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5.現場検証へ
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ノックというには乱暴な、合図ではなく破壊を目的としているのかと思えるほどに激しい打撃音で目が覚めた。
「な、何事?」
「早く起きなさい」
扉の向こうから聞こえてきたのは女性の声ではあったが、クレーリアやパメラとは違っていた。昨日出会った侍女たちとも違うようだ。
アルミオは急いで身支度を整えると、恐る恐る扉の鍵を外した。
「うがっ!?」
鍵を外した途端に扉が開き、強かに額を叩かれて交代する。すわ襲撃かと思ったが、剣は提げていない。
「なにをする……!」
急ぎ距離を取ったアルミオが見たのは、勝手知ったるとばかりにずかずかと入ってくる二人の少女だった。
一人は堂々と、一人はその後ろから恐る恐る。
「君たちは……!」
「おはようございます。まず、動きが遅いです。お嬢様がお仕事を始められる前に準備を整え、全ての作業をスムーズに運べるようにするのが私たちの務めです」
話している内容はさておき、アルミオは二人のことを思い出した。
昨夜パメラが話していた、双子の助手イルダとエレナだった。どちらがどちらなのかはわからないが、昨日の解剖に立ち会っていた二人に間違いない。話しているのは先に入った方ばかりなのが気になる。
「お、おはよう」
「挨拶はできるようですね。では、護衛としての支度を。お嬢様は本日、午前中から外出なさいます。それに備えてください」
「屋敷を出る話は聞いています。町中ですか、それとも町の外へ?」
環境によって装備は若干変わる。剣を持つにしても主な武器である大剣は持つにしても、町中であればロングソードを腰に提げるのが基本となるのだ。
「町の中です。馬車で移動することになります」
承知した、と準備をしようとしたアルミオは、いつまで経っても室内に残っている二人が気になって、シャツを掴んだ手を停めた。
「あの……着替えたいのだけれど」
「言っておきたいことがあります。まず、わたしたちに関して。わたしはイルダ。こちらは姉のエレナです。
どうやら、先ほどから一人で話しているのはイルダで、姉の方は引っ込み思案なのか言葉をほとんど話していない。時折、イルダの言葉にうなずく程度だ。
「あなたの役目は護衛です。ですから、解剖に関してあまり首を突っ込むのは控えていただきますよう」
「いやでも、お嬢様から質問を振られたら……」
「あほ面さげてわかりませんとでも言っておいてください」
「えぇ……」
とにかく、と踵を返したイルダは横目で睨むように吐き捨てる。
「お嬢様とわたしたちの間に割って入ろうなどと考えないことです」
そんなつもりはない、と言い返そうとしても遅かった。すでにイルダは部屋を後にしている。
ぽつん、とエレナだけが残っていたので、どうにか彼女とは同僚として良い関係を、と思ったのもつかの間。
「男とか、クソうぜぇ」
「……は? あ痛って!」
かわいらしい顔に似合わぬ汚い暴言をポツリと呟いたかと思うと、アルミオは脛を強かに蹴りつけられた。
「ひでぇ……」
膝を擦りながらしゃがみ込むアルミオを一瞥して、エレナも妹を追って部屋を出て行った。
「そういえば、ドアを開けた時にノブを持っていたのはエレナの方だった。……言葉は苦手で手が出るタイプ、か……」
自分でも不思議なくらい冷静に考えて、伝達事項はしっかりやってくれたイルダの方がまだ付き合いやすいと自分を納得させて、いそいそと支度をする。
遅れたりしたら、また何を言われるかわかったものではない。
街中では住民たちを威嚇しないように、いかつい鎧は避ける。場合によってはクレーリアを守って街中を逃げる可能性もあるので、革を重ねた軽い胸当て程度にして、大剣は背負って腰にはロングソードを付ける。
手槍なども便利だが、武器が多くても重りになるだけだ。
「小さい盾もあれば便利かも知れない。今度探しに行ってみよう」
