白鬼

藤田 秋

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第五章 春の氷人形

5-4 心の無い鬼

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 町がミニチュアのおもちゃに見える程の上空。
 いつも荒い運転の翼は、珍しく速度を落として飛行いる。あたしたちに負担が掛からないよう、気を遣っているのだろう。

「足の具合はどう?」
「別に大丈夫よ。冷え性になる以外は」
 カチカチに氷らされた私の足先の感覚は無いが、特に問題はない。

 これが普通の人間だったら、凍傷どころの騒ぎではないだろう。それよりも、翼の脇に抱えられている状況の方が苦しい。二人だから仕方がないが。

「まんまと攻撃を受けちまったってことは、変化へんげしなかったってことか」
「そうね」
 ……あのとき変化して戦っていれば、チマにも負担をかけさせなかったのに。戦わなくても、逃げるくらいはできたかしら。

「いや、ナツの判断は正しかったよ」
 翼は、さもあたしの考えを見透かしたかのように言ってきた。

妖怪オレが人間に正体を明かすのはご法度だ。夏河、お前も例外じゃない」
「わかってるわよ……」
 いつもはあだ名で呼ぶクセに、真面目な時は夏河と呼んでくる。

 これは人間社会に溶け込んで暮らしている、あたしたちの掟。破ればもう『外』には出られない。

「それにさ、ナツは女の子だし? 無理に立ち向かう必要なんてねーのよ?」
「う、うるっさい! 馬鹿!」
 何よ、急に女扱いしやがって。何よ、何で恥ずかしくなっちゃってるのよ。

「それより、あいつを一人にして大丈夫なの?」
 あたしは無理矢理、話を逸らす。

「珀弥? あの程度、野郎の敵じゃねーよ」
 翼はけらけらと笑う。
 友達の身を案じる気は全く無い。彼の実力を認めているからだろう。天狗のくせに人間の力を信じるなんて、つくづく変な奴。

「それに、雪女に話があったようだからなー」
 彼は付け加えるように呟いた。

「話?」
「おっ、川爺いた。おーい!」
「聞けよ」
 彼はあたしの言葉をスルーし、山から流れる川の下流付近にいる、老齢の河童に声をかけた。

* * * * * * * *

『用が済んだら始末しとけよ』
 すれ違い際、翼が残した言葉だ。

「あーあ、逃げちゃったー」
 雪女はわざとらしく袖を口元に当て、残念そうに眉を歪めた。

「逃がした、の間違いだろ」
「あら、そう思う? でも、黒髪の女の子は惜しかったわ」
 彼女は薄く微笑み、目を細めた。

「お前の目的は何だ」
 テンプレートのような台詞になったが、これで十分だ。

「単刀直入に言うのね?」
「質問に答えろ」
「そんな怖い顔しないでくださる?」
 俺が刀を突き付けると、雪女は『怖い怖い』とわざとらしく身を退いた。いちいち行動が癪に触る女だ。

「ねぇ、あなたなんでしょ? 二人目の白鬼は」

 あぁ……そういうことかよ。この女はアタリだ。
 俺が黙っているのが気に食わないのか、雪女はツンとした表情になった。

「その沈黙は肯定と受け取るわ」
 それにも反応を示さないと、彼女は『つまらない坊やね』と鼻を鳴らし、地面に手を翳した。

 すると氷が盛り上がり、新たな氷の柱が形成された。雪女は優雅にそれに腰掛けるが、緊張感はまるで無い。
 だが、俺は刀を下げず、突き付けたままにしておく。

「宝月様のこと、ご存知でしょ?」
 彼女は面白がるように、軽く笑った。
 忘れたことなんて一度も無い。何故だろうか、口元に笑みが浮かぶ。

「それがどうした」
「これには反応してくれるのね? ……あらやだ、だから怖い顔しないでったら」
 茶化すような態度が気に食わない。彼女は居住まいを正すと、艶のある笑みを浮かべた。

「私は宝月様に頼りにされてるのよ」
 そう頬に掌を当てる。うっとりと、酔っているようだ。
 続いて、如何にして私は救われただとか、あの方に尽くすだとか語り始めた。この女、奴に魅了されている。

 最早、新手の宗教だ……会話にならない。

「で、早く本題に入らないのか」
「もう、男はせっかちなんだから」
 いかん、手が滑ってうっかり殺してしまいそうだ。

「私の目的は、人形を造ること」
「人形?」
「えぇ、氷で綺麗な姿のまま保存される、可愛らしい人形なのよ」
 そうか、それで足元に転がっているクラスメイトも『人形』にされたわけか。

