春の残骸

葛原そしお

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第一章

第七話

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 杏奈の話をそのまま信じるのなら、信じ難いが、かつての世界線──あるいは時間軸、時空とでも呼ぶべきか──では、私と杏奈は交際していたようだ。そして私の死を回避するため、杏奈は過去を変えた。
 私が死ぬことと、それによって杏奈が過去を変えることは矛盾しない。しかし杏奈が私と付き合わない、あるいは関わりをなくすことによって、私の死ぬ過去が変わるというのは、よく分からなかった。
 果たして私はどう死ぬ、あるいは死んだのだろうか。杏奈と一緒にいることが私の死に関係しているのなら、今もこうして彼女と一緒にいることで死ぬことになるのだろうか。それなら理由を教えてくれそうなものだが、何やら言いたくない様子だった。
 私自身は私の死因についてそれほど興味がない。どう過去を変えれば彼女を救えるか、重要なのはそれだけだった。
 そもそも彼女が壊れた原因は、周囲が言うように仕事のストレスなのだろうか。もしかしたら私の死を回避する代償に、彼女が壊れてしまったのではないか。なぜかそんな可能性が脳裡をよぎった。
 別に私が死んで彼女が救われるなら喜んで命を差し出すが。それでもまた彼女自身が過去を変えるようなことになって、同じことなっては意味がない。それに私が死ぬ世界線で、果たして彼女が無事かなど確かめようがない。
 とにかく杏奈の話を信じるのなら、私の死と、眠ることで過去に戻るこの現象が関係しているらしい。もしかしたらこの現象について解き明かすことで、手詰まりの現状を変えられるかもしれない。
 それに原因を解明すれば、何度も過去に戻れるかもしれない。なんとなくまだ戻れるような気がしていたが、果たしてあと何回できるか、そもそももう一度戻ることができるかも分からない。
 今までできなかったことが急にできるようになったのだから、何か理由や条件があるはずだ。
 そしてこの現象の鍵を握るニジカという人物。杏奈は私がその人物と会うことを、必死で止めようとしてきた。その人物が私の死に関わっているのかもしれない。
 しかし私はニジカという名前に聞き覚えはなかった。おそらく会ったこともない。
 ただ記憶に引っかかるものがあった。
『なんか新キャラ出てきた』
 高校生の時、そう英美香に連絡したのを思い出した。
『なにそれ?』
『なんかニジカとかいうやつ。杏奈が楽しそうにそいつの話してた。死にそう』
『男?』
『知らない。女でもやだけど』
『人間じゃないといいね』
『ほんとそれ』
 あれから私は杏奈のことで、愚痴や相談を英美香にするようになった。また英美香は私たちの間を取り持ってくれたりもした。
 ニジカという名前。一度だけ、高校生の時に、杏奈の口から名前が出たことを思い出した。私が体験したものではない、過去が変わって生まれた記憶だから、すぐには思い出せなかった。その記憶では、彼女のクラスメイトの名前のようだった。
 例によってその日は、放課後に地元のファミレスで杏奈と会って、一緒に何か勉強をしていたはずだ。
 私はこの日に戻れるか試してみることにした。
 杏奈には警告されたが、ニジカについて情報を集める必要を感じた。
 杏奈ニート化計画が停滞している以上、私は搦め手に出る。

