私を支配するあの子

葛原そしお

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煉獄篇

第9話「嵐の底には蟻地獄が広がっている」

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 休み時間、私──咲良綾奈──は何をする予定もないけれど、スマートフォンのディスプレイを点ける。
 日付と時間、それと待ち受けにしている、ぎこちなく、はにかんだ笑顔の女の子。私は妹のハナちゃんの、中学校の入学式のときの写真を待ち受けにしていた。残念ながら私は行けなかったけれど、あとからお母さんに写真を送ってもらった。
 懐かしい──といってもつい二ヶ月前まで通っていた──中学校の校門の前で、私のお下がりの制服を着たハナちゃんが、はにかんだように笑っていた。
 ハナちゃん。可愛い私の妹。可愛い私のハナちゃん。
 ハナちゃんは子供の頃、「お姉ちゃん、大好き。大人になったらお姉ちゃんと結婚する」と言ってくれた。もう覚えていないかもしれないけれど、私は忘れない。
 私へのプレゼントに、公園で、四つ葉のクローバーを探してくれたこともあった。結局あの葉っぱは、クローバーじゃなかったので、四つ葉のものを見つけることはできなかった。それでも私のために何かしてくれようとするハナちゃんが可愛くて愛おしかった。
 そのハナちゃんが最近、元気がない。ナスミちゃんと喧嘩でもしたのかもしれない。エリザちゃんが仲良くしてくれているけれど、もしかしたらエリザちゃんのお友達のダリアちゃんとマリーちゃんとうまくいっていないのかもしれない。
 ハナちゃんは昔から自分のことを話すのが苦手だから、私は心配で仕方なかった。今度それとなくエリザちゃんに聞いてみようか。
「また妹の写真見てる、このシスコン」
 不意に後ろから声をかけられ、私は慌ててスマートフォンを落としそうになった。
 そう声をかけてきたのは、同じクラスで友達のエイちゃん。彼女は私の後ろに立っていて、からかうように笑っていた。
 エイちゃん──紅林栄子は、もとはあっさりとした顔立ちだけれど、人工のまつ毛を何本も接着剤でつけて、メイクで目元や頬、唇に赤みを差していた。制服も着崩している。ブラウスの裾を外に出して、襟元も緩めていた。髪は灰色に近い銀色で、光の加減で紫がかって見えた。入学当初は金髪だった。中学の時はこんなではなかったから、私は最初、彼女が誰だかわからなかった。
 私の通う高校には、同じ中学からの子も何人か進学していた。エイちゃんもその中の一人だった。彼女とは中学時代、クラスが一緒だったこともあったけれど、あまり話したことはなかった。高校で同じクラスになって、席が近かったこともあり、彼女から声をかけてくれた。なんとなく私たちは気が合って仲良くなった。
 派手な外見をしているけれど、別に不良というわけでもなく、もっとすごい格好をしている子はほかにいくらでもいた。
「アヤにゃ、今日の放課後カラオケいかない?」
 いつの間にかエイちゃんは私のことを『アヤにゃ』と呼ぶようになった。『アヤナ』の『ナ』を噛んだ時、可愛かったからそう呼ぶことにしたらしい。私は、「名字が長いからエイちゃんって呼んで」と言われたので素直にそう呼んでいた。
「いつもごめん、家に帰らないといけないから……」
「えー、おごるのにー」
 せっかく誘ってくれるのに、いつも私は断ってばかりで申し訳なかった。それでもエイちゃんは気を悪くしないで、普通に接してくれる。
「そういえばエイちゃんて、バイトしているの?」
 髪を染めたりネイルをしたり、高そうな財布を持っているのを見たことがある。もしエイちゃんがアルバイトをしているのなら参考にしたかった。
「してるよー」
 私はアルバイトがしたかったけれど、お母さんに反対されていることとは別に、やはり不安があってためらっていた。
「どんなの? コンビニとか?」
 正直、コンビニのレジとか、もしやったら間違えそうで怖い。ファミレスとかもオーダーを間違えるのではと、想像するだけで不安になる。
「違うよ。女の人と会って食事するだけ」
「え、何それ?」
 エイちゃんがスマートフォンを取り出す。
「このアプリでマッチングした人と会って、一緒にご飯を食べるの」
「それって、なんか危なくないの……?」
「別に全然。十人以上会ったことあるけど、みんな普通の人だよ」
 私は聞く相手を間違えたと思った。
「適当に一時間ぐらい話すだけで一万円もらえるし、ご飯も向こうのおごりね」
「一万円……」
「人によってはもっと出してくれるよ」
「それって、私にもできるのかな……?」
「アヤにゃは可愛いから、いっぱい稼げると思うよ」
 それはわからないけれど、私にもできるということだろうか。
「やり方、教えてあげようか?」
 何かいけないことだとはわかっている。けれど私はお母さんとハナちゃんのために、少しでも力になりたかった。
 ハナちゃんだって放課後や休みの日に、エリザちゃんや友達と遊びたいだろう。そのためのお小遣いを出してあげたい。
 まだ先のことだけれど、私やハナちゃんの修学旅行のお金が必要になるし、お母さんに少しでも楽をさせてあげたかった。
「うん、教えて」
「いいよー、お昼休みでいい? 一緒にご飯食べよ」
「うん……」
 私はエイちゃんに、彼女のやっているバイトを、そのやり方を教えてもらうことにした。

