解剖令嬢

井戸 正善

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14.登城

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「クレーリア様。出立の準備が整いました」
「アルミオさん……」
 ノックを受けて自室から姿を見せたクレーリアを出迎えたのは、アルミオだった。
 朝まで部屋の前で歩哨に立っていたパメラは交代で自室へと戻っていったと説明したアルミオは、双子たちが資料や標本は準備を終えたと言う。

「ロザリンダの件は、どうなりましたか?」
「侯爵家とパスクヮーリ子爵家から人を出して捜索中です。……俺も捜索に加わることを願い出ましたが、お嬢様の護衛をおろそかにしてはいけないと却下されました」
「そうですか……アルミオさん、そう言っていただけただけでもうれしく思います。ありがとうございます」

 クレーリアは微笑みを向けたが、痛々しいまでに憔悴した様子は隠しきれていない。
「今日の予定ですが、俺が侯爵閣下より言伝を任されていますので、ご説明します」
「わかりました。よろしくお願いします」
 侯爵自身は朝食を済ませてすぐに外出している。クレーリアが謁見をする際には臨席することになっているが、それまでは別行動となった。

「これより登城し、城内で待機となります。その間に昼食の時間となり、午後の早い時間には謁見となる予定です」
 随行員はアルミオ、イルダ、エレナの三名。城内では貴族であるアルミオが補佐となり、イルダとエレナは基本的に待機となる。
「では、よろしくお願いしますね」

「お任せを……と言いたいところではありますが、お嬢様。実は俺、王城に入るのは初めてで……」
「あら……ふふ、では私が色々とお教えします」
 ようやく笑ってくれたことに安堵して、アルミオは使用人たちに荷物を頼み、クレーリアを馬車まで案内していく。

 出入口周辺は物々しい雰囲気であった。
 玄関前、車寄せポーチ周辺には通常よりも多くの警備兵が配置され、正面の門も同様に厳しい守りが敷かれている。
 通常一人であるはずの馭者も二人になり、それぞれロングソードや手槍で武装している状況だ。

 馬車は三台。
 それぞれクレーリアとアルミオが乗るもの、双子が乗るもの、資料や標本が積まれたものとなっているが、外観からはそれとわからないようになっている。
「物々しいですね」
「息が詰まる状況ではありますが、どうぞ堪えていただけませんか」

「私も子供ではありません。状況は理解しているつもりです」
 ただ、とクレーリアは両手を力強く握る。
「もしロザリンダさんが私のせいで誘拐されたのだとしたら、私は……」
「お嬢様、一つお願いがございます」
 唐突な話に、クレーリアは不意を突かれたようにきょとんとした顔を見せた。

 あと少しで落涙しかねないほどに揺れている瞳に、アルミオは笑みを向けるべきか真剣な表情でいるべきか迷い、結局はどっちつかずの顔でいる。
「実は昨夜、侯爵閣下にお願いして一時外出の許可をいただきまして、侯爵と子爵の兵の他に、ロザリンダ様を探してもらう手配をしてきました」
「そんなことが……まさか、男爵領の方が?」

 残念ながら、とアルミオは自分の家の規模は侯爵家どころか子爵の配下の十分の一程度でしかなく、急ぎ向かわせても間に合わないと言った。
「カーテンの隙間から、外を見ていただけますか?」
「外、ですか」
 窓の端、侯爵家の馬車だからこそのガラスを通して見える外の景色は、ほんの少し歪んで見える。

 侯爵家を出てすぐに王城に入るので時間は短かったが、貴族屋敷が並ぶ通りに、見慣れない若者たちがグループを作って歩いているのが見えた。
「あれは……」
「俺の級友、騎士訓練校の生徒達です」
 驚いたクレーリアの視線を、アルミオは頭を掻いて恐縮しながら受けた。

「これは侯爵様とクレーリア様だけが知っていることです。子爵様にも秘密ですし、恐れながら陛下にもご内密に願います」
「あなたは……すごい人なのですね」
「いや、実情を話してしまうとお恥ずかしい理由になってしまいますので隠させていただきますけれど、みんな気のいい連中なのです」

 昨夜、馬を飛ばして王城をぐるりと回り、アルミオは寮へと飛び込むようにして入った。
 寮監を叩き起こして部屋に入れてもらい、まずはルームメイトや同寮の連中を起こして事情を話し、協力を依頼したのだ。
 彼らは最初乗り気ではなかった。
 騎士になる予定ではあるが、まだ捜査権などは無い単なる訓練生でしかないのだ。それに知りもしない貴族令嬢を探すのはかなり難しい。

 しかし、そこでアルミオが言った『特典』が強力すぎた。
アルミオは眠そうな顔をしているみんなの前で言ったのだ。「成果を挙げれば、ソアーヴェ侯爵の推薦がもらえるぞ」と。
「むむっ! アルミオくん、騎士に二言はあるまいな!?」
 時代がかった物言いで鼻息荒く迫ってきたのは、奉公が決まった日にアルミオを憐れんだ彼だ。