休みがもらえるかどうかは不明だが、まったく自由時間が無いとは思えない。もしかすると領兵が使っているものを分けてもらえるかもしれないが、できれば自分に合ったものを誂えておきたかった。
武器も防具も自分の命を預かるものだし、クレーリアを守るためのものなのだから手抜きは避けたい。
「お待たせしました」
「遅いです。それから髭はもう少し丁寧に剃っておいてください。あなたがお仕えするのはソアーヴェ侯爵家のご令嬢なのですから、見た目にも気を遣って当然です」
うるさいと思ってしまうものの、言っている内容には納得できてしまう。今までは男所帯の訓練校でそれなりの身だしなみで良かったのだが、高位貴族の部下となればその程度の意識ではいけないのだろう。
思い返せば、馬車で迎えに来てくれた文官を始め、邸内の使用人たちはしっかりと髪をまとめ、服装に乱れは見られない。
唯一の例外がやってきた。
「おうアルミオ。早いな」
「おはよう、パメラ」
「痴女め」
と、エレナがポツリと呟いたのがアルミオには辛うじて聞こえた。パメラには恐らく聞こえていないだろう。
言い方は悪いが、パメラの格好は胸と下半身だけに革を鎖でつないだ鎧を付けたのみで、武器は腰と背中に提げた手斧という姿だ。
鍛えた腹筋を見せびらかすような恰好で、豊かな胸が鎧の中で窮屈そうにしている。両足も傷だらけではあるが引き締まった肉体美をそのままさらけ出していた。
「パメラの町中での装備は、いつもそれなのか?」
「町も何も、ずっとコレさ」
「あっそう……」
双子はパメラの格好に何か言いたげではあるが、先ほどの小さな呟き以外は特に注意をする様子はなかった。
アルミオは自分にだけ厳しいのは不公平ではないか、これがいわゆる新人いびりなのかと思っているうちに、クレーリアがやってきた。
「おはようございま……す?」
声が聞こえて視線を向けたアルミオは、クレーリアの姿に言葉が詰まってしまう。
「不敬」
膝の裏にエレナの蹴りが入り、強制的に膝を突いた敬礼になってしまう。
「いたた……あの、おはようございます」
「おはようございます。そのように仰々しい挨拶は不要です。さあ、出発しましょう」
執務室から鞄を取り出したクレーリアの姿は、昨日のドレスとは違い、上下一体になったパンツスタイルであり、編み上げのブーツを履き、みつあみにした髪を後ろに流し帽子をかぶっている。
服装はいわゆるツナギなのだが、アルミオは見たことがなかった。
「あ、荷物はお持ちします」
何から聞くべきかと迷っていたアルミオだったが、エレナにひと睨みされて慌ててクレーリアの鞄を受け取った。
「ありがとう」
厚みのある革製の硬いかばんは、見た目よりもずっしりと重たい。わずかにカチャリと音がするあたり、中には割れ物もあるかも知れない。
「昨夜遅く、町の中で遺体が発見されました。今日はその現場に向かいます」
馬車の中に座り、出発と同時にクレーリアから説明が始まった。
席はクレーリアとパメラが隣同士。向いにアルミオが座り、両脇に双子という配置だ。見た目だけなら両手に華だが、左右からの無言の圧力がすごい。
「お嬢様自ら向かわれるのですか? 昨日のように、遺体を運ばせればよろしいのでは?」
アルミオの意見は貴族としては当たり前の話だった。
領地の視察などを除けば、あらゆる資料や情報は貴族の方へ持ち込まれるものであり、侯爵家令嬢であるクレーリアが直接出向く相手となれば、同格である侯爵家の当主が相手か、王族程度のものだ。
ましてや、平民たちのために足を運ぶのは慈善活動でしか聞かない。
「現場で見るのが重要なのです」
クレーリアは貴族の習慣を理解したうえで、あえて無視しているらしい。
「昨日の女性については捜査員が詳細な記録をとっていましたし、私自身もちゃんと現場を確認してきたのです」
「そうだったのですか」
見た目の清楚で物静かな雰囲気からは想像できないほど、クレーリアは快活に動き回っているらしい。
自殺に偽装されて殺害された少女の件は夜のうちに領の捜査員――クレーリア曰く、領兵の中でも警察業務に特化したグループが居るらしい――に通知し、捜査がすでに開始されているらしい。
