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第二話①
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私は朝食の箸が進まなかった。
せっかくお母さんが作ってくれたのに。
「ハナちゃん、どうしたの?」
「え?」
お姉ちゃんが心配そうな顔をしていた。
お姉ちゃんは背が高く、耳周りのすっきりしたショートヘアがかっこいい。いつも私の変化に気づいて、気にかけてくれる。
今だけは何も気づかないでほしかった。
「昨日から元気ないけど、どこか具合悪いの?」
「なんでもない……眠いだけ……」
本当はお腹がキリキリと痛かった。締めつけられるような、胃や内臓を掴まれて、握りつぶされるような感覚がした。
このまま学校に行かなければ、私は許されるだろうか。砂村さんは次のブタを選ぶだろうか。
もし行かないなら、私はいつまで学校を休めばいいのだろうか。今日だけならともかく、何日も学校を休んだら、お母さんもお姉ちゃんも心配するだろう。
私は二人に迷惑をかけたくない。お母さんは私たちのために毎日働いて、お姉ちゃんは私のために友達と遊ぶことも、学校の部活も諦めている。
私が二、三週間ほど我慢すれば、砂村さんが私に飽きて、ほかの子をブタにするはず。
そう思っても、食べ物は何の味もせず、生きている心地がしなかった。
不意にインターフォンが鳴った。私は食器を取りこぼす。お箸が床に落ちた。
「アヤちゃーん、出てー」
お母さんが台所から言う。それに綾奈お姉ちゃんは玄関に向かう。
「こんな時間になんだろ」
お姉ちゃんがそうぼやいた。
私は指先が震えて、落とした箸を拾うことができなかった。
お姉ちゃんが玄関のドアを開ける。
「あれ、ナスミちゃん? 久しぶりだね!」
それに来たのは加藤さんだと分かった。
加藤菜純さん──どうして彼女がこんな朝早くに、私の家に来たのだろうか。
「おはようございます、アヤナさん。今日はハナさんと一緒に学校に行こうと思って」
「そうなんだ。わざわざありがとう──ハナちゃん、ナスミちゃんがきてるよ!」
加藤さんは何度か私の家に来たことがあるので、お姉ちゃんと面識があった。
「早くご飯食べて、制服に着替えなよ! ごめんね、ナスミちゃん。中で待ってて」
「ありがとうございます。じゃあ、ここで」
加藤さんは玄関にあがり、そこに佇んでいた。
私は食欲がわかなかった。着替えるのも嫌だった。お腹が痛いと伝えて、今日は休みたい。
「咲良さん、早くしないと砂村さんに怒られちゃうよ」
からかうような声音だったが、それはほとんど脅しだった。
* * *
私は重い指先でブラウスのボタンを留める。
袖を通したブレザーが、何キロも重くなったように感じた。
着替えて、加藤さんのもとに向かう。
「おはよう、咲良さん」
「おはよう……」
「一緒に学校に行こう」
加藤さんがにっこりと笑った。
私は公営の団地に住んでいた。6号棟まであり、すべて四階建てになっている。私たち家族は5号棟の三階。
私の家は加藤さんの通学路から外れている。それなのにわざわざ遠回りをして、私を迎えに来た。
団地を出てからもしばらく、私たちは無言だった。
「……加藤さん、どうして?」
私を迎えに来たのか。
加藤さんはいつものように笑ってはくれなかった。嫌なものを見るような顔で、吐き捨てるように言う。
「私が生き物係だから、に決まっているでしょ」
生き物係──加藤さんは昨日、砂村さんに生き物係に任命された。
私がブタに選ばれたあと、砂村さんが言い出したことだった
「小学生の時、生き物係ってあったわよね? 加藤さんの学校にもなかった?」
「うん……あった……」
「このクラスでも決めましょうよ。生き物係。誰がいいかしら。ねぇ、加藤さん」
「……え、でも、何を世話するの?」
「いるじゃない。うちのクラスに。ブタが」
「え、あ、うん……」
「そういえば加藤さんって、新しいブタと仲が良かったんじゃない?」
「仲良く、ないです……」
「そうなんだぁ──ああ、困ったな。誰かが生き物係に立候補してくれないかなぁ。ブタのお世話どうしよう。ねぇ?」
「わ、私が、やります……」
「ありがとう、加藤さん。何かあったら責任とってもらうからね」
「え、ど、え、なんで?」
「それじゃあ、よろしくね」
そうして加藤さんは生き物係になった。
何かあった時の責任、それは私が学校に行かなければ、次は加藤さんがブタにされることを意味しているのかもしれない。
隣を歩く加藤さんが言う。
「咲良さん、あの時、私のこと無視したよね」
「え?」
「ブタの子が休んで、私が砂村さんに目をつけられた時」
「あ、あれは──」
どうしようもないことだから。私に何かできることなんてなかった。
「もしも咲良さんがブタにされたら、私は絶対に咲良さんのことを守るつもりだった。私は本当に咲良さんのこと、友達だと思っていたし、もっと仲良くなりたいと思っていた。だけど咲良さんは違ったみたいだね。私が一番怖くて辛い時に、咲良さんは私を無視した」
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
「咲良さんが学校を休んだら、次は私がブタにされるかもしれない。もしも休んだりなんかしたら、私があなたを殺すから」
