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第二章
第四話
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音瑠のアトリエに居候して四日目。
私は音瑠と食卓を挟んで、遅めの朝食を済ませる。
音瑠との生活は、何から何までやってくれるので気楽だった。
朝適当に起きると、音瑠が食事を出してくれる。昼過ぎぐらいまでぼんやり過ごす。テレビがないので、音瑠の電子タブレットを借りて動画を見る。そうしているとそのうち音瑠が昼食を作り始めるので一緒に食べる。昼寝して夕方ぐらいに起きる。シャワーを浴びる。音瑠が出前を取ろうかと提案すれば、彼女の食べたいもののついでにお願いする。あとはまた動画を見たり、ニュースサイトを見て、適当に過ごしてからまた寝る。
音瑠のことは機嫌をとる必要もなく、適当にあしらっておけばいい。彼女が音を上げるまでの我慢比べだ。追い出された時は口汚く罵って、そのまま入水自殺してやろうか。
そんな陰気で陰湿なことを考えてしまう、私自身が一番嫌いだった。
私は食器を下げて音瑠に言う。
「ちょっと散歩してくる」
「あ、それじゃあ私も──」
「音瑠はたまってた仕事あるでしょ。別に一時間もしたら帰ってくる」
「でも……」
「何かあったら連絡するから」
「分かった。気をつけてね……」
どこまでも過保護な音瑠。鬱陶しさにも慣れてきた。
音瑠のアトリエにいて、私も絵を描こうとか、何か始めようかという気概はわいてこなかった。本を読もうとしても、最初の数行だけで苦痛に感じ、すぐに目が泳いでしまったので、どれも投げ出してしまった。
私は持て余した退屈をぶつける当てもないので、せめて気晴らしに海辺を歩くことにした。入水ポイントでも探そうか。
近所を一時間ほど散歩するぐらいなら問題ないだろう。
別に私は急に倒れたり、何かの発作を起こすというわけではない。体力の衰えですぐ疲れるのと、薬の副作用でぼんやりすることがあった。
私は頭の中に靄がかかっているような、透明な膜を通して見ているような感覚につきまとわれていた。そのことはわざわざ音瑠に話していないが。
音瑠のアトリエを出て五分足らず。住宅の影を抜けると、途端に波の轟く音が聞こえてきた。海風が激しく吹きつけてくる。
私は風を避けるように歩く。横断歩道を渡り、防潮堤を越えると、目の前に砂浜と海原が広がった。その海を映すかのように青い空。水平線の向こうに、房総半島の青い影が横たわっていた。
春を過ぎて梅雨に向かう、狭間の季節の青空は、どこまでも青く澄んで眩しく、斜めから差す太陽光に視界が焼かれて白く消し飛んだ。私は右手を傘にして影にする。
砂浜にはサンシェードテントがいくつもあった。明るい灰色の、かすかなベージュを帯びた砂地に、テントはカラフルで雑多だった。サーファーが、波を待っていたり、波間を漂う黒い点となっていた。
まだ海水浴シーズンには早いけれど、渚に足を遊ばせる子供や、波に戯れる女子高生らしい二人組がいた。確か世間は連休だったか。
私はたった一人でいることが場違いに感じられた。喧騒を遠目に見て、うんざりした気持ちになり、早々に切り上げた。
* * *
帰宅すると、リビングに音瑠の姿はなかった。
海風で髪や肌がベタつく気がしたので、私はシャワーを浴びたかった。
一声かけてからと思ったが、音瑠は外出中か、トイレにでもいるのか。
あまり気にも留めず、私は浴室に向かう。ドア越しに水気のある音が聞こえた。どうやら先に彼女が使っていたようだ。いつ出るのか尋ねようと、私はドアを開けた。浴室は脱衣スペースの次にある。
「音瑠──」
ドアを開くと、そこには下半身裸の音瑠がいた。それが着替え中とか風呂上がりではないのは、一目で分かった。彼女は弾かれたように私を見る。驚愕に目が大きく見開かれた。その彼女の口元には私が脱いだショーツが当てられていた。そして空いた右手で自身の局部をいじっているようだった。