   ◆  ◆  ◆

 高校一年生、六月──
 また私は過去に戻ることができた。
 この日は、期末テストが近いこともあり、私たちは一緒に勉強する約束をしていた。
 放課後、私たちは予定が合えば、週に何回かの頻度で会っていた。その都度、お互いに違う高校なので、私は杏奈と地元の駅で待ち合わせをした。
 一緒にカラオケに行くこともあれば、どちらかの家に行って遊ぶこともあった。しかし杏奈ニート化計画の進捗はあまり思わしくない。
 改札の外で彼女を待っていると、杏奈が下車した人混みの中にいた。私を見つけると、笑顔で手を振ってくる。こういう彼女の仕草がたまらなく可愛く思えた。正直、何をしてても、何もしてなくても可愛いのだが。
 杏奈が改札を抜け、私の前に立つ。
「お待たせ」
 中学生の彼女はまだ幼さを残して可愛いが、高校生になって大人びて美しくなった彼女も深い趣きがあった。
「ううん。私もさっき来たところ」
「どこ行く?」
「ファミレスでいい? でも杏奈、夕飯あるか」
「お母さんに食べてくるって連絡すれば大丈夫だよ」
 この日は勉強に集中できないから外食にした。私の部屋や、ましてや彼女の部屋で勉強すると、彼女のことが気になって集中できない。
「今日はそっちなんだね」
「え?」
「なんでもない」
 そう杏奈が微笑む。
 場所のことか、髪型か服装のことだろうか。私は少し気になって前髪をいじった。
 私たちは駅から歩いて数分のところにあるファミレスに入る。
 店内はそこまで混んでいなかった。私たちは窓際の四人がけの席に座った。ドリンクバーの向かいだった。
 私たちはポテトの山盛りと唐揚げ、ドリンクバーを注文する。
 ドリンクバーで、私はプラスチックのコップに野菜ジュースを汲み、杏奈は陶器のカップにティーバッグを入れてホットの紅茶を作る。彼女のカップから、マスカットのような爽やかな甘い香りがした。
 私は苦手な物理を、杏奈は英語のテキストを広げて勉強する。もちろん私は英語も苦手である。
 物理のテキストの、テスト範囲のページを開くと、私はもうやめたい気持ちになった。私は今になっても物理が全然分からなかった。
 それに今の私が勉強したところで、記憶は継承されるが、何の意味もない気がした。結局今の私が分からない以上、過去の私は勉強に失敗しているのだから。今日一日、私が頑張ったところで焼け石に水だ。
 注文した山盛りのポテトが届く。テーブルの真ん中に置いて、それぞれ摘む。杏奈は油で指が汚れることを嫌って、一つ食べるごとにウェットティッシュで指を拭いていた。
 私は自分の指を舐めながら、彼女の指を舐めたい衝動に駆られたが自制する。
 勉強に身が入らない私に杏奈が気づいた様子だった。
「どこか分からないところある?」
「何にも分からない。というか物理とか、こんなん勉強して、人生の何の役に立つの?」
 私は思わず長年の疑問を口にしてしまった。実際こんなもの分からなくても、私の人生には何の支障もなかった。その支障に気づかずに生きてきただけかもしれないが。
「役に立つかは分からないけど、私たちの生活には関わっているよ」
「どんな?」
「たとえば地図アプリ。サヨちゃんも使うでしょ?」
「うん」
「もし自分のいる場所が間違っていたら困らない?」
「初めて行く場所とか、待ち合わせの時に困るかも」
「でしょ? 地図アプリの位置情報が正確なのはね、相対性理論に基づいているからなの」
 相対性理論という名前だけは分かった。中身がどんなものかは分からない。それを察したのか杏奈は解説してくれる。
