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第一章 隣の部屋に住む人は

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 宮前は声に出して驚いているし、目雲は一瞬動きを止めた後、ゆきの様子を伺っている。愛美はそんな二人の様子を分かっていながら、フォローはせず嫌いだった理由を明かす。

「だって笑ってるばっかで、良い子ちゃんで、私なんかとは違う人種って言うか、相容れないだろうなって思ってて」
「じゃあなんで仲良くなるの?」

 宮前の理解できないと言いたげな顔を見ながら、愛美が気恥ずかしそうにグラスを指で撫でる。

「またゆきが絡まれてて、またブチ切れて、一緒にゆきにも切れちゃったんです。お前が言い返さねーのもわりぃんだって、なにいい子ちゃんやってんだってさ」

 突然の表現のキツさに過去の片鱗を見た宮前がゆきを心配する。

「ゆきちゃんは? 泣いちゃった?」

 愛美がチラリとゆきを見るが、ゆきはわざとらしく遠くを見て自分の恥ずかしい過去の暴露から意識を逸らしていたので、愛美は事実を端的な言葉にまとめた。

「大爆笑」
「え?」

 予想外のことに目雲と宮前の思考は止まる。

「めっちゃ笑ったんです、その後に笑いながら絡んでた客に向かって、このように不快に思われるお客様もいらっしゃるので今後は口をお慎み下さいって言って。んで、私にありがとうって」

 ゆきはもう他人事の様にお酒を飲んで箸を持って料理を楽しむフリをして気がないようにしながらもなんとも言えない渋い顔をしていた。愛美はそれを見て笑いながら話はやめない。

「そのまま周りのお客にもお騒がせしてすみませんって言って普通に仕事に戻ったから。ちなみにその客はマスターにすぐ追い出されたんだけど、私訳わかんなくて、閉店まで居座って、マスターとも顔見知りだから、店でバイト終わりのゆきを問いつめました」
「なんて?」
「ゆき本当に何とも思ってなかったそうです、お客さんが飲んで言ってることなんて別にって。笑顔だったのも、誤魔化すためじゃなくてそのお客さんの普段を想像して。日頃からそういうこと言う人なのか、それともお酒で気が大きくなってるのか。あと語彙力ないなとか、酔っぱらいあるあるって本当なんだとかって思ってたそうです」

 笑いながら眉毛を下げる表情筋が巧みな愛美の横で、ゆきが言い訳にならない言い訳を始める。

「世間知らずで子供だったんですよ、だからそんなに何も考えてなかったんです。いつも何かに切れてるお客さんは、私が自分の事守ってないようにみえても怒るんだなって面白くて。素敵な人だなとも思いました」

 お客に絡まれていたことには全く触れず、キレられた事実を客観的に捕捉できている時点で愛美の話の信憑性がかえって高まっていた。

「つまりマジで気にしてなかったこと?」

 宮前が目を見張りる。

「絡むお客様は私でなくても絡みますし、ようは絡みたいだけなんだろうなって。触られたりしたら別ですけど、相手が言うだけならこちらも仕事するだけです、私はお話しするお仕事ではなく、配膳したり注文取ったりするのが仕事ですから、それを笑顔で全うするだけだしなって」

 初めてのバイトでそこまで割り切っていたと聞かされて当人以外はその容姿からは想像できない意外性を見る。
 愛美だけはそんなゆきをもう承知しているので、どこが自慢げでさえあった。

「これ、凄くないですか? それで私のことも喧嘩っ早くて、いつもマスターにとめられてる人って認識で、自分のために怒ってくれてびっくりしたって。これからはもうちょっと気を使いますって。私の方が毒気抜かれちゃって、急には仲良くならなかったけどちょっとずつ、今では親友になりました」

 二人の出会いの顛末を聞くと目雲がゆきに聞く。

「笑顔でいるだけはやめたんですか?」
「やめてはないですけど反省はして、本の中でシチュエーションだけはたくさん知ってますから、それを引用させてもらうようにしました。思ってるより多くの事を学べて、すごく良かったです。コミュニケーションの大事さを学びました」