   *  *  *

 お昼休みになると、私とエイちゃんは食堂にいく。
 食堂は混んでいて、券売機とカウンターに行列ができていた。
「アヤにゃは何食べる?」
「私はお弁当があるから。席、とっとくね」
「うん、ありがとう」
 エイちゃんは行列に並ぶ。十分ぐらいして彼女はトレーを持って帰ってきた。白身魚のオリーブオイルパスタだった。
 私はお母さんのつくってくれたお弁当。ご飯と卵焼き、焼き鮭、それに茹でたブロッコリー。
「アヤにゃのお弁当、美味しそう。ちょっと交換しようよ」
「いいよ」
 私たちは食事をしながら、あのアプリの話をする。
「アプリ入れた?」
「うん」
 私はエイちゃんに教えてもらったアプリをインストールしておいた。
「未成年はアプリ上では直接メッセージのやりとりや、掲示板への返信ができないんだけど──」
 エイちゃんが説明する。
「成人の認証ができてなくても、掲示板に投稿だけはできるから。そこで希望条件を書いて投稿すれば、見た人が書き込んでくれるから、その中から連絡してみて」
 何か違法なことをしているような気がして、私は怖くなってきた。ただ危なそうだと思ったらやめればいいし、会わなければいい。
 エイちゃんは続ける。
「連絡方法はね。プロフィールを登録するときにね──」
 プロフィールには自分の写真が必要だった。私は自分の写真をのせるのに抵抗があった。
「自分の写真は加工するから平気だよ。任せて」
 何枚かエイちゃんに写真を撮られた。彼女はそのうち一枚を選んで、目元を切って、口元を動物のイラストで加工する。手慣れた様子だった。
「これで『お姉さま』募集を掲示板に書き込むんだけど──」
 お金を払うのが『お姉さま』で、もらう側は『妹』と呼ぶ習慣があるらしい。
 書き込む内容は、会いに行ってもいい場所や地域、可能な曜日や時間帯、食事だけ一万円など希望条件。
「あと使うメッセージアプリの指定ね。緑とか青って書いておけばいいから」
「青とか緑っていうのは?」
「メッセージアプリのアイコンの色だよ。私は青の使ってる。こっちなら何かあったらアカウント消せばいいし。そんで登録用のコードを画像で、プロフィールにのせとくかすれば、向こうから連絡がくるよ。不安だったらその逆で、食いついてきた人の中から、気になった相手のプロフィールにのってる連絡先から登録すればいいよ」
 私はこれがよくないことだと、頭の中ではわかっていたけれど、エイちゃんに教えてもらったとおりにして募集の投稿をした。