私に気づいて音瑠はそれを後ろ手に隠す。しかし露わになった下半身と、太ももを伝う液体から、もはや誤魔化すには手遅れだった。
「これは、違くて……違うの、これは……」
何が違うというのだろうか。
「私の脱いだショーツを嗅ぎながらオナニーしていたんでしょう?」
途端に音瑠が膝から崩れ落ちる。
「ごめんなさい! 赦してください! もう二度としません!」
今にも土下座しそうな勢いだった。涙目で慌てふためく彼女を、私は見下ろす構図になった。想像以上に、私の中に何の感情も浮かばなかった。
私はたぶんそんなに優しい顔はしていなかったと思う。彼女に対して怒りも軽蔑の感情もわかなかったが、だからといって優しくする理由もなかった。
まあ、してるだろうな、ぐらいの気持ちは以前からあった。
私が入院している時から、私の服や下着を洗濯する名目で持ち帰っていた。なんとなく直感で、それで自慰行為でもしているのだろうと思っていた。
「別にいいよ。洗濯してくれるなら」
それに音瑠は驚いたような、嬉しそうな顔をした。そんなに私の使用済みの下着が嬉しいのか。私は小夜子の下着でそんなことをしようと思ったことはないが。
「ありがとう、南帆ちゃん!」
変な許可を与えてしまった気がした。今後も私の下着で自慰をすることを許可したつもりはないのだが。
とにかく音瑠の変態的な性癖が分かったことで、私も少し肩の荷が下りた。このアトリエの家賃や生活費は私の使用済みの下着で十分だろう。それに──私のショーツを握ったままの彼女の手を見る。
「その代わり、私の言うこと一つ聞いて」
「なに⁉︎ なんでも言う通りにするよ!」
私はこれから最低なことをしようと、させようとしていた。
私は彼女の前を素通りし、浴室の中に入り、浴槽の縁に腰掛けた。
「……何をすればいいの?」
音瑠が手で股間を隠しながら、不安げに、どこか期待した様子で私を見ていた。
私はおもむろにジャージの下を脱いだ。それを音瑠は凝視している。続けて私はショーツも脱いだ。浴槽の縁がお尻に冷たかった。
「え、なんで? どうして?」
音瑠が動揺していた。
「こっちに来て。私の前に座って」
音瑠は戸惑いながら浴室に入り、私の前に跪いた。私のお腹より少し上ぐらいに彼女の頭があった。
音瑠は小夜子とは全然違う。柔らかい髪に、丸みのある肉づき。裸に向けば、女らしい女がそこにいるだけだろう。小夜子とは全然違う。
しかし音瑠の手は小夜子の手に似ていた。指も、爪の形も。
私は小夜子の指先を思い出す。私の芋虫のような指とは違う。彫刻のように美しい、綺麗な指。音瑠の指はよく似ていた。
私は股を開いた。それに音瑠は驚いて顔を逸らしつつも、しっかりと横目に見ていた。
「南帆ちゃん、なに? どういうこと?」
彼女の頬は赤らみ、瞳は潤んで、欲情の色が見えた。
「また私の下着を汚されるよりいいかなって。それに、ずっと触りたかったんでしょ?」
「そう、そうだけど……」
十年前の卑屈に笑う音瑠と、今の彼女が重なって見えた。
「指で触れることだけは許してあげる。その代わり、私に触れている間は私の顔を見ないこと、一言も声を出さないこと、指以外で私に触れないこと。それを守れるなら触ってもいいよ」
音瑠の喉が上下した。
「嫌ならいいよ」
「嫌じゃない!」
「それなら、今言ったことを守れるなら、触ってもいいよ」
音瑠は唇を堅く結び、一度だけ私の顔を見た後、前を向く。そしてその右手をためらいがちに、私の局部へ近づける。私を傷つけた指。私が奪った指。小夜子に似た指。
彼女の右手の人差し指が、震える指先が、探るように私の襞に触れた。
「んっ──」
思わず腰を引いてしまった。
それに音瑠が弾かれたように私の顔を見上げる。何か言おうとして言葉を呑んだようだった。
私はもう一度、音瑠に念押しする。
「いいから。一言も声を出さないで。私の顔を見ないで」
