異世界道中 お侍付き

井戸 正善

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1.お侍といっしょ

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「いやー、これが噂の異世界転移か」

 見渡す限りの草原と、それらをのんびりと食んでいる牛っぽいような形で虎柄の、見たこともない動物を前にして、九鬼くき鋭介えいすけはとりあえず笑うしかない。
 乱れた前髪をかきあげてつぶやいた鋭介に、牛っぽい何かはちらりと視線を向けただけで、すぐに食事に戻った。

 さっきまでのことを思い出すと、あと三か月で卒業できる高校に向かって、駅からぼんやりと歩いていたところを車に撥ねられたような気がする。
 横断歩道を渡っていたはずで、急に右から強い衝撃を受けたかと思ったら、この状況だ。
 何故かは不明だが、とりあえず怪我はない。

「トラックだったかどうかもわからないし、赤ちゃんになってるわけでも誰かの身体に入り込んだわけでもないみたいだから、転生じゃないのはわかる」

 前日の夜にネットで転移ものの小説を読み漁っていたのだが、そのせいで寝不足になってぼんやりしていた挙句、こうなった。
 今考えると横断歩道の信号は赤だったような気もするし、車の方が信号無視だったような気もする。

「おいおいおい。いきなり草原に放り出すとか、ネットの格安ゲームじゃないんだから。あるでしょ、チュートリアル的な何かが。体内からあふれ出す魔力とか、神様がくれる特別な力とか」

 やたら空気がおいしいとのんきな感想を覚えつつ深呼吸して、「ステータスオープン」とか「炎よ!」とか叫んでみるが、牛もどきがチラチラと迷惑そうな視線を向けてくるだけで、期待したような効果はあがらない。

「いや、ここで火球が出ても牛の丸焼きができるだけか。魔法が発動しなくて良かった。いやでも、何かしらこう、あるでしょ。ヒロインフラグとか、世界を救って欲しいとかさ。で、女神からお願いされて、その女神もサポート役で一緒に異世界に来るとか!」

 ノーヒントで人家も見えないような場所に飛ばされて、鋭介は文字通り頭を抱えた。
 こういう状況に少々見覚えがあり、大抵の場合は生きるか死ぬかのハードな内容のファンタジーだ。命がけの場面が何度も訪れては、工夫と努力と大怪我、あるいは大切な仲間の死と引き換えに生き延びる。
 うっかり間違うとあっさりこの世から退場してしまう類の未来が頭に浮かんでくるのを、懸命に追い払う。

「冷静に、冷静になるんだ。まずは今の状況を確認しよう。……見渡す限りの平原。十頭くらい牛もどきが見えるけれど、襲ってくる様子は無いな。モンスターとかじゃないのか」

 自分の服装は、記憶にある最後の瞬間から変わっていない。
 学校指定のスラックスとシャツ。ゆるく結んだネクタイにブレザーを羽織っている。ポケットに入っていたはずのスマホは見当たらない。
 財布はあるが、この世界で使えるはずもない。

「あっ、バッグあるな。弁当も無事か。貴重な食糧確保。お菓子も少しある。あとは……」

 右肩に引っ掛けていただけのバッグだが、ありがたいことに一緒に飛ばされてくれたらしい。
 母親が用意してくれた弁当も無事だった。

「……こんなことになるなら、もうちょっと母さんと父さんに話をしておくんだったなぁ。帰る方法があればいいんだけれど」

 そうだ、と鋭介は立ち上がった。
 神様なり召喚者なりが存在しないなら、この世界で何をやっても問題はないはずだ。ならば、当面の目標を元の世界に帰る方法探しに設定しようと彼は決めた。

「誰の仕業か知らないし、もしかすると数兆分の一みたいな確率で偶然ここに来ちゃったのかも知れないけれど、とりあえず人の住んでいる街を探してみよう。言葉が通じるなら、次は食料なり資金の確保。住む場所とか見つけられたら助かるな」