「相対性理論は、アインシュタインが提唱した物理学の理論で、速さが光速に近づくと、時間が遅くなったり、質量が増加したりするという特殊相対性理論と、質量が時空を歪ませ、物体はその歪んだ時空に沿って動くという一般相対性理論の二つの枠組みに分かれるの」
 私は彼女が日本語で話していることだけは分かった。
「自分が今いる位置を測定するには、GPSというシステムを使うの。全地球測位システムの頭文字をとったのがGPSね。この人工衛星、いわゆるGPS衛星と、私たちの持つスマートフォンが電波を送受信して、その送受信の時刻の差から、GPS衛星との距離が分かって、私たちの今いる場所が分かるんだ」
「それはなんとなく、聞いたことがあるような、知っているかも」
 杏奈は目を細めてふんわりと微笑む。
「このGPS衛星は、秒速約4kmという速度で進んでいて、約十二時間で地球を一周するの。時速に直すと約1万4400km。特殊相対性理論では、速く動く物体は時間が遅く進むから、GPS衛星の中の時間は私たちより、一日あたり100万分の7秒遅くなる。ちなみに時速300kmの新幹線で、東京から博多に移動すると、新幹線の乗客の時間は10億分の1秒遅くなるから、ほんのわずかに未来へ移動できるんだ」
「なるほど」
 身振りも交えて一生懸命説明する杏奈が可愛くて、私は身を乗り出して聞く。
「さらにGPS衛星は約2万km、上空を周回していて、一般相対性理論では、重力の影響が弱いと、時間の進み方は早くなる。反対に影響が強いと、時間は遅くなる。地球から離れるほど重力は、距離の二乗に反比例して弱くなるから、地上にある時計よりも、衛星軌道上の無重力状態にある時計は100万分の48秒だけ早くなるの。この二つのことから、GPS衛星の時間は一日で100万分の38秒、地上より早く進むの。たったそれだけと思うかもしれないけど、もしズレたままだと、位置の計算に1km以上の誤差が出るから、大変なことになるよね」
「そうだね」
 私はなんだか壮大な話すぎて、実感がわかなかったが、杏奈は楽しそうに饒舌に語っていた。
 しかし杏奈とより親密になるためには、こういった話題ができないといけないのか。
 そこで唐揚げが届いた。私は杏奈との温度差を誤魔化すため、添えられたレモンに手を伸ばす。
「レモンかける?」
「お願い」
 私は親指と人差し指でレモンを挟み、皮を下向きにして潰す。この方がレモンの汁が無駄なく絞れる、と何かで見たか聞いた。
 私はここで杏奈の言ったことで、ふと思ったことがあった。
「新幹線がほんのわずかに未来に行けるなんてタイムマシンみたいだね」
「そうだね」
「逆に、過去に行く方法はないの?」
「うーん……」
 杏奈は唇に指を当てる。何かを考えたり思い出したりするときの仕草だった。張りのある唇に、細く美しい指先が添えられるのは、なんだか性的だった。
「光速に近づくほど時間の流れは遅くなるけど、物体が光速を超えることはできないし。エントロピーの増大で時間は不可逆だから。仮にもし過去に戻る装置があっても、同じ場所に二つの分子が存在することはできないから、過去にわずかでも戻った瞬間に衝突してしまう。ワームホールを使った仮説もあるけど……」
 私は唐揚げを一つかじった。レモンの酸味が唐揚げの塩気と風味に合った。
 現に私は過去に戻り、今この場にいる。彼女ならこの現象について何か知っているのではないかと思ったが、知っているのはまだこの時の彼女ではないようだ。もし知っているとしたら彼女ではなく──