音瑠は堅く唇を閉じ、うなずく。
どこまでも従順な彼女を見ていると、ふと残虐な気持ちがよぎるが、ぐっと堪えた。
ためらいがちな彼女の指先は、花弁を一枚一枚数えるように、その輪郭をなぞるように、私の襞に触れる。ゆっくりと。私のそこはすでに濡れているのに、ぎこちない彼女の指遣いがもどかしかった。
音瑠は身を乗り出して、息のかかる距離で目を見開いていた。彼女の熱い息がかかる。
私は目を瞑って、音瑠を掻き消した。小夜子の指を想像する。今私に触れているのは小夜子だと私に言い聞かせる。私は音瑠に触れられながら、小夜子に触れられていることを妄想した。
不意に音瑠の指が、私の入り口に差し込まれた。
「くっ──」
私は右手の指を噛んで堪える。左手でシャツの裾を掴む。
音瑠は、おそらく人差し指を、ゆっくりと私の中に沈めていく。私は痛いぐらいに指を噛んだ。彼女の指で感じていることを知られたくなかった。そのくせ彼女を脅迫して、こんなことをさせている。
音瑠の指が私の中から抜かれ、途中でまた私の中へ差し込まれた。
「んっ、くっ、ふぅ──」
繰り返されるたびに、少しずつ深く、私の奥へと彼女が入ってくる。むず痒く、切ない気持ちになった。
そのうち音瑠は私の中に指を沈めたまま、軽く指の関節を曲げて、私を内側から押し上げる。優しく、ゆっくりと、私の感覚を探っているようだった。
小夜子と比べて自信がなさげで、じれったく、物足りなく思えた。しかし私への気遣いが感じられた。
小夜子は、中指と薬指の二本を入れて、私の奥を突くように指を動かす。そして耳元で囁く。
「気持ちいい?」
「うん……」
正直、痛かったけれども、彼女が私にしてくれることが嬉しかった。必死に痛みを堪え、息を殺す私に、
「南帆、好き。大好き」
そう囁かれると、私はその痛みさえも愛おしく思えた。
音瑠の指は、気遣うようで、むず痒くさえ感じた。
そのうちに音瑠は人差し指を私の中に入れたまま、親指の腹で、包皮を被った私の突起を撫でる。それに電流のような刺激が私の中を走った。
「あっ──」
私はもう声を抑えることができなかった。体がひきつり、弓形に反る。それは私の意思で抑えることができなかった。
音瑠は内と外から私を責め立てる。彼女の熱い息が、剥き出しになった私の突起に触れた。
私は薄目を開けて彼女を見る。まつ毛と涙でぼやけた視界に、彼女のつむじが映った。彼女は真剣な顔で、右手で私の局部に触れながら、左手で自身のをいじっているようだった。
分かっていたことだが、音瑠の指遣いは小夜子とは違う。音瑠は優しく丁寧に私に触れる。もっと強引にしてほしい。もっと私をめちゃくちゃにしてほしい。そう思っても、口に出すことも求めることもしたくなかった。
それでも私の中から滲み出す液体に絡み合って、次第に音瑠の指が立てる水音は大きくなっていった。そのうちに彼女の指が私の体の秘密を解き明かしていく。どこをいじれば私の反応が大きくなるか、どこが私の弱点なのか。指を伝って彼女に知られてしまった。それまでむず痒くさえあった、渚に寄せる細波のようだった刺激が、大きなうねりとなって私の全身に広がる。そして下腹部を締め付けられるような痛みと同時に、私を貫くように、一際大きな刺激が脊椎を駆け上がった。それは光の速さで私の頭の中に達すると、激しく火花のように散った。
「あっ、いっ──」
私の意思を離れて体が痙攣した。それに合わせて何度も火花が散る。下半身から、全身から力が抜けて、浴槽に転げ落ちそうになった。私は思わず音瑠にしがみついた。私の指が彼女の肩に食い込む。骨を掴む硬い感触があった。
「南帆ちゃんっ……」
音瑠は痛そうに、切ない声を上げた。約束を破って私の名前を呼んだが、それを責め立てる余裕は今の私になかった。
私は彼女の指で達してしまった。
余韻が引いて凪ぐまで、私は音瑠の肩に掴まっていた。目の前に彼女のつむじがあった。
私の呼吸が落ち着くのを見計らってか、音瑠は指を引き抜く。空気の抜ける音がした。
