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第七話③
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帰り道、ちょうどお姉ちゃんと一緒になった。並んで歩くと、お姉ちゃんは私より頭ひとつぐらい背が高い。高校の制服も、今は夏服でブラウスの上にベストを着ているけど、ネクタイをしているのに大人びた感じがした。こうして隣に並んで歩くと、お姉ちゃんがかっこよく見えて、胸がどきどきした。
「あれ、今日はエリザちゃんと一緒じゃないんだ」
「うん……」
不意にお姉ちゃんに頭をなでられた。エリザちゃんに触れられるのは嫌だけれど、お姉ちゃんに触れてもらえるのは嬉しかった。
もしも好きな人と付き合えるのなら、恋人になれるのなら、お姉ちゃんがよかった。
「ヘアピン、可愛いね。似合ってるよ」
「うん……」
それに私は、気分が暗くふさぐのが分かった。
お姉ちゃんに言われて、私は素直に喜べなかった。
初めて友達からもらった誕生日プレゼント。私は嬉しくてつけているわけではなく、怖くてつけていた。
本当はつけたくない。けれど、つけなければエリザちゃんに怒られてしまう。
帰宅すると、玄関に、見覚えのある靴があった。私と同じ学校の靴。
「え、どうして……」
「ハナちゃん、おかえり」
その声に、私は信じたくなかった。
「あれ、エリザちゃん、来てたんだ」
「はい。お姉さんもおかえりなさい」
「ただいま」
エリザちゃんだった。エリザちゃんはエプロンを前にかけていた。
エリザちゃんは私と一緒に帰らなくても、私の家にいた。鍵はもっていないから、お母さんに開けてもらったのだろう。私は家族を人質にとられたような気がした。
「お母さんに料理を教えてもらおうと思って。私もハナちゃんに、美味しいご飯をつくってあげたいの。もちろん、お姉さんにも」
「エリザちゃんありがとう」
そう照れくさそうに笑うエリザちゃん。その言葉にも、仕草にも、どこにも悪意が感じられなかった。
私は少しずつ殺されていく。エリザちゃんの愛情で。
エリザちゃんは一欠片の悪意もなく、彼女の中の愛情で人を殺せるんだ。
「二人ともおかえりなさい」
「お母さん、ただいま」
お母さんは少し疲れている感じがした。せっかくのお休みだったのに、エリザちゃんに料理を教えるのに疲れてしまったのかもしれない。エリザちゃんは料理が下手だから。そう思うと、エリザちゃんに対して、怒りのような気持ちがわいてきた。
私にだけなら我慢できるけど、私の家族に迷惑をかけないでほしい。
しかしそのことをエリザちゃんになんて言えばいいだろうか。私の家族に近づかないでほしい。そう言ったら、どうなってしまうのだろうか。
* * *
久しぶりにお母さんのつくってくれた夕飯なのに、エリザちゃんが手伝ったと思うと、なんだか嫌な気持ちになった。
夕飯はカレーライス。ニンジンとジャガイモが入っている。その上にゆで卵がのっていた。そのゆで卵は、殻だけでなく、身も破れたりボロボロだった。
「私が殻むいたんだけど、失敗しちゃった……」
エリザちゃんが落ち込んだ様子で言った。
「全然、平気だよ! エリザちゃん、頑張ったね」
お姉ちゃんは楽しそうに笑っていた。
エリザちゃんは学校がおわればいつも家にくる。お姉ちゃんたちが帰ってくるまで、私の体をもてあそぶ。夕飯も一緒に食べていく。夜になればやっと帰ってくれるけれど、朝になればまた私を迎えにくる。
このままどんどん私の日常が、生活が、人生が、エリザちゃんに奪われていく気がして怖かった。
でもそんなことを二人には言えない。
「今度ダリアちゃんとマリーちゃんも誘ったら? あ、でも椅子がないし、うち狭いからな……」
「あ、それなら今度、たこ焼きパーティしませんか? 私、前に三人で、ダリアちゃんのおうちでやったことがあるの。椅子も、組み立てるタイプのあったと思うから、それを持ってくれば六人で座れますよ」
そこでお母さんは、少しぼんやりした様子で言う。
「それなら私のいない日に、アヤちゃんの勉強机の椅子で五人でやったら?」
「いいえ。お母さんも一緒の日がいいな。ハナちゃんの家族三人と、私と私の友達の三人で一緒に過ごせるなんて、すごい楽しみ。そんな素敵なことが実現できたら、きっとすごく幸せな気持ちになれるわ」
「エリザちゃん、大げさだなぁ」
そうお姉ちゃんは笑った。
お母さんも、お姉ちゃんも楽しそうだった。
エリザちゃんには一欠片の悪意もない。それがしたいだけだと分かっている。ただ砂村さんや姫山さんまで私の家族と接点を持つのは、なんだか不安だった。
エリザちゃんは私が恋人になって、まだ満足していないのだろうか。これ以上、私に何を求めるつもりなのだろうか。
「それじゃいつにする? あ、でも私、バイト始めるから、もしかしたら無理かも」
初耳だった。お母さんは少し怒ったような顔をしていた。お母さんは知っていたのかもしれない。
「なんのバイトですか?」
「えっと、高校の友達がやってて、私がバイト探してるって話したら、一緒にやろうって……」
「そうなんですか。それで、どんなことするんですか?」
「うーん、内緒」
「えー、教えてください」
エリザちゃんが甘えたような声で言った。
「教えたら、絶対見に来るでしょ。まだ秘密」
「いつか絶対に教えてくださいね」
「はいはい」
私はお姉ちゃんが秘密にしてくれてよかったと思った。
もしコンビニや、ファミレスとかだったら、エリザちゃんに知られたら、絶対に邪魔しにいきそうだった。
私もお姉ちゃんが何のアルバイトをするのか気になったけれど、聞くのを我慢した。
お母さんがお姉ちゃんを、少し責めるような声音で言う。
「それで週に何回ぐらいバイトするつもりの?」
「基本は土日。平日は、お母さんが休みの日に入ろうかなって。なるべくハナちゃんが一人で留守番にならないように」
「そう……」
お母さんはあまりお姉ちゃんがアルバイトすることに賛成じゃないようだった。
「土日も、どっちかお母さん休めない? 私もバイトするから、お母さんシフト減らしたら?」
「アヤちゃんのバイト代は自分のことに使いなさい」
「ダメ! お母さん、全然休めてないじゃん。ハナちゃんも中学生になったんだから、一人でもしっかりしないとだし」
今この家で家族に負担をかけているのは私だ。私は肩身の狭い気持ちになった。はやく私も高校生になってアルバイトして、お母さんやお姉ちゃんの負担を少しでも減らしたい。ただ私なんかに仕事ができるとは思えないけれど。
「それなら私がハナちゃんと一緒にいるから、お姉さんは安心してください」
「ありがとう、エリザちゃん。エリザちゃんがいてくれると安心だな。今度、何かごちそうするね」
「いえ、お姉さんにもお母さんにも、いつも美味しい料理を食べさせてもらっているので。また私に料理を教えてください」
「あぁ、エリザちゃん、本当にいい子。うちの子になっちゃえば?」
「はい、ぜひ」
エリザちゃんはにっこり笑った。それから私に肩を寄せて、ささやくように耳元で言う。
「ねぇ、ハナちゃん。今度二人で、お母さんとお姉さんに料理つくってあげよ? そしたら二人もきっと安心だよね」
「うん……」
「土日は一緒に勉強しよう」
私はぞっとした。エリザちゃんにしてみれば、休日も私と一緒にいる口実が与えられたようなものだった。
エリザちゃんがお姉ちゃんのアルバイトに興味を示したのは、お姉ちゃんがいない日を知るためだったのかもしれない。
「あれ、今日はエリザちゃんと一緒じゃないんだ」
「うん……」
不意にお姉ちゃんに頭をなでられた。エリザちゃんに触れられるのは嫌だけれど、お姉ちゃんに触れてもらえるのは嬉しかった。
もしも好きな人と付き合えるのなら、恋人になれるのなら、お姉ちゃんがよかった。
「ヘアピン、可愛いね。似合ってるよ」
「うん……」
それに私は、気分が暗くふさぐのが分かった。
お姉ちゃんに言われて、私は素直に喜べなかった。
初めて友達からもらった誕生日プレゼント。私は嬉しくてつけているわけではなく、怖くてつけていた。
本当はつけたくない。けれど、つけなければエリザちゃんに怒られてしまう。
帰宅すると、玄関に、見覚えのある靴があった。私と同じ学校の靴。
「え、どうして……」
「ハナちゃん、おかえり」
その声に、私は信じたくなかった。
「あれ、エリザちゃん、来てたんだ」
「はい。お姉さんもおかえりなさい」
「ただいま」
エリザちゃんだった。エリザちゃんはエプロンを前にかけていた。
エリザちゃんは私と一緒に帰らなくても、私の家にいた。鍵はもっていないから、お母さんに開けてもらったのだろう。私は家族を人質にとられたような気がした。
「お母さんに料理を教えてもらおうと思って。私もハナちゃんに、美味しいご飯をつくってあげたいの。もちろん、お姉さんにも」
「エリザちゃんありがとう」
そう照れくさそうに笑うエリザちゃん。その言葉にも、仕草にも、どこにも悪意が感じられなかった。
私は少しずつ殺されていく。エリザちゃんの愛情で。
エリザちゃんは一欠片の悪意もなく、彼女の中の愛情で人を殺せるんだ。
「二人ともおかえりなさい」
「お母さん、ただいま」
お母さんは少し疲れている感じがした。せっかくのお休みだったのに、エリザちゃんに料理を教えるのに疲れてしまったのかもしれない。エリザちゃんは料理が下手だから。そう思うと、エリザちゃんに対して、怒りのような気持ちがわいてきた。
私にだけなら我慢できるけど、私の家族に迷惑をかけないでほしい。
しかしそのことをエリザちゃんになんて言えばいいだろうか。私の家族に近づかないでほしい。そう言ったら、どうなってしまうのだろうか。
* * *
久しぶりにお母さんのつくってくれた夕飯なのに、エリザちゃんが手伝ったと思うと、なんだか嫌な気持ちになった。
夕飯はカレーライス。ニンジンとジャガイモが入っている。その上にゆで卵がのっていた。そのゆで卵は、殻だけでなく、身も破れたりボロボロだった。
「私が殻むいたんだけど、失敗しちゃった……」
エリザちゃんが落ち込んだ様子で言った。
「全然、平気だよ! エリザちゃん、頑張ったね」
お姉ちゃんは楽しそうに笑っていた。
エリザちゃんは学校がおわればいつも家にくる。お姉ちゃんたちが帰ってくるまで、私の体をもてあそぶ。夕飯も一緒に食べていく。夜になればやっと帰ってくれるけれど、朝になればまた私を迎えにくる。
このままどんどん私の日常が、生活が、人生が、エリザちゃんに奪われていく気がして怖かった。
でもそんなことを二人には言えない。
「今度ダリアちゃんとマリーちゃんも誘ったら? あ、でも椅子がないし、うち狭いからな……」
「あ、それなら今度、たこ焼きパーティしませんか? 私、前に三人で、ダリアちゃんのおうちでやったことがあるの。椅子も、組み立てるタイプのあったと思うから、それを持ってくれば六人で座れますよ」
そこでお母さんは、少しぼんやりした様子で言う。
「それなら私のいない日に、アヤちゃんの勉強机の椅子で五人でやったら?」
「いいえ。お母さんも一緒の日がいいな。ハナちゃんの家族三人と、私と私の友達の三人で一緒に過ごせるなんて、すごい楽しみ。そんな素敵なことが実現できたら、きっとすごく幸せな気持ちになれるわ」
「エリザちゃん、大げさだなぁ」
そうお姉ちゃんは笑った。
お母さんも、お姉ちゃんも楽しそうだった。
エリザちゃんには一欠片の悪意もない。それがしたいだけだと分かっている。ただ砂村さんや姫山さんまで私の家族と接点を持つのは、なんだか不安だった。
エリザちゃんは私が恋人になって、まだ満足していないのだろうか。これ以上、私に何を求めるつもりなのだろうか。
「それじゃいつにする? あ、でも私、バイト始めるから、もしかしたら無理かも」
初耳だった。お母さんは少し怒ったような顔をしていた。お母さんは知っていたのかもしれない。
「なんのバイトですか?」
「えっと、高校の友達がやってて、私がバイト探してるって話したら、一緒にやろうって……」
「そうなんですか。それで、どんなことするんですか?」
「うーん、内緒」
「えー、教えてください」
エリザちゃんが甘えたような声で言った。
「教えたら、絶対見に来るでしょ。まだ秘密」
「いつか絶対に教えてくださいね」
「はいはい」
私はお姉ちゃんが秘密にしてくれてよかったと思った。
もしコンビニや、ファミレスとかだったら、エリザちゃんに知られたら、絶対に邪魔しにいきそうだった。
私もお姉ちゃんが何のアルバイトをするのか気になったけれど、聞くのを我慢した。
お母さんがお姉ちゃんを、少し責めるような声音で言う。
「それで週に何回ぐらいバイトするつもりの?」
「基本は土日。平日は、お母さんが休みの日に入ろうかなって。なるべくハナちゃんが一人で留守番にならないように」
「そう……」
お母さんはあまりお姉ちゃんがアルバイトすることに賛成じゃないようだった。
「土日も、どっちかお母さん休めない? 私もバイトするから、お母さんシフト減らしたら?」
「アヤちゃんのバイト代は自分のことに使いなさい」
「ダメ! お母さん、全然休めてないじゃん。ハナちゃんも中学生になったんだから、一人でもしっかりしないとだし」
今この家で家族に負担をかけているのは私だ。私は肩身の狭い気持ちになった。はやく私も高校生になってアルバイトして、お母さんやお姉ちゃんの負担を少しでも減らしたい。ただ私なんかに仕事ができるとは思えないけれど。
「それなら私がハナちゃんと一緒にいるから、お姉さんは安心してください」
「ありがとう、エリザちゃん。エリザちゃんがいてくれると安心だな。今度、何かごちそうするね」
「いえ、お姉さんにもお母さんにも、いつも美味しい料理を食べさせてもらっているので。また私に料理を教えてください」
「あぁ、エリザちゃん、本当にいい子。うちの子になっちゃえば?」
「はい、ぜひ」
エリザちゃんはにっこり笑った。それから私に肩を寄せて、ささやくように耳元で言う。
「ねぇ、ハナちゃん。今度二人で、お母さんとお姉さんに料理つくってあげよ? そしたら二人もきっと安心だよね」
「うん……」
「土日は一緒に勉強しよう」
私はぞっとした。エリザちゃんにしてみれば、休日も私と一緒にいる口実が与えられたようなものだった。
エリザちゃんがお姉ちゃんのアルバイトに興味を示したのは、お姉ちゃんがいない日を知るためだったのかもしれない。
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