私を支配するあの子

葛原そしお

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第二話⑤

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 いつものように餌を食べ、床の掃除をした。
 昼休みは、砂村さんにいじめられる時もあれば、何もされない時もあった。
 今日の砂村さんはまったく私に興味がないようで、掃除の時間には教室からいなくなっていた。
 それでも私に砂村さんの命令を守らせたのは加藤さんだった。
 掃除が終わると、私は教室の後ろで正座させられ、その前に加藤さんが立っていた。
 加藤さんは腕組みし、私を見下ろすように立つ。私は彼女が怖くて、彼女の足の先を見ていた。
「咲良さん、私に迷惑かけないでよ」
「ごめんなさい……」
 どうして私が謝らなければいけないのか、そんな思いもあった。ただ口答えをしたところで、今の状況がもっとひどくなるだけだと分かっていた。
「それで咲良さん、あなたは何ができるの?」
 その質問にどう答えたらいいか分からなかった。
 体育のあと、砂村さんが私に面白い踊りをさせるよう、加藤さんに命令した。
 そのことは分かっているが、私はどうしたらいいか分からなかった。
「ろくに何もできないことは、よく知ってるけどさ。時間がないんだから、ちゃんとしてよ」
「ごめんなさい……」
「このまま時間を稼いで、私をブタにするつもり?」
「そんなこと……」
「もしそうなったら、絶対に許さないから」
 私は顔を伏せ、スカートの裾を握る。どうしたらいいのか分からない。怖くて泣きそうだった。
「裸踊りとかいいんじゃない? こういうやつ」
 不意にほかのクラスメートが、加藤さんに助言した。思わず見上げると、彼女は砂村さんの取り巻きの一人だった。加藤さんにスマートフォンの画面を見せていた。ノイズ混じりの音楽と、嘲笑うような人の声のようなものが聞こえてきた。
「ちょっと何これ! 裸じゃん!」
 加藤さんは驚いて、彼女から距離をとった。
「なんか投稿動画で、秒で消されたらしいんだけど、めっちゃ拡散されててさ。たまたまタイムラインで流れてきて保存したんだけど」
 加藤さんは半笑いになっていた。
「なんでこんなの保存してるの?」
「もしかしたら高く売れるかなって──で、これと同じこと、ブタにやらせたら?」
「ああ──」
 それに加藤さんが楽しそうに、納得した様子でうなずく。
「いいね、それ」
「でしょ? 動画だとタライであそこが見えないように、うまく隠しながら踊ってるんだけどさ、とりあえず雑巾かなんかで代用すればよくない?」
「まあ、見えても別にいいしね」
 私は二人の会話に気が遠くなりそうになった。裸踊りがどんなものか想像できなかった。ただ少なくとも、砂村さんの前で裸で踊らされることになるのだけは確かだった。
「……冗談、だよね?」
「は? それじゃもっといい案あるの?」
 代案なんてない。それでもそんなことできるわけがない。
 いつの間にかほかのクラスメートたちも集まってきていた。
「頭にパンツかぶったら、もっと面白そう」
「お腹に顔とか描いたら面白そうじゃない? 美術部の子に手伝ってもらおうよ」
「動画撮ってアップしたら、めっちゃ再生数稼げそう」
 それに加藤さんが慌てる。
「それまずいって! 砂村さんに私が怒られる!」
「それって砂村さんが、写真や動画で脅すのは雑魚、って言ってただけでしょ」
「私は砂村さんに、証拠を残すようなのはダメって言われた……もしもネットに流れたら、私が責任とることになるって……」
「じゃあ個人的に見るやつってことで」
「個人的にってなんだよ!」
 彼女たちは下品な声で、腹を抱えて笑っていた。私は彼女たちが、もう私を人間として見ていないことを痛いほど理解した。
 その笑いがやむと、加藤さんが冷たい目で私を見る。