「んっ……」
彼女の指が私の中をなぞった感触に、思わず声が漏れてしまった。
私は彼女の肩を掴んだ手を離すと、そこには痛々しく指の跡が赤く残っていた。
「ごめん、肩痛くない?」
「ううん、気にしないで。嬉しい」
音瑠が潤んだ瞳で微笑む。
私は急速に思考が冷めていくのが分かった。このまま一緒にいたくない。
「シャワー浴びたいから出てって」
「うん、分かった」
私は用済みになった彼女を追い出した。
音瑠が名残惜しそうに浴室から出ていく。彼女の内股もびしょ濡れだった。だからといって二人でシャワーを浴びるほど彼女に気を許したわけではない。
私は後悔を洗い流すように頭からシャワーを浴びる。私のお腹には五つの傷痕があった。鬱血したような赤い点の中に、赤黒い短い線がある。特にそのことは気にならなかった。それによって私が助かったことに、こうして生きていることの違和感の方が大きかった。
私は達して、それまでの欲求が霞のように晴れて冷静になると、激しい後悔と嫌悪感と罪悪感に苛まれた。なぜ彼女にあんなことをさせてしまったのか。なぜ私は正気を失ってしまったのか。
私の体は小夜子を知らないはずなのに、私は彼女の指を知っているから、私自身の指では満たされなかった。
だから、よりによってあんなやつに、あんなことをさせてしまった。
「ああ、クソっ……」
別にセックスをしたわけではない。こんなのほとんど自慰行為でしかない。音瑠の指はただの代用品だ。もし仮に私たちがセックスをしたとして、私は誰に気兼ねする理由もない。
小夜子とは別れた、そしてこの世界では付き合ってさえいない。罪悪感を抱く理由もない。
ただあの音瑠に体を許したことが、私にとって屈辱であり、嫌悪感を抱くには充分だった。
私は音瑠と食卓を挟んで、遅めの朝食を済ませる。
音瑠との生活は、何から何までやってくれるので気楽だった。
朝適当に起きると、音瑠が食事を出してくれる。昼過ぎぐらいまでぼんやり過ごす。テレビがないので、音瑠の電子タブレットを借りて動画を見る。そうしているとそのうち音瑠が昼食を作り始めるので一緒に食べる。昼寝して夕方ぐらいに起きる。シャワーを浴びる。音瑠が出前を取ろうかと提案すれば、彼女の食べたいもののついでにお願いする。あとはまた動画を見たり、ニュースサイトを見て、適当に過ごしてからまた寝る。
音瑠のことは機嫌をとる必要もなく、適当にあしらっておけばいい。彼女が音を上げるまでの我慢比べだ。追い出された時は口汚く罵って、そのまま入水自殺してやろうか。
そんな陰気で陰湿なことを考えてしまう、私自身が一番嫌いだった。
私は食器を下げて音瑠に言う。
「ちょっと散歩してくる」
「あ、それじゃあ私も──」
「音瑠はたまってた仕事あるでしょ。別に一時間もしたら帰ってくる」
「でも……」
「何かあったら連絡するから」
「分かった。気をつけてね……」
どこまでも過保護な音瑠。鬱陶しさにも慣れてきた。
音瑠のアトリエにいて、私も絵を描こうとか、何か始めようかという気概はわいてこなかった。本を読もうとしても、最初の数行だけで苦痛に感じ、すぐに目が泳いでしまったので、どれも投げ出してしまった。
私は持て余した退屈をぶつける当てもないので、せめて気晴らしに海辺を歩くことにした。入水ポイントでも探そうか。
近所を一時間ほど散歩するぐらいなら問題ないだろう。
別に私は急に倒れたり、何かの発作を起こすというわけではない。体力の衰えですぐ疲れるのと、薬の副作用でぼんやりすることがあった。
私は頭の中に靄がかかっているような、透明な膜を通して見ているような感覚につきまとわれていた。そのことはわざわざ音瑠に話していないが。
音瑠のアトリエを出て五分足らず。住宅の影を抜けると、途端に波の轟く音が聞こえてきた。海風が激しく吹きつけてくる。
私は風を避けるように歩く。横断歩道を渡り、防潮堤を越えると、目の前に砂浜と海原が広がった。その海を映すかのように青い空。水平線の向こうに、房総半島の青い影が横たわっていた。
