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第二章 車内でも隣には

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 うっかり昼食を忘れることもあったし、夏休み前のテストの時に同じ学科の女の子がノートを写したいとゆきのマンションにやってきた時に部屋は汚していなかったが本が山積みにはなっていた。そして、あの雑多としか言えない浅井研究室の中で擬態したかのようにその中に埋もれあれこれと読み漁っていたのだから、異常だとは感じられたかもしれないと思案してみたりはしていた。

「その中にタツジがいたと」
「そうですね、宝亭にもよく来てくれて、達治は人脈も広かったのでいろんな会合の場所にしてくれてました」

 達治の感情がいつからゆきに向いていたかは目雲には知る由もないが、ゆきが目当てだったのだろうとは憶測でも外れていないだろうと自信があった。
 ただゆきはそう思っていなさそうなところを見ると、そこのあたりの雰囲気は目雲には分からないので、それは敢えて口にしなかった。

「それで常連だった愛美さんもよく知ってるんですね」

 ゆきは頷きながら、親交が深くなっていくわけを付け足す。

「私のことも友達も含めていろんなところに連れて行ってくれて、見てた通り楽しい人だなと思って。それに必要以上に私の心配しててそれも面白かったんです、ちょっと私酷い奴ですけど。何にもできないと思われてたから、上げ膳据え膳で私は本を読んでいるだけで生きていける状態にされそうになって、それなりにできると知ると少し驚いていたのも面白かったです」

 どれだけ生活破綻者だと思われていたのかと当時も笑ってしまったゆきだったが、目雲は自分も大いにそうなりそうなところは似ていると思わなくもなかった。

「そうやって付き合うようになるんですか?」

 目雲はゆきの印象は兎も角、達治の積極的なアピールは実るのだと分かっている。

「そうですね、一年生の間にそうやっていろいろしてもらって、二年生になってから」
「それはタツジに告白されてですか?」
「事情聴取みたいですね、はい、そうです。私はしていません」

 冗談めかしてゆきが答えるが、目雲もそれに乗るわけではなかったがつい確認を続けていた。

「ゆきさんはその事にはすっかり想いを寄せていたんですか?」
「一緒にいて楽しかったというのが大きいですが、告白されて自分の感情に気が付いた部分はあります」

 好きだ、とゆきが達治への感情を気が付いたのは告白されて少し経ってからだった。達治にとって自分の存在はその他の友人たちと何も変わらないと思い込んでいたから、告白はまさかの出来事だったのだが、意識すれば特別な存在だと思うのは容易かった。
 告白もすぐに付き合ってほしいというものでもなく、好きなんだと、それを知っておいて欲しいと言われたからゆきの気持ちがまだ向いていないことは達治も分かっていたのだと、自分の気持ちを理解した時に同時に思った。

 どこまでもゆきに無理強いをせず、本人以上にゆきの感情を考えていて、その時はそれは優しさだけだと思っていたが、今となってはその残酷さも知ってしまっている。

 甘酸っぱいだけでは終わらせないところも彼らしいとも懐かしむことくらいゆきはできるようになっていた。

「それから卒業までということは約三年ということですね」
「はい、間違いありません」

 自白かのように言うゆきに流石に呆れられたかと目雲は反省する。

「すみません、細かく知りたがってしまって」

 ゆきは楽し気に笑って、それを受け入れていた。

「いえいえ、話す分には何ともないので、寧ろ目雲さんの方が心配です」
「ゆきさんのことだから、知っておきたいんです。執着が酷くてすみません」

 自覚はあるが目雲はどうにも自重できずにいた。いつか引かれて嫌われるかもしれないと分かっているのに、一度自分の感情を優先してしまったせいか、ゆきに対しては上手くコントロールできなくなっていた。

 けれどゆきはそもそもの目雲をそれほど知らず、きっかけから普段とは違う場面に遭遇しているので、目雲が自制しなければならない感情を曝け出しているのだとはあまり思っていなかった。