「それじゃ、一回練習しようか」
「……え?」
「とりあえず全部脱いで」
「い、いや……無理……無理です……」
 私は必死に首を横に振って拒んだ。
 それに加藤さんは舌打ちをした。
「いいから脱げ!」
 私のブレザーに、加藤さんが手を伸ばしてきた。
「やだ!」
 私は加藤さんの腕を払い除け、立ち上がる。足が痺れて転びそうになった。
「ブタのくせに抵抗するな!」
 加藤さんが掴みかかってくるのを、私はよろけながら逃げた。
 もうどうしたらいいか分からない。どうなるのか分からない。とにかく今はこの場から逃げるしかなかった。
「逃げんな!」
 加藤さんが追いかけてくるのは、振り返らなくても分かった。私は教室の後ろのドアから廊下へ抜け出す。
 走るのも得意じゃない。少し走っただけで息が上がる。それでも今は、とにかく彼女たちのいない場所へ逃げないと。
 三組の教室を離れるより先に、前のドアからも、私を追ってクラスメートの子が出てきた。
「待てよ!」
 そう叫んで私の前に立ち塞がる。
 私は彼女を突き飛ばして、廊下を走った。廊下にはほかのクラスの生徒の姿もあった。私に視線が向けられていた気がしたが、どうでもよかった。
 二組の教室を過ぎて、一組の教室の前で、私は足がもつれて転んだ。
「ああ……う……」
 思いっきり胸とお腹を打ちつけて、衝撃で息ができなかった。痛い、苦しい。それでもこのままでは、加藤さんたちに捕まってしまう。なんとか起き上がって、ここから逃げないと。
「いい加減にしろ! このブタ!」
 突然背中を踏みつけられた。また胸を強く打った。息が苦しい。
「う、ぐぅ……」
「手間かけさせるな! さっさと教室に戻れ! このままだと私が──」
 加藤さんが私の腕を掴んで、乱暴に起き上がらせようとする。
「何をしているの?」
 不意にかけられた声に、加藤さんが止まる。私はその声に、心臓が止まりそうになった。
「羽鳥さん……」
 彼女に見られてしまった。知られてしまった。
 羽鳥さんは私たちを、蔑むような目で見ていた。
「咲良さん、嫌がってるよ」
「誰? あなたには関係ないでしょ」
「あるよ。だって私、咲良さんの友達だから」
 まだ彼女が私のことを友達と呼んでくれることが、こんな状況でも嬉しかった。
 私の腕を掴む加藤さんの手に力がこもる。
「だからなに? これは私たちの問題だから」
「これって遊びとか悪ふざけのレベルじゃないよね? 自分が何しているか分かっているの?」
「うるさい! ほら、咲良さん行くよ!」
「やだ……やだぁ……」
 私は加藤さんの腕を振り払おうとしたが、彼女の腕はビクともしなかった。
 その加藤さんの頬を、羽鳥さんが叩く。まるで銃声でも鳴ったかのような破裂音に、加藤さんは呆然と立ち尽くしていた。私も突然のことに驚いて、鋭く加藤さんを睨む羽鳥さんを、見ていることしかできなかった。
 ほかの教室からも、騒ぎを聞きつけた生徒たちが集まってくる。私を追っていた三組の子たちは、それを遠巻きに見ているだけだった。
 羽鳥さんは私の腕から、加藤さんの手を引き剥がすと、そのまま私の腕をとって肩に回す。
「立てる? 肩貸すよ。一緒に保健室に行こう」
 彼女は私の肩の下に腕を入れて、支えるように私を立たせた。
「膝、すりむいているね。ほかに痛いところはない?」
 羽鳥さんが優しく微笑む。それに私は涙が込み上げてきた。
 それに続いて胸やお腹を打った痛みや、背中を踏まれた痛みが込み上げてきた。呼吸が速くなる。眩暈がした。視界が暗くなっていく。
 私の胸に羽鳥さんが手のひらを重ねる。
「安心して。ゆっくり呼吸をして。もう平気だから。私が支えてあげるから」
 彼女の手が優しくて、温かくて、私はどうしようもなくなって泣いた。
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