春の残骸

葛原そしお

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第一章

第八話

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 水曜日、朝──
 私は朝の支度を済ませ、出勤しようとした。その前に、ソファに座った杏奈にキスをする。
「いってくるね」
「いってらっしゃい」
 杏奈はふんわりと笑う。
 私は名残惜しいが、彼女の頬に手を添えて、親指で何度か撫でる。彼女は目を細めて、鼻で「ふふっ」と笑った。
 その時、インターフォンが鳴った。
 こんな平日の朝に誰だろうか。私は違和感を抱いた。
 特にネットで注文した覚えはなく、宅配便が届く予定はない。訪問者が間違えたのだろう。
 私はその間違いを正すべく、通話ボタンを押す。
「はい、西塚です」
 それに対して女性の声で、予想外の答えが返ってきた。
「朝早くから失礼します。警察です。開けてください」
「はい、今開けます」
 私は何事かと急いでドアを開けた。
 ドアを開けると押しのけるように、二人のスーツ姿の女性が入ってきた。彼女たちは警察手帳を開いて、私の目の前に突きつけてきた。そのうちの一人、年嵩の女性が言う。
「西塚小夜子さんですね。あなたには赤星杏奈さんへの誘拐および略取、監禁の疑いで、同行していただきます」
「ちょっと待ってください! いったいどういう──」
 そう言った年嵩の女性、彼女は三十代半ばだろうか。
 上下に開いた手帳の上には彼女の顔写真があった。顔写真の下には、

  警部補
  石倉 光穂

 とあった。手帳の下には警視庁のエンブレムがあった。
 その石倉光穂警部補は、きりっとした眉と目の間は近く、彫りの深い顔立ちをしていた。前髪は横に分け、額が見えていた。背は私より少し低い。
 もう一人は、興津勇子巡査。私と同じぐらいの年齢に見えた。石倉光穂の部下だろうか。背は私より少し高い。前髪は眉の先ほどで、後ろ髪は結んでいるようだった。丸顔で整った顔立ちをしていた。
 その背後、玄関の外にも二人の女性の姿があった。しかし容姿を見る余裕はなかった。
 私はただ気圧されて、石倉光穂の顔と、彼女が手に持つ警察手帳を交互に見ることしかできなかった。
 石倉光穂が口を開く。
「こちらに赤星杏奈さんがいますね」
「はい……」
 すると興津勇子が私の横を、土足で通り過ぎていった。
「あ、あの──」
 私が制止する間もなく、石倉光穂が私の肩を掴む。
 彼女たちの背後にいた一人が回り込み、私の前を遮った。
 その時、リビングの方から興津勇子が大きな声で、怒鳴るように叫ぶ。
「先輩! 安全確保しました!」
 続いて杏奈の悲鳴が聞こえた。
「サヨちゃん!」
「杏奈!」
 私が杏奈の方へ駆け寄ろうとすると、私の肩を掴む石倉光穂の手に力がこもる。骨に食い込むような痛みが走った。ずっしりと重く、今まで受けたことのない暴力に、私は驚きと恐怖で身がすくんでしまった。
 リビングにいた杏奈は暴れている様子で、興津勇子に腕を掴まれていた。
「もう大丈夫だから! もう大丈夫だからね!」
 興津はそう繰り返していた。
「やだ! サヨちゃん、助けて!」
「杏奈!」
 杏奈が怖がっている。助けにいかなければ。
 私は掴まれた肩を、大きく肘を振り上げて解こうとした。意外なことに容易く払い除けられた。
 それに対して、石倉光穂は大きな声で叫ぶ。
「公務執行妨害!」
 私の前を遮っていた女性が腕時計を見て告げる。
「午前七時三十三分!」
 それに私の体は萎縮した。ことの重大性を理解した。
 石倉光穂に手首を掴まれ、前に引き出される。そしてそこに手錠がかけられた。金属同士が噛み合う、鍵のかかる音が聞こえた。
 杏奈の私を呼ぶ悲鳴が聞こえる。
「杏奈……どうしよう……どうすれば……」
 私は恐怖で頭が真っ白になってしまった。
 どうすることもできず、両手を拘束され、部屋から連れ出された。

