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第一章 隣の部屋に住む人は

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 たっぷり飲んで千鳥足になった愛美を抱えて隣にちゃんと帰ってきた翌朝。
二日酔い一歩手前の愛美の目の前に、ゆきが朝食代わりのコーヒーを出した。

「だいじょぶ?」
「ありがと」

 だるそうにコーヒーをすする愛美の横で、ゆきは自分の朝食を食べ始める。
目玉焼きをのせた食パンに洗っただけのミニトマト、冷凍のブルーベリーに無糖のヨーグルト。
 愛美は酒をたらふく飲んだ次の日はコーヒーだけなのをゆきは承知しているので遠慮なく食べる。
 テーブルに頭だけのせてゆきが朝食を食べる姿を眺めていた愛美が、おもむろに呟いた。

「ゆきさ、目雲さんのこと好き?」

 ミニトマトを持った手を一瞬止めたが、それを口に放り込みながらゆきは愛美の顔を覗き込んだ。

「ん? どうしたの?」
「どうなの?」
「どうだろ、まだよく分からない。恋愛的な好きかって、そうかもしれないってくらい」

 ゆきの視線は上をさ迷いながら、誤魔化すことなく自分の感情を考える。
 一緒にご飯食べたりするのは楽しくて、おしゃべりするのも面白い。でもそれ以上か考えるとゆきの思考は鈍る。
 カッコいい、そうときめく瞬間もある。

「恋してる?」

 そう聞かれると、否定できないとゆきは思う。
 だからその深さを考える。

「今なら会えなくなっても大丈夫かな」
「それくらいってことね」

 愛美は茶化したり煽ったりもせず、そのままを受け止めた。

「私そんな好きですアピールしてた?」

 愛美は起き上がって、後ろに手を付いて背中を逸らした。

「ゆきが世話焼かれてたからよ」
「それは目雲さんがお世話好きだからでしょ。宮前さんもメグも一緒だったよ?」

 体勢を戻しテーブルに両肘を付いて腕と胸をのせた愛美はゆきの顔を覗き込む。

「私はいつものことでしょ、たぶん宮前さんも。でもゆきは違うでしょ」
「そうかな」

 宮前も初対面のゆきを見ていてそんなことを言っていたがゆきには全く自覚はない。

「でもまあ、それだけで好きだなんて思わないけど。確かに宮前さんとの方が仲がいい感じだったけど、でも本当にそれは友達って感じなんだよな。私はそっちも不思議なんだけど」

 愛美の今までの人生経験から言えば宮前の言動は恋愛的ムーブを起こそうとしていると見えるはずなのに、愛美も宮前がアプローチしているとは全く思わなかった。

「年が離れてるから友達だと失礼だから?」
「違う違う、本当にそれ以上の仲に見えないところがってこと。別に宮前さんがけん制してるとかゆきが距離感保ってるわけでもないし、明らかに目雲さんより宮前さんとの方が親密度的に近い気がしたんだけど、宮前さんとの仲を疑うより絶対目雲さんだなって」
「きっと宮前さんが大人なんだよ。恋人もいるって言ってから、私が勘違いしないように上手に相手してくれてるんだよ」
「いや、寧ろ普通にあれだったら絶対勘違いしてるって。ゆきだからあんな普通に友達みたいなんだって」

 愛美は自分に対する一定の正しい距離感を宮前から感じていた。親しげに話していても、それはただコミュニケーションが上手で話すことに苦がない会話だった。無理に踏み込んだりしないから愛美も話しやすかったが、逆にゆきに対しては深入りしようとする素振りが一瞬見えた気がした。だからゆきがもっと恋愛に積極であったり、出会いを求めている相手なら確実に勘違いされるはずだと愛美は考えたのだが、どうも宮前はゆきに気があるという雰囲気が傍から見ていた愛美にも見えず、ゆきにもやはりそんな風には映らなかった。

