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8.興味の方向
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「かなり重大な問題だと思うんだけれど」
「まあなあ。あたしもそう思うんだけどよ」
夕食を終えたアルミオは、パメラと共に警備担当者の控室から出て中庭で食後の運動と称して訓練を行っていた。
死体試験場から戻ると、クレーリアは早々に解散を宣言して自分の執務室へと閉じこもってしまった。
邸内とはいえ護衛が必要ではないかと思ったのだが、そこは邸内の警備を担当する者たちが交代してくれたのだ。
襲撃犯たちの死体からは所属を示す様なものは何も見つからなかった。王国内に多く見られる人種であったが、それだけでは所属はわからないのだ。
胃の内容物もエレナたちが調べているが、現状での芳しい報告は無い。
「パメラはどう思う?」
「知らねぇ」
「心当たりとか……」
「多すぎてわからねぇ」
パメラが護衛についてからも、複数の貴族が犯した罪を暴いたことがあり、また犯罪組織の壊滅に一役買ったなどといった武勇伝が存在するらしい。
犯罪に関する武勇伝はすなわち、犯罪者たちからの恨みを買ったことと同義である。
「犯罪組織が無くなっても、逃げおおせた末端やらその家族やら、恨みに思っている連中がどこにどれくらい残っているかなんざわからねぇよ」
「それもそうか」
会話をしながら、二人はそれぞれに木製の武器を使って互いの隙を狙うような一撃を繰り出しては、反撃を防御する動きを繰り返している。
身体に動きを憶えこませるための稽古であり、アルミオは訓練校で。パメラは物心ついたころから親に言われてやっていたらしい。
「お嬢を恨んでいる連中は、まあ概ねその二つだ。自分たちの悪事を暴かれてペナルティを食らったり、中には領地を剝奪されたりしたのもいる。もう一つは、単なる犯罪者だな」
「どちらにしても、逆恨みじゃないか……おっ!?」
斧の湾曲した刃が、アルミオの剣を引っ掛けるようにして引き寄せられた。
「うわっ」
「甘いね」
剣を押さえられて動きを封じられたところで、パメラのもう一つの木斧がアルミオの頭でカコンと軽い音を立てた。
「痛ってぇ」
「死ぬよりマシさ」
「それで……明日からはどうするんだ?」
落とした木剣を拾うアルミオが聞きたいのは、クレーリアの護衛に関してだ。明らかに危険が迫っているとわかれば外出を控えてもらわねばならない。
だが、それは簡単ではないのだ。
「組織立った動きがある証拠はねぇからな。どっちにしても、あたしはそういう調べ事なんてやりつけないからね。敵が来たら倒す。それだけだろ」
「出来ることはないのか? せめてお嬢様の護衛を増やすとか……」
「無駄無駄。ただでさえ周りに研究関係以外の人間が増えるのを嫌がってんのに」
パメラの言葉に、アルミオは疑問を抱いた。
「そんなら、どうして俺が呼ばれたんだ? 他にも護衛候補がいたって話だったし」
「侯爵の差し金だよ。お嬢もそろそろいい年齢だし、護衛として適当な高位貴族の次男やら三男やらを屋敷に通わせようとしてたのさ」
それに反発したクレーリアが奉公というシステムに目を付け、とても結婚相手には適さない家柄の人物を護衛に据えたのだ。
「父親が言う通りに護衛は増やしたし、これで一件落着だって強引に収めたんだよ」
「そういう理由か……。ひょっとして、俺に婚約者がいたのも採用の理由かな」
「そうだろうな。第一に腕前、第二に性格、第三に人間関係ってところか。それで呼ばれて、お嬢のあの趣味を見ても耐えられたから、採用になったわけだ」
中庭に座りこんだアルミオは大きくため息を吐いた。
「お、自分が特別でも何でもないってわかって傷ついたか、少年」
