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第二章 車内でも隣には

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 公園駐車場の車に戻り走り出してから、ゆきは聞かずにいられなかったので、恥ずかしさを一旦忘れて素直に尋ねた。

「何かあったんですか?」

 甘い雰囲気になることに抵抗があるわけではなかったが、ゆきには唐突な出来事に思えてならなかった。

「心配されるようなことは何もありません」

 暗い車内で落ち着いたいつもの目雲の声がゆきの耳に届く。

「心配させないようなことならあったんですか?」

 逆説的に尋ねるゆきの鋭さが目雲の心をくすぐり、その浮つく心が声にも少し乗った。

「そうですね。限界が来た、というところでしょうか」

 日中よりはっきり見えない目雲の表情を、それでもゆきは横から眺める。

「限界ですか?」
「ゆきさんについて知りたいことが多すぎるんですが、いくら聞いてもさらに、もっとと終わりが見えません。だから恋愛的な進展よりその探求に時間を費やしているんですが、その反面知れば知るほど愛おしさが募って仕方ありません」

 運転中は視線がゆきに向くことは制限されるため、こんなことを言われるには、このタイミングはゆきにとって最適に思えた。
 体温が上がりやすくなっているゆきはまた頬を染める。
 今はそれを目雲が知るすべはなかったが、言葉は続く。

「身体的な濃厚な接触は時に相手の行動や言動、会話よりもっと情報を与えてくれる場合もありますが、関係に変化をもたらすものでもあります。知った気になるとでも言ったら分かりやすいかもしれません」
「なるほど」

 ゆきは熱くなった頬とは別の冷静な部分でその話に大きく頷いた。
 目雲はゆきが理解できるのだと思いつつ、無駄に高尚な話にしている自分を分かりながら話をまとめる。

「普段秘めていることを曝け出すのですから、関係性を深めるためにも重要な要素であることも分かっている上で、だからこそ時間を掛けて段階を大切にして、なんとなくなんて流された関係にはなりたくないと思っているからですかね」

 ゆきも賛同できるからこそ、焦燥感のない自分をそのままにしてくれていたのだと目雲の包容力を知る。

「深いですね」
「と言う理屈を捏ねて言い訳しています」

 無に帰すように、それも真剣な声で言うからゆきは目雲の顔をじっとみてしまった。

「えっと?」

 目雲はちらりとゆきを見る。
 そして信号で止まるタイミングでしっかりとゆきを見た。

「ゆきさんを繋ぎ止めるのに必死なんです、だから手が出せなかった」
「え……」
「ゆきさんからそういう雰囲気を感じたことはなかったですが、それは関係なくて。ただ僕が臆病になっていただけです。関係性を変える行動を取ることがマイナスにしか考えられなくなっていて。それでは駄目だとゆきさんを突き放した時に理解してもです。居心地が良いことが問題だなんて思ってもみませんでした」

 そして信号が変わり車を進めながら目雲はそれを打開した理由をゆきに教えた。

「でもそれも限界です。可愛いゆきさんを見ていると欲深くなります。妙な嫉妬に駆られて激情で襲い掛かってしまう前に、二人で決めたようにマイペースに、それでも確実に進展させます」

 初めに聞きたかったことの答えはゆきに与えられた。
 鼓動の速さを下げることはできなかったゆきがその心遣いに嬉しさが重なり、そっと頷く。
 その動きを視界の端で捉えた目雲は、言い訳がましくなってしまっていると自覚つつ言葉を続けてしまう。

「どうも僕はゆきさんに対しては突発的な行動に出てしまいます。夜中にチャイムを鳴らすことも母とのことで大声を出したり。あと告白してもらった時にキスしたことも。普段は当然、過去においてもそんな風になったことはありません。ゆきさんにだけ制御ができないから自分で先手を打ちました」

 言われてゆきは自分の中で隅に追いやっていた思い出を取り出した。

「あ、お別れのキスですね。目雲さんにしてはすごく夢想的な残酷さだなとは思ってました」
「夢想的な残酷さ」
「えーっと、少女漫画的な浪漫がありながら、そこに甘さでなく無常さと無慈悲さがある行動」

 目雲は自分で蒸し返しはしたが、ゆきの心情の解説が余計に心に刺さり居た堪れなさが激しかった。

「大丈夫です。意味が分からなかった訳ではなくて、自分の行動を反省しただけですから。後ろめたさしかないので聞けなかったんですが、そんな風に思ってたんですね」
「私も聞いていいものかどうか分からなかったので、過去のことなので今の目雲さんが優しいから気にしないことにしてました」