   *  *  *

 その後、私の投稿に書き込みしてくれた何人かと、ほかのアプリを使ってメッセージのやりとりをした。
 すぐにいつ会うか、何をするかの話になった。中にはどういう意味かは分からないけれど『ホ別で三万』という連絡もきた。金額の大きさに驚いたけれど、どんな人なのかわからなくて、その人とは気が進まず連絡をやめた。
 ただそのうちの一人、『クロキ』さんという人が、メッセージのやりとりをしていて、なんとなく安心できた。アイコンは茶色に緑の目をした猫の写真。何気ない雑談や、その日食べたランチの写真を送ってきたり、自分のことを話してくれた。
 クロキさんは、二十九歳で会社員。デザイン会社で働いているらしい。
 口元を隠した顔写真も送ってくれた。口は分からないけれど、目鼻立ちのくっきりした美人だった。目が大きくて、猫っぽい顔つきをしているなと思った。肩か背中ぐらいまである長い茶髪のようだった。
 こんな綺麗な人がどうしてこんなことをしているのだろう。気にはなったけれど、聞いてもいいのかためらわれた。
 写真を送ってもらったので、私も同じように写真を送った。制服ではまずい気がしたので、部屋着で目線より少し高めから、インカメラで撮影した。
『お、アヤニャちゃんかわいい! 写真ありがとう』
 私は本名を明かすのが怖くて、『アヤニャ』と偽名を名乗った。
 クロキさんは、年齢は離れているけれど、彼女のメッセージは絵文字やスタンプもたくさん使っていて、緊張が解れた。
 彼女と連絡を取り合って、何気なく私のことも話したり、なんだか楽しくなってきた。
『アヤニャちゃん、妹さんいるんだ! きっとアヤニャちゃんに似て可愛いんだろうな』
 クロキさんにハナちゃんのことを自慢したい気持ちになったけれど、さすがに写真を送ることはためらわれた。
『それで今度の土曜日、アヤニャちゃんご都合はいかが?』
 ついにこの日が来た。いつまでも連絡を取り合って、友達ごっこをしている場合ではない。私はバイトをするために始めたのだから。私は彼女と会うことにした。
『はい、空いてます。ただ遅い時間だと、家のことがあるので、お昼でもいいですか?』
『いいよ! 楽しみ!』
 メッセージアプリでやりとりした感じだと、気さくな感じで話しやすく、優しくて楽しい人という印象だった。
 土曜日、家から電車で三十分ほどのところの、繁華街のある駅で私たちは待ち合わせをした。
 どんな服装で行ったらいいのだろうか。あまり地味な格好で、相手をがっかりさせるようなことがあったら申し訳なかった。
 いつもの私服はシャツにデニムパンツと、シンプルで楽なものを着ているのだけれど、今日はお母さんにフレアスカートを借りて、上にカーディガンを羽織り、少しでも大人っぽく見えるよう意識した。
 待ち合わせは駅から少し離れたコンビニの前。そこはマイナーなコンビニで、周辺にはこの一店舗しかない。
 緊張のせいか喉がかわいたので、飲み物を買ってからコンビニの前でクロキさんを待つ。
 会って食事をするだけで一万円。エイちゃんは当たり前のように言っていたけれど、それが普通ではないことはわかっている。変な手汗をかいてきた。
 約束の時間まであと十分。今ならまだ間に合う。やっぱりなかったことにして、断って帰ろう。けれどそれだとクロキさんを傷つけることになってしまう。
 私は何か取り返しのつかないことをしているのではないか、そんな気分になってきた。
 落ち着かなくて、どうしようとしたのかわからないけれど、私が一歩踏み出したとき、一人の女性がこちら近づいてくるのに気づいた。
 彼女は手を振って、私に笑顔を向けていた。初めて会うのに、彼女は私がアヤニャだと気づいたようだった。
「アヤニャちゃん、お待たせ」
 クロキさんは大きな目を細めて、白い歯をのぞかせて笑う。
 彼女は黒いノースリーブのタートルネックに、白いボレロを羽織り、ベージュのパンツスタイルだった。茶色の髪は後ろで結んであるようだった。背は私と同じぐらいだけれど、ヒールの高い靴を履いていて、一つ目線が上だった。
「クロキさん……?」
「うん、初めまして、って言ったほうがいいのかな? 今日はよろしくね」
「はい」
 クロキさんが変な人ではなく、メッセージでやりとりした時と同じく、気さくな感じで、きれいな人で安心した。
 私たちは近くのファミレスに向かった。前日、何か食べたいものがあるかと聞かれたけれど、食事代も出してくれるらしいので、私はあまり高くないところ、ファミレスとかでいいと伝えた。
 ファミレスに入り席に着くと、クロキさんはボレロを脱ぐ。彼女の肩が露わになった。脇も見えてしまうのが大胆に感じた。
 正面に座って改めて見ると、クロキさんはきつい顔つきの美人だった。けれど笑うと可愛い。
「アヤニャちゃん、何食べる?」
「えっと──」
 クロキさんがテーブルに備え付けられたタブレットを取って、それを私に手渡す。今はこんな感じで注文できるんだと感動してしまった。
 外食なんてずっとしていなかった。土日は地元の友達と遊ぶことはあったけれど、相手の家に行くぐらいで、なるべくお金を使わないようにしていた。エイちゃんとは都合が合わず、まだ休日に会ったことはない。バイトがあると言っていたので、たぶんこの『シス活』をしているのだろう。
「遠慮しないで、なんでも食べていいよ」
 そうクロキさんは言うけれど、いろんなものがありすぎて私は困ってしまった。それをクロキさんは頬杖をつきながら、優しく見守っていてくれた。
「クロキさんは、何食べますか……?」
「何にしようかな。とりあえず、一緒につまめるものいっとこうか」
 私がタブレットを渡すと、クロキさんは慣れた手つきでオーダーを済ませる。堂々としていて頼もしかった。
「そういえばアヤニャちゃんって、学生さん?」
「はい、高校一年です」
「えー、若いなぁ」
「はぁ……」
 実際、クロキさんとは私のお母さんぐらい歳が離れていた。私のお母さんが若すぎるのもあるけれど。
「アヤニャちゃんは、よくシス活しているの?」
 エイちゃんは年上の女性と一緒に食事してお金をもらうことを、『シスター活動』略して『シス活』と呼んでいた。クロキさんもそう呼んでいることから、ありふれて受け入れられている言葉のようだった。
 シスター活動と呼ぶのは、『お姉さま』に奉仕してお小遣いをもらうからだと、エイちゃんが教えてくれた。私の場合、一緒に食事をすることが奉仕になり、その対価にお小遣いをもらうかたちになる。
「いえ、初めて、です……」
「そうなんだ! 私、アヤニャちゃんの最初のお姉さまになれて嬉しい」
「そう、ですか?」
 クロキさんは楽しそうにしていた。
「そういえばアヤニャちゃんは部活とか、何かやっているの?」
「いいえ。家のことがあって、時間がなくて」
「そうなんだ」
 私は会話が途絶えそうになった気がして、必死に言葉をつないだ。
「その、妹がいて。うち母子家庭で、お母さんがいないとき、私が面倒みなくちゃいけなくて……」
 うまく話せている気がしなかった。
 それにクロキさんは優しく微笑んで、見守ってくれる。
「そうなんだ。アヤニャちゃんは偉いね」
「いえ、そんな……」
「ねぇ、このあとは予定あるの?」
「いえ、ないです。夕方までには、帰りたくて……」
「ちょっと行きたいところあるんだ」
 結局お母さんは休みがとれなかったので、ハナちゃんのご飯をつくるために、夕方までには帰りたかった。
 クロキさんは続ける。
「アヤニャちゃんは、サウナとかスーパー銭湯って行ったことある?」
「えっと、ないです」
「えぇ、もったいない。サウナとかお風呂って、美容と健康にいいんだよ」
「そう、なんですか? 私いつも、シャワーばっかりで」
「もったいない! アヤニャちゃん、可愛いんだから。ちゃんとケアしないと」
「え、あ、はい……」
「近くにね、サウナ付きのホテルがあるの。一緒に行こうよ」
「えっと、あの……」
「少し休憩するだけだから。追加でお金も払うよ」
「はい……」
 クロキさんは悪い人じゃないけれど、押しの強い、少し強引なところがあった。