「環境と死体の関係は非常に重要です。乾燥した場所なのか水辺なのか。あるいは水の中であったり、外傷があったり、仰向けであったりうつ伏せであったり……ようするに、どのような形で発見されたのかを知るのは検視の参考になります」
「発見場所でそんなに違うものなのですか?」
「当然です。……折角ですから、明日にでも私の研究場へご案内しましょう。百聞は一見に如かず、と言いますから」
アルミオには聞き覚えの無い慣用句であったが、意味はわかった。
わかったせいで、何を見せられるのかもなんとなく想像がついてしまう。
「いや、それは……いてっ!」
隣に座っているエレナが思い切りわき腹をつねってきた。文句を言うなとでも言いたいのだろう。
そうこうしているうちに、馬車は止まり、馭者が扉を開いた。
「では、先に」
「おう、任せた」
アルミオが最初に馬車を出る。降車の瞬間を狙ってくるのは暗殺の常套手段の一つだと講義で教わったことがあるので、まずは周囲の安全確認をするのだ。
町の中、住宅街ではあるようだがすでに人だかりができていた。
兵士たちが住人達に近づかないようにと注意をしながら壁を作っていることもあって、安全には問題がないようだ。周囲の建物の二階は全て木戸が閉ざされている。これも兵士たちによる指示からだろう。
「貴人を上から見下ろすことのないように、か。気が利く」
慣れている面もあるのだろう。
兵士たちはロープを使って住民たちが現場に入らないように止めているし、住人達も無理に押し入ろうとはしていない。
「安全です、どうぞ」
アルミオがノックをして伝えると、パメラに先導されてクレーリアが、そして双子が鞄を二人で抱えて降りてきた。
クレーリアの姿が見えると、住人達からどよめきが聞こえてくる。
悪意は感じられない。ただ珍しいものを見たという好奇の視線と、中には応援をするような言葉もあった。
「お待ちしておりました、クレーリア様」
「現場は?」
「こちらです。どうぞ」
兵士だろうか。
他の領兵たちとは違い、まったく防具を付けていない一人の中年男性がクレーリアを見るなり近づいて案内する。
腰にサーベルを一振り下げただけであり、ぼさぼさの髪と無精ひげが目立つ顔には、隈が目立つ。
「うっ……!」
建物に入るなり、据えた臭いが漂ってくる。死臭だ。
昨日の遺体からも漂っていた臭いだが、度合いはまるで違う。
「ひどいですね」
クレーリアもハンカチを口元に当てて眉を顰めていた。
一般的な二階建ての民家。
そこには椅子に縛り付けられたまま、凄惨な姿の遺体となった一人の中年男性がいた。
周囲には黒ずんだ血の跡が広がり、切り取られた手足の指や左の眼球が無造作に転がっている。
拷問されたのだと一目でわかる。
目も当てられないとはこのことだ。
アルミオは絶えられずに視線を逸らした。野外研修で見た、野犬に襲われた死体とはまた違う。自然の脅威ではない、人間の悪意がそこにはあった。
「アルミオさん。見ていられないのであれば、外へ」
「……いえ。少しだけ外で深呼吸だけしてきます。すぐに戻りますので」
一度だけ、綺麗な空気を吸いなおしておきたかった。
ドアの外へ出たアルミオは、心配そうに見ている住民たちの視線に晒される。
「見られている……いや、期待されているのか。俺じゃなくて、クレーリア様が」
「その通りだ。ここの領民たちはみんなお嬢様のことを信頼しているのさ」
独り言のつもりだったが、返事があった。先ほど現場を案内した捜査官だ。
「どんなに悪賢い連中がいたとしても、お嬢様なら尻尾を掴んで見事に捕まえて成敗してくれるってな」
「なるほど……」
積み重ねてきた信頼があるのだ。どんなに凄惨な現場であろうと、あの少女のように、あの少女の遺族のためにそうしたように、真実のために向き合う。
「新しい護衛の兄さんだな。耐えられるか?」
「大丈夫」
大きく息を吸うと、捜査官からの煙草の匂いが漂ってきた。彼もまた、クレーリアの成果を支えるために奔走している一人なのだろう。彼も仲間なのだ。
「行ってくる。俺の仕事はお嬢様を守ることだから」
「いずれ、飯でも行こう。都会の話を聞かせてくれ」
「ここも充分都会だよ。俺の田舎の男爵領とは比べ物にならないくらい」
「そんなら、田舎の話を聞かせてくれ」