「いや、どちらかと言えばホッとした。侯爵家の護衛なんて大役になんで俺が選ばれたのかがわからなくて不安だったのが、割と順当な理由だったのがわかっただけでも助かる」
そもそも、侯爵家のご令嬢から護衛に選ばれたという事実だけでも将来に王国騎士として活躍するのに箔が付くというものだ。
「おや、お前くらいの年齢なら、身分不相応な恋愛なんぞに期待しているのが普通だと思ったんだがなぁ。外れたか」
「そんな大それたこと考えてない。それに、俺にはニルデがいる」
「婚約者か。まあ、そういうのが居るのもいいさ。生き残ろうって気概になる」
お前は、と聞き返そうと思ったがアルミオは言葉が出なかった。
傷だらけの身体。戦場で長い間生き残った事実や、時折語られる内容からうかがい知れる幼少期を考えると、貴族である自分が考えるような結婚や恋愛とは考え方が違うのではないかと思えるのだ。
「お前さ……変に優しいよな」
貴族らしくない、とパメラは笑った。
「お貴族様はお貴族様らしく、平民なんて見下ろしていたらいいんだよ。とくにあたしたちみたいな戦場で生まれて戦場で死んでいくような連中はさ、別の世界の出来事にしておくのが、平和に過ごせるってもんだ」
その戦争を指示するのも利益を得るのも貴族たちなのだが、アルミオは自分がそれを言っていいのかすら憚られる。
「まったく、お前もお嬢も、貴族にしておくには色々見えすぎているぞ。下々の生活とか理想とか、そんなところまで見通そうなんて考えるのはやめろ」
お嬢は理想があるから仕方がないが、アルミオはこれから先があるのだとパメラは言う。
「お前は二年後には学校に帰って騎士サマになるんだろう? 侯爵家の実績があれば王城勤めだって夢じゃない。そうなったら、平和で優雅な生活をしながら、国なり領地なりを継続する方法だけ考えてりゃいいんだ」
平民の生活を気にして、その考えに同調しようとするのは偽善だと言いたいのだ。それぞれに生まれながらの役割がある。
パメラにとっての役割は前線に立って命がけで戦うことであり、アルミオも騎士として戦うが、見えている世界は違う。いや、違っていなければならない。
「あたしのようになりたいなんて言うなよ。そんなのは贅沢だ」
パメラは「疲れたから寝る」と言って中庭から出て行った。
「俺の役割……将来か。ニルデと結婚して男爵領を継ぐ。その前に騎士として王国の他の貴族たちとつながりを作って……」
それは全て、貴族として普通の一生だった。
下位貴族として上位の貴族に従い、自治領の平民たちを適切に治め、税を徴収して適正に領地を運営する。それが当たり前のはずだ。
「ここに来てから、俺は何か変になってしまった気がするぞ?」
平民として戦う者たち。平民として生きて死ぬ者たち。その死に様と無念。騎士訓練校にいるころにはほとんど考えもしなかったことだ。
寮や学校にももちろん平民は居る。掃除をしてくれたり、食事を用意してくれたりとあちこちでフォローをしてもらっているし、場合によっては武具などの手入れもしてもらう。
練習用の馬を世話している者たち、訓練場の整備をしている者たち。学び舎の修理をする者たち。
全て平民で、自分たちの生活を支えている人々のはずだが、今の今まで果たして「人間として」付き合ったことがあるだろうか。
貴族と平民の世界は別物だが、交わっていないわけではない。
「しかし、平民からしたら貴族が近づくのは迷惑なことなのか?」
アルミオはクレーリアの考えは素晴らしいと思った。貴族も平民も同じ人間であり、死ねば同じ物言わぬ遺体となる。
クレーリアはそんな人々の思いを真正面から受け止めているのだ。
パメラはクレーリアを嫌ってはいないだろう。だが、アルミオと同じ気持ちではないのだろうか。
「わからないな……」
