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訪問者A メイプル 5

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 老婆風の客が欲しがっていたものが、案の定小包の中に入っていたのを確認できた。知ってしまったからには店頭に置くわけにはいかない。

「まだスペース余裕あるから、在庫にしておくか」

 帰って早々一階倉庫奥の空いている場所に木箱を置き、中に不織布を引いて例の本を入れた。

 ケマルは、十五で成人した時に曾祖父が持っていた閉店したままの店舗をもらい、本屋を開いた。その店は元は雑貨問屋をやっていたため奥に長い作りで、倉庫として使われていた地下室があって、さらに二階と三階もあり、本屋にしてはやや広い建物だった。
 ただケマル一人でやっていくつもりだったから、開店時の改装で一階の半分、目の届く範囲だけを店として本棚を設置し、カウンターを間仕切りの様にして奥は本の在庫をしまっておく場所にした。そして三階を自室にしてキッチンやシャワーなどを作った。
 二階にしなかったのは、今後本の在庫が増えた時に店に出しやすいことを考えたからだった。

 当然店を開けたばかりの頃は本の在庫なんか店頭に出すものがほとんどで、一階のカーテン奥でさえスカスカな状態。それでも知り合いの本屋の店主に、本など集め出したらいくら場所があっても足りないと教えられていたので、いい店舗を譲ってもらったとかなり満足していた。

「この本何か特別なんっすか?」

 ケマルの後ろから覗き込むように、ショートンが手を伸ばした。

「読むのは良いけど、売るなよ」
「もしかしてあの荷物がこれっすか?」
「ご名答」
「開けても平気だったんすねー」

 ケマルが持ち帰った本を興味深げにいろいろ調べているショートンと当たり前に話している自分に気が付き、溜息を一つ。

「お前、家ないの?」

 ショートンは肩を震わせて動きを止めた。

「……ありやす」
「じゃあ帰れよー」

 間髪入れずにケマルが言うと、ショートンは肩を落としてその体格には大きな本を強く抱きしめた。

「……帰りたくねーんす」
「それは俺の店と関係ない話だろう」

 冷たいようだが、同情しても払える給金はない。食わせてやれるかも怪しい。

「ここは俺が食ってくだけで精一杯なの、お前がいくら片付けしても掃除しても何もやれん」

 ショートンはしょんぼりするかと思ったケマルだったが、予想に反してその瞳は輝いた。

「……なんだよ、その目」
「金の心配? 旦那、そうっすよね?」

 本を胸に抱えて、ケマルにぐいぐい迫ってくるショートンは子供のなりの癖に力強い。後ろにひざ丈ほどの木箱があるため、下がることがならないケマルは、近くの棚に手をやってその圧迫になんとか耐える。

「え、あ……そうだよ、ここは貧乏本屋なの」

 本を仕入れる資金に困ることは今のところないから、貧乏というほどひっ迫してはいない。諦めてもらうにはそれくらい言った方がいいという方便だ。
 ただショートンには逆効果だった。

「そんな! 貧乏だったんすか!? 潰れそうなんじゃ!! 僕、外で金稼いで来るっす、店の手伝いも今以上に頑張りやすから。潰さないでください!」

 ケマルに迫る圧力は弱まることを知らず腹のあたりにある犬顔が少し泣きそうに見上げてくると、のけ反るほどに姿勢を崩しているケマルは逃れることは難しく、倒れないように支える手に力を取られ強く言い返すこともできない。

「あ、いや、そんなに、それほど心配してくれなくても」
「いや、僕甘えてたっす! 旦那が日々どっしり構えらっしゃるから、平気なもんだと勝手に思ってやした。まさか火の車になっていやしたとは……」