そのうちな、と手を振って、アルミオは“仕事”に戻った。
クレーリアと、彼女が救おうとしている誰かのために。
「な、何事?」
「早く起きなさい」
扉の向こうから聞こえてきたのは女性の声ではあったが、クレーリアやパメラとは違っていた。昨日出会った侍女たちとも違うようだ。
アルミオは急いで身支度を整えると、恐る恐る扉の鍵を外した。
「うがっ!?」
鍵を外した途端に扉が開き、強かに額を叩かれて交代する。すわ襲撃かと思ったが、剣は提げていない。
「なにをする……!」
急ぎ距離を取ったアルミオが見たのは、勝手知ったるとばかりにずかずかと入ってくる二人の少女だった。
一人は堂々と、一人はその後ろから恐る恐る。
「君たちは……!」
「おはようございます。まず、動きが遅いです。お嬢様がお仕事を始められる前に準備を整え、全ての作業をスムーズに運べるようにするのが私たちの務めです」
話している内容はさておき、アルミオは二人のことを思い出した。
昨夜パメラが話していた、双子の助手イルダとエレナだった。どちらがどちらなのかはわからないが、昨日の解剖に立ち会っていた二人に間違いない。話しているのは先に入った方ばかりなのが気になる。
「お、おはよう」
「挨拶はできるようですね。では、護衛としての支度を。お嬢様は本日、午前中から外出なさいます。それに備えてください」
「屋敷を出る話は聞いています。町中ですか、それとも町の外へ?」
環境によって装備は若干変わる。剣を持つにしても主な武器である大剣は持つにしても、町中であればロングソードを腰に提げるのが基本となるのだ。
「町の中です。馬車で移動することになります」
承知した、と準備をしようとしたアルミオは、いつまで経っても室内に残っている二人が気になって、シャツを掴んだ手を停めた。
「あの……着替えたいのだけれど」
「言っておきたいことがあります。まず、わたしたちに関して。わたしはイルダ。こちらは姉のエレナです。
どうやら、先ほどから一人で話しているのはイルダで、姉の方は引っ込み思案なのか言葉をほとんど話していない。時折、イルダの言葉にうなずく程度だ。
「あなたの役目は護衛です。ですから、解剖に関してあまり首を突っ込むのは控えていただきますよう」
「いやでも、お嬢様から質問を振られたら……」
「あほ面さげてわかりませんとでも言っておいてください」
「えぇ……」
とにかく、と踵を返したイルダは横目で睨むように吐き捨てる。
「お嬢様とわたしたちの間に割って入ろうなどと考えないことです」
そんなつもりはない、と言い返そうとしても遅かった。すでにイルダは部屋を後にしている。
ぽつん、とエレナだけが残っていたので、どうにか彼女とは同僚として良い関係を、と思ったのもつかの間。
「男とか、クソうぜぇ」
「……は? あ痛って!」
かわいらしい顔に似合わぬ汚い暴言をポツリと呟いたかと思うと、アルミオは脛を強かに蹴りつけられた。
「ひでぇ……」
膝を擦りながらしゃがみ込むアルミオを一瞥して、エレナも妹を追って部屋を出て行った。
「そういえば、ドアを開けた時にノブを持っていたのはエレナの方だった。……言葉は苦手で手が出るタイプ、か……」
自分でも不思議なくらい冷静に考えて、伝達事項はしっかりやってくれたイルダの方がまだ付き合いやすいと自分を納得させて、いそいそと支度をする。
遅れたりしたら、また何を言われるかわかったものではない。
街中では住民たちを威嚇しないように、いかつい鎧は避ける。場合によってはクレーリアを守って街中を逃げる可能性もあるので、革を重ねた軽い胸当て程度にして、大剣は背負って腰にはロングソードを付ける。
手槍なども便利だが、武器が多くても重りになるだけだ。
「小さい盾もあれば便利かも知れない。今度探しに行ってみよう」
休みがもらえるかどうかは不明だが、まったく自由時間が無いとは思えない。もしかすると領兵が使っているものを分けてもらえるかもしれないが、できれば自分に合ったものを誂えておきたかった。
武器も防具も自分の命を預かるものだし、クレーリアを守るためのものなのだから手抜きは避けたい。