   *  *  *

 ファミレスを出て、クロキさんに連れて行かれた辺りは、なんだか雰囲気が違った。
 その周辺にはいくつもホテルのような建物が密集していた。その中を、クロキさんは迷う様子もなく、まっすぐに目的地へと向かう。
 私たちはどこかお城風の外観をした、テーマパークにありそうな建物の前にいた。
「ここって……?」
「ああ、ラブホテルだよ」
「え──」
 ラブホテルという名前は聞いたことがある。どんなことをする場所なのかも、なんとなく知っている。
「あの、私、そういうことは……」
「あはは、変なことしないよ。このラブホね、サウナ付きなの。それに女同士だし、一緒にお風呂に入るのだって、別に変なことじゃないでしょ? 最近だとラブホ女子会とかあったりするし。カラオケに行ったりするのと同じぐらい普通のことだよ」
「それは……」
「それに私、ネコだから」
「ネコ?」
 確かに猫っぽい顔つきをしている。大きな目に、丸顔で、人懐っこい笑顔。ただそれがどうしたのだろうか。
「ウケってこと」
 受け身ということだろうか。
「追加で三万円出すよ」
「え」
「一緒にサウナに入るだけ。それだけでいいの」
 クロキさんが目を細めて、いたずらっぽく笑う。
 三万円あれば、かなり家計を助けることができる。それにお母さんやハナちゃんの服や美容院代も出せる。余裕ができれば夏休みには家族で温泉旅行に行きたいと思っていた。最後に家族で旅行したのは、私が小学生の頃だから、もう五年以上は行けていない。
「わかりました……」
「ありがとう」
 クロキさんが嬉しそうに笑った。
 正直、女同士でこういった施設に入る意味がよくわからない。クロキさんの言うとおり、女子会に近い感覚なのかもしれない。女子会についても私はふわっとしたイメージしかないけれど、女子だけで集まってランチやお泊まりをするようなイメージがあった。