「その通り。パスクヮーリ子爵にも感謝されるだろうしな。考えてもみろ、お救いする相手は子爵家のご令嬢だぞ。感動と感謝によって一目惚れということも有り得る」
 ここはアルミオ自身誇張が過ぎる気もしていたが、後には引けなかった。
 面倒くせぇだの眠いのにうるせぇだのと文句を言っていた連中も、今や猟犬のような眼をして聞き耳を立てている。

「ちなみに」と先ほどの級友が距離を詰める。「ロザリンダ嬢というのは、その、美人かね?」
「お前らにはもったいないくらいには」
「良かろう!」
 勢いよく立ち上がった級友は、まず講師に話を通そうと言った。
「我々がただ動いたのでは先生方に迷惑がかかるだろうし、何なら他の寮の連中も巻き込んでしまおう」

 彼らとて、打算のみで動くわけでは無い。貴族令嬢が危機ならば手伝うことはやぶさかではないし、騎士の名誉として当然の判断でもある。
 ただ、やはり彼らはまだ学生であって、兵士に任せておけばよいのではないかという気分もあるのは仕方がなかった。
 だから名分が必要なのだ。

「今、騎士訓練校では校外研修と称してグループに分かれて王都内を探索中です。これで捜索の規模は十倍になりました」
「素晴らしいことです。王都の騎士たちとはほとんど交流がありませんでしたが、みなさん正義感の強い方ばかりなのですね」
 正義感を否定はしないが、出世欲の方が強いかも知れないのを口には出せなかった。

 それに、アルミオのようにすでに婚約者がいる者の方がずっと少ない。
 彼らは下位貴族の跡とりや、貴族出身でも跡取りではないという者たちなのだ。もし子爵家令嬢と結婚できるとなれば、将来が安泰と言っても過言ではない。
 そして一部から嫌われ、恐れられているソアーヴェ侯爵家とはいえ、王系に最も近いと言われる侯爵家の推薦を要らないと言える騎士訓練生などいない。

「騎士訓練校の責任者の方には、後日私からお礼をさせていただきたいのですが」
「侯爵様の御許可がありましたら、手配させていただきます」
「それに、私財からいくばくかのの援助をさせていただきます」
 思わずアルミオは喉を鳴らした。
 金額はわからないが、侯爵家令嬢の私財とはどれほどなのだろうか、と。実家の全財産を軽く凌駕するであろうことは想像に難くない。

「りょ、寮の整備などにご援助いただければ、級友たちも望外の喜びでしょう」
「そうですか、ではそうしましょう」
 アルミオは精一杯の勇気で以て提案を伝え、了承を得られたことで胃の重さが少し軽くなった気がした。
 これでボロ学生寮が多少はマシになるかも知れない。

 そして一呼吸。
 アルミオは本題を伝えなくてはならない。
「お願いごとの件でございますが……」
「そうでした。どうぞ、話してください」
 すでに馬車は王城内に入っている。いくつもの門を通り過ぎ、待機場所となる城内迎賓館にたどり着くまでもう少しだけ時間がある。

「ロザリンダ様を発見した後のことです。ご無事であればよろしいのですが、万が一の場合……」
 万が一、とはロザリンダがすでに亡くなっていた場合である。営利誘拐であれば可能性は低くなるが、人質の管理を厭う犯人ならば早々に殺害してしまうかも知れない。
 もしクレーリアに何かを要求することが目的なら良いが、ただ精神的なダメージを狙っているなら、生存は絶望的になる。

 息をのむクレーリアは小さくうなずいた。
「そうなる可能性は、考えています」
「その場合、どうかお嬢様にロザリンダ様の解剖をお願いしたいのです」
「それは……」
 クレーリアは自分の知人を検視した経験はない。いつかその日が来るかも知れないとは漠然と考えていたが、まさか年若いロザリンダがその対象になるとは考えてもみなかった。

 血の気が引いた顔で震えるクレーリアに、アルミオは深々と頭を下げた。
「このようなお話をすることをお許しください。ですが、先にお話ししておく方が良いと考えたのです。俺は護衛として、クレーリア様のお心もお守りしたいのです」
「……それで、なぜ私に?」
「他にできる者はおりません」

 単純な話である。他に技術を持ったものが居ない。
 そして犯人は不明ながら、被害者が貴族となる事件である。子爵の希望通りに内々で収まることであれば良いが、もし死者が出たとなればソアーヴェ侯爵家預かりの案件となる。
「ロザリンダ様は、きっとそれをお望みです。あの方はお嬢様の理解者なのですから」
「わかりました。ただ、私は希望を捨てていません。当家の者でも子爵家の方でも、もちろん候補生の方でも構いません。あの子を無事に見つけてくださることを願っています」

「俺もです。きっと見つけてくれます」
 だから、と馬車が止まったのを確認したアルミオは立ち上がり、クレーリアに手を差し伸べた。
「今は、信じてお嬢様のなさるべきことを成し遂げてください。微力ながら、お手伝いさせていただきます」

「ソアーヴェ侯爵家クレーリア様。お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
 扉が開かれ、案内役という侍女が声をかけると、クレーリアは一度だけ深呼吸をして、アルミオの手を取った。
「ええ、よろしくお願いいたします」
 立ち上がった彼女はもう、震えてはいなかった。
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