   *  *  *

 無機質で閉塞的な部屋。いわゆる取調室に私はいた。
 ドラマや映画の中でしか見たことがなかった。まさか私がここに訪れる日がくるとは、警察に捕まるようなことになるとは夢にも思わなかった。
 私は手錠を外され、まず壁を背に立たされ写真を撮られた。次に鉄パイプの椅子に座らされ指紋をとられた。
 それから向かい合うように興津勇子が座る。彼女はノートパソコンに向かってキーボードを打ち鳴らしていた。
 その背後に石倉光穂が壁にもたれて立ち、私の方を向きながら言う。
「西塚さん。あなたは赤星杏奈さんを誘拐し、監禁していましたね」
「違います! 私は杏奈を誘拐なんてしていないし、監禁もしていません! 何かの間違いです!」
「あなたには被害届が出されています」
「誰から?」
「あなたが気にすることではない」
 石倉光穂は答えなかったが、もし通報されるとしたら、杏奈の母か親しい友人か。後者は思い当たる人物がいないし、無関係な他人が通報して警察が動くとも思えない。杏奈の母が警察に被害届を出したのだろう。
「それより杏奈は? 杏奈は今どうしているの?」
「彼女は我々で大切に保護しています。彼女のことより、まずあなた自身のことを気にしたらどうですか?」
 そう石倉光穂は言った。
 興津勇子は私から何も情報が得られないからか、ずっと手が動いていなかった。
「正直に話してください。あなたには略取、誘拐の嫌疑がかけられています。なぜ赤星さんを誘拐したのですか?」
「略取?」
 ニュースなどで聞いたことがあるが、いざその嫌疑をかけられて、その言葉の意味を知らないことに気づいた。
 それに石倉光穂が答える。
「暴行や脅迫などの行為で強制的に連れ去る行為のこと。誘拐は、嘘や誘惑で人を騙して連れ去る行為のこと。赤星さんの場合は、成人ではあるが重い精神障害を抱えている。彼女の監護権は保護者にあります。あなたは保護者を騙して、あるいは彼女を暴力で連れ去った。障害年金など給付金を詐取するために彼女を誘拐したのでは?」
「私は彼女を守りたかっただけ! 本当にひどい環境だったから。あのままだったら彼女は死んでいた! それに私が杏奈を引き取ることを、お母さんは同意してくれていた」
 私の弁明に、今まで黙っていた興津勇子が怒りを露わに言う。
「あなたは彼女に十分な治療を受けさせず、監禁していたでしょ! あなたの妄想で彼女を苦しめていた自覚がないの? 人の弱みにつけ込んで、家族を引き離して、少しは反省したらどう?」
「興津巡査」
 石倉光穂が諌めるように彼女の名前を呼んだ。
「失礼しました」
 興津が黙ってパソコンの画面に向かう。
 石倉は続ける。
「営利目的の略取、誘拐罪は、一年以上、十年以下の懲役になる。赤星さんを誘拐したことを認め、本当のことを話したらどう? 取り調べに素直に応じれば、減刑される可能性があります。すでにあなたが彼女を誘拐した事実は明らか。言い逃れはできない。なぜ彼女を誘拐したのですか?」
「彼女の置かれていた環境があまりにもひどかったので、助けるために引き取りました。それに彼女も私と一緒にいることを望んでいました」
 それに興津勇子は再び顔を険しくする。
「それはあなたの身勝手な妄想では? 被害者は重い精神の障害を抱えていて、あなたに脅迫されて、恐怖から従っていただけでは?」
 ひどい言われようだった。私も怒りを覚えた。しかし私のことより杏奈のことだ。彼女はどうなってしまうのか。ひどい扱いを受けていなければいいが。
「杏奈はどうなるんですか? またあの部屋に戻されるの? やっと立ち直ってきたのに。また逆戻りになっちゃう! 杏奈は私じゃないとダメなの!」」
「身勝手な思い込みで家族を離れ離れにして、あなたの考え方は傲慢で悪質です! ご家族の気持ちを考えたことがあるんですか?」
「杏奈は私がいないとダメなの! 杏奈は私が守る!」
 興津がまた何かを口にしようとしたのを、石倉が肩に手を置いて制止する。
「赤星杏奈さんは、客観的に見て美人ですね。あなたはどう思いますか」
「はい、そうですね……」
「あなたは彼女に売春をさせたり、性的な写真や動画を撮影し、販売していたのでは?」
「そんなことしてません!」
「あるいはあなたが性的な暴行を加えていたのでは?」
 それに私は反論しようとして、言葉を呑んだ。
 この人たちに、私たちが愛し合っていることを主張したとして、それを理解してもらえるとは思えなかった。
 しかし沈黙したことで、石倉光穂の気配が変わった。
「あなたは猥褻目的で、赤星杏奈さんを誘拐したのでは?」
「そんな事実はありません……それに女同士で……」
「同性同士でも強制猥褻は成立します。赤星さんは病院で検査を受けています。証拠が見つかれば言い逃れはできない。このまま否認を続けるのなら裁判で不利になりますよ」
 どのような痕跡が性的暴行の証拠として扱われるのだろうか。強引なことや乱暴なことはしていないが、キスマークがどこかにあるかもしれない。私の体液が彼女の体に残っているかもしれない。
 ただ何も真面目にこの取り調べに応じる必要はなかった。
 過去に戻り、未然に事態を防げばいい。
「私は杏奈を傷つけるようなことはしていません」
「そうですか」
 石倉光穂は私を追及するのを諦めたようだ。

