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第一話③
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一時間目の授業が終わり、次の授業までの十分間の休み時間。
教室内は静まり返っていた。
その中で、加藤さんの左隣、砂村さんの席だけは賑やかだった。砂村さんの取り巻きが集まり、談笑していた。
取り巻きの彼女たちは、笑ってはいるが、どこか表情がぎこちなかった。砂村さんを楽しませようと、必死に何か話している様子だった。
頬杖をついた砂村さんの後ろ姿。彼女が今、どんな顔をしているか分からない。
「次のブタは?」
その一言に、取り巻きさえも凍りついた。
そう言ったのは姫山さんだった。彼女は無表情に、無感情に口にした。
「そうね」
砂村さんはそれだけ言って黙る。何か決めかねている様子だった。
隣の加藤さんは体を縮こまらせていた。
「誰にしようかしら?」
砂村さんが加藤さんを向く。
「ねぇ、次は誰がいいと思う?」
「え、え?」
なぶるように、楽しむような横顔が、私の席からは見えた。
加藤さんが答えられずにいると、たちまち不機嫌そうになる。
「私はあなたに、次のブタは誰がいいと思うか聞いたんだけど?」
「あ、あの! ごめんなさい! 分からないです!」
もしかしたら加藤さんは泣いていたかもしれない。必死に頭を振りながら謝っていた。
砂村さんは再び笑った。
「私が質問したのに、あなたは分からないんだ」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
それは叫び声のようだった。
砂村さんは加藤さんに興味をなくした様子で、前を向く。
姫山さんを見ているようだった。
「彼女、ずいぶんと私に対して反抗的ね。私のこと、嫌いなのかしら?」
姫山さんは無感情に言う。
「そうかも」
「えーと、誰さんだっけ? 名前」
「加藤菜純」
「そう。加藤さん、ね」
私だけじゃない。クラスメート全員が、次のブタは加藤さんだろうと、安堵したのが分かった。
砂村さんのところ以外にも、教室内に時間が戻ったかのように、小さな声での会話が漏れ聞こえてくる。教科書や文房具を取り出す物音もした。
私はどうすることもできなかった。心の中で何度も加藤さんに謝った。助けてあげられなくてごめんなさい。何もできなくてごめんなさい。
不意に私は、私をじっと見ている視線に気づいた。
姫山さんが暗く沈んだ目で、私の方を見ていた。
私は慌てて視線を外してうつむく。なぜ彼女が私を見ていたのか分からない。
それにもう、次のブタは決まったはず。
* * *
二時間目の授業がおわり、砂村さんたちはさっさと教室を出ていった。
次の授業は理科室なので、休み時間のうちに移動しなければならない。
私も次の授業の教科書やノートを用意するが、直前まで教室にいるつもりだった。早く行って、もしも砂村さんたちと一緒になり、目をつけられたら。
そうしていると、加藤さんが私のところにやって来た。最初、加藤さんはほかの友達のところに行ったが、無視されていた。
「咲良さん」
私は加藤さんの顔が見られなかった。
「一緒に行こう?」
声が震えていた。まだ砂村さんたちに何かされたわけではないけれど、怖いのだろう。
私はうつむいたまま、加藤さんを無視した。
* * *
砂村さんはそれから、加藤さんに対して、声をかけることもなかった。関心を失ったというよりも、もともとなかったようにさえ感じられた。
私は加藤さんを裏切ったけれど、彼女がブタにされなくてよかったと、心の底から思った。
そもそもブタは、砂村さんに逆らった子がなるのだから、誰かが彼女に逆らわなければ、必ずしも常にブタがいるわけではないのかもしれない。
一人目は姫山さんだった。彼女がどう砂村さんに逆らったのかは知らない。いつの間にか、砂村さんが彼女をいじめていた。初めは転ばせたり、水をかけたりする程度だった。そのうちにエスカレートしていって、裸にして四つん這いで歩かせたり、姫山さんの背中にカッターで『ブタ』と刻みつけたりしていた。
それに対して二人目、学級委員の子が、砂村さんに逆らった。その日から姫山さんは解放され、彼女がブタになった。さすがにカッターで切りつけることはしなかったけれど、毎日のように全裸にされたり、ブタの鳴き真似をさせられ、どこかに連れて行かれていた。噂ではトイレで排泄している姿をさらされていたらしい。
それが二、三週間ほど続いた。三人目は、もともと不登校気味の、気性の荒い子だった。砂村さんの二人目に対するいじめに嫌悪感を示し、砂村さんの頬を叩いて止めた。それに誰もが息を呑んだ。この悪夢がおわると期待した。しかし次の瞬間には、彼女は顔面から机に叩きつけられていた。砂村さんは、聞き取れない、言葉と思えない怒鳴り声をあげて、何度も何度も彼女の顔面を叩きつけ、腹を蹴り上げ、踏みつけ、殺してしまいそうな勢いだった。動かなくなった彼女を見下ろしながら、砂村さんは呼吸が落ち着くと、こう言った。
「階段から落ちたのね。かわいそうに。誰か、保健室に連れていってあげたら?」
そしてその日から彼女が次のブタになった。それからは誰も砂村さんに逆らおうと思わなくなった。
ブタは同時にはいない、常に一人だけ。そんなルールを砂村さんが言ったわけではないが、誰もがそう思って、信じて、見て見ぬ振りをした。私も暗い安息に浸っていた。
ただ三人目の彼女は、二週間も耐えられなかったようだった。
教室内は静まり返っていた。
その中で、加藤さんの左隣、砂村さんの席だけは賑やかだった。砂村さんの取り巻きが集まり、談笑していた。
取り巻きの彼女たちは、笑ってはいるが、どこか表情がぎこちなかった。砂村さんを楽しませようと、必死に何か話している様子だった。
頬杖をついた砂村さんの後ろ姿。彼女が今、どんな顔をしているか分からない。
「次のブタは?」
その一言に、取り巻きさえも凍りついた。
そう言ったのは姫山さんだった。彼女は無表情に、無感情に口にした。
「そうね」
砂村さんはそれだけ言って黙る。何か決めかねている様子だった。
隣の加藤さんは体を縮こまらせていた。
「誰にしようかしら?」
砂村さんが加藤さんを向く。
「ねぇ、次は誰がいいと思う?」
「え、え?」
なぶるように、楽しむような横顔が、私の席からは見えた。
加藤さんが答えられずにいると、たちまち不機嫌そうになる。
「私はあなたに、次のブタは誰がいいと思うか聞いたんだけど?」
「あ、あの! ごめんなさい! 分からないです!」
もしかしたら加藤さんは泣いていたかもしれない。必死に頭を振りながら謝っていた。
砂村さんは再び笑った。
「私が質問したのに、あなたは分からないんだ」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
それは叫び声のようだった。
砂村さんは加藤さんに興味をなくした様子で、前を向く。
姫山さんを見ているようだった。
「彼女、ずいぶんと私に対して反抗的ね。私のこと、嫌いなのかしら?」
姫山さんは無感情に言う。
「そうかも」
「えーと、誰さんだっけ? 名前」
「加藤菜純」
「そう。加藤さん、ね」
私だけじゃない。クラスメート全員が、次のブタは加藤さんだろうと、安堵したのが分かった。
砂村さんのところ以外にも、教室内に時間が戻ったかのように、小さな声での会話が漏れ聞こえてくる。教科書や文房具を取り出す物音もした。
私はどうすることもできなかった。心の中で何度も加藤さんに謝った。助けてあげられなくてごめんなさい。何もできなくてごめんなさい。
不意に私は、私をじっと見ている視線に気づいた。
姫山さんが暗く沈んだ目で、私の方を見ていた。
私は慌てて視線を外してうつむく。なぜ彼女が私を見ていたのか分からない。
それにもう、次のブタは決まったはず。
* * *
二時間目の授業がおわり、砂村さんたちはさっさと教室を出ていった。
次の授業は理科室なので、休み時間のうちに移動しなければならない。
私も次の授業の教科書やノートを用意するが、直前まで教室にいるつもりだった。早く行って、もしも砂村さんたちと一緒になり、目をつけられたら。
そうしていると、加藤さんが私のところにやって来た。最初、加藤さんはほかの友達のところに行ったが、無視されていた。
「咲良さん」
私は加藤さんの顔が見られなかった。
「一緒に行こう?」
声が震えていた。まだ砂村さんたちに何かされたわけではないけれど、怖いのだろう。
私はうつむいたまま、加藤さんを無視した。
* * *
砂村さんはそれから、加藤さんに対して、声をかけることもなかった。関心を失ったというよりも、もともとなかったようにさえ感じられた。
私は加藤さんを裏切ったけれど、彼女がブタにされなくてよかったと、心の底から思った。
そもそもブタは、砂村さんに逆らった子がなるのだから、誰かが彼女に逆らわなければ、必ずしも常にブタがいるわけではないのかもしれない。
一人目は姫山さんだった。彼女がどう砂村さんに逆らったのかは知らない。いつの間にか、砂村さんが彼女をいじめていた。初めは転ばせたり、水をかけたりする程度だった。そのうちにエスカレートしていって、裸にして四つん這いで歩かせたり、姫山さんの背中にカッターで『ブタ』と刻みつけたりしていた。
それに対して二人目、学級委員の子が、砂村さんに逆らった。その日から姫山さんは解放され、彼女がブタになった。さすがにカッターで切りつけることはしなかったけれど、毎日のように全裸にされたり、ブタの鳴き真似をさせられ、どこかに連れて行かれていた。噂ではトイレで排泄している姿をさらされていたらしい。
それが二、三週間ほど続いた。三人目は、もともと不登校気味の、気性の荒い子だった。砂村さんの二人目に対するいじめに嫌悪感を示し、砂村さんの頬を叩いて止めた。それに誰もが息を呑んだ。この悪夢がおわると期待した。しかし次の瞬間には、彼女は顔面から机に叩きつけられていた。砂村さんは、聞き取れない、言葉と思えない怒鳴り声をあげて、何度も何度も彼女の顔面を叩きつけ、腹を蹴り上げ、踏みつけ、殺してしまいそうな勢いだった。動かなくなった彼女を見下ろしながら、砂村さんは呼吸が落ち着くと、こう言った。
「階段から落ちたのね。かわいそうに。誰か、保健室に連れていってあげたら?」
そしてその日から彼女が次のブタになった。それからは誰も砂村さんに逆らおうと思わなくなった。
ブタは同時にはいない、常に一人だけ。そんなルールを砂村さんが言ったわけではないが、誰もがそう思って、信じて、見て見ぬ振りをした。私も暗い安息に浸っていた。
ただ三人目の彼女は、二週間も耐えられなかったようだった。
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