 反省するような部分ではないと目雲も宮前も思ったが、その改善方法で腑に落ちたこともあった。

「本の中ね。ゆきちゃんにしては妙にあざといなと思ったんだよ」

 宮前が定食屋でのことをさしているのを、ゆきは照れ笑って頷く。

「仕事ですからね、本の中の誰かのセリフなので、素であれは恥ずかしくて無理です」

 今は何ともなくこなしているが試行錯誤の時期を知っている愛美は当時を思い出して笑う。

「だからゆきは本当に急に変わって、絡みそうな相手とは会話するようになって、トライアンドエラーってマスターに言ったらしいです。失敗してお客を怒らせることもあるかもしれないけど、良いかって許可取ったってマスター笑ってたわ」
「肝が据わってるね」

 宮前が妙に感心するように言うので、ゆきは首を振る。

「そんなことないです、メグが話盛ってるだけですよ」

 心外だと愛美も抗議の姿勢を示す。

「じゃあ今度あの店行きましょうよ、マスターに証言してもらうから」
「へぇ、いいね」

 愛美の言葉に宮前がやけに乗り気になるので、ゆきは呆れたように笑ってしまう。
 そして愛美はその宮前に勢いづく。

「ですよね! 行こう行こう!」

 ゆきの肩を抱いて揺れる愛美に抵抗せずに微笑む。

「別にいいけど、マスター喜ぶと思うし」
「何で居酒屋でバイトしようと思ったの?」

 宮前は本好きならば本屋とかも候補になるんじゃないかと、その理由が気になった。

「大学の近くで面白そうなお店にしようと思って探したのがそのお店だったんです」
「面白いお店なんだ」

 バイトを探す基準に宮前は笑ってしまった。

「店員さんもいろんな人がいる感じで、お客さんの層もいろいろだったので」
「そこにメグちゃんも含まれるわけね」

 そこで初めて愛美は気が付いた。

「そうか!」

 ゆきのその事実を確認すると笑いながら頷かれて、愛美がその顔を手で挟んで抗議を始めるので宮前が助け舟で話題を振る。

「メグちゃんはゆきちゃんと出会った時は何してたの? 学生?」
「バンドしてました」

 ゆきから手を放した愛美はグラスを手に取りながら、宮前を見る。

「バンド? 今も?」
「今は違いますよぉ」

 食べていけなかったことも含めて少し気恥ずかしい愛美に、宮前が実家のことを思い出す。

「あ、お父さんのところ?」
「そこは父が倒れるまで全くで、今は本職はユーチューバーです、他でもいろいろ発信してるので動画クリエイターというかインフルエンサーというか。上手くやれば両立できるんで」
「私もお世話になってます」
「お世話?」

 ゆきの言葉に宮前が首を傾げる。目雲もよく分からないといった雰囲気だ。
 愛美が説明した。

「美容系ってやつですね。コスメ紹介したり、メイク方法とか。サブチャンでダイエットvlogとかも、音楽もたまにやってます。結構もう六年以上やってます」
「見てもいい?」
「いいですよ、絶対驚きます」

 宮前がスマホを手に愛美からチャンネル名を聞き、調べるとすぐに出てくる。そしてトップに上がるサムネを見て驚く。

「え? ビジュアル系バンドのベーシスト? 今とのギャップありすぎ」

 ゆきが目雲にも見ますかと言って、自分のスマホを出して見せる。
 その動画はゴリゴリのビジュアル系メイクを落としてから日常ナチュラルメイクにするというものだった。
 それ以前の動画でもビジュアル系メイクの方法とか派手髪アレンジとか、ベース演奏の動画が上がっているが、チェンジ動画からはメインが徐々に美容に特化していっていた。
 今もたまに最新ビジュアル系メイクもネタになっている。

