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 「ジル兄さん、私大丈夫よ」
 
 あれからすぐ。エリックとサンドラはもとから出会ってもなかったかのように他人へ戻った。約束させていた家と養育費、それにやつの財産をきっちり半分受け取った。隠し持っていた土地やあの新築も夫婦でいたときに建てているので相当な額をこれから払い続けることになる。サンドラは俺と違って賢い。きちんと弁護人と役人、国の制度を使って泣く前に話を自分でつけたんだ。そこらの女じゃできねぇ。やっぱりやつはアホの間抜けだ。

 当然職場にも報告がいく。離縁というだけで家庭を維持出来ない男と認識されるのに、さらに浮気して別宅まで建てていたとなると目も当てられない。役職が剥奪され立場のない状況らしいが、やつはサンドラとラルに金を支払う義務があるので簡単には辞められないのだ。世間だと賠償できずに逃げきる野郎が多いらしいが、やつは会社から監視がつき、実家の不動産で財を築いている親が必ず払わせると約束してくれた。王都で有名な一家だ、親の仕事や評価にも影をおとしたエリックには軽蔑するだけ時間の無駄かも知れねぇ。
 
 「兄さんがうちに来て話したじゃない?あのとき覚悟してたの」

 ラル坊は元気に自分でスプーンを握り、きちんと口へ飯を運べるようになった。
 
 「私、わたしを粗末にする人を愛するほどバカじゃないわ」
 「あぁ。お前はいい女だよサンドラ。それにいい母親でもある」
 「もう!もう、ほんとジル兄さんってなんでそうなのかしら!こんなときばっかり!」
 
 サンドラはやっと泣いた。やっと泣けたというべきか。もう彼女は立派な母親で、嫌でも強く生きるしかない状況が続いたってめげずに息子を守り、笑顔で前を向ける誰より出来た人間だった。
 
 サンドラを抱き締めながら、俺は最後までエリックの浮気相手と散々セックスして、ついには恋しくなって会いにまで行ったことを誰にも話せなかった。必要もないかもしれんが、心にしこりが残る。本当に俺は救えん。
 
 
 「中央セントラルに貸し屋を建てたの!ジル兄さん、大家がてらそこに住みなさいよ」
 「……すごい女だよお前は」
 
 エリックからの慰謝料だけでも暮らしていけそうだったが、なにもしない訳にもいかないと勉強して子育てしながらも安定した収入を得られるようにしたらしい。
 
 肩の力を抜いて、妹に頼ることにした。

 家賃は大家業を任せるから安くしておいてあげる、と格安で新築の部屋を宛がわれる。タダにしないでいるのは兄貴への気遣いだろう。
 二棟ある貸し家は単身者用で八部屋に区切られている。そのうちの日当たりの悪い一階の山側の部屋に引っ越した。
 
 日当たりなんて気にしたこともねぇから何の文句もない。家具を選び、色味なんか考えてみたりして人間らしさっていうのをこの年になって感じる。
 
 「エヴァンズさんの部屋見たいです!気になるなぁ」
 
 耳の早いキースがケンケン子犬のようにはしゃぐので適当に返事してたら帰りについてきやがった。

 パン屋騒動で心配したが、慣れてくると本来は打たれ強くしぶとい性格のキースは、この田舎でうまくやっている。力はなくても周りに頼れる愛嬌があり、自分に出来ること出来ないこと向き不向きを素直に受け入れていた。

 こういう若いのを見ると自分が頭のかたいオヤジになってると思い知らされてかなわん。
 
 「今日は妹んとこで飯食うからついてくんな」

 しっしっ、と追っ払うも

 「わぁ!手土産に甘いものを買っていかないと!」

 さっさと菓子を買い込んで両手一杯に抱えている。
 
 「……はぁ、まぁたまにゃ優男を見ながらの飯も気分転換になるか」
 「お昼もいっしょでいいですよ?」
 「俺じゃねぇ、妹がだよ!」

 本当に図太いやつ。
 
 「サンドラさん、突然お邪魔して申し訳ありません!これをどうぞ」
 「まあ!こんなに?」
 「日持ちのするものがこっちで、ケーキや生菓子はこちらにまとめてあります!幼児にも食べられるお菓子もありますよ!」
 「気が利くのねぇ」
 
 ほんとにな。
 
 「サンドラさん……あなたは美しいし何より素晴らしく聡明な女性だ…あぁサンドラさん」
 「やだ酔ってるの?」
 
 コイツ……

 「酒弱いからな。幻覚でもみえてんだろ」
 「失礼ね!」
 
 机のしたでおもっきし蹴られた。
 
 「ラルくんもサンドラさんに似て……お祖父様が金髪だったとか?まるでボクとの子供みたいだ……」
 「幻覚見てるのかしら」
 
 キース、望み薄だが割りとお前とサンドラは合っていると思うぞ。俺にはなんの決定権もないがな。
 
 自然と口角の上がる楽しい食事だった。





 
 