   *  *  *

 ラブホテルという響きから、薄暗い空間をピンク色の光が照らしているような、なんだかいかがわしいイメージを抱いていたけれど、実際は清潔で高級な感じだった。
 部屋の中には四人も五人も寝られそうな大きなベッド、見たこともないような大きなテレビに、マッサージチェアまであった。壁紙はクリーム色で、壁にかけられたシャンデリアのような照明が白く光っていた。
 クロキさんは休憩三時間で入ったけれど、それでも何万円もするのではないかと心配になった。
「いくらなんですか……?」
「アヤニャちゃんは気にしなくていいよ。全部私が出すから」
「でも……」
「七千円ぐらいだよ。二人でスーパー銭湯に行くぐらいの値段だから、全然気にしなくていいよ」
 クロキさんは気軽に言ってくれるけれど、私にしてみたら大金だった。ただ私が思った金額よりも全然安く、社会人のクロキさんにとってたいした金額ではないのかもしれない。
「それじゃサウナ入ろうか」
 そう言うとクロキさんは服を脱ぎ始めた。
「え、あ……」
 これからサウナに入るのだから、裸になるのは当然だった。
 サウナに入ったことはないけれど、どんなものかは聞いたことがある。熱い蒸気の中で汗をかいて、水風呂で流すというものだった。
「ほら、アヤニャちゃんも」
「はい……」
 クロキさんは脱いだ服をソファの上に無造作に投げ置いた。黒いレースの下着と、彼女の素肌が露わになる。私は息を呑んだ。彼女の引き締まった体に、透けて見えてしまいそうな下着に、お尻に食い込んだショーツ。さすが大人という感じがした。
 それに私は目のやり場に困った。女同士だけれど、お母さん以外の大人の女性の裸を見るのは初めてだった。私は自分の服を脱ぐのさえためらっているのに、クロキさんは堂々としていて、その整った体を惜しげもなくさらしていた。
 そもそも私たちは今日初めて会ったのに、いきなりこんなことになって、頭が現実に追いつかなかった。どうしてこんなことになってしまったのだろう。支離滅裂で脈絡のない展開の続く夢を見ているような、奇妙な浮ついた気分だった。
 クロキさんは少しも恥ずかしがる素振りを見せない。いつもこんなことをしていて慣れているのか、大人だから平気なのか、私のことなんて子供あつかいしているのか。
 それでも私は裸を見られるのが恥ずかしくて、脱ぐのをためらっていると、クロキさんがどこからか取り出したバスタオルを渡してくれる。
「準備できたら来てね」
 クロキさんは先に、おそらくバスルームへ向かう。
 私は仕方なく服を脱ぎ、カゴがあったので、それに畳んで入れておいた。それからタオルを体に巻いて、バスルームへと向かった。
 バスルームは部屋のずっと奥にあるようで、その手前にガラス張りの休憩室のような場所があった。
 ちょうど奥のバスルームから、濡れた体を拭きながら、クロキさんが出てきた。
「先にシャワー浴びてきて。浴槽には水風呂張ってるから、間違えて入らないようにね」
「はい……」
 クロキさんは上機嫌で楽しそうだった。
 女同士で恥ずかしがるのは、どこか私が自意識過剰なのだろうか。
 そもそもクロキさんは何が目的なのだろうか。勝手に、女友達をつくるのが目的と思っていたけれど、それならこんなにお金を使うのがわからない。
 三万円も払って、それにホテル代まで出して、私の裸が見たいというわけではなく、一緒にサウナに入りたがっている。どのみち裸のようなものなのだから、同じことなのかもしれないけれど。
 私は少しずつ取り返しのつかないことをしている気分になったけれど、クロキさんの気を悪くさせたくないので従った。
 シャワーを済ませて、私が戻ると、ガラス張りの部屋の前にクロキさんがいた。
 クロキさんは髪をタオルで巻いていた。
「髪の毛、傷まないようにタオル巻いた方がいいよ」
 私はフェイスタオルを渡され、それを同じように頭に巻いた。
「それじゃ入ろうか」
 ガラス張りの部屋が、クロキさんの言うサウナだった。
 私はクロキさんに促され、その部屋の中に入る。中はとても蒸し暑かった。少し息が苦しい。ただ耐えられないほどではなかった。
 部屋の中には木製のベンチと、石が敷き詰められた縦長のカゴが一つあった。ベンチの上には水と柄杓の入った桶が置いてある。
「座って」
「はい……」
 クロキさんがベンチに、マットのようにタオルを敷く。その上に私は座った。その隣にクロキさんも座る。
 私ははだけないように体に巻いたバスタオルを握っていたけれど、クロキさんは相変わらず、惜しげもなくその裸体をさらしていた。彼女の肌に、汗か、水滴が浮かんでいた。私もほんの少ししか経っていないのに、首の後ろに汗がにじんでくるのを感じた。
「今の温度が八十度ぐらいかな」
「そんなに⁉︎」
 夏の四十度で死んでしまいそうなのに、その二倍もある。
「平気なんですか……?」
「水だったら火傷するかもしれないけど、空気は熱が伝わりにくいから、少しの間なら平気。じっくり時間をかけて入ることで、発汗作用や血行がよくなることで、美容や健康にもいいし、ストレスの解消にもなるんだよ」
「そう、なんですか……」
 確かにクロキさんの肌には艶があって、若々しかった。
 とはいえあまり長く入っていてもいいものか迷った。初めて入ることもあり、自分の限界がよく分からなかった。
 不意にクロキさんが柄杓をとって桶の水をすくう。それを石の積まれたカゴの上にかざす。ゆっくりと柄杓を傾けると、水が細く流れ落ちて、石にかかると音を立てて蒸発した。フライパンで何か水気のあるものを炒めた時と似た音だった。
 二回ほどかけると、クロキさんはその上でフェイスタオルを円を描くように振り回す。それに合わせて彼女の、形のいい小ぶりな胸が揺れた。それに合わせて熱い風が吹いてくる。
「ロウリュっていうんだけどね、サウナストーンに水をかけて、水蒸気で室温をあげるの。その水蒸気をタオルであおって、熱風を送るのをアウフグースっていうんだよ」
「クロキさん、詳しいですね」
「仕事終わりとか、週末はよくサウナに行ってリフレッシュするんだ」
「そうなんですか……」
 私は熱くて頭がぼんやりしてきた。
 クロキさんは慣れているようで平然としている。
「あの……」
「なに?」
「そろそろ……」
「初めてだもんね。上がったらシャワーで汗を洗い流して、水風呂に入ると気持ちいいよ」
「はい……」
 私は先にサウナ室を出て、浴室に向かう。
 正直初めてのサウナは熱くて苦しかった。ただ汗をかいて、すっきりした気がしないでもなかった。
 私はシャワーを浴びて、それから虹色に光っている、ブクブクと泡立っている浴槽に片足を入れた。ひんやりして、ちょっと気持ちよかった。腰まで入ってみる。真夏にプールに入ったような気持ちよさだった。そのまま肩まで浸かり、寒くなったところであがった。
 浴槽を出たところで、私は耳鳴りに襲われた。視界もやけに暗くなる。
「あれ……」
 貧血を起こしたときのようだった。私はうまく立っていることができず、膝をついて、四つん這いになった。
 すごい吐き気がする。どくどくと心臓の音がうるさかった。
「アヤニャちゃん⁉︎」
 クロキさんの声だった。
「平気? どうしたの?」
「なんか、貧血、みたいで……」
「とりあえずベッドに行こう」
「はい……」
 私はクロキさんに抱き起こされ、彼女の体にすがりついた。