春を過ぎて梅雨に向かう、狭間の季節の青空は、どこまでも青く澄んで眩しく、斜めから差す太陽光に視界が焼かれて白く消し飛んだ。私は右手を傘にして影にする。
砂浜にはサンシェードテントがいくつもあった。明るい灰色の、かすかなベージュを帯びた砂地に、テントはカラフルで雑多だった。サーファーが、波を待っていたり、波間を漂う黒い点となっていた。
まだ海水浴シーズンには早いけれど、渚に足を遊ばせる子供や、波に戯れる女子高生らしい二人組がいた。確か世間は連休だったか。
私はたった一人でいることが場違いに感じられた。喧騒を遠目に見て、うんざりした気持ちになり、早々に切り上げた。
* * *
帰宅すると、リビングに音瑠の姿はなかった。
海風で髪や肌がベタつく気がしたので、私はシャワーを浴びたかった。
一声かけてからと思ったが、音瑠は外出中か、トイレにでもいるのか。
あまり気にも留めず、私は浴室に向かう。ドア越しに水気のある音が聞こえた。どうやら先に彼女が使っていたようだ。いつ出るのか尋ねようと、私はドアを開けた。浴室は脱衣スペースの次にある。
「音瑠──」
ドアを開くと、そこには下半身裸の音瑠がいた。それが着替え中とか風呂上がりではないのは、一目で分かった。彼女は弾かれたように私を見る。驚愕に目が大きく見開かれた。その彼女の口元には私が脱いだショーツが当てられていた。そして空いた右手で自身の局部をいじっているようだった。
私に気づいて音瑠はそれを後ろ手に隠す。しかし露わになった下半身と、太ももを伝う液体から、もはや誤魔化すには手遅れだった。
「これは、違くて……違うの、これは……」
何が違うというのだろうか。
「私の脱いだショーツを嗅ぎながらオナニーしていたんでしょう?」
途端に音瑠が膝から崩れ落ちる。
「ごめんなさい! 赦してください! もう二度としません!」
今にも土下座しそうな勢いだった。涙目で慌てふためく彼女を、私は見下ろす構図になった。想像以上に、私の中に何の感情も浮かばなかった。
私はたぶんそんなに優しい顔はしていなかったと思う。彼女に対して怒りも軽蔑の感情もわかなかったが、だからといって優しくする理由もなかった。
まあ、してるだろうな、ぐらいの気持ちは以前からあった。
私が入院している時から、私の服や下着を洗濯する名目で持ち帰っていた。なんとなく直感で、それで自慰行為でもしているのだろうと思っていた。
「別にいいよ。洗濯してくれるなら」
それに音瑠は驚いたような、嬉しそうな顔をした。そんなに私の使用済みの下着が嬉しいのか。私は小夜子の下着でそんなことをしようと思ったことはないが。
「ありがとう、南帆ちゃん!」
変な許可を与えてしまった気がした。今後も私の下着で自慰をすることを許可したつもりはないのだが。
とにかく音瑠の変態的な性癖が分かったことで、私も少し肩の荷が下りた。このアトリエの家賃や生活費は私の使用済みの下着で十分だろう。それに──私のショーツを握ったままの彼女の手を見る。
「その代わり、私の言うこと一つ聞いて」
「なに⁉︎ なんでも言う通りにするよ!」
私はこれから最低なことをしようと、させようとしていた。
私は彼女の前を素通りし、浴室の中に入り、浴槽の縁に腰掛けた。
「……何をすればいいの?」
音瑠が手で股間を隠しながら、不安げに、どこか期待した様子で私を見ていた。
私はおもむろにジャージの下を脱いだ。それを音瑠は凝視している。続けて私はショーツも脱いだ。浴槽の縁がお尻に冷たかった。
「え、なんで? どうして?」
音瑠が動揺していた。
「こっちに来て。私の前に座って」
音瑠は戸惑いながら浴室に入り、私の前に跪いた。私のお腹より少し上ぐらいに彼女の頭があった。
音瑠は小夜子とは全然違う。柔らかい髪に、丸みのある肉づき。裸に向けば、女らしい女がそこにいるだけだろう。小夜子とは全然違う。