お貴族様、と呼ばれるほど自分が偉いとは思っていない彼だが、かと言って平民とも違う人生を送ってきた。これからもそうだろう。
だが今、この侯爵領においてはアルミオとパメラは同じ目的で同じ場所に立って仕事をしている。賊と戦っても、こちらが貴族であちらが平民だから、などと危険度が変わるわけでもない。
考えれば考えるほど、平民と貴族の違いがわからなくなってきた。
クレーリアのように平民を同じ人間として扱い、現実を真正面から見つめるのはとても難しい。それは貴族が持つ常識とは相反するものだから。
それでも、アルミオはクレーリアが正しいと確信していた。
しかし、それをうまく説明できない。
「駄目だな、わからん」
アルミオは立ち上がり、再び木剣を構えて振りかぶる。
そして、一心不乱に素振りを繰り返した。
迷っているときは、身体を疲れさせるのが一番いい。一人で考え込んだところで答えが出るわけでもないのだ。
そこに、一人の男性が近づいてきた。
気配で気づいたアルミオが視線を向けると、見知った人物が立っていた。
「精が出るね」
「ベルトルド捜査官。何か?」
「いや、報告書が仕上がったから、家に帰るついでにお嬢様に届けようと思ってね」
ベルトルドのような上級の捜査官は邸内への出入りが許されているそうで、夜中であろうと緊急の用件があれば屋敷に入ってくるし、今のように報告書を出しにくることもあるという。
「こんな夜まで……」
「因果な性格だとは思うけれども、やはりお嬢様には早いうちにご報告しておくべきかと思ってね。……昼間の件、片付いたよ」
早い、とアルミオは内心で舌を巻いた。
双子の助手もそうだが、クレーリアが選んだのか運命なのか、彼女の周囲には優秀な人材が多い。自分も選ばれた人間なのだが、貴族であること以外に何か秀でているかというと自信が無かった。
「どうだった?」
「……奥方が犯人だった。いや、殺したわけじゃない。男性が亡くなったのは事故だったよ」
家の中で梁の一部に雨漏りの跡を見つけて、不安定な踏み台の上で作業をしていたところで転落。近くに置いていた金属製の壺で頭を強打したらしい。
「家の裏に隠されていた壺に血が付いていた。その中には裁ちばさみもあったよ」
死亡したのは偶然だったが、多くの借金を遺した挙句に事故死したことに怒りと焦りを覚えた妻が、息子を呼び出して残虐な事件の被害者に偽装したらしい。
「犯罪被害者の遺族となれば、侯爵領から多少の補助が出る。町の者たちも彼女たちを助けようと動くだろうし、実際に結構な金額の寄付も集まっていたらしい」
生活のために同情を引きたかった、と自白したそうだ。
「そのために、あそこまでやるのか……」
残酷に切り刻まれた死体を思い出し、アルミオは背筋に寒いものを感じた。
好き合って共になった夫婦だろうに、最後に妻は夫の指を切り刻み、眼球を抉って犯罪者になったのだ。
「救われない話だよな。こういう事件を見ると、結婚が怖くなるよ」
ベルトルドは独身らしい。だからこそ、こんなに仕事漬けでも誰にも怒られないのだと笑っていた。
「誰も救われないな……」
「そんなことはない」ベルトルドは自分のサインが入った報告書を月明りにかざす。「騙されて寄付する人々はいなくなるじゃないか」
それに、とベルトルドは昼よりもまた伸びた無精ひげを撫でた。
「事件を知った世の男性陣は、少しばかり奥方に優しくなるだろう?」
「はっはは、なるほど。俺も結婚したら気を付けるよ」
「懸命な判断だ、若者よ。それじゃ、稽古の邪魔をして悪かった。また会おう」
さっさと済ませて行きつけの店に飲みに行くんだ、と言ってベルトルトは去っていった。
疑問に答えはでなかったが、心なしか気持ちが軽くなったような気がして、アルミオは満足気に木剣を片付け、自室へと戻っていった。
襲撃に懲りることなく、明日もきっとクレーリアは動くだろう。
