私を支配するあの子

葛原そしお

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第一話④

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 昼休み、私は教室にいることが耐えられず、人気のない、施錠された屋上の扉の前のスペースにいた。図書室に行けば加藤さんに会ってしまうかもしれない。
 何もなかったけれど、私は彼女を見捨てたも同じだった。
 胸が痛い。そんな痛みで許されるわけがない。私は彼女に対して、ひどい裏切りをしてしまったのだ。彼女が心細い時に、私を助けてくれた彼女を無視した。
 涙が込み上げてきた。
 なぜか羽鳥さんに会いたいと思った。会って、何か相談したいわけではない。加藤さんがいない今、私と話してくれる人は羽鳥さんしかいない。彼女と話して気を紛らわせたかった。
 羽鳥さんは今どこにいるのだろうか。図書室にいるかもしれない。そう思い至って、加藤さんがいるかもしれないと気づき、探しに行くのが怖くなった。
 私は一人で膝を抱えて、体を丸くしていることしかできなかった。このまま消えてしまいたいと思った。それかずっとこのまま時間が止まってしまえばいいのに。
 予鈴が鳴った。私は重たい体を起こす。今からでも謝れば、加藤さんは許してくれるだろうか。

   *  *  *

 教室のある階に着く。廊下にはまだ何人か生徒がいて、彼女たちも教室に入っていく。私は一組の教室のドアの窓を、すれ違う際に見た。一瞬だったので羽鳥さんを見つけることはできなかった。
 三組は一年の階の、廊下の一番奥にある。教室のドアは二つあった。一つは黒板のある前列の側。加藤さんや砂村さんの席がある。もう一つは突き当たりのところ。私の席、後列の側にあった。
 前のドアから入れば、砂村さんの前を通ることになる。彼女の視界に入ることはそれだけで恐ろしかった。私は教室の前を通り過ぎて、奥のドアから入る。
 私が教室に入ると、まだ立って談笑している子、席に座っている子たちが一斉に振り返った。途端に教室中が静まり返る。私は何が起きたのか分からず、立ち止まった。なぜか視線は私に集まっているようだった。
 どうしたらいいか分からなかったが、ずっと立っているのも変なので自席に向かう。
「咲良さぁん──」
 突然名前を呼ばれた。高い声音に、変に浮ついた調子だった。
 私はその声が、誰から発されたのか分からなかった。考えたくなかった。
 教室中の視線が私に集まっている中、一人だけ、加藤さんだけは背中を向けたままだった。
 その加藤さんの隣の、砂村さんが席を立つ。彼女は笑っていた。
 私は全身から血の気が引いた。耳鳴りがした。心臓が締めつけられるように痛かった。逃げなければ、そんな思いが込み上げた。
 しかし彼女が私に用事があるはずない。何かの聞き間違いだ。彼女がこっちに向かっているのは偶然だ。
 それなのに背を向けたり、変な動きをして、砂村さんの機嫌を損ねたら、どうなるか分からない。
 私は彼女の顔を見ないように、うつむいて、不自然にならないように、自席の椅子を引いて、座ることにした。
 それを咎めるように砂村さんが言う。
「ねぇ、どうしてあなただけ制服が違うの?」
「え?」
 私は椅子を引いたところで、思わず顔を上げた。彼女が私の目の前にいた。笑っているのに、眉が寄っていて、怒っているような、不機嫌そうに見えた。
「なんかあなただけ、制服の色が汚くない? サイズも合ってないし、買ってもらうお金なかったの?」
 私の制服はお姉ちゃんのお下がりだった。まっさらなみんなの制服に比べると、少し色褪せているかもしれない。
「これ、お姉ちゃんのお下がりで……」
 そう弁解するのがやっとだった。まともに彼女の顔を見ることができなかった。
「咲良花奈。あなた、そんな名前だったわよね」
 私はぞっとした。彼女に名前を覚えられるということ。
 出席番号が前後なのだから、私の名前を知っていてもおかしくない。
 それでも彼女に名前を知られて、呼ばれることは、とても恐ろしいことだった。
「さくら……さく……サクブタ……」
 口の中で私の名前を繰り返し、その後にあの言葉をつけて、試すように、確かめるように言った。
「あまり響きがよくないわ。ハナブタ。うん、これなら可愛いし、なんだか美味しそうね」
 どうして彼女がこんな話をしているのか、私には分からなかった。いや、分かりたくなかった。何かの冗談だと思いたかった。
「あなたがブタだから」
 その言葉に、私は膝から崩れ落ちそうになった。たまたま手にしていた椅子の背もたれを掴んで耐えた。突然、床が抜け落ちて、底のない真っ暗な穴の中に落下していくような感覚がした。
「え、ど、どうして……私……」
 砂村さんは答えてくれなかった。私は初めて砂村さんの顔をまっすぐ見た。彼女の目には、憎しみだとか怒りだとか、蔑みの色さえなかった。私のことを人間として見ていない、そんな気がした。
「あ、ああ……許してください……」
 声が震えた。足に力が入らない。下腹部がむず痒くなった。漏らしてしまいそうだった。
 彼女は私への興味をなくした様子で、背中を向けて席に戻っていった。
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