   *  *  *

 一時間ほどして私は解放された。しかし案内された先は留置場だった。
 留置場の部屋は、通路に面した側が鉄格子だった。下半分に不透明なパネルが取り付けられていた。部屋の中には何もなく、座布団もない。冷たい床にそのまま座るしかなかった。
 服はスウェットに着替えさせられた。着ていた服は取り上げられた。
 そこで私が一番困ったことは、部屋に暇つぶしの道具が何もないことでも、トイレが丸見えであることでも、お風呂に入れないことでもなく、就寝時間が決められていることだった。
 看守に見咎められようが、寝てしまえばこちらの勝ちだが、果たして過去に戻っている間に起こされるようなことがあるのか、その場合どうなるのか不安材料があった。
 座ったまま眠ろうかと思ったが、やはり警察に捕まったショックと取り調べのストレスで、神経が昂り、眠れる気が全くしなかった。
 とにかく状況を整理して、落ち着くことにした。
 分かったこと、および私の推測──
 誘拐については、私の思慮に欠ける部分があったので、疑われるのは仕方ないと思えた。ほかに給付金詐取および強制猥褻の疑いもかけられている。このうちの給付金については、杏奈の障害者年金のようなもののことだろう。そして最初に給付金の詐取を疑われたのは杏奈の母ではないだろうか。
 興津勇子の「十分な治療を受けさせず」という言葉から、杏奈の主治医が通院してこないことを不審に思い、杏奈の母に連絡したか。杏奈の不在に給付金の詐取を疑われ、それに驚いた杏奈母が、私が誘拐したと警察に通報した。
 それにより私が給付金詐取を目的とした略取・誘拐という嫌疑をかけられ、逮捕に至った。と推測した。
 この推測が合っている必要はない。
 このことから私の失敗は、杏奈に治療を受けさせることを失念していたこと、および杏奈の母へのアフターケアを怠ったことが問題として浮上した。
 この二点をクリアすれば、今回の事態は避けられる。
 杏奈を引き取った一週間後あたりに戻って、これらの処理を徹底すれば、次に目覚める時は元通りの生活になっているはずだ。