 気にはなっていたが、話題に上げるほどゆきにとってもあまり必要性を感じてなかったことでもあった。

「僕の状況をくみ取ったりして、知らずにこれ以上ゆきさんに不信感を抱かれるのは望むものではありません。けれどゆきさんに対してはどうにも抑えられないものが自分の中にあることも事実です。それが僕の本性ですから、抑え込むのも正しくない。ある程度はその本能に従うことにします」
「とてもいろんなことを考えてくれてるんですね。本当に私はお気楽で、その日暮らし過ぎてすみません。負担にばかりなってるんじゃないですか?」

 逆ではないかと目雲は日々思う。

「全く負担ではないですし、考えすぎているんだろうと自覚もあります。ただ僕はゆきさんが心配になりました。悪い奴に騙されますよ」

 言い包めているつもりはない目雲だったが、何事も良いように受け取ってくれるゆきがそうやって何でも受け入れて受け止めると気掛かりが生まれる。

 けれど、ゆきは目をパチクリさせた後クスクス笑い始めた。

「目雲さんが悪い奴なら今のところ幸せで不利益どころか益しかないので恐縮してるくらいです。恩返ししたいくらいですから今後多少負担があっても問題ありません」
「ゆきさんはもう少し自分が献身的だと自覚を持った方が良いです」

 目雲の真摯な言葉も、ゆきには刺さらない。

「私が献身的だとしたら目雲さんは聖母のような人になってしまいますよ、そもそも聖人君子ですけど」
「聖母のような聖人君子は最早絶対に詐欺師か猟奇的な犯罪者です」

 ゆきの思考になれてきたのか目雲が的確に言うので、ゆきも大いに納得した。

「とてつもない善人は疑うのが小説の中でも定石ですね。それが誤読を誘う表現のこともありますけど、総じて奇妙な趣味を持っていたりしますね」
「現実でもそうです」

 ゆきは目が合うことはないと分かっていて目雲の方を向く。

「目雲さんのことも少しは疑った方がいいと?」

 愛美が言っていた擦り合わせが必要な事案のことが過りつつも、今はもっと人間性の話だと思いなおす。
 目雲はそれを否定しきれない部分に身に覚えがあってしまった。

「そこまでの善人ではないですし、疑わせるようなことをしなければいいだけだと、言いたいところですが、話せないことがあると言ってる時点で今すでに疑わしいですよね」
「疑ってないので心配いりません」

 微塵にも抱いていない不安。それが嘘偽りない本心だと率直に伝えると、それが目雲にも分かってしまう。

「そんなゆきさんが僕は心配です」

 いつかなにか酷く傷つくことが起こるのではないか、傷つけてしまっても気づけないのではないか。自分との関係に亀裂が入ることも恐怖ではあったが、それ以外でだってゆきが心身共に害されることは自分の身に起こる以上に避けたかった。
 ゆきが当たり前にしていることが尊く得難いものだと全く信じていないから、それを搾取するだけの輩に纏わりつかれる可能性だってある。
 自分がそうならないように律してはいるが、万が一そうなった時、ゆきはどうなるだろうかと、目雲はまた思考の沼に落ちていきそうになる。
 いつからかついて回るようになった暗い影のような感情はいつでも纏わり付き侵食しようとしてくる。

 ただゆきがそんな目雲に気が付かず、普段と変わらぬ明るさで笑う。

「このままでは堂々巡りになりますね」

 安心させようなどゆきは思っていないことは言われずとも分かっているが、その楽しげな声が目雲を幸せな現実に引き戻してくれる。
 今はまだその蜘蛛の糸のように垂らされる救いによって闇に捕らわれないでいられるが、できるだけ早く自分で立ち直らなければとやや焦る気持ちも芽生えていた。
 それは自分で乗り越えなくてはならない壁だと、自分の中に押し込めて、改めてゆきに注意喚起する。

「では僕が心配しているということだけ心に留め置いて、危ないことがないようにしてください」

 ゆきは進行方向をみて、ほのぼのとした光景でも見えてるように穏やかに呟いた。

「私から危ないことに突っ込んでいくことはないんですけどね」

 その裏の言葉を目雲は正しく読みとった。そしてさっきまでの不安とはまた別の心配が浮かんでしまう。

「向こうからやってくるとか怖いこと言わないで下さい」

 ゆきの過去の話を聞いていると目雲もそこは否定できないだけに、ゆきが笑っていることにもさらにそれを煽る。
 ゆきを知って付け入る人間の警戒だけでなく、突発的なトラブルを引き寄せる体質だとされると回避するのが難しいと目雲でも言ってしまいそうになる。

 すっかり慣れてしまっているゆきはいつものようにのほほんと返事をする。

「できる限り気を付けます」
「最大限で気を付けてください」
「承知いたしました」

 笑うゆきを、目雲はこの日もきちんとしっかり安全に家まで送り届けた。


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