   *  *  *

 私はクロキさんに支えられて、ベッドに寝かされ、全裸で仰向けになっていた。
 クロキさんに裸を見られて、恥ずかしいと思っている余裕もなかった。
「急激に体温が上下して、それで貧血になったんだと思うの。軽い貧血だと思うから、少し休めば治るよ」
「すみません、ご迷惑をおかけして……」
「いいのいいの。こっちこそごめんね。無茶させちゃって」
 クロキさんは私の手を握って、隣にいてくれた。裸のまま私の隣で寝そべって、上体を起こして私のことを見守っていてくれた。
 少しして、耳鳴りや気持ち悪さは治まってきたけれど、まだ目の前が薄暗かった。
「どう、具合は?」
「少し、よくなってきました」
「よかった」
 クロキさんが優しく笑う。その目線が下に動いた。
「アヤニャちゃんって、けっこう胸あるよね」
「え、そんなには……」
 お母さんの方が大きいし、たぶんエイちゃんよりも小さい。ただクロキさんの小ぶりで整った胸に比べたら、私の方が少し大きいかもしれない。
 クロキさんは気を紛らわそうと、話題を振ってくれたのかもしれないけれど、少し嫌だなと思ってしまった。
 不意にクロキさんの手が、私の胸に触れた。
「え──」
「柔らかくて弾力がある。若いっていいなぁ」
「あ、あの──」
「手に吸いつく感じが気持ちいいな。ずっと触ってたいかも」
 クロキさんは私の胸を揉みながら笑っていた。確かに女子同士、ふざけて胸を触ったりすることもあるけれど、こんな直接触ることはないと思う。悪ふざけにしても、これはやりすぎではないだろうか。
「や、やめてください……」
「いいじゃない。ちょっとぐらい」
 クロキさんは身を乗り出すと、私の胸に頭を垂れる。私の右胸を撫でたり揉みながら、左の胸の先に口付けをした。
「あっ──」
 私は思わずそのむず痒い痛みに体が震えた。
 クロキさんの舌が私の胸の先を舐める。舌先を尖らせて、突っつき回し、転がす。右胸を揉む指も、指と指の間で、私の胸の先を挟んでいた。
「や、やだ……んっ……あ……」
 私は逃れようと、起き上がろうとしたけれど、クロキさんの体に押さえつけられてできなかった。
「やだ……やめてください……」
「ふふふ」
 クロキさんは笑う。彼女の吐息が、唾液で濡れた私の胸の先に触れてくすぐったかった。
 ようやくクロキさんが私の体から離れる。
「ひどいです……どうしてこんな……」
「アヤニャちゃんが可愛いからだよ」
 クロキさんの手が、私の股の間の、割れ目に触れた。
「ひゃっ⁉︎」
 もうこれが悪ふざけではないことは私にもわかった。
 私が逃れようと、体を起こして腰を引くと、クロキさんは肘を私のお腹にめり込ませた。
「うぐっ⁉︎」
 痛みよりも、突然の暴力に私は怖くなって涙が出てきた。
「おとなしくしてて」
 クロキさんは変わらず笑顔だった。
 私はどうすることもできなくて、クロキさんに逆らうことができなかった。
 彼女の指が再び私の割れ目に触れると、その輪郭をなぞり、内側へと滑り込んでくる。
「や、やだ……お願いです……やめてください……」
 クロキさんが何をしようとしているのか、ようやく私はわかった。こんな無理矢理、許されることじゃない。けれどクロキさんに逆らって、また暴力を振るわれるのが怖くて、私はどうすることもできなかった。
 クロキさんの指が私の内側をなぞり、何度も行き来した。こすれて痛かった。それだけでなく、何かが私の中を這い上がってくるような、ぞわぞわとした気持ち悪い感じがした。
 涙で鼻が詰まる。喉がつっかえて、胸が締めつけられて、うまく息ができない。
 不意にクロキさんが指を離し、それを私に見せる。
「濡れてきたね」
 クロキさんは笑っていた。
 私は情けなくて恥ずかしい気持ちになった。
 防御反応で濡れることは、保健体育で習った。それでも私は悔しかった。
 クロキさんの指が私の中に入ってくる。
「ん……くっ……」
 体の内側を抉られるような、木の枝を突っ込まれるような気分だった。
 初めてではないけれど、誰かの指が入ってくるのが気持ち悪い。
 クロキさんは指を抜き差しする。そのたびに声が漏れそうになって、私は顔を覆って堪えた。それでも鼻から息が漏れてしまう。
「んっ……ん……」