   *  *  *

 再び私は取調室に連れて行かれた。
 今度は別の二人の女性刑事が相手だった。今朝私を捕まえに来た、石倉と興津を以外の二人でもなかった。
「夏目紗良です。西塚小夜子さん、よろしくね」
 私の向かいに座った眼鏡の女性はそう名乗った。夏目は優しく微笑む。年齢は石倉光穂と同じぐらいだろうか。先の二人に比べて線が細く、威圧感がなかった。
 私たちの横にもう一人が座る。小柄な女性だった。年齢は私よりも若そうだった。彼女はノートパソコンを開いて画面に向かっていた。二人組の一方が記録を取る係なのだろう。
「唐戸絢です」
 小さく弱々しい声音だった。別に強面でもない私に対して、怯えたように身を竦ませていた。それとも私は、実は怖い顔をしているのだろうか。なんだか不安な気持ちになった。
「女性の方が多いんですね」
 私はそう尋ねた。少し気楽な声音になったのが自分でも分かった。
 先の二人に比べて大人しそうな二人に、別に私は調子づいたわけではない。
 過去を変えるまで、それも今夜までの辛抱だが、否認し続けたり、黙秘をしても面白くない。いくらボロを出しても問題ないので、積極的に会話して探りを入れることにした。何か有用な情報を得られるかもしれない。
「そうですね」
 夏目は微笑む。その柔和な様子に、おそらく石倉や興津よりも、情報を引き出すのに彼女が適任と判断されて送り込まれてきたのかもしれない。
「私たちは女性だけのチームで動いています。性犯罪やストーカー事件の女性被害者の方の相談や支援を目的として発足されました」
「女性加害者に対する逮捕や取り調べも?」
 それに夏目は苦笑する。
「そうですね。被疑者の逮捕時や、激昂された方を取り押さえる場合、どうしても身体的な接触を伴います。それに対して性的な接触や暴力があったと申し立てられることが想定されます。しかし同性の女性警察官であれば、被疑者自身も、必ずしも望んで罪を犯したわけではないでしょうから、安心して逮捕されることが期待されます」
 鋭く切り込んでくるナイフのような石倉に対して、夏目の受け答えは穏やかで柔らかい印象を受けた。
「──この日に赤星杏奈さんを連れ去ったのは事実なんですね?」
「杏奈を連れて帰ったのは事実です。しかしそれについては彼女のお母さんの同意を得ています。直後のメールのやりとりを見ていただければ分かると思います。私は彼女を誘拐したのではなく、保護のために引き取ったんです」
 私はスマートフォンを提出していた。何を見られても問題ない。やましいところは何もないし、仮に問題があっても過去を変えるので、どうせこのことはなかったことになる。
「赤星さんのお母さんが、あなたが赤星さんを引き取ることに同意されたんですね?」
「はい」
「でもどうして、重い精神障害を抱えた赤星さんを引き取ろうと思ったんですか?」
 恋人だから、というのは今の世界線では嘘になる。
「……親友だから」
「とても仲が良かったんですね」
「中学からの親友なので」
 そこで唐戸絢がおずおずと口を挟む。
「それなのに一年前、あなたたちの間に何があったんですか?」
「え──」
「赤星さんが精神障害を発症する直前、あなたの家を訪問していますね。その翌日、あなたは彼女に謝罪の連絡を入れています。それに対して赤星さんからの返信はなかった。あなたの謝罪の内容から、二人の友情を壊すような何かがあったんじゃないですか?」
「それは、今回のことと、何か関係がありますか?」
「いえ、その、親友であるというのがあなたの妄想で、赤星さんのお母さんを欺罔して、彼女を誘拐したのではないかと思いまして。あるいはその際に彼女に重い心的外傷を与え、それが要因となって彼女が精神障害を発症したのでは? あるいはその際のことを隠蔽するために──」
「そんなことはありません」
「はい、あの、すみません……」
 唐戸は引き下がる。
 確かに客観的な事実として、私と会った直後に杏奈は統合失調症を発症した。しかし私はそれ以前の世界線で既に彼女が発症したのを知っている。
 再び夏目紗良が進行を司る。
「西塚さんは赤星さんを引き取った後、彼女を監禁していたのは事実ですか?」
「いいえ。私が仕事のない日は、一緒に散歩したり、美術館に行ったりしていました」
「具体的な日付やその日の行動は思い出せますか」
「はい──」
 私は乗せられているのは分かったが、素直に反論していった。

   *  *  *

 就寝時間は二十一時。
 布団は自分で取りに行き、それを留置場の部屋に戻って敷く。消灯はされず、電気がついたままだった。顔を見せて眠らなければならない。私は仰向けに寝るのが苦手だった。
 ただ眠ってしまえばこっちのものだ。
 杏奈を引き取った頃に戻って、先の問題をクリアすればすべて解決する。
 隣に彼女がいないのが寂しい。
 彼女の体温に触れたい、彼女に名前を呼ばれたい、彼女の笑顔が見たい。
 過去を変えて、もう一度彼女との生活を取り戻す。そう決意した。
 杏奈、待ってて。一日だけ。明日には元通りだから。

