9 / 34
⑨
しおりを挟む「ジル兄さん、私大丈夫よ」
あれからすぐ。エリックとサンドラはもとから出会ってもなかったかのように他人へ戻った。約束させていた家と養育費、それにやつの財産をきっちり半分受け取った。隠し持っていた土地やあの新築も夫婦でいたときに建てているので相当な額をこれから払い続けることになる。サンドラは俺と違って賢い。きちんと弁護人と役人、国の制度を使って泣く前に話を自分でつけたんだ。そこらの女じゃできねぇ。やっぱりやつはアホの間抜けだ。
当然職場にも報告がいく。離縁というだけで家庭を維持出来ない男と認識されるのに、さらに浮気して別宅まで建てていたとなると目も当てられない。役職が剥奪され立場のない状況らしいが、やつはサンドラとラルに金を支払う義務があるので簡単には辞められないのだ。世間だと賠償できずに逃げきる野郎が多いらしいが、やつは会社から監視がつき、実家の不動産で財を築いている親が必ず払わせると約束してくれた。王都で有名な一家だ、親の仕事や評価にも影をおとしたエリックには軽蔑するだけ時間の無駄かも知れねぇ。
「兄さんがうちに来て話したじゃない?あのとき覚悟してたの」
ラル坊は元気に自分でスプーンを握り、きちんと口へ飯を運べるようになった。
「私、わたしを粗末にする人を愛するほどバカじゃないわ」
「あぁ。お前はいい女だよサンドラ。それにいい母親でもある」
「もう!もう、ほんとジル兄さんってなんでそうなのかしら!こんなときばっかり!」
サンドラはやっと泣いた。やっと泣けたというべきか。もう彼女は立派な母親で、嫌でも強く生きるしかない状況が続いたってめげずに息子を守り、笑顔で前を向ける誰より出来た人間だった。
サンドラを抱き締めながら、俺は最後までエリックの浮気相手と散々セックスして、ついには恋しくなって会いにまで行ったことを誰にも話せなかった。必要もないかもしれんが、心にしこりが残る。本当に俺は救えん。
「中央に貸し屋を建てたの!ジル兄さん、大家がてらそこに住みなさいよ」
「……すごい女だよお前は」
エリックからの慰謝料だけでも暮らしていけそうだったが、なにもしない訳にもいかないと勉強して子育てしながらも安定した収入を得られるようにしたらしい。
肩の力を抜いて、妹に頼ることにした。
家賃は大家業を任せるから安くしておいてあげる、と格安で新築の部屋を宛がわれる。タダにしないでいるのは兄貴への気遣いだろう。
二棟ある貸し家は単身者用で八部屋に区切られている。そのうちの日当たりの悪い一階の山側の部屋に引っ越した。
日当たりなんて気にしたこともねぇから何の文句もない。家具を選び、色味なんか考えてみたりして人間らしさっていうのをこの年になって感じる。
「エヴァンズさんの部屋見たいです!気になるなぁ」
耳の早いキースがケンケン子犬のようにはしゃぐので適当に返事してたら帰りについてきやがった。
パン屋騒動で心配したが、慣れてくると本来は打たれ強くしぶとい性格のキースは、この田舎でうまくやっている。力はなくても周りに頼れる愛嬌があり、自分に出来ること出来ないこと向き不向きを素直に受け入れていた。
こういう若いのを見ると自分が頭のかたいオヤジになってると思い知らされてかなわん。
「今日は妹んとこで飯食うからついてくんな」
しっしっ、と追っ払うも
「わぁ!手土産に甘いものを買っていかないと!」
さっさと菓子を買い込んで両手一杯に抱えている。
「……はぁ、まぁたまにゃ優男を見ながらの飯も気分転換になるか」
「お昼もいっしょでいいですよ?」
「俺じゃねぇ、妹がだよ!」
本当に図太いやつ。
「サンドラさん、突然お邪魔して申し訳ありません!これをどうぞ」
「まあ!こんなに?」
「日持ちのするものがこっちで、ケーキや生菓子はこちらにまとめてあります!幼児にも食べられるお菓子もありますよ!」
「気が利くのねぇ」
ほんとにな。
「サンドラさん……あなたは美しいし何より素晴らしく聡明な女性だ…あぁサンドラさん」
「やだ酔ってるの?」
コイツ……
「酒弱いからな。幻覚でもみえてんだろ」
「失礼ね!」
机のしたでおもっきし蹴られた。
「ラルくんもサンドラさんに似て……お祖父様が金髪だったとか?まるでボクとの子供みたいだ……」
「幻覚見てるのかしら」
キース、望み薄だが割りとお前とサンドラは合っていると思うぞ。俺にはなんの決定権もないがな。
自然と口角の上がる楽しい食事だった。
───────····
「ほぉ、んでそこに薬屋ができんのか」
「そうらしいです、助かりますねぇ」
やっと営業所が建った。バターのような色味の壁の、大きい窓のついた解放感のある立派な二階建てだ。
本格的に暑くなる前で助かったとキースと机や棚を運び込む。従業員が増えるのどうのと話があったが、狭い町のアーネシアでは今んとこふたりで事足りている。
昼休憩をとりながらキースがあちこち配達先で仕入れてきた噂話を聞く。倅があんな事件を起こしたもんで居られなくなったフランクはパン屋を畳んで町を出た。元々評判も悪かった店だ、嫁さんの実家の麦畑を手伝うほうがマシだろうよ。