「あ、でもニジカなら何か知っているかも」
 私は口の中が渇くのを感じた。一口、野菜ジュースを飲んで潤す。緊張が走った。
 不意にニジカの名前が出た。過去に戻る現象に関係していると思われる人物。
「そのニジカ、ってどんな人?」
「浅い羽で浅羽、虹を架けると書いて虹架。同じクラスで、すごい美少女なの。モデルみたい。勉強もできて物知りで、面白い子」
 私は会ったこともないのに、杏奈にそう言わせる虹架に嫉妬した。杏奈から見ても美少女とは、どれだけ美しいのだろうか。対して彼女が私のことをどう思っているのか気になったが、言葉にせず飲み込んだ。
 だから過去の私は、虹架のことを聞きたくなくて話題を逸らした。
 しかし今回は虹架の情報を引き出さなければならない。私は平静に努める。
「仲良いんだ?」
 少し声が低くなった。
 杏奈は気にした様子もない。
「仲が良いというか、虹架と話すのが私しかいないから。虹架から見ると仲が良いんじゃないかな」
「そう」
 言葉とは裏腹に、どこか杏奈は嬉しそうに、得意げに見えた。
 もし未来の杏奈を迎えにきたのが、私ではなく虹架だったら、彼女はどう思ったのだろうか。などと、今はそんなことを考えても仕方がない。
「その虹架とはどんな話をするの?」
「それなんだけどね。面白い実験をやってるんだ」
「実験?」
「サヨちゃんは超能力ってあると思う?」
「超能力? ある、んじゃない?」
「どんなのがあると思う?」
 杏奈が白い歯を見せて笑う。それから唐揚げを一口かじる。私は試されている気分になった。
「サイコキネシスとか、テレパシーとか」
 杏奈は咀嚼したのを飲み込み、少し間を置いて続ける。
「……超能力が二つに分類されるのは知っている?」
「PKとESP。PKはさっき言ったサイコキネシス。いわゆる念力とか念動力のこと。手や道具を使って直接物体に触れずに、物を動かしたり燃やしたり、物理的な現象を引き起こす力。ESPは超感覚的知覚。テレパシーや千里眼、五感を超越して知覚すること。物理的に距離のあることを知ったり、直接見たり聞いたりしないで、出来事を知覚する力。ってところかな」
「さすが!」
 何に対する「さすが」なのか。ただ杏奈に感心されて悪い気はしなかった。
 杏奈はもりもりと唐揚げを食べた後、続ける。ほっぺたを少し膨らませて食べる姿も可愛かった。
「虹架はその実験をしているの。ESPの一つ、未来予知について」
「未来予知?」
 虹架は未来に関することを研究していたのか。
 私と杏奈の身に起きていることは過去への時間移動。過去と未来の違いはあるが、どちらも時間に関係している。
「未来予知といっても、未来の出来事を予言するとか、そんなおおげさなものじゃないんだけど。予知的感覚、予感実験っていったほうがいいかな」
「どんなことをするの?」
「サヨちゃんも興味ある?」
 杏奈が少し身を乗り出して笑う。
 実際、私の好きな話題で内容だった。そして今、私の身に起きている現象にも関係している可能性が高い。
「今度の日曜に虹架の家に行くんだけど、サヨちゃんも来る?」
「行く」
 私は即答した。うなじの毛が逆立つような、指先がひりつくような感覚がした。杏奈が虹架と二人で、しかも相手の家で会うということに、私の体に緊張が走った。
「サヨちゃんの知りたいこととは違うかもしれないけど、虹架に聞いてみたら?」
 私の気など知らないで、杏奈が無邪気に言った。
 私は真相を知ることよりも、杏奈が虹架の家に行くことの方が問題だ。絶対に割って入らなければいけない。