「お待たせしました」
「遅いです。それから髭はもう少し丁寧に剃っておいてください。あなたがお仕えするのはソアーヴェ侯爵家のご令嬢なのですから、見た目にも気を遣って当然です」
うるさいと思ってしまうものの、言っている内容には納得できてしまう。今までは男所帯の訓練校でそれなりの身だしなみで良かったのだが、高位貴族の部下となればその程度の意識ではいけないのだろう。
思い返せば、馬車で迎えに来てくれた文官を始め、邸内の使用人たちはしっかりと髪をまとめ、服装に乱れは見られない。
唯一の例外がやってきた。
「おうアルミオ。早いな」
「おはよう、パメラ」
「痴女め」
と、エレナがポツリと呟いたのがアルミオには辛うじて聞こえた。パメラには恐らく聞こえていないだろう。
言い方は悪いが、パメラの格好は胸と下半身だけに革を鎖でつないだ鎧を付けたのみで、武器は腰と背中に提げた手斧という姿だ。
鍛えた腹筋を見せびらかすような恰好で、豊かな胸が鎧の中で窮屈そうにしている。両足も傷だらけではあるが引き締まった肉体美をそのままさらけ出していた。
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「あっそう……」
双子はパメラの格好に何か言いたげではあるが、先ほどの小さな呟き以外は特に注意をする様子はなかった。
アルミオは自分にだけ厳しいのは不公平ではないか、これがいわゆる新人いびりなのかと思っているうちに、クレーリアがやってきた。
「おはようございま……す?」
声が聞こえて視線を向けたアルミオは、クレーリアの姿に言葉が詰まってしまう。
「不敬」
膝の裏にエレナの蹴りが入り、強制的に膝を突いた敬礼になってしまう。
「いたた……あの、おはようございます」
「おはようございます。そのように仰々しい挨拶は不要です。さあ、出発しましょう」
執務室から鞄を取り出したクレーリアの姿は、昨日のドレスとは違い、上下一体になったパンツスタイルであり、編み上げのブーツを履き、みつあみにした髪を後ろに流し帽子をかぶっている。
服装はいわゆるツナギなのだが、アルミオは見たことがなかった。
「あ、荷物はお持ちします」
何から聞くべきかと迷っていたアルミオだったが、エレナにひと睨みされて慌ててクレーリアの鞄を受け取った。
「ありがとう」
厚みのある革製の硬いかばんは、見た目よりもずっしりと重たい。わずかにカチャリと音がするあたり、中には割れ物もあるかも知れない。
「昨夜遅く、町の中で遺体が発見されました。今日はその現場に向かいます」
馬車の中に座り、出発と同時にクレーリアから説明が始まった。
席はクレーリアとパメラが隣同士。向いにアルミオが座り、両脇に双子という配置だ。見た目だけなら両手に華だが、左右からの無言の圧力がすごい。
「お嬢様自ら向かわれるのですか? 昨日のように、遺体を運ばせればよろしいのでは?」
アルミオの意見は貴族としては当たり前の話だった。
領地の視察などを除けば、あらゆる資料や情報は貴族の方へ持ち込まれるものであり、侯爵家令嬢であるクレーリアが直接出向く相手となれば、同格である侯爵家の当主が相手か、王族程度のものだ。
ましてや、平民たちのために足を運ぶのは慈善活動でしか聞かない。
「現場で見るのが重要なのです」
クレーリアは貴族の習慣を理解したうえで、あえて無視しているらしい。
「昨日の女性については捜査員が詳細な記録をとっていましたし、私自身もちゃんと現場を確認してきたのです」
「そうだったのですか」
見た目の清楚で物静かな雰囲気からは想像できないほど、クレーリアは快活に動き回っているらしい。
自殺に偽装されて殺害された少女の件は夜のうちに領の捜査員――クレーリア曰く、領兵の中でも警察業務に特化したグループが居るらしい――に通知し、捜査がすでに開始されているらしい。
「環境と死体の関係は非常に重要です。乾燥した場所なのか水辺なのか。あるいは水の中であったり、外傷があったり、仰向けであったりうつ伏せであったり……ようするに、どのような形で発見されたのかを知るのは検視の参考になります」
「発見場所でそんなに違うものなのですか?」