 行方不明になった少女たちも、奴の人形にされてしまった……。千真たちを襲ったのも、人形にするため。

 何故そんなことをするのか?
 さぁ、頭のいかれた女の考えなんざ、知ったこっちゃない。

「それと、あともう一つ、目的があるの……」
 俺は彼女の口元が不気味に歪んだのを見逃さなかった。
 すぐに後方へ跳び、雪女から離れる。

「反応が良いのね。さすが鬼と言ったところかしら?」
 雪女を中心にして、鋭いつららが地面から飛び出していた。避けるのが一瞬でも遅かったら、俺は串刺しになっていただろう。
 この女のもう一つの目的。それはもちろん——。

「俺を殺すこと、か」
「ふふ、話が早いじゃない」
 つららが絶え間なく地面から突出し、俺はそれを避けていく。どんどん雪女と距離が開き、攻撃をする暇が無い。

「あら、避けてるだけじゃ何も進まないわよ?」
 嘲笑いながら氷を次々と造り出す雪女。あの女の目的はわかった。だが、俺を殺す動機は何だ——?
 空中じゃ避けきれない。俺は飛んできたつららを斬り落とす。

 ——いや、考えなくてもわかるか。宝月が、従順な雪女に指示したのだろう。では、野郎は何故、俺に刺客を差し向ける?

 聞いてみるか。
 俺は着地し、刀を鞘に納める。すると間も無く、地面から氷が飛び出してきた。その氷の先端が刺さらないよう、足を少しずらす。

「あら、諦めたのかしら?」
 突然止まった俺を見て、雪女はくすくすと笑う。んなわけあるか。別に、本当は跳んでまで避けるものでもない。

 目の前にそびえ立つ巨大な氷の柱にローキックを食らわせ、真っ二つに圧し折る。
 ぐらりと倒れた氷の塊を引っ掴み、そのまま雪女に向かって一直線に投擲した。

 その柱は、地面から生えている数々の氷を破壊しながら猛進する。

「甘いわよ!」
 雪女は前に手を翳し、厚い氷の壁を造った。俺が全力で投げた柱は、ことごとく防がれてしまう。なかなか頑丈な壁だ。

 それは計算の内。俺は雪女の背後に密着するように立ち、刀を首筋に当てた。

「ここまで近くては、つららなんか出せないな」
「あ、あなた、いつの間に……!」
 単純な話だ。柱で注意を逸らしている間に素早く移動して、彼女の後ろに回り込んだだけ。
 何の捻りもない、ただの移動である。

「宝月は何の為にお前を差し向けてきた?」
「知らないわ……」
 不機嫌そうな低い声。
 特に嘘をついている様子は見えない。目的も知らされず、まんまと命令に従ったってわけか。

「お前は『二人目の白鬼』って意味、判るか?」
「さっきから質問ばかりね」
 雪女は嫌味を込めて返してきた。

「悪いな。これで、だ」
 この答えが帰ってくれば、俺の用事は終わる。彼女は面倒くさそうにため息をつき、回答を始めた。

「宝月様が一人目の鬼だから……」
「もういい」
 雪女の言葉を遮り、俺は刀を引いた。

 彼女の頭はゆっくりとズレながら首を滑り落ち、重量感のある音を立てて地面に転がった。身体も崩れ落ちるように倒れる。

 その際、硬いものが割れる音がし、幾つかの氷の欠片が着物から転がり出てきた。

 噴き出る筈の血は無い。それもそうだ、身体が氷で出来てるのだから。

「酷い坊やね」
 足元に転がっている生首の形をした氷の塊は、棒読みで言葉を紡いだ。まだ喋れるのか。

「言ったろ? これでだって」
 こいつは、当たりであり、外れであった。
 あの野郎には繋がっているが、肝心な事を知らない——捨て駒。

 氷の塊は身体がくっ付いていたときと変わらず、くすくすと笑った。

「あなた、宝月様に似てるわね」
「最低な褒め言葉だな」
 果たして、何が似てるのか。

 俺は氷の塊に刀を突き立てる。少し力を入れると、簡単に粉々になった。
 辺りを凍らせていた氷も次々と消滅し、元の景色に戻る。

 今度はちゃんと死んだな。一人目の白鬼に封印され、冷酷な鬼に封印を解かれ、利用されてしまった哀れな女。

「……」
 別に、思うところはない。こいつは運が悪かった。

 ふと、クラスメイトの亡骸に視線を移す。彼女も、そう、運が悪かった。
 ただ、それだけだ。
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