   *  *  *

 私は目を覚ました。
 そして目の前の天井に困惑した。留置場の天井だった。
 眠ったつもりになっていただけなのだろうか。
 そうではないことは、看守が点呼に来たことで分かった。
 私は呆然としていた。
 過去に戻ることができなかった。
 どうして。なぜ。
 いつもと条件が違ったからか。
 自室でなければならないのか、部屋を暗くしなければならないのか、横向きに寝なければならないのか。そんなことではないと分かっていた。
 杏奈が隣にいない。
 杏奈が隣にいることが、過去へ戻る条件だったのではないだろうか。
 彼女と引き離された今、私はもう過去に戻ることができないのではないか。
 絶望と無力感に私は打ちのめされた。
 どうすればいい。このままだとどうなってしまうのか。二度と彼女と一緒にいることができないのだろうか。
 そうだ。杏奈を誘拐して、一緒に寝ればいい。
 一刻も早くここから出なければ。
 しかし杏奈を誘拐するとして、彼女がうまく歩けないことを考えると、果たして成功するとは思えない。それならば彼女の家に立てこもって、一緒に寝ればいいのか。
 だが本当にもう一度彼女と一緒に寝れば、過去に戻れるのだろうか。すべての状況を再現する必要があるかもしれないし、見落としている要素もあるかもしれない。
 杏奈を救うために、一緒にいるためにリスクは恐れないが、仮説に誤りがあれば二度と会えなくなる可能性もある。
 たとえば失敗して、私が収監された場合、その間に杏奈があの劣悪な環境で命を落とすかもしれない。
 なので失敗は絶対に許されない。
 杏奈誘拐は最終手段であり、入念な準備が必要だ。
 もしかしたら単純に私が過去に戻れなくなっただけかもしれない。過去に戻れない場合も想定しておく必要がある。
 ほかに過去に戻る方法はないか。
 そこで私は浅羽虹架を思い出した。
 私と杏奈の身に起きた時間遡行現象は、浅羽虹架によって引き起こされた可能性がある。
 しかしそれもここを出なければならない。
 私にかけられている、言いがかりのような罪状をすべて認めれば、すぐにでも釈放されるだろうか。
 刑務所に何年も入れられてしまうのか、執行猶予がつくのか、特定の人物との面会をこちらから希望を出せるのか。
 どうすることが最良か、私には分からなかった。
 もっと刑事ドラマやミステリー物を見ておけばよかったと強く後悔した。

   *  *  *

 木曜日、朝──
 その日は取り調べがなかった。
 私の不安や懸念に対して、呆気なく釈放された。
 警察署の前で、私に同行した興津勇子巡査に尋ねる。
「どうして釈放?」
「あなたへの被害届が取り下げられた」
 どうして被害届が取り下げられたのか知りたかったのだが、それよりも杏奈は今どうしているのだろうか。
「杏奈は今どこ? どうしているの?」
 常識的に考えれば、赤星家に連れ戻されているだろう。それでも、もしかしたら彼女を返してもらえるのではないか、そんな淡い期待があった。
 興津は苦々しい顔をする。
「もしあなたが逆恨みし、赤星さんへの復讐や報復を考えているのなら、私たちが全力で阻止します」
 相変わらずひどい言われようだった。
 私は彼女を無視して警察署を離れ、急いで帰路につく。
 返却されたスマートフォンには、玄野先輩からの着信が何度も来ていた。しかし私は彼女に連絡する気が起こらなかった。
 今はそんなことにかかずらっている暇はなかった。
 私は地図アプリで帰りのルートを確認し、すぐに浅羽虹架について検索する。
 虹架のことはすぐに見つかった。
 都内の大学院にある、脳科学研究室のウェブサイトに、彼女のプロフィールが掲載されていた。

  分子脳科学研究科 博士課程
  浅羽虹架

 彼女の近影が掲載されていた。間違いなく彼女だった。
 白衣姿の、肩から上、右斜めの顔が写っていた。縁のあるスクエア型の黒い眼鏡をかけていた。当時はモデルのような美少女だったが、さらに美しさに磨きがかかっただけでなく、理知的な印象も加わり、恐ろしいほどの美女になっていた。
 研究テーマは『脳神経系における量子効果』とあった。
 超能力についてはもう実験はしていないのだろうか。あるいはその延長でこの研究をしているのだろうか。
 また私と杏奈の身に起きた時間遡行現象、このことに彼女がどう関わっているのか、まだ見えてこなかった。
 とにかく彼女に会って話をしなければならない。
 彼女のプロフィールの下に、在籍する大学院のメールアドレスが記載されていた。私は今の浅羽虹架にコンタクトを取ることにした。
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