夜逃げのように出ていく前、フランクと嫁のアーニーに「お前のせいで」と睨まれたが、図体も態度もでけぇ俺にはそれ以上なにもできずに去っていった。
なーんで恨まれねぇといけねぇんだか。
むしろキースが被害にあってたら王都にいる親族総出で麦の一粒も獲れなくなるまで搾り取られていただろうよ。知ったこっちゃねぇ。
「お前の家もなんか改装してんのか?」
配達で通りかかると、キースの自宅に大工らが集まっていた。
「ン、ンンッ!実は将来のことも考えまして、部屋を増やしてキッチンを最新のものにしたんですよ!あと裏の手付かずの土地も買って庭にするんです!犬も飼ってピザ釜やブランコを置きましょうかね!」
えらい張り切りようだ。こいつはサンドラが離縁してからというもの、やれ土産だやれ女子供の暮らしは心配だとうるさい。わかりやすいやつ。
ただ、おそらく……いや確実に家柄が良い。触れずにいるが元貴族の家系かなんかだとたちが悪い。そんな若い男の嫁にコブ付きの女は厳しいだろう。
俺は暗い色味が混じっているがサンドラもラル坊も運良く明るい金髪で、キースと三人家族に見えなくはない。クソのエリックは茶髪だったが似なくて良かった。
本人は先走ってラル坊のことも自分の息子に見えているらしいが、こいつの両親が納得するとは思えん。一族がどういう人柄か全く知らんが、サンドラが悲しむことにならなけりゃいい。
あいつがこんな年下の男を受け入れられない可能性も高いが、男臭くなくて優しいキースをうまく使って子守でもさせちまえばいいさ。
「とっとと終わらせてサンドラんとこ飯食いにいくかぁ」
「ちょうどよかった!王都で人気の馬の玩具が届いたところです!」
「おまえな……」
休憩室にドンと置いてあったのはそれだったのか……。そのでけぇ箱を運ぶのは俺なんだろう。
「まぁ、精一杯働くんだな」
サンドラは俺みたいな男が良いらしいぞと囁いてやるとギョッとして腕の太さを比べだすキース。そういうところじゃねぇが、こんくれぇ抜けてるやつの方がいい旦那になるかもしんねえぞ、サンドラ。
──────····
休みに一人で顔を出すと、ラル坊はこの前キースから貰った木製の馬に跨がってご機嫌にゆらゆらと揺れて遊んでいる。
キースが『これを音をたてずに揺らすことができたら、本物の馬に格好よく乗れるようになるよ!』と教えたとかで、走り回って大変だったラル坊が日がな一日ヤァヤァと叫びはするが馬から降りないという。子供の成長は早えもんだな。
随分と家事が楽になったんだとサンドラが笑っていて、ちょっとばかし何だか泣きそうになっちまった。
「ジル兄さんってば日焼けが酷いじゃない!見てるだけで痛いわ」
軟膏を俺の二の腕に塗りたくりながらぎゃあぎゃあうるさい。
「なんだこの匂いはよ、果物か?」
「そうよ、キースくんがあれやこれやくれるのよね」
ほぉ、とニヤつく。
「なによ!もう!」
「いでっ!おい!ふざけんなよ、いてぇっ!」
バシバシ日焼けでただれた場所を細い指で叩かれるとかなり痛い。
「キースにも塗ってやれい、泣いて喜ぶぞ」
「あのこ私よりスベスベなんだから必要ないわよ!」
おい。いつ触ったんだ。
問い詰めたかったが、サンドラにこれ以上言うと何されるかわかったもんじゃねぇ。あとであの野郎によくよく言い聞かせるとしよう。
「あ、そうだ!薬屋さんがもう商売始めてるはずよ。ちゃんと診てもらいなさいな」
妹に母親の顔をして送り出されりゃなんだか逆らえず、まだ日も落ちてないんで寄ってみることにした。
0
お気に入りに追加
265
あなたにおすすめの小説

飼われる側って案外良いらしい。
なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あなたの隣で初めての恋を知る
ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。
その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。
そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。
一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。
初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。
表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式の話
八億児
BL
架空の国と儀式の、真面目騎士×どスケベビッチ王。
古代アイルランドには臣下が王の乳首を吸って服従の意を示す儀式があったそうで、それはよいものだと思いましたので古代アイルランドとは特に関係なく王の乳首を吸ってもらいました。
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる