私を支配するあの子

葛原そしお

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第三話⑤

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 夕方になるとお姉ちゃんが帰ってきた。お母さんが帰ってくるのはまだ先。
 私は玄関まで迎えに行く。それにエリザちゃんもついてきた。
「お姉ちゃん、おかえり」
「ただいま──」
 お姉ちゃんは買い物袋を提げていた。私はそれを受け取る。お母さんの働いているスーパーで買ってきた、夕飯の材料が入っている。そこで買い物すれば少しだけ割引される。
「あ、エリザちゃん、遊びにきてくれたんだ」
「はい、お邪魔しています」
「なにもなくてごめんね」
「いいえ。ハナちゃんがいるから」
 そう言ってエリザちゃんは私の肩に頭をのせる。
 お姉ちゃんの前でやめてほしいけれど、突き放すわけにもいかなかった。
「二人、仲良いねぇ」
「はい」
 お姉ちゃんが嬉しそうに私たちを見ていた。
 私に友達がいることでお姉ちゃんが嬉しいのなら私は我慢する。
「ハナちゃん、これから夕飯の準備するけど──」
「あ、それじゃ私、帰りますね」
 エリザちゃんが私の肩から離れる。
「あ、待って。エリザちゃんも夕飯、うちで食べていったら?」
「え、でも……」
「明日の分も作り置きしようと思って、ちょっと多めに食材買ってきたんだよね」
 エリザちゃんはどうしたらいいか困っている様子だった。
 私はエリザちゃんに助けてもらった。今でも彼女に支えてもらっている。少しでも恩返しがしたかった。
「エリザちゃん、一緒に食べよう。お姉ちゃんの料理、すっごく美味しいんだよ」
 それにエリザちゃんは笑顔になる。
「嬉しい。いいんですか?」
「全然いいよ。でも、エリザちゃんの親御さんは平気かな?」
「私の家、ほとんど親がいないから平気です」
「えぇ、ご飯とかどうしてるの?」
「自分で買って食べてます」
 さっきエリザちゃんは、自分の家族も素敵な家族だと言った。それなのに今はどこか冷たく家族のことを話す彼女に、私は違和感を覚えた。
 お姉ちゃんは気にした様子もなかった。
「それなら、うちで食べていっても平気だね」
「はい。楽しみ」
 それから私たちはリビングのテーブルの上に、まな板やボール、調味料や、お姉ちゃんの買ってきた食材を広げる。
「今日はハンバーグをつくるよ!」
「ほんと? 私、お姉ちゃんのハンバーグ大好き」
 それにエリザちゃんは不思議そうに目を見開いていた。
「ハンバーグって、つくれるの?」
「つくれるよー。意外と簡単なんだよ」
「お姉ちゃん、料理上手なの。お母さんのご飯も好きだけど、お姉ちゃんのも好き」
「でも最初の頃はハナちゃんね、お姉ちゃんのご飯不味い! 嫌い! って言ってたんだよ」
「だって、それは……」
「本当に不味かったからしょうがないんだけどね。それで頑張って、お母さんの味を再現できるようになったんだ」
 せっかくお姉ちゃんがつくってくれたのに、初めの頃はひどいことを言ってしまった。何度か喧嘩したこともあった。
 それでもお姉ちゃんはそんな私のために、中学生でテストとか勉強が忙しかったはずなのに、美味しい料理をつくってくれた。
 私はお姉ちゃんが大好きだ。
 いつもはお母さんの帰りは遅いから、私とお姉ちゃんの二人で料理をつくる。ただ私はほとんどできることはないけれど。今日はエリザちゃんも加わって、三人で料理をつくるのがなんだか楽しみだった。
「ハナちゃん、玉ねぎの皮むいといて」
「うん!」
 私は包丁で切ることはできないけれど、お姉ちゃんの手伝いで皮むきや計量はできる。もっとも玉ねぎの皮は手でできる。ニンジンとか大根があれば、もう少し私も活躍できたのに。
「エリザちゃんはパックの挽肉をボールに入れて」
「はい」
 エリザちゃんはパックのラップをビリビリに破って、ボールの中に挽肉を入れる。
「むきおわったよ」
「じゃあ次は、食パンの残り、エリザちゃんと一緒に小さくちぎって」
「うん!」
 私は食パンを半分にして、エリザちゃんにわたす。
「大きさ、このぐらい?」
「もっと小さくていいよ」
 エリザちゃんがちぎったものは大きさがまばらだった。
「どうして入れるの?」
 エリザちゃんに聞かれて、私はうまく答えられる自信がなかった。
「お姉ちゃん、どうして?」
 お姉ちゃんは玉ねぎをみじん切りにして、涙目になっていた。
「え、わかんない。なんかその方が美味しいし。カサ増しかな? あ、違う。なんか肉汁とか水分とか、逃げないようにする、つなぎってやつだったと思う」
「へぇ」
 ボールの中にお姉ちゃんがみじん切りにした玉ねぎを入れる。私はその隙に、塩をひとつまみと、牛乳を少し入れる。
「お、ハナちゃん、分かってるね」
 私はお姉ちゃんにほめられて嬉しかった。
 そこでお姉ちゃんが片手で卵を割る。
 それにエリザちゃんは大きく目を見開いて、はしゃいでいた。
「えー、すごい、すごい!」
「そんなことないよ。こう、片手で卵をもって、ヒビを入れたら、割る時に、中指と薬指の間を開くの」
「えぇ、できない、無理!」
 私はエリザちゃんが意外と不器用なことに気づいた。私も卵を片手で割れないけれど。
 私は彼女の弱点を見つけられて、変だけれど嬉しかった。

   *  *  *

 テーブルの上には、ハンバーグとレタスサラダ、それとインスタントのスープ。サラダは私とエリザちゃんがつくった。手でちぎっただけだけれど。それにミニトマトを切って乗せる。私も包丁にチャレンジした。私が一つ切るたびに、エリザちゃんが「きゃっ」と声を漏らしていた。
 それから電子レンジで温めた、今朝の残りの白ご飯を盛る。いつもは三人で食事をしているので、お茶碗とお皿が四人分あってよかった。
「それじゃ先に食べちゃおうか」
 時間によっては、お母さんの帰りを待ったり待たなかったり、私は一緒に食べる方が好きだけど。お姉ちゃんも疲れてるしお腹が減っているだろうから、私はそのことは言わない。それに今日はエリザちゃんもいるから、あまり遅くなると彼女に迷惑をかけてしまう。
 私とエリザちゃんはお姉ちゃんと向かい合うように座る。
「いただきます」
 ハンバーグにはケチャップとウスターソースを混ぜたソースがかかっている。そのブレンドはお姉ちゃんに任せている。私がやるよりお姉ちゃんがやった方がはるかに美味しい。
 エリザちゃんが目をきらめかせながら、ハンバーグをハシで割る。私は自分が食べることよりも、彼女の反応の方が気になった。私とお姉ちゃんが見ていることに気づいていない様子で、その小さな口に切ったのを運ぶ。
「あふい」
 口の中に空気を出し入れして冷ましていた。
 ようやく冷めたのか、かみ始める。
「ん! 美味しい!」
「よかったぁ」
 お姉ちゃんが嬉しそうに笑った。私も嬉しかった。
 エリザちゃんは猫舌らしく、息を吹きかけて冷ましながら、次々と食べていく。
「美味しい、こんな美味しいの初めて!」
「おおげさだよぉ」
 そう言いながらも、お姉ちゃんは自慢げだった。
「私もお姉ちゃんの料理、世界で一番美味しいと思う」
「お母さんのより?」
「あ、えっと……」
「冗談だよ。ありがとう」
 冷ましながら食べているはずなのに、一番最初に食べ終わったのはエリザちゃんだった。
「おかわりいる?」
「え、いいんですか?」
 エリザちゃんは口では遠慮がちだったが、嬉しそうな顔をしていた。
「多めにつくったから」
「ありがとうございます!」
 本当は明日の朝食の分なのだけれど、エリザちゃんが喜んでいるので、私の分を減らせば平気だろう。

   *  *  *

 お姉ちゃんとエリザちゃんは楽しそうにおしゃべりしていた。
 私よりお姉ちゃんとの方が楽しそうで、私は少しさびしい気持ちになった。加藤さんも、私よりお姉ちゃんと話している時の方が楽しそうだった。それは当然のことで仕方ないのだけれど。
「エリザちゃん、私たちと小学校ちがうよね? ハナちゃんの学年にいなかった気がする」
「はい、ハナちゃんとは中学になってからです」
「仲良くしてくれてありがとう。クラスも一緒なの?」
「残念ながら別のクラスなんです。でも休み時間とか、よく一緒にいるよね?」
 エリザちゃんが私を見て微笑む。
「うん……」
 お姉ちゃんに見えない、テーブルの下で、エリザちゃんは私の手を握ってきた。
「あ、そろそろ遅いから、帰ろうかな」
「あ、それじゃ送ってくよ」
 お姉ちゃんが立った。
 ちょうどエリザちゃんが帰ろうとした時、お母さんが帰ってくる。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 私はお母さんに駆け寄る。それにエリザちゃんもついてきた。
「お邪魔しています」
 エリザちゃんがお母さんにお辞儀した。エリザちゃんが来ていることに、お母さんも嬉しそうだった。
「あ、エリザちゃんだっけ? 遊びにきてくれたんだ」
「はい。お姉さんの料理、ご馳走になりました」
「どうだった? お姉ちゃんの料理」
「すごく美味しかったです! こんなに美味しいの初めて食べました」
「よかった」
 私はお母さんの持っていた買い物袋を受け取る。お母さんのパート先の、お惣菜の残りや、明日の朝の食材が入っていた。
「それでは、私は帰りますね」
「そう、遅いもんね。また今度、遊びに来てね」
「はい、ぜひ」
 お母さんと入れ替わる形で、エリザちゃんは玄関の外に出る。
 それを私とお姉ちゃんは見送る。お姉ちゃんがエリザちゃんに言う。
「もう遅いし、送っていくよ」
「ありがとうございます。家、近いので平気です」
「そう。またいつでも遊びにきてね」
「はい、ありがとうございます」
 エリザちゃんがにっこり笑う。
「ハナちゃん、また明日ね」
「うん、また明日」
 急にエリザちゃんが顔を近づけてきた。私は突然のことに何も反応できなかった。キスされるかと思ったが、抱きしめられただけだった。
 少しして、エリザちゃんが体を離す。
「ばいばい」
「ばいばい……」
 エリザちゃんは、どこかさびしげで頼りなげな照明に切り取られた、外廊下の向こうに消えていく。
 私たちはその背中が見えなくなるまで見送った。
 家に戻ろうとした時、お姉ちゃんがぽつりと言った。
「あの子、ちょっと心配」
「え? どうして?」
「なんとなく。親に虐待とかされてないかなって」
「え──」
 そこでお姉ちゃんは慌てる。
「ごめん、変なこと言った。気にしないで」
 そしてお姉ちゃんは私の肩に手を置く。
「エリザちゃん、いい子だから。ハナちゃん、仲良くしてあげてね」
「うん」
 どうしてお姉ちゃんがそんなことを思ったのか分からないけれど。エリザちゃんにどう聞いたらいいかも分からない。
 ただ私はこれからも、エリザちゃんと友達でいたい。
 それは砂村さんが怖いからだけじゃなく、彼女と仲良くなれたことが嬉しかったから。
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