「それがバズった理由ですからね、ちなみにゆきと出会ったのはまだゴリゴリの時です」
「まさか当時は私服からこんな?」
「もちろん」

 胸を張る愛美今の姿からも想像は難しかったが、さらに隣にいるゆきとの並びを想像すると違和感は激しかった。

「ゆきちゃんと相容れないと考えるのも分かるわ」

 宮前は笑いながら言うと、酒を傾けた。
 ゆきの服装は今も昔もナチュラル系でその理由もどこでも買えてスタイリングに迷わないからだ。たまに愛美から動画の企画でたくさん買ったものの中から似合いそうな服をもらうこともあるので、少しテイストが違うものも入るようになり学生の頃よりはファッションの幅も、メイクの実験台になったりもしてるからその幅も広がった。
 愛美は今でこそ清楚系やナチュラル系、ロリータもグラマラスなドレスまで、なんでも着こなすが、当時はダークなパンク寄りのV系ファッション一択だった。

「ゆきはこの格好も特になにも思ってなかったんだよね」
「思ってないことはない、凄いメイク技術だなとか、そういう服の入手方法とかは気になってた。スタイリングするのも難しいアイテムばっかりで、似合ってるからセンスのある人なんだって」

 当時の初対面の相手の反応全般からすればゆきは全くの無反応と言えるほどだと愛美は思っていたが、ゆきは興味ありそうな姿勢は感じたことを思い出す。

「そうだった、話しするようになった時に言ってたね。そういうのは専門誌みて研究するんですかって」

 ゆきにとって愛美はとても興味深い人物だった。こだわった個性的な服装、メイク、言動もインパクトしかなかった。
 宮前はその動画たちをいろいろと物色しながら大いに頷いていた。

「それでこのマンションを買ったわけが分かった。自分で稼いだんだね」

 登録者の数と視聴回数を見て、それぐらいの稼ぎになるのだとおおよそ見当がついたからだ。

「一括は流石に無理でしたけど、ガツンと頭金払って、短期のローンでなんとか」

 一方の目黒事情を聞かれる前に宮前が暴露する。

「周弥は祖父さんの遺産だもんな」

 眉間に皺を寄せ宮前を見た目雲だったが妙な誤解を招く前に詳細を説明した。

「母方の祖父が資産家で、孫がうちの兄弟しかいないので、直接残してやりたいって遺言です」
「すげぇ金持ちで、しかも不動産買うのが趣味だったんだって。だから、周弥もいくつか家貰って、それを売って税金払って、残ってるマンションがここなんだって」

 好条件のファミリータイプの分譲に一人暮らししている理由を愛美が興味津々に耳を傾けている。もちろんバックボーンをこれからの関係の参考にしようとしてるわけではなく、純粋に不動産に興味があるからだ。

「まだ他にもあるんですか?」
「もう一つありますが、遠くにあるので実用性はないですね」

 目雲が答えたが、宮前が付け加える。

「貸し出して、家賃収入あるんだろ?」
「経費を除けばそんなに残らない」

 本当のところは当人しか分からないが、愛美は実際物件をいろいろ探した経験があるので貸し付けているところがあるなんて羨ましかった。

「でも凄いですね、私は今はあんまり動画撮れてないんで、ゆきさまさまです」

 現状を維持するだけで精一杯だと語る愛美の隣りで、賃貸で何の無自由もないゆきは特に目雲の家への興味は薄く、今の生活もたらしくれている愛美に感謝で笑う。

「私は有難いだけだけどね。それに動画外でも忙しいのは前からだよ」

 ゆきの言葉で宮前が首を傾げる。

「他に何かしてるの?」
「いえいえ、この仕事って意外と動画撮るだけが仕事じゃないんですよ。企画立てたりも当たり前ですけど、打ち合わせとか、案件のいろいろとか、それ以外にも展示会に行ったりとか雑誌の企画とか、もう頑張れば頑張るだけいろいろできるので、そのうちコスメのプロデュースとかもしたいのでその研究とか、もう本当にいろいろ」
「めっちゃ興味深いな」

 宮前の仕事には特別関係はなかったが、どこから仕事に繋がるか分からないと前のめりになった。情報収集に余念がない。
 そこから愛美の仕事の話が盛り上がり、さらにベースの話も広がって宮前も学生の頃ギターを齧っていたとか、話は尽きなかった。




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