 今度は明らかに目を潤ませて、今にも涙が零れ落ちそうになっている。

「だ、大丈夫だから」

 まさか些細な嘘がここまで効いてしまうとは、ケマルはかなり反省した。
 コボルトは本来思考が単純な生き物だから、そこを失念していたケマルの落ち度だ。

「旦那ぁ~、ここなくなるんすかぁ?」

 すっかり涙声のショートンは、さすがにケマルでも押し返せた。
 ケマルが離れたことでいよいよ本格的に泣き出した犬ブラウニーを近くの台座に座らせて、頭を撫でてやる。

「大丈夫だから、すぐ潰れたりはしない。お前を雇うほどの稼ぎはなってことだ」
「……僕が稼いで来たら大丈夫っすか?」

 縋るようにシャツの裾を掴まれたケマルはまたもや離れることを許されなくなった。

「……そういう問題じゃ」

 ショートンの手を払おうとしたのがまた逆効果、より強く握られ安物シャツはすっかりしわくちゃだ。

「僕頑張るっす! 大金は稼いでこれねーですが、この店の足しになるくらいには全然問題ねーくらいはちょろいもんです」
「いや、だったらそれで生活――」
「ここは僕のオアシスなんっす、何としても持ちこたえもらわないと」

 呟くように言われ、ケマルは思わず黙ってしまった。
 そんな思い入れを持たれるほど、大した店じゃないと恐縮したくなるほど真剣な眼差しを向けられて、言い返す言葉が見つからなかった。

「…………とりあえず家帰れよ」
「ダメっす! 見張ってないといつ潰れるか分からないっすから、見張ってないと! 家賃以上の金入れます」

 わざわざ見張ってっと二回も言う目に、すでに恐怖すら感じだしたケマルは劣勢に追いやられている。なんとかしようと言い訳のように言葉を発するが逆に畳みかけられだした。

「大丈夫だって」
「地下は使ってないっすからそこに住みます!」
「何を勝手に」
「大丈夫っす、地下も広いっすからね。隅っこの方にテント建てやす」
「テントって、外じゃないし」
「じゃあベッドくらい置いてもいいっすか?」
「……布団、床が石だから無理か」

 なにを前向きに考えてるんだと、自分に内心で突っ込んだ。

「ダメダメダメ、大体地下には風呂もキッチンもトイレもない」

 店のトイレ以外、水回りは全部三階にまとめて設置してあるから、将来は倉庫になる地下には今本当に何もないがらんどうだ。

「トイレだけは店のを使わせてください! あとは外で済ませやすから平気っす」

 三階にもトイレはあるが、一階に客用のを設置したのは、本屋あるあるのためだ。本屋に来ると必ず催したくなるという客は少なくない。だから入口のすぐ横に二つも設置してあるのだ。

「平気って」
「今までもそうしてましたから」

 確かに、勝手にそうしている。
 そうだ、勝手にすでに住み着いているようなものなのだ。そうケマルは現実をやっと見つめた。
 すると、本を日焼けさせないために、昼間でも薄暗い倉庫で犬顔ゴブリンと言い合うのが急に馬鹿らしくなった。

 害が出るまで、保留。
 隙さえあれば追い出す。

 そう決め、しばし考えないことを選んだ。

「そろそろ店を開けないと、今日は赤字になるなぁ」

 ケマルはわざと小さな声で言った。
ショートンはプルプル震えながら店へとつながるカーテンの方を見て、ケマルの顔を見上げ直す。

「すぐに開けやしょう、旦那!」
「はーい」

 思惑通りシャツから手が離れたことをこっそり喜び、きつめに皺が寄ったその部分を手アイロンで伸ばす。
 ショートンは早速入口の札を商い中にするために走っていった。

 ケマルは倉庫に残り、在庫整理する時に着る作業用のエプロンで皺をさらに隠した。接客をさほどするわけではないが、店主が舐められると事件が起きやすい。服装は第一印象に影響大、安物でも襟のあるシャツ、皺なく清潔にを心がけている。
 ただ着替えに戻るほど衣装持ちではなく、生憎その他のシャツは洗濯中だった。

 ショートンが置いていった例の本を箱にしまい、その蓋に冗談で書いた。

〈呪いの書 販売不可〉

 念のため、送り元の書いてある紙も入れておいた。


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