 宮前はさらに目雲を持ち上げるようなことを言うので、愛美には目雲の方が余計気になったのだ。例えば親族に資産家が居たことなんか婚活市場ではプラスと取られるようなことだ。
 ただゆきにも愛美にもそんな野心も野望もないので効果はないのだが、話す相手が違えば目の色が変わる様な話だ。

 けれど宮前はうっかりそんな話をする迂闊な人間には見えなかった。
 その意図はどこにあるのか愛美はそこが気になり、ゆきは宮前の目雲に対する親密さと心的ケアの表れだと思っている。

「目雲さんとはもっと容赦ない感じだけど」
「そりゃ幼馴染の男とゆきとが同じ対応だったら人としてダメでしょ」
「そっか」

 あっさり頷き、ゆきも同じがいいと思っていたわけではなくただ印象を伝えただけだったので、ヨーグルトに手を伸ばしつつ愛美に話を促す。
 それで愛美もゆきが何かを求めてではないと理解したので、話を戻す。

「そうそう。でもちょっと目雲さんの方は分かんないなぁ、普段からああいう感じなら、別にゆきに気があるから世話焼いてるんじゃなくて、そういう性分だろうし。でもあの容姿でそれだとめっちゃモテるよね。絶対あちこちで狙われてるな。今彼女いないんでしょ?」
「宮前さんがそうって言ってたよ」

 ゆきに反応は何とも軽くて、スプーンを口に運びつつで、愛美の方がどんどんと興に乗ってきている。

「ゆき、その最早猛獣と化しているだろうその女たちと戦う?」

 ゆきは笑いながら首を傾げる。

「今時そんな人たちいる?」
「いるって! 結婚に価値がないって言われてる昨今でも、やっぱりいい男と結婚して幸せになるって思ってるのは少なくない」
「じゃあきっとその人たちは目雲さんに並ぶ超一流女子かな、ちょっと私がその人たちを差し置いて目雲さんのお眼鏡に叶うのは至極の鍛錬が必要だね」

 ゆきはイマイチ具体的な人物像を想像しきれなかったが、どうにもキラキラしていそうなことだけははっきり感じられた。そしてそれが自分とはちょっと違うということは分かる。自分を否定しているではなく、分類の違いとでもいう感じで同じ人間でもいろいろなことが大きく違うことは何も不思議なことではないと事実として受け入れていた。

「私が師匠になってあげてもいいけど?」

 まさに愛美の得意分野で本職にも通じるものだったが、冗談半分だと分かっているゆきは微笑む。

「好きになるのは私の勝手だけど自分をそこまで変えてまでだと、目雲さんと一緒にいてもしんどくなりそうなだけだし、その私が目雲さんに好かれるかどうかもとても怪しいから、今はここに置いてくだけでいいかな」

 ゆきは自分の心臓の辺りに手を置いた。

「だよねー、多少の努力は私も推奨するけど、ゆきは自分のこと下げてるわけじゃないし、目雲さんがハイスぺ女子がタイプって決まったわけでもないし、そもそも今のところ目雲さんは良い男だけど、本性は分からないからね」
「そもそも本性なんて誰も分からないって」

 ゆきのその言葉に愛美は大きく顔を歪めた。

「えぇー、付き合ったら現れるでしょ! 外面だけが良いとかさ、浮気性とか、同レベルの生活スキル強要してくるとか、もしかしたら超絶マザコンの可能性だってあるね」
「メグの歴代彼氏の欠点を列挙しなくても」

 ゆきは呆れたように微笑んだ。

「だってぇ、そいつらだって、カッコよかったしさ、仕事だって付き合う前はちゃんとしてたのにさぁ。ひどくない?! 私がダメにしてるんだとか言われてさ! ちょっとマジで意味わかんない。別にさ、養うのは良いけどさ、表では私のサポートしてますとか言ってるのにマジ全然だったりで、それって嘘じゃん! 嘘はダメでしょ!」