ならば疲れを明日に残すわけにはいかない。誰かを救う彼女を守るために。
「まあなあ。あたしもそう思うんだけどよ」
夕食を終えたアルミオは、パメラと共に警備担当者の控室から出て中庭で食後の運動と称して訓練を行っていた。
死体試験場から戻ると、クレーリアは早々に解散を宣言して自分の執務室へと閉じこもってしまった。
邸内とはいえ護衛が必要ではないかと思ったのだが、そこは邸内の警備を担当する者たちが交代してくれたのだ。
襲撃犯たちの死体からは所属を示す様なものは何も見つからなかった。王国内に多く見られる人種であったが、それだけでは所属はわからないのだ。
胃の内容物もエレナたちが調べているが、現状での芳しい報告は無い。
「パメラはどう思う?」
「知らねぇ」
「心当たりとか……」
「多すぎてわからねぇ」
パメラが護衛についてからも、複数の貴族が犯した罪を暴いたことがあり、また犯罪組織の壊滅に一役買ったなどといった武勇伝が存在するらしい。
犯罪に関する武勇伝はすなわち、犯罪者たちからの恨みを買ったことと同義である。
「犯罪組織が無くなっても、逃げおおせた末端やらその家族やら、恨みに思っている連中がどこにどれくらい残っているかなんざわからねぇよ」
「それもそうか」
会話をしながら、二人はそれぞれに木製の武器を使って互いの隙を狙うような一撃を繰り出しては、反撃を防御する動きを繰り返している。
身体に動きを憶えこませるための稽古であり、アルミオは訓練校で。パメラは物心ついたころから親に言われてやっていたらしい。
「お嬢を恨んでいる連中は、まあ概ねその二つだ。自分たちの悪事を暴かれてペナルティを食らったり、中には領地を剝奪されたりしたのもいる。もう一つは、単なる犯罪者だな」
「どちらにしても、逆恨みじゃないか……おっ!?」
斧の湾曲した刃が、アルミオの剣を引っ掛けるようにして引き寄せられた。
「うわっ」
「甘いね」
剣を押さえられて動きを封じられたところで、パメラのもう一つの木斧がアルミオの頭でカコンと軽い音を立てた。
「痛ってぇ」
「死ぬよりマシさ」
「それで……明日からはどうするんだ?」
落とした木剣を拾うアルミオが聞きたいのは、クレーリアの護衛に関してだ。明らかに危険が迫っているとわかれば外出を控えてもらわねばならない。
だが、それは簡単ではないのだ。
「組織立った動きがある証拠はねぇからな。どっちにしても、あたしはそういう調べ事なんてやりつけないからね。敵が来たら倒す。それだけだろ」
「出来ることはないのか? せめてお嬢様の護衛を増やすとか……」
「無駄無駄。ただでさえ周りに研究関係以外の人間が増えるのを嫌がってんのに」
パメラの言葉に、アルミオは疑問を抱いた。
「そんなら、どうして俺が呼ばれたんだ? 他にも護衛候補がいたって話だったし」
「侯爵の差し金だよ。お嬢もそろそろいい年齢だし、護衛として適当な高位貴族の次男やら三男やらを屋敷に通わせようとしてたのさ」
それに反発したクレーリアが奉公というシステムに目を付け、とても結婚相手には適さない家柄の人物を護衛に据えたのだ。
「父親が言う通りに護衛は増やしたし、これで一件落着だって強引に収めたんだよ」
「そういう理由か……。ひょっとして、俺に婚約者がいたのも採用の理由かな」
「そうだろうな。第一に腕前、第二に性格、第三に人間関係ってところか。それで呼ばれて、お嬢のあの趣味を見ても耐えられたから、採用になったわけだ」
中庭に座りこんだアルミオは大きくため息を吐いた。
「お、自分が特別でも何でもないってわかって傷ついたか、少年」
「いや、どちらかと言えばホッとした。侯爵家の護衛なんて大役になんで俺が選ばれたのかがわからなくて不安だったのが、割と順当な理由だったのがわかっただけでも助かる」