「いえ、たぶん目雲さんならもっとうまく聞き出すすべを持ってると思うので、こうやって聞いてくれるのも優しさだと思います」

 下手に勘繰ったりせずに直接確認すると誤解も少ないとゆきに不快に思う要素がない。

「そこまでではないですよ」

 良いように受け取ってくれるゆきに目雲は幾分罪悪感を持つ。

「そうですか? それこそメグやあきくんに聞いてもいいし、宮前さんに雑談の流れで聞いてもらうのでもいいし、目雲さん自身も私にもっと簡潔に質問していくこともできたと思います」
「ゆきさんに詰問するみたいなことはできません、でもゆきさんに聞きたかったんです」

 目雲が普段通りに聞いては問いつめるようになってしまうと分かっている。今だってそれに近いのに、ゆきが朗らかに聞いて答えてくれるからそうなっていないだけだと感じているくらいだ。
 そうなったとしても知らずには居られなかったのは、自分の我儘だと目雲の認識だが、ゆきはまた別の心配をしていた。

「正直に話してみましたが、どうですか?」
「聞いておいて良かったです」
「私は聞かせて良かったのか不安です」

 今付き合っている相手に過去の相手の話をすること以上にゆきが語った話はとても誇れるものではないと思っている。

「どうしてですか?」
「もう少し誤魔化せばよかったかもしれないと後悔しています。でもこれ以上にうまく話すことも私には無理なんですけど」
「聞きたがったのは僕ですよ」

 求めた自分が怒られるならまだしも、ゆきの話のどこに反省すべき点があるのか目雲には分からない。

「私、なんだか、すごくダメな奴ですよね。自分が弱いから振られた話なんですよ、これ」
「ゆきさんが強くあろうとしたことは僕は知ってます」

 別れの理由を話したゆきは全く弱さとは程遠かったのに、それなのに目雲のその言葉にゆきが頷くことはない。

「ただ日常を楽しく暮らしてただけですよ。目雲さんに出会ったおかげでほどほどでいいと思ってたことを人生の中心にする決心ができたくらいですから、それまでは現状維持することに必死だったんだと思います。気付かないようにしてましたけど」

 ゆき自身、無理せず楽しく暮らす約束が自分を縛っているとは思っていなかった。そしてそれは今も尚悪いこととも思っていない。それでも変化させても良いと思えたのは目雲のおかげだと感謝する。

 そんなゆきが目雲はいつかぷつんと壊れてしまうのではないかと一抹の不安が過る。

「ゆきさんはちょっと頑張りすぎです」
「そうなんでしょうか」

 頑張っている気など露ほどもないゆきが不思議そうに首を傾げるから余計に目雲のその不安が膨れる。

「そうです、ご家族が心配していることが僕はさらに実感できました。ゆきさんはもう少し心配かけるくらいが丁度いいんです」

 大学時代の甘やかされようを知ったら、そんなこと言わないだろうとはゆきとしては思うところだが、目雲の主観を否定するのも違うと改善する方に意識を向ける。

「心配かけないように過度に気にしてるつもりはないんですけど、どうしたらいんでしょうか」

 目雲は腕を組み、自身の顎に手を添えると少し考えた。

「そうですね……話をしましょう、今日みたいに」

 思ったより簡単そうでゆきは少し驚く。

「話……ですか?」
「僕には残念ながら野生の勘はないようなので、ゆきさんが話してくれないと分からないことばかりです。僕がたくさん聞きます、それならゆきさんはいっぱい話してくれると分かったので」

 達治が異常なだけだとゆきは笑いそうになるが、目雲には今のこの時間がとても重要で有意義なものだったのだと知ることができた。
 ただゆきにはそのどこが良かったのかまでは分からず、これでいいのかという思いもまた生まれる。

「拙いですけど」
「十分ですよ」

 目雲は優しく微笑んだ。
 全く拙いとは思わなかった目雲が、得意ではないと思っているゆきの話し方を好んでいるとは伝わっていなのだろうなと、そんな妙なところで鈍感で、飄々としているようで突然不安がったり時には恥ずかしがったりするゆきに目雲は愛しさを感じずにはいられなかった。





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