しかし音瑠の手は小夜子の手に似ていた。指も、爪の形も。
私は小夜子の指先を思い出す。私の芋虫のような指とは違う。彫刻のように美しい、綺麗な指。音瑠の指はよく似ていた。
私は股を開いた。それに音瑠は驚いて顔を逸らしつつも、しっかりと横目に見ていた。
「南帆ちゃん、なに? どういうこと?」
彼女の頬は赤らみ、瞳は潤んで、欲情の色が見えた。
「また私の下着を汚されるよりいいかなって。それに、ずっと触りたかったんでしょ?」
「そう、そうだけど……」
十年前の卑屈に笑う音瑠と、今の彼女が重なって見えた。
「指で触れることだけは許してあげる。その代わり、私に触れている間は私の顔を見ないこと、一言も声を出さないこと、指以外で私に触れないこと。それを守れるなら触ってもいいよ」
音瑠の喉が上下した。
「嫌ならいいよ」
「嫌じゃない!」
「それなら、今言ったことを守れるなら、触ってもいいよ」
音瑠は唇を堅く結び、一度だけ私の顔を見た後、前を向く。そしてその右手をためらいがちに、私の局部へ近づける。私を傷つけた指。私が奪った指。小夜子に似た指。
彼女の右手の人差し指が、震える指先が、探るように私の襞に触れた。
「んっ──」
思わず腰を引いてしまった。
それに音瑠が弾かれたように私の顔を見上げる。何か言おうとして言葉を呑んだようだった。
私はもう一度、音瑠に念押しする。
「いいから。一言も声を出さないで。私の顔を見ないで」
音瑠は堅く唇を閉じ、うなずく。
どこまでも従順な彼女を見ていると、ふと残虐な気持ちがよぎるが、ぐっと堪えた。
ためらいがちな彼女の指先は、花弁を一枚一枚数えるように、その輪郭をなぞるように、私の襞に触れる。ゆっくりと。私のそこはすでに濡れているのに、ぎこちない彼女の指遣いがもどかしかった。
音瑠は身を乗り出して、息のかかる距離で目を見開いていた。彼女の熱い息がかかる。
私は目を瞑って、音瑠を掻き消した。小夜子の指を想像する。今私に触れているのは小夜子だと私に言い聞かせる。私は音瑠に触れられながら、小夜子に触れられていることを妄想した。
不意に音瑠の指が、私の入り口に差し込まれた。
「くっ──」
私は右手の指を噛んで堪える。左手でシャツの裾を掴む。
音瑠は、おそらく人差し指を、ゆっくりと私の中に沈めていく。私は痛いぐらいに指を噛んだ。彼女の指で感じていることを知られたくなかった。そのくせ彼女を脅迫して、こんなことをさせている。
音瑠の指が私の中から抜かれ、途中でまた私の中へ差し込まれた。
「んっ、くっ、ふぅ──」
繰り返されるたびに、少しずつ深く、私の奥へと彼女が入ってくる。むず痒く、切ない気持ちになった。
そのうち音瑠は私の中に指を沈めたまま、軽く指の関節を曲げて、私を内側から押し上げる。優しく、ゆっくりと、私の感覚を探っているようだった。
小夜子と比べて自信がなさげで、じれったく、物足りなく思えた。しかし私への気遣いが感じられた。
小夜子は、中指と薬指の二本を入れて、私の奥を突くように指を動かす。そして耳元で囁く。
「気持ちいい?」
「うん……」
正直、痛かったけれども、彼女が私にしてくれることが嬉しかった。必死に痛みを堪え、息を殺す私に、
「南帆、好き。大好き」
そう囁かれると、私はその痛みさえも愛おしく思えた。
音瑠の指は、気遣うようで、むず痒くさえ感じた。
そのうちに音瑠は人差し指を私の中に入れたまま、親指の腹で、包皮を被った私の突起を撫でる。それに電流のような刺激が私の中を走った。
「あっ──」
私はもう声を抑えることができなかった。体がひきつり、弓形に反る。それは私の意思で抑えることができなかった。
音瑠は内と外から私を責め立てる。彼女の熱い息が、剥き出しになった私の突起に触れた。
私は薄目を開けて彼女を見る。まつ毛と涙でぼやけた視界に、彼女のつむじが映った。彼女は真剣な顔で、右手で私の局部に触れながら、左手で自身のをいじっているようだった。
分かっていたことだが、音瑠の指遣いは小夜子とは違う。音瑠は優しく丁寧に私に触れる。もっと強引にしてほしい。もっと私をめちゃくちゃにしてほしい。そう思っても、口に出すことも求めることもしたくなかった。
それでも私の中から滲み出す液体に絡み合って、次第に音瑠の指が立てる水音は大きくなっていった。そのうちに彼女の指が私の体の秘密を解き明かしていく。どこをいじれば私の反応が大きくなるか、どこが私の弱点なのか。指を伝って彼女に知られてしまった。それまでむず痒くさえあった、渚に寄せる細波のようだった刺激が、大きなうねりとなって私の全身に広がる。そして下腹部を締め付けられるような痛みと同時に、私を貫くように、一際大きな刺激が脊椎を駆け上がった。それは光の速さで私の頭の中に達すると、激しく火花のように散った。
「あっ、いっ──」
私の意思を離れて体が痙攣した。それに合わせて何度も火花が散る。下半身から、全身から力が抜けて、浴槽に転げ落ちそうになった。私は思わず音瑠にしがみついた。私の指が彼女の肩に食い込む。骨を掴む硬い感触があった。
「南帆ちゃんっ……」
音瑠は痛そうに、切ない声を上げた。約束を破って私の名前を呼んだが、それを責め立てる余裕は今の私になかった。
私は彼女の指で達してしまった。
余韻が引いて凪ぐまで、私は音瑠の肩に掴まっていた。目の前に彼女のつむじがあった。
私の呼吸が落ち着くのを見計らってか、音瑠は指を引き抜く。空気の抜ける音がした。
「んっ……」
彼女の指が私の中をなぞった感触に、思わず声が漏れてしまった。
私は彼女の肩を掴んだ手を離すと、そこには痛々しく指の跡が赤く残っていた。
「ごめん、肩痛くない?」
「ううん、気にしないで。嬉しい」
音瑠が潤んだ瞳で微笑む。
私は急速に思考が冷めていくのが分かった。このまま一緒にいたくない。
「シャワー浴びたいから出てって」
「うん、分かった」
私は用済みになった彼女を追い出した。
音瑠が名残惜しそうに浴室から出ていく。彼女の内股もびしょ濡れだった。だからといって二人でシャワーを浴びるほど彼女に気を許したわけではない。
私は後悔を洗い流すように頭からシャワーを浴びる。私のお腹には五つの傷痕があった。鬱血したような赤い点の中に、赤黒い短い線がある。特にそのことは気にならなかった。それによって私が助かったことに、こうして生きていることの違和感の方が大きかった。
私は達して、それまでの欲求が霞のように晴れて冷静になると、激しい後悔と嫌悪感と罪悪感に苛まれた。なぜ彼女にあんなことをさせてしまったのか。なぜ私は正気を失ってしまったのか。
私の体は小夜子を知らないはずなのに、私は彼女の指を知っているから、私自身の指では満たされなかった。
だから、よりによってあんなやつに、あんなことをさせてしまった。
「ああ、クソっ……」
別にセックスをしたわけではない。こんなのほとんど自慰行為でしかない。音瑠の指はただの代用品だ。もし仮に私たちがセックスをしたとして、私は誰に気兼ねする理由もない。
小夜子とは別れた、そしてこの世界では付き合ってさえいない。罪悪感を抱く理由もない。
ただあの音瑠に体を許したことが、私にとって屈辱であり、嫌悪感を抱くには充分だった。
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その後のメインストーリーとはあまり関係してこない、単発で読めるショートストーリー集です。
※さくちゃん目線です。
※さくちゃんとかっきーは周りに内緒で付き合っています。メンバーにも事務所にも秘密にしています。
※メインストーリーの長編「さくらと遥香」を未読でも楽しめますが、46時間TV編だけでも読んでからお読みいただくことをおすすめします。
※ショートストーリーはpixivでもほぼ同内容で公開中です。
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