あいうえおんがく

紫月侑希

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彼女のインベンション

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「ねえ、パパこれってちまちゃんのおうた?」
「えっほんとだ、千鞠ちゃんだね……」
 とある日曜日の昼下がり。タブレットで、動画サイトを見ていたハルが突然そう言った。動画の詳細欄をよく読むと、雨宮千鞠って書いてある。しかも、再生数もかなりのものだ。千鞠ちゃんって実はめちゃくちゃすごい人なんじゃ? 3分ほどの動画は、千鞠ちゃんの顔や姿は出ていなかったが歌声でわかる。あの日、聞いた歌声だ。耳に焼きついて離れないあの素晴らしい歌。
「へぇ……ライブ、今週末に近くでやるんだ」
 実のところ、音楽はあまり詳しくない。ベースとギターの違いも、よくわからないし。だから、ライブに行っていいものなのかと少しだけ思った。でも、千鞠ちゃんの歌はまた聴きたい。

「たまにいるベースとギター違いわかんないって言ってる奴、大丈夫か?ってなる」
「またアンタは、喧嘩上等みたいな言い方して。まぁ、世の中そういう人もいるわよ。アンタも興味ない芸能人の顔は区別ついていないでしょ。チマの気持ちもわかるけどねー」
「まぁ、それは……たしかに……そうだけど」
 先日、オラトリオにお邪魔したときの二人の会話を思い出して俺は思わず冷や汗をかいた。ごめん、千鞠ちゃん俺は大丈夫じゃないです。
 行くにしても、チケットはまだ買えるのかな?と思って見てみると……メール予約と書いてあった。普通のライブと勝手が違う?それとも俺がよく知らないだけ?いやでも、迷うくらいなら……!
「予約しちゃえ!」
 そうして、メールの送信ボタンを勢いよく押した。
「パパ、また見るから返して」
「ごめん、はいどうぞ」
 そういえば、声だけでハルはよくわかったなあ。千鞠ちゃんの歌声は聴いたことないはずなのに。