加藤さんは、もう私の知っている彼女じゃなかった。
せっかくお母さんが作ってくれたのに。
「ハナちゃん、どうしたの?」
「え?」
お姉ちゃんが心配そうな顔をしていた。
お姉ちゃんは背が高く、耳周りのすっきりしたショートヘアがかっこいい。いつも私の変化に気づいて、気にかけてくれる。
今だけは何も気づかないでほしかった。
「昨日から元気ないけど、どこか具合悪いの?」
「なんでもない……眠いだけ……」
本当はお腹がキリキリと痛かった。締めつけられるような、胃や内臓を掴まれて、握りつぶされるような感覚がした。
このまま学校に行かなければ、私は許されるだろうか。砂村さんは次のブタを選ぶだろうか。
もし行かないなら、私はいつまで学校を休めばいいのだろうか。今日だけならともかく、何日も学校を休んだら、お母さんもお姉ちゃんも心配するだろう。
私は二人に迷惑をかけたくない。お母さんは私たちのために毎日働いて、お姉ちゃんは私のために友達と遊ぶことも、学校の部活も諦めている。
私が二、三週間ほど我慢すれば、砂村さんが私に飽きて、ほかの子をブタにするはず。
そう思っても、食べ物は何の味もせず、生きている心地がしなかった。
不意にインターフォンが鳴った。私は食器を取りこぼす。お箸が床に落ちた。
「アヤちゃーん、出てー」
お母さんが台所から言う。それに綾奈お姉ちゃんは玄関に向かう。
「こんな時間になんだろ」
お姉ちゃんがそうぼやいた。
私は指先が震えて、落とした箸を拾うことができなかった。
お姉ちゃんが玄関のドアを開ける。
「あれ、ナスミちゃん? 久しぶりだね!」
それに来たのは加藤さんだと分かった。
加藤菜純さん──どうして彼女がこんな朝早くに、私の家に来たのだろうか。
「おはようございます、アヤナさん。今日はハナさんと一緒に学校に行こうと思って」
「そうなんだ。わざわざありがとう──ハナちゃん、ナスミちゃんがきてるよ!」
加藤さんは何度か私の家に来たことがあるので、お姉ちゃんと面識があった。
「早くご飯食べて、制服に着替えなよ! ごめんね、ナスミちゃん。中で待ってて」
「ありがとうございます。じゃあ、ここで」
加藤さんは玄関にあがり、そこに佇んでいた。
私は食欲がわかなかった。着替えるのも嫌だった。お腹が痛いと伝えて、今日は休みたい。
「咲良さん、早くしないと砂村さんに怒られちゃうよ」
からかうような声音だったが、それはほとんど脅しだった。
* * *
私は重い指先でブラウスのボタンを留める。
袖を通したブレザーが、何キロも重くなったように感じた。
着替えて、加藤さんのもとに向かう。
「おはよう、咲良さん」
「おはよう……」
「一緒に学校に行こう」
加藤さんがにっこりと笑った。
私は公営の団地に住んでいた。6号棟まであり、すべて四階建てになっている。私たち家族は5号棟の三階。
私の家は加藤さんの通学路から外れている。それなのにわざわざ遠回りをして、私を迎えに来た。
団地を出てからもしばらく、私たちは無言だった。
「……加藤さん、どうして?」
私を迎えに来たのか。
加藤さんはいつものように笑ってはくれなかった。嫌なものを見るような顔で、吐き捨てるように言う。
「私が生き物係だから、に決まっているでしょ」
生き物係──加藤さんは昨日、砂村さんに生き物係に任命された。
私がブタに選ばれたあと、砂村さんが言い出したことだった
「小学生の時、生き物係ってあったわよね? 加藤さんの学校にもなかった?」
「うん……あった……」
「このクラスでも決めましょうよ。生き物係。誰がいいかしら。ねぇ、加藤さん」
「……え、でも、何を世話するの?」
「いるじゃない。うちのクラスに。ブタが」
「え、あ、うん……」
「そういえば加藤さんって、新しいブタと仲が良かったんじゃない?」
「仲良く、ないです……」
「そうなんだぁ──ああ、困ったな。誰かが生き物係に立候補してくれないかなぁ。ブタのお世話どうしよう。ねぇ?」
「わ、私が、やります……」
「ありがとう、加藤さん。何かあったら責任とってもらうからね」
「え、ど、え、なんで?」
「それじゃあ、よろしくね」
そうして加藤さんは生き物係になった。
何かあった時の責任、それは私が学校に行かなければ、次は加藤さんがブタにされることを意味しているのかもしれない。
隣を歩く加藤さんが言う。
「咲良さん、あの時、私のこと無視したよね」
「え?」
「ブタの子が休んで、私が砂村さんに目をつけられた時」
「あ、あれは──」
どうしようもないことだから。私に何かできることなんてなかった。
「もしも咲良さんがブタにされたら、私は絶対に咲良さんのことを守るつもりだった。私は本当に咲良さんのこと、友達だと思っていたし、もっと仲良くなりたいと思っていた。だけど咲良さんは違ったみたいだね。私が一番怖くて辛い時に、咲良さんは私を無視した」
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
「咲良さんが学校を休んだら、次は私がブタにされるかもしれない。もしも休んだりなんかしたら、私があなたを殺すから」
加藤さんは、もう私の知っている彼女じゃなかった。
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