 クロキさんの荒い息が胸に吹きかけられたかと思うと、私の胸の先を噛む。
「いたっ……!」
 噛みちぎられてしまうのではないかと怖くなった。下腹部がぎゅっと締めつけられるような、おしっこが漏れそうな感覚がした。
 お風呂上がりに体が冷えるとトイレに行きたくなることがあった。サウナのあとに水風呂に入ったから、それで体が冷えて、尿意があるのかもしれない。
「あの、待ってください……トイレに、行かせて……!」
「駄目~」
 クロキさんの声音は楽しげだった。
 私の体の変化に気づいたのか、クロキさんは指の腹で、私の中を上に向かって押す。小刻みに何度も、こするように、抉るように。
「あっ……うっ……」
 気持ちいいとは思わない。ただなんだかよくわからない、むず痒くて痛くて、頭の中をぐちゃぐちゃにかき回されているような気分になった。
「アヤニャちゃん、イきそうなんだね。私の指、パクパク咥えて可愛い」
「ああっ──」
 突然、まるで感電したみたいに、全身が痛いぐらいに引きつると、同時に私はおしっこを我慢することができなくて漏らしてしまった。
 それをクロキさんは笑っていた。
「アヤニャちゃん、イっちゃったね。おしっこまで漏らしちゃって。可愛い」
 そうからかうような言葉に、私は悔しくて恥ずかしかった。
 クロキさんの指が引き抜かれる。私はまた入れられないように、体をよじって横になり、股を閉じた。そのまま顔を覆って泣いた。
「ひどいです……こんな……無理矢理……」
「ごめんねぇ、アヤニャちゃんが可愛くてつい」
 クロキさんの声音は少しも悪びれた様子はなかった。まったく悪いと思っていないことは、私が泣いているのに、私のお尻を撫でていることからわかった。
「多めに払うから許して」
 そういう問題ではない気がした。だってこれはレイプだ。私はクロキさんに犯された。
「はい、これ」
 紙で肩を叩かれた。私はそれが何かを見ると、思わず息を呑んだ。
 わざと扇形に広げられたそれを、目だけで数えてみると、五万円あった。その後ろでクロキさんは笑っている。それよりも私はその五万円に目が釘づけだった。
 私はそれを受け取ってはいけない気がした。同時にここまでされたのだから、当然受け取る権利があると思う私がいた。
 いくつもの葛藤が私の中にあったけれど、気づくと私はクロキさんからお金を受け取っていた。同時に、こんなことでこんなにもらえるんだ、そう思ってしまった。
「ねぇ、アヤニャちゃん、また会ってくれるよね」
 また会えば、同じだけもらえるのだろうか。
「アヤニャちゃん、お金が必要なんでしょ。家族のために」
「はい……」
「確かに私はアヤニャちゃんにひどいことしたけど、どうせ遅かれ早かれ、ほかの人も同じことをするに決まってるし、もしかしたらもっとひどいことや、危ないことをされるかもよ? 私だけにしたほうが安全だよ」
 もうこんなこと二度としないという思いもあるけれど、こんなことでこんなにもらえるのなら、ハナちゃんの服やお小遣いだけでなく、お母さんの負担を減らして、楽にしてあげることができる。
「それにね、咲良綾奈ちゃん」
「え──」
 どうして私の名前を知っているのだろうか。
「お財布の中に学生証と定期券、入ってたよ。さっきアヤナちゃんがシャワー浴びている時に見ちゃったんだ」
 私はまたおしっこを漏らしそうになってしまった。
「こんなこと、学校や家族に知られたら困るよね」
「はい……」
「また会ってくれるよね?」
「はい……」
「やったー! 嬉しい!」
 クロキさんは手を叩いて喜んでいた。私は暗く沈んだ気持ちになった。
「美味しいご飯も食べさせてあげる。一日デートとかしよう。ちゃんとお小遣いもあげるから」
 クロキさんは私の気持ちなんて少しも気にかけず、一方的にそんなことを言っていた。
 彼女と会うということは、またこんなこともするのだろう。名前も住所も、学校も知られて、私が断れるわけがなかった。
 それを分かっていて、クロキさんは喜んでいる。
 こんなこと、なんでもないことだから。女同士で、特別なことでも、意味のあることでもない。私は何も失っていない。何の意味もない行為に、彼女が勝手にお金を出しているだけだ。
 私はそう思うことにした。