 また酒が残っているのかとゆきは嘆きだした愛美を感情のない微笑みで見守る。

「そうだね、嘘はダメだね」
「私のお金で別の女とデートしたり、貢いだり! は? マジなに?」
「いたねー、そんな人も」

 ゆきはその人物を思い出し、純朴そうな印象と裏腹な結末を憂う愛美を眺めながらコーヒーを傾ける。
 そして愛美はまた別の相手を腐す。

「付き合う前は応援してるとか言ってたのに、動画やめろって言ってきたり、忙しくて無理だからハウスキーパーお願いしたり、外食してるのに、自分でやれって言われたりさぁ」
「あの人はちょっと付き合う前にはそんな感じ本当に分からなかったね、私のこともフリーターだから会っちゃダメって言われたって」

 愛美は彼氏ができるとゆきに必ず紹介していたから、ゆきは話す相手がしっかり思い浮かぶ。

「そうそう、マジあれはすぐ別れてよかった。それで最後の奴のマザコン。もうちょっと……ママンが現れてからの豹変ぶりが凄すぎてもう、ホントもう……」

 ゆきもこれに関しては同情を禁じえなかった。

「あの人はもう本人すら気の毒な感じだったね、お母さんのために生きるように強要されてるのに気づかないように目を逸らして生きてたのかな。メグと別れて少し変われたって最後言ってたね」
「あの時はごめんね、上手く別れられなく迷惑掛けちゃって」
「依存性の高い人だったんだよ、でもちゃんと別れられたし。あの人もお母さんと関係性考えたみたいだから」
「ゆきがじっくり話し合いに付き合ってくれたからだよ、否定も肯定もせずに人の話を聞いて引き出すことのなんて難しいこと」
「第三者だからだよ。それにメグが好きになった人なんだから、ダメなところばっかりの人でもなかったしね」

 ゆきは本気でそう感じていた。愛美が付き合ったから相手が変わってしまったわけでもないとは思うが、付き合っていたのだから全く影響がなかったとは言えないとも思っている。

 愛美はとても賢くて芯のある性格だが、不器用な部分もあってそれが表面からは全く分からないし、その上気遣いもしっかりできてしまうので、完璧な人間に見えてしまうようで、愛美と付き合うまではその完璧さに見合うように努力を惜しまないようなのだが、そんなところに愛美が惚れていざ付き合いだすと愛美にもたれ掛かるようになってしまう。
 愛美のカッコいい所だけでなく、可愛らしい部分も付き合う前から見せられていたら、もっと違う出会いもあるのではないかというのはゆきは思っていた。

 そんな風にゆきがそっと傍で祈っていることを愛美も内容ではなく想いで分かっているので、近況を報告する。

「すっかり私も仕事に生きるようになってるけど、ちょっといい雰囲気の人いるんだよねぇ」

 ゆきは目を広げ、口角を大きく上げた。

「わぁお、素敵」
「仕事関係の人だから、まだまだ全然そんなプライベートで仲良くなってるわけじゃないんだけど、これから何か起こりそうな予感なのよぉ」

 どうかその人が愛美の可愛さに気付きますように、とそんな思いを込めて言葉を返した。

「上手くいくことを願っているわね、メグちゃん」
「ありがとうざます、ゆきたん」

 ゆきが笑いだす。

「いや、もうめちゃめちゃ」
「ゆきもいい感じになると良いなってこと」
「そんなこと伝わってこないよ」

 笑うゆきに愛美はわざと可愛く小首を傾げた。

「そう? あぁなんか元気になってきた、朝ご飯私も食べよっと」

 後半は逞しさ全開で伸びをして、立ち上がった。

「だから、全部唐突だからね」
「はいはーい、ゆきもスムージー飲む?」
「飲みます」

 愛美の作る絶品で美容効果と栄養価満点のそれを断る理由はゆきにはなかった。





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