 ***

 週末、ハルは母にお願いして俺はとあるライブハウスに訪れていた。大きいホールのコンサートなら、学生時代に行った事があるけれど、こんな距離が近い会場のライブは初めてだ。そして、一応ギターとベースは弦の本数が違うということは頭に叩き込んで今日を迎えた。
「すごい……沢山お客さん入ってる」
 老若男女問わず会場乃中には人が溢れている。みんな、楽しみにしているんだろうなと言うのが空気から伝わってきて、俺も思わず心が弾む。
 入り口には、受付の人が予約メールの確認をして銀色のコインを渡してくれた。これ、どうするんだろう?
「ドリンク代、600円ですね。ドリンクはカウンターでこのコインと交換してください。アルコールは、開演前じゃないと引き換えできませんから気をつけてください」
「あ、わかりました」
 俺が勝手がわからない事を見抜いてくれたのか、受付の人が丁寧に説明をしてくれたので助かった。
 適当なソフトドリンクを受け取り、会場に入ると前の席は満席だった。運良く、後ろではあるけど真ん中の席が空いていたのでそこに滑り込む。
 少し時間が経てばふっとフロアの灯りが消え、会場は熱気と拍手の渦に包まれる。舞台袖から、シックなワンピースに身を包んだ千鞠ちゃんがでてきた。
「チマー!」
「チマリ!!」
 すごい、みんな、千鞠ちゃんに釘付けだ、名前も沢山呼ばれている。
「ち、まりちゃん」
 千鞠ちゃんが、合図すると演奏がはじまる。彼女のギターが主軸となり、ドラムとベースとキーボードが心地の良いハーモニーを奏でる。そして、きわめつけは彼女の歌声。甘やかで、清らかな、天使のような歌声。
 やっぱり、すごい。なにがすごいかって具体的にはいえないけど、でも彼女の音楽は人を惹きつける強い力があるんだと思う。
「きれいだな……」
 熱狂のうちにライブは、あっという間に幕を閉じた。千鞠ちゃんは、ありがとう!と言いながら深くお辞儀をして、笑顔で客席に手を振ってはけて行った。
「すご、かった……」
 ただ、ステージの彼女はどこか遠くの世界のひとみたいだ。
「アルバムまだありますよー!」
 うまく立ち上がれないほどに、圧倒された。気づけば、頬は涙で濡れている。音楽で泣いたのって、人生で初めてかもしれない。しばらく、千鞠ちゃんがいたステージをぼんやりと見つめていれば後ろから声が聞こえて来る。振り返れば、小さなテーブルにCDが沢山並んでいて、全て千鞠ちゃんの姿が映っていた。彼女の、作品を知りたい。そう、強く思うと同時に身体が動いた。
「あ、一枚ください!今日やった曲入ってますか?」
「じゃあ、このアルバムですね。ありがとうございます、3000円です。よかったらサインいりますか?ちま、サインいい?」
 売り子のお姉さんは、手慣れた様子で手をあげるとバーカウンターに千鞠ちゃんがいた。
「えっ、あっ!」
「はいよ、サインね。って、朝倉さんじゃん、こんばんは。どうしたんですか?ハル大丈夫?」
「こ、こんばんは」
「チマの知り合い?」
「ん、ちょっとね。ここじゃなんだし、控室行きましょう」
「え、いいの?」
「私が主催者だし。それに、ここのオーナーイズミさん」
「そうなの!?」
 次々と襲ってくる情報達に、俺は軽くパニック状態だ。今まで、歌っていた千鞠ちゃんは知らない人みたいだったのに……今目の前にいる千鞠ちゃんはいつもの千鞠ちゃんで。
「はいはい、こっちです」
「お邪魔します……」
 なんだろう……舞台裏に入るのってもちろん初めてだから、妙に緊張する。
「朝倉さん、飲み物コーヒーでいいですか?来るなら言ってくれれば、チケットあげたのに」
「うん、ありがとう。いや、その、千鞠ちゃんが芸能人って、知らなかったから」
 オラトリオに初めて行った時に聞いた歌声は、確かに才能というのを音楽に疎い俺でも感じるものだった。だけど、こんなに人前で演奏して人気もある人だというのは知らなかった。音楽で食べていきたいっていうのは聞いていたけど、もう彼女はその足場はしっかりと組んでいる人だったんだ。
「いや~芸能人ではないですよ。あれ、言わなかったですか?ライブしてるって。作詞作曲とかもしてます、芸能人というかミュージシャンですね。高校生の時から、ポツポツ仕事してるんですよ」
「言ってないよ!ハルが、偶然ネットで千鞠ちゃんの動画をみつけて知ったんだ」
「ああ、イズミさんが宣伝つってアップしていた奴か。てゆうか、ハル気づいたんですか?すごい、動画では顔出してないのに」
「声で、気づいてた」
「すごい、耳いいなあ。はいコーヒーです」
「ありがとう」
 知れば知るほどに、雨宮千鞠ちゃんという人は物凄い人なんだというのがわかる。どこか達観しているような発言も、落ち着いた性格も……若いうちからこういう仕事をしているからだろうか。
「なんか、元気ないですね?」
「えっ、いや、ただ、なんか感動で、力が入らないというか」
 感動で力が入らないのが半分と、やっぱり遠くに感じるなという気持ちが半分くらい。でもきっと、遠くに感じるなんて言えば千鞠ちゃんは嫌がるだろうなって。
「ありがとうございます。それは、ミュージシャンとして嬉しいですね。そういえば、来月に15時からまたここでライブするの。早い時間で夜6時くらいには終わるからハルと来ます?チケットあげますよ」
「い、行きたい!お金払うよ」
「いーよ。ドリンク代だけ払ってくださいな。それで、サインいるんですか本当に?」
「ほ、欲しいです!」
「じゃあ、鷹景さんへって書いておきますね。うわ、なんか変な感じ」
  ニッと笑った千鞠ちゃんは、俺がよく知っている千鞠ちゃんでなんだかホッとした。
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