───────····




 
 「ほぉ、んでそこに薬屋ができんのか」
 「そうらしいです、助かりますねぇ」
 
 やっと営業所が建った。バターのような色味の壁の、大きい窓のついた解放感のある立派な二階建てだ。

 本格的に暑くなる前で助かったとキースと机や棚を運び込む。従業員が増えるのどうのと話があったが、狭い町のアーネシアでは今んとこふたりで事足りている。

 昼休憩をとりながらキースがあちこち配達先で仕入れてきた噂話を聞く。倅があんな事件を起こしたもんで居られなくなったフランクはパン屋を畳んで町を出た。元々評判も悪かった店だ、嫁さんの実家の麦畑を手伝うほうがマシだろうよ。
 夜逃げのように出ていく前、フランクと嫁のアーニーに「お前のせいで」と睨まれたが、図体も態度もでけぇ俺にはそれ以上なにもできずに去っていった。

 なーんで恨まれねぇといけねぇんだか。

 むしろキースが被害にあってたら王都にいる親族総出で麦の一粒も獲れなくなるまで搾り取られていただろうよ。知ったこっちゃねぇ。

 「お前の家もなんか改装してんのか?」
 
 配達で通りかかると、キースの自宅に大工らが集まっていた。
 
 「ン、ンンッ!実は将来のことも考えまして、部屋を増やしてキッチンを最新のものにしたんですよ!あと裏の手付かずの土地も買って庭にするんです!犬も飼ってピザ釜やブランコを置きましょうかね!」
 
 えらい張り切りようだ。こいつはサンドラが離縁してからというもの、やれ土産だやれ女子供の暮らしは心配だとうるさい。わかりやすいやつ。

 ただ、おそらく……いや確実に家柄が良い。触れずにいるが元貴族の家系かなんかだとたちが悪い。そんな若い男の嫁にコブ付きの女は厳しいだろう。
 
 俺は暗い色味が混じっているがサンドラもラル坊も運良く明るい金髪で、キースと三人家族に見えなくはない。クソのエリックは茶髪だったが似なくて良かった。

 本人は先走ってラル坊のことも自分の息子に見えているらしいが、こいつの両親が納得するとは思えん。一族がどういう人柄か全く知らんが、サンドラが悲しむことにならなけりゃいい。

 あいつがこんな年下の男を受け入れられない可能性も高いが、男臭くなくて優しいキースをうまく使って子守でもさせちまえばいいさ。
 
 「とっとと終わらせてサンドラんとこ飯食いにいくかぁ」
 「ちょうどよかった!王都で人気の馬の玩具が届いたところです!」
 「おまえな……」
 
 休憩室にドンと置いてあったのはそれだったのか……。そのでけぇ箱を運ぶのは俺なんだろう。
 
 「まぁ、精一杯働くんだな」
 
 サンドラは俺みたいな男が良いらしいぞと囁いてやるとギョッとして腕の太さを比べだすキース。そういうところじゃねぇが、こんくれぇ抜けてるやつの方がいい旦那になるかもしんねえぞ、サンドラ。






──────····
 





 
 休みに一人で顔を出すと、ラル坊はこの前キースから貰った木製の馬に跨がってご機嫌にゆらゆらと揺れて遊んでいる。

 キースが『これを音をたてずに揺らすことができたら、本物の馬に格好よく乗れるようになるよ!』と教えたとかで、走り回って大変だったラル坊が日がな一日ヤァヤァと叫びはするが馬から降りないという。子供の成長は早えもんだな。

 随分と家事が楽になったんだとサンドラが笑っていて、ちょっとばかし何だか泣きそうになっちまった。
 
 「ジル兄さんってば日焼けが酷いじゃない!見てるだけで痛いわ」
 
 軟膏を俺の二の腕に塗りたくりながらぎゃあぎゃあうるさい。
 
 「なんだこの匂いはよ、果物か?」
 「そうよ、キースくんがあれやこれやくれるのよね」
 
 ほぉ、とニヤつく。
 
 「なによ!もう!」
 「いでっ!おい!ふざけんなよ、いてぇっ!」
 
 バシバシ日焼けでただれた場所を細い指で叩かれるとかなり痛い。
 
 「キースにも塗ってやれい、泣いて喜ぶぞ」
 「あのこ私よりスベスベなんだから必要ないわよ!」
 
 おい。いつ触ったんだ。

 問い詰めたかったが、サンドラにこれ以上言うと何されるかわかったもんじゃねぇ。あとであの野郎によくよく言い聞かせるとしよう。
 


 「あ、そうだ!薬屋さんがもう商売始めてるはずよ。ちゃんと診てもらいなさいな」


 
 妹に母親の顔をして送り出されりゃなんだか逆らえず、まだ日も落ちてないんで寄ってみることにした。
 
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