   *  *  *

 それから週末になると、私はクロキさんに呼び出された。
 高級そうなレストランや、おしゃれな喫茶店に連れて行かれた。
 私はほとんど相槌を打つだけだったけれど、クロキさんは一方的に話すだけで楽しそうだった。結局そのあとはホテルに行く。
 ある日は──
「教えてあげるから、私がしたことを私にもして」
 私はクロキさんに股の間を舐められ、それから私も同じように彼女の性器を舐めさせられた。抵抗はあったけれど、拒むと、殴られたり、乳首をつねられたりするので、私は逆らうことができなかった。
「四つん這いになって。お尻、もう少し高くあげて」
 ある時は四つん這いにさせられ、後ろからクロキさんに舐められて、指で中をいじくり回された。それと同じように、四つん這いになったクロキさんのを、後ろから舐めさせられたこともあった。
「そう、そこ。ふふ、上手くなったね」
 クロキさんの前にひざまずいて、一時間以上、舐めさせられたこともあった。
「本当は私、ネコなんだけど、アヤナちゃんのせいでタチに目覚めたかも」
 私が泣いて叫んで助けを求めても、手足を縛られ、何時間も責められたこともあった。何度もイかされて、その私の様子を彼女は楽しんでいた。
 今日も私たちはいつものように駅前で待ち合わせをした。
 クロキさんは私の腰に手を回して逃げられないようにする。彼女は何かあっても何もなくても、べたべた私に触ってくる。
「ちゃんとこの前あげたの着てきた?」
 クロキさんは私の耳元で言った。
「はい……」
「いい子」
 それに嬉しそうに笑っていた。
 クロキさんは食事以外に、私に服やアクセサリーを買い与えようとしてきた。家族に気づかれたり、何かを疑われるのが嫌で断った。しかし前回会った時に、帰り際に渡されたものがあった。
「次に会うときに着てきてね」
 それを断ることができないのは、彼女の目を見てわかった。クロキさんが私に命令するとき、その大きな瞳で、じっと私の目を見てくる。それを断った場合、痛いことをされる。だから私は従うしかなかった。
「今日はロングコースね。お腹空いたら出前とっていいよ。夜は外で何か食べていかない?」
「すみません……家に帰らないといけないので……」
 今日は食事なしで、私たちはラブホテルに向かった。
 正直、彼女と食事をするのは気が重かったので、食事がなくなってよかったと思った。ただホテルでの時間が長くなる。果たしてどちらがマシなのかわからない。
「残念。でもその分、たっぷり楽しませてもらうから。今日はいろいろ持ってきたんだ」
「え……?」
 私は不吉な予感がした。
 クロキさんは、私をいたぶったあと、同じことを自分にもさせる。今日はいったいどんなことをするつもりなのだろうか。
 震える私の手を握って、クロキさんがホテルのエントランスに進もうとした。その時、シャッター音が聞こえた。
 カシャカシャカシャ──と、スマートフォンのカメラで撮影する、わざとらしい音だった。
「あ、連写になってた」
 私は違和感に音の方を見た。クロキさんも驚いて振り返っていた。
 そこにはスマートフォンをこちらに向けている少女がいた。
「あ、こっち向いてくれた。そのまま目線ください」
 少女は画面を見ながら笑っていた。再びシャッター音が何度も鳴る。私たちのことを撮影しているようだった。
 どうしてそんなことをしているのか。それよりも、私は彼女に見覚えがあった。急いで顔を隠したけれど、もう手遅れかもしれない。
「ちょっとあなた、なんのつもり⁉︎」
 クロキさんは私の手を離して、彼女に詰め寄る。
 それに少女はスマートフォンを下ろして、色素の薄い琥珀色の瞳を細めて微笑んでいた。小顔の、人形のような女の子。エリザちゃん──妹のハナちゃんの友達。どうして彼女がここにいて、私たちの写真を撮影したのか。
 理由はわからないけれど、彼女にこのことを知られて、私はもうどうしたらいいのかわからなくなった。
 エリザちゃんは迫るクロキさんに臆した様子もなく、いつもの微笑みを浮かべていた。
「警察に通報しようかな。未成年淫行の現行犯で」
「や、やめなさい!」
「同性でも、未成年との性行為は犯罪ですよ」
「誰なのあなた? 私のこと脅すつもり?」
 クロキさんがエリザちゃんのスマートフォンを奪い取ろうとする。
 それをエリザちゃんは軽やかに避けた。
「暴行傷害もつけたいんですか? 欲張りですね」
「この──」
「撮ってるのは私だけじゃないですよ」
 その言葉に、私もクロキさんも辺りを見回した
 離れたところにもう一人、じっとスマートフォンを構えている少女がいた。私は彼女に見覚えがあった。確か姫山鞠依ちゃん。
「動画で全部撮ってます。これ、ネットにアップしちゃおうかな」
 クロキさんは二人を交互に見て、尻込みしていた。
「お願い、やめて……」
「いいですよ。それじゃ、示談ということで」
「はぁ?」
「あなたが連れ込もうとしていた彼女、私の大切な人のお姉さんなんです。私もその人もすごく傷つきました。慰謝料を払ってください」
「え、もしかしてこれって……アヤナちゃん、美人局だったの……?」
 クロキさんが責めるような目で私を見た。
「え、私……知らない……」
 それにエリザちゃんが答える。
「いいえ。最近、帰りの遅い彼女のことを心配して、あとをつけていたら。まさかこんなことになっていたとは。本当に悲しいです」
 エリザちゃんは泣いてもいないのに、わざと目元を拭う素振りを見せた。
「いくらよ……」
 クロキさんは諦めて、彼女の要求に応じるようだった。
「百万円」
 エリザちゃんが笑った。色素の薄い瞳を細めて、牙のような八重歯をのぞかせて。
「はぁ?」
「百万円でいいですよ。大した額じゃないですよね? あなたにとって」
「ふざけないでよ、そんな大金……」
「だって彼女には会うたびに何万もお金を払っていたわけですよね? もう何十万円ぐらい払ったんですか? そう考えたら、たった百万円で社会的な破滅を回避できるんだから、お得だと思いませんか?」
「そんな大金、今すぐ用意できない……」
「いいですよ、分割で。その代わりあなたの連絡先を教えてください。場合によっては彼女の保護者の方を同伴して、お会いしましょう」
「分かった! 今すぐ払うから!」
「ああ、よかった。わかってくれて。それじゃマリーちゃん、回収お願い。私はお姉さんを保護するから。百万円が確認できた時点で写真や動画は消すので安心してください。もし途中で逃げたり、ごねたらすぐに拡散しますので。私たちを殺しても無駄ですよ。もう一人いるので」
 クロキさんは慌てて周囲を見回す。
「こんなすぐそばにいるわけないでしょ。もう一人にはデータのバックアップをお願いしているから。もしも私たちの一人でも戻らなければ、その時点で通報、拡散するので」
 エリザちゃんが私のそばに寄り、手を引いた。
「それじゃ、お姉さん、行こう。マリーちゃん、回収お願いね。あと通話状態にしておいてね。それともテレビ通話で配信してもらおうかな」
「やめて! 逃げたりしないから!」
「残念、面白そうなのに。じゃあ通話にしておいてね」
「わかった」
 マリーちゃんがクロキさんからスマートフォンを外して言う。
「早くして」
 それにクロキさんは不快そうに顔を歪め、歩き出す。
 私はエリザちゃんに手を引かれて、その場を離れた。
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