 話している内容は気丈だが、鋭介はもう涙ぐんでいた。
 持ち物は少々の食糧と文房具、教科書数冊。余暇に読むための本が数冊。武器になるようなものは何にもない。新しい能力なんてものも多分ない。

「せめて仲間。クラス転移……は何故か血みどろの闘争になる感じがあるから却下だな。同じ境遇の誰かが欲しい。……ん?」

 涙を拭って、まず進むべき方向を見つけようとしてぐるりと周囲を見回した鋭介は、バッグがあった場所のすぐ近くに何かが……いや、誰かが倒れているのを見つけた。
 一瞬死体かと思って飛び退ったが、どうやら眠っているだけらしい。

「さ……侍!? 武士? コスプレ? 武道家?」

 薄汚れた着物に紺袴を穿いた男の姿は、その腰に挟まっている二振りの刀や、ポニーテールのように結い上げた髪型も相まって、時代劇に出てくる浪人そのものだった。
 無精ひげが目立つ顔は三十台後半のように見え、よく鍛えられた身体に、日焼けした肌はざらざらとしていて、インドア派の鋭介とはまるで違う。

「む……」

「ひえっ、起きる!」

 距離をとる。
 仲間が欲しいとは言ったが、お侍がいいとは言っていない。というより、内心鋭介が求めていたのはヒロインであり、むくつけき男ぶりを振りまく野郎などではない。

「な、何事がおきたのか……むむっ!?」

 のっそりと身体を起こした侍は、鋭介を見るなり一足飛びに距離をとり、腰の刀に手をかけた。

「何奴! ……うおっ? なんじゃあのべこは! 縞々じゃ!」

「えーっと、自己紹介、してもいいですかね? とにかく俺は敵じゃないはずなので、刀から手を放してくれませんか」

「お、ああ、すまぬ、すまぬ」

 誰何されたのにいきなり興味がよそに移ってしまった侍は、柄から手を放して気恥ずかしそうに頬を掻いた。
 悪い人ではなさそうだと安心した鋭介は、侍と向かい合って座った。
 少しだけ距離をとったのは、初めて向けられた敵意にまだビビッていたからだ。

「俺は、九鬼鋭介といいます。十八歳で……高校生です」

「おお、日ノ本の者であったか。妙な格好をしておられるゆえ、異人かと勘違いしてしまった。若く見えるし髷も結うておられぬが、もう元服も済まされた年齢か。いや、失礼した」

 大人として扱われたのが妙にうれしいやら気恥ずかしいやら、鋭介はこの世界に来て初めて微笑んだ。
 では、と侍は居住まいをただし、大きくを息を吸った。

「拙者は坂田さかた甲志郎こうしろう栄佐えいすけと申す。古閑藩士……でござった」

 今は流浪の身であると続けた甲志郎は、恥ずかしいというより寂し気な目をしていた。今の自分の境遇を悲しんでいるのか、恥じているのか。
 いずれにせよ、何か問題があって藩士ではなくなったのだろう。

「えっと……同じエイスケですね。奇遇です」

「む。ああ、そうだな。あっはは! これは奇遇だ、いやはや、面白い」

 場を持たせようとした鋭介の言葉に、彼の気遣いを知ってか知らずか、甲志郎は大げさに声を上げて笑った。

「ところで……」

 ひとしきり笑った甲志郎が、きりりと真剣な目つきに変わった。
 鋭介もつられて笑顔を引っ込めながら、考える。きっと「ここはどこか」「何があったのか」を聞かれるに違いないからだ。
 聞かれたところで鋭介も知らないのだから答えようもないのだが、できるなら仲良くなって、彼を旅の仲間にしたい。

「すまぬが、何か食い物は持っておられぬか? 恥ずかしながら、この三日間何も口にしておらぬで、腹が減って目が回りそうでなぁ……」

「……はあ?」

 同じ日本の違う時代から訳もわからぬまま飛ばされてきた鋭介と甲志郎は、こうして出会った。
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