そもそも、侯爵家のご令嬢から護衛に選ばれたという事実だけでも将来に王国騎士として活躍するのに箔が付くというものだ。
「おや、お前くらいの年齢なら、身分不相応な恋愛なんぞに期待しているのが普通だと思ったんだがなぁ。外れたか」
「そんな大それたこと考えてない。それに、俺にはニルデがいる」
「婚約者か。まあ、そういうのが居るのもいいさ。生き残ろうって気概になる」
お前は、と聞き返そうと思ったがアルミオは言葉が出なかった。
傷だらけの身体。戦場で長い間生き残った事実や、時折語られる内容からうかがい知れる幼少期を考えると、貴族である自分が考えるような結婚や恋愛とは考え方が違うのではないかと思えるのだ。
「お前さ……変に優しいよな」
貴族らしくない、とパメラは笑った。
「お貴族様はお貴族様らしく、平民なんて見下ろしていたらいいんだよ。とくにあたしたちみたいな戦場で生まれて戦場で死んでいくような連中はさ、別の世界の出来事にしておくのが、平和に過ごせるってもんだ」
その戦争を指示するのも利益を得るのも貴族たちなのだが、アルミオは自分がそれを言っていいのかすら憚られる。
「まったく、お前もお嬢も、貴族にしておくには色々見えすぎているぞ。下々の生活とか理想とか、そんなところまで見通そうなんて考えるのはやめろ」
お嬢は理想があるから仕方がないが、アルミオはこれから先があるのだとパメラは言う。
「お前は二年後には学校に帰って騎士サマになるんだろう? 侯爵家の実績があれば王城勤めだって夢じゃない。そうなったら、平和で優雅な生活をしながら、国なり領地なりを継続する方法だけ考えてりゃいいんだ」
平民の生活を気にして、その考えに同調しようとするのは偽善だと言いたいのだ。それぞれに生まれながらの役割がある。
パメラにとっての役割は前線に立って命がけで戦うことであり、アルミオも騎士として戦うが、見えている世界は違う。いや、違っていなければならない。
「あたしのようになりたいなんて言うなよ。そんなのは贅沢だ」
パメラは「疲れたから寝る」と言って中庭から出て行った。
「俺の役割……将来か。ニルデと結婚して男爵領を継ぐ。その前に騎士として王国の他の貴族たちとつながりを作って……」
それは全て、貴族として普通の一生だった。
下位貴族として上位の貴族に従い、自治領の平民たちを適切に治め、税を徴収して適正に領地を運営する。それが当たり前のはずだ。
「ここに来てから、俺は何か変になってしまった気がするぞ?」
平民として戦う者たち。平民として生きて死ぬ者たち。その死に様と無念。騎士訓練校にいるころにはほとんど考えもしなかったことだ。
寮や学校にももちろん平民は居る。掃除をしてくれたり、食事を用意してくれたりとあちこちでフォローをしてもらっているし、場合によっては武具などの手入れもしてもらう。
練習用の馬を世話している者たち、訓練場の整備をしている者たち。学び舎の修理をする者たち。
全て平民で、自分たちの生活を支えている人々のはずだが、今の今まで果たして「人間として」付き合ったことがあるだろうか。
貴族と平民の世界は別物だが、交わっていないわけではない。
「しかし、平民からしたら貴族が近づくのは迷惑なことなのか?」
アルミオはクレーリアの考えは素晴らしいと思った。貴族も平民も同じ人間であり、死ねば同じ物言わぬ遺体となる。
クレーリアはそんな人々の思いを真正面から受け止めているのだ。
パメラはクレーリアを嫌ってはいないだろう。だが、アルミオと同じ気持ちではないのだろうか。
「わからないな……」
お貴族様、と呼ばれるほど自分が偉いとは思っていない彼だが、かと言って平民とも違う人生を送ってきた。これからもそうだろう。
だが今、この侯爵領においてはアルミオとパメラは同じ目的で同じ場所に立って仕事をしている。賊と戦っても、こちらが貴族であちらが平民だから、などと危険度が変わるわけでもない。