「当然です。……折角ですから、明日にでも私の研究場へご案内しましょう。百聞は一見に如かず、と言いますから」
アルミオには聞き覚えの無い慣用句であったが、意味はわかった。
わかったせいで、何を見せられるのかもなんとなく想像がついてしまう。
「いや、それは……いてっ!」
隣に座っているエレナが思い切りわき腹をつねってきた。文句を言うなとでも言いたいのだろう。
そうこうしているうちに、馬車は止まり、馭者が扉を開いた。
「では、先に」
「おう、任せた」
アルミオが最初に馬車を出る。降車の瞬間を狙ってくるのは暗殺の常套手段の一つだと講義で教わったことがあるので、まずは周囲の安全確認をするのだ。
町の中、住宅街ではあるようだがすでに人だかりができていた。
兵士たちが住人達に近づかないようにと注意をしながら壁を作っていることもあって、安全には問題がないようだ。周囲の建物の二階は全て木戸が閉ざされている。これも兵士たちによる指示からだろう。
「貴人を上から見下ろすことのないように、か。気が利く」
慣れている面もあるのだろう。
兵士たちはロープを使って住民たちが現場に入らないように止めているし、住人達も無理に押し入ろうとはしていない。
「安全です、どうぞ」
アルミオがノックをして伝えると、パメラに先導されてクレーリアが、そして双子が鞄を二人で抱えて降りてきた。
クレーリアの姿が見えると、住人達からどよめきが聞こえてくる。
悪意は感じられない。ただ珍しいものを見たという好奇の視線と、中には応援をするような言葉もあった。
「お待ちしておりました、クレーリア様」
「現場は?」
「こちらです。どうぞ」
兵士だろうか。
他の領兵たちとは違い、まったく防具を付けていない一人の中年男性がクレーリアを見るなり近づいて案内する。
腰にサーベルを一振り下げただけであり、ぼさぼさの髪と無精ひげが目立つ顔には、隈が目立つ。
「うっ……!」
建物に入るなり、据えた臭いが漂ってくる。死臭だ。
昨日の遺体からも漂っていた臭いだが、度合いはまるで違う。
「ひどいですね」
クレーリアもハンカチを口元に当てて眉を顰めていた。
一般的な二階建ての民家。
そこには椅子に縛り付けられたまま、凄惨な姿の遺体となった一人の中年男性がいた。
周囲には黒ずんだ血の跡が広がり、切り取られた手足の指や左の眼球が無造作に転がっている。
拷問されたのだと一目でわかる。
目も当てられないとはこのことだ。
アルミオは絶えられずに視線を逸らした。野外研修で見た、野犬に襲われた死体とはまた違う。自然の脅威ではない、人間の悪意がそこにはあった。
「アルミオさん。見ていられないのであれば、外へ」
「……いえ。少しだけ外で深呼吸だけしてきます。すぐに戻りますので」
一度だけ、綺麗な空気を吸いなおしておきたかった。
ドアの外へ出たアルミオは、心配そうに見ている住民たちの視線に晒される。
「見られている……いや、期待されているのか。俺じゃなくて、クレーリア様が」
「その通りだ。ここの領民たちはみんなお嬢様のことを信頼しているのさ」
独り言のつもりだったが、返事があった。先ほど現場を案内した捜査官だ。
「どんなに悪賢い連中がいたとしても、お嬢様なら尻尾を掴んで見事に捕まえて成敗してくれるってな」
「なるほど……」
積み重ねてきた信頼があるのだ。どんなに凄惨な現場であろうと、あの少女のように、あの少女の遺族のためにそうしたように、真実のために向き合う。
「新しい護衛の兄さんだな。耐えられるか?」
「大丈夫」
大きく息を吸うと、捜査官からの煙草の匂いが漂ってきた。彼もまた、クレーリアの成果を支えるために奔走している一人なのだろう。彼も仲間なのだ。
「行ってくる。俺の仕事はお嬢様を守ることだから」
「いずれ、飯でも行こう。都会の話を聞かせてくれ」
「ここも充分都会だよ。俺の田舎の男爵領とは比べ物にならないくらい」
「そんなら、田舎の話を聞かせてくれ」
そのうちな、と手を振って、アルミオは“仕事”に戻った。
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