るよう、突き放すように言い放った。彼女は更に顔を歪め、両手で覆う。

「死人は生き返らない。あんたの望みは叶わない」
 もっと、生きたい、というのは無理だ。

 例外的に魂を呼び戻す術は知っている。だが、俺は使うことは出来ない。
 ——白い布を顔に被せられて横たわっている誰かが、脳裏をよぎった。

「だが、学校に通うという望みは叶えられる」
「え?」
 彼女はキョトンとした表情で俺を見た。

「その望みが、あんたをこの世に縛り付ける未練になるなら、叶えれば良い。無理ではないから」
 俺が言うべき台詞ではないのかもしれないが。

「良いんですか……?」
「あぁ、駄目ではない」
 ここで安堵の表情を浮かべた彼女に釘を刺す。

「ただし、友達にも、先生にも、誰にも気付いて貰えないものと思え」
 谷口は衝撃を受けたように、手で口を覆った。居るのに居ないものと思われるのは苦痛であろう。

 彼女の望みは、単に通うことではなく、学校で人と接することだろうから。

「これからどうするか、決めるのはあんただ」
 俺は立ち上がり、この場を去った。

 希望をちらつかせながら絶望を見せるとは、我ながら鬼らしく酷いことをしたと思う。
 彼女はどういう決断をするだろうか。
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