考えれば考えるほど、平民と貴族の違いがわからなくなってきた。
クレーリアのように平民を同じ人間として扱い、現実を真正面から見つめるのはとても難しい。それは貴族が持つ常識とは相反するものだから。
それでも、アルミオはクレーリアが正しいと確信していた。
しかし、それをうまく説明できない。
「駄目だな、わからん」
アルミオは立ち上がり、再び木剣を構えて振りかぶる。
そして、一心不乱に素振りを繰り返した。
迷っているときは、身体を疲れさせるのが一番いい。一人で考え込んだところで答えが出るわけでもないのだ。
そこに、一人の男性が近づいてきた。
気配で気づいたアルミオが視線を向けると、見知った人物が立っていた。
「精が出るね」
「ベルトルド捜査官。何か?」
「いや、報告書が仕上がったから、家に帰るついでにお嬢様に届けようと思ってね」
ベルトルドのような上級の捜査官は邸内への出入りが許されているそうで、夜中であろうと緊急の用件があれば屋敷に入ってくるし、今のように報告書を出しにくることもあるという。
「こんな夜まで……」
「因果な性格だとは思うけれども、やはりお嬢様には早いうちにご報告しておくべきかと思ってね。……昼間の件、片付いたよ」
早い、とアルミオは内心で舌を巻いた。
双子の助手もそうだが、クレーリアが選んだのか運命なのか、彼女の周囲には優秀な人材が多い。自分も選ばれた人間なのだが、貴族であること以外に何か秀でているかというと自信が無かった。
「どうだった?」
「……奥方が犯人だった。いや、殺したわけじゃない。男性が亡くなったのは事故だったよ」
家の中で梁の一部に雨漏りの跡を見つけて、不安定な踏み台の上で作業をしていたところで転落。近くに置いていた金属製の壺で頭を強打したらしい。
「家の裏に隠されていた壺に血が付いていた。その中には裁ちばさみもあったよ」
死亡したのは偶然だったが、多くの借金を遺した挙句に事故死したことに怒りと焦りを覚えた妻が、息子を呼び出して残虐な事件の被害者に偽装したらしい。
「犯罪被害者の遺族となれば、侯爵領から多少の補助が出る。町の者たちも彼女たちを助けようと動くだろうし、実際に結構な金額の寄付も集まっていたらしい」
生活のために同情を引きたかった、と自白したそうだ。
「そのために、あそこまでやるのか……」
残酷に切り刻まれた死体を思い出し、アルミオは背筋に寒いものを感じた。
好き合って共になった夫婦だろうに、最後に妻は夫の指を切り刻み、眼球を抉って犯罪者になったのだ。
「救われない話だよな。こういう事件を見ると、結婚が怖くなるよ」
ベルトルドは独身らしい。だからこそ、こんなに仕事漬けでも誰にも怒られないのだと笑っていた。
「誰も救われないな……」
「そんなことはない」ベルトルドは自分のサインが入った報告書を月明りにかざす。「騙されて寄付する人々はいなくなるじゃないか」
それに、とベルトルドは昼よりもまた伸びた無精ひげを撫でた。
「事件を知った世の男性陣は、少しばかり奥方に優しくなるだろう?」
「はっはは、なるほど。俺も結婚したら気を付けるよ」
「懸命な判断だ、若者よ。それじゃ、稽古の邪魔をして悪かった。また会おう」
さっさと済ませて行きつけの店に飲みに行くんだ、と言ってベルトルトは去っていった。
疑問に答えはでなかったが、心なしか気持ちが軽くなったような気がして、アルミオは満足気に木剣を片付け、自室へと戻っていった。
襲撃に懲りることなく、明日もきっとクレーリアは動くだろう。
ならば疲れを明日に残すわけにはいかない。誰かを救う彼女を守るために。
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