   ◇  ◇  ◇

 目を覚ますと、私の中に虹架の記憶があった。
 私が彼女に会ったのはその一度きり。それでも彼女のことをはっきりと思い出せた。
 浅羽虹架。杏奈とは違うタイプの美少女だった。
 私は虹架と会った日のことを思い出す。

 彼女と会った日のこと。
 会話の細部については断片的に、且つ曖昧にしか思い出せないが、その奇妙な体験は忘れられなかった。
 私たちは彼女の家の最寄り駅で待ち合わせをした。
 杏奈とは地元から一緒に行く。相変わらず杏奈の私服姿は可愛かった。白のカーディガンにベージュのワンピース。いつも以上におしゃれをしている様子はないが、私は見逃さないようつぶさに観察した。
「虹架、美人だけど、少し変わった子だから。でも悪い子じゃないよ」
「そうなんだ」
 それに私は内心穏やかではなかった。
 駅前で待っていると、ロータリーに一台の黒い車が止まった。車について詳しくは知らないが、シンプルで流麗な車体から、お高いことだけは分かった。
 その車から一人の少女が降りてくる。
 浅羽虹架だ──
 一目で彼女と分かった。そう直感したのは、ただ私が目を逸らせなかったからか、そうであってほしいと思ったからか。あるいは杏奈が美少女と称したことに納得がいったからかもしれない。
 梅雨の曇り空の下、光沢は鈍いが、漆を塗ったような艶やかな黒髪の少女。前髪は水平に切り揃えられ、長い髪は胸より先まである。
 彼女はすらりとした細身に、唇と同じ色をした丹朱のワンピースを着ていた。そこから大胆に露わになった胸元と肢体は雪のように白い。白と黒の対比に、本来は鈍い色の朱色が際立った。背は百六十五センチ程だろうか。私たちより背が高いのに、手足が細く、脚に至っては私の腕より細いのではないだろうか。ただ胸は私より小さく、Aカップもなさそうだった。
 彼女は顔も細く小さく、やや面長。目は切れ長で奥二重。黒目と白目の境がはっきりとして、深い黒色の瞳は宝石のようだった。形の綺麗な、細く高い鼻をしていた。少し厚みのある下唇が、完璧な氷の彫像のような彼女の中で、唯一人間的で性的だった。
「虹架」
 そう杏奈が嬉しそうに手を振り、歩み寄る。私はそれについて行く。
「待たせた?」
 虹架の声は低く、澄んだ響きがあった。
「ううん。こちら、西塚小夜子さん」
 杏奈が私を紹介した。
「初めまして……」
 私は緊張して声が上擦りそうになった。
「浅羽虹架。よろしく」
 虹架は簡潔に言うと、先ほど降りた車を振り返る。
「車を待たせている。乗って」
 二人が並んで歩くと壮観だった。その場に私は相応しくないと、惨めな気持ちになった。
 気後れしていると、不意に杏奈が振り返る。そして私の手を取ってくれた。
「行こう」
 その笑顔に救われたような気持ちになった。
 彼女の手は冷たいけれど、しっとりとして滑らかで、いつまでもつないでいたかった。
 しかしその夢見心地はすぐに終わった。車に乗るため、その手は解かれてしまった。
 私たちは後部座席に座り、虹架は助手席に座る。シートの座り心地がよく、返って落ち着かなかった。
「出して」
「はい」
 ドライバーは黒いスーツ姿の、三十代前後の女性だった。彼女の運転で車が発進する。
 内心、お嬢様だな、と感心した。こんな暮らしをしている女子高生が現代日本に存在しているとは。
 それから虹架の家に着くまで、車で十分ほどかかった。その車中では杏奈と虹架がずっと会話をしていた。
 虹架の声音に感情の抑揚はなく、無機質な印象を受けた。
 二人は学校のことや、何か難しい話をしていた。ただ私は杏奈がいつもより楽しげに感じられ、少し気分が悪かった。
 私は彼女に何か聞くことがあったはずなのだが、思い出すことができなかった。──というのも過去の私は、未来の記憶もなければ、ましてや時間を移動する現象を知らない。杏奈と虹架が親しくなるのを阻止するために乗り込んだのだ。

 そのうちに浅羽家──浅羽邸と呼ぶべきか、高級そうな住宅街の中、一際立派な豪邸があった。
 車は鉄格子の門扉の前に止まる。私たち三人は車を降りた。
 虹架が何かボタンを取り出して押すと、門が開いた。
 広い庭には、低木の植え込みや、いくつか背の高い細い木があった。真ん中には円形の花壇があり、地面には導線代わりのタイルが敷かれていた。庭だけで私の家より大きかった。
 その先にある浅羽邸は、洋館といった外観をしていた。左右対称で、中央に玄関がある。窓から二階建てと分かったが、こういう家には屋根裏部屋がありそうだ。
「すごい家……」
 思わず感嘆を漏らした。
「ね!」
 それに杏奈が同意する。
 虹架は先を歩いていたが振り返る。
「私の母がアール・ヌーヴォー趣味でな」
「へぇ」
 としか答えられなかった。
 確かに浅羽邸の外観には曲線的な装飾が見て取れた。
 私たちは庭を抜けて玄関を潜る。
 玄関ホールには、左右に二階へ続く階段があった。虹架は右手の階段を上る。二階に上がってすぐの一室に私たちは入った。そこが虹架の部屋だった。
 緑の庭園に白い洋館。といった非日常的な印象を受ける中で、虹架の部屋はまた別の異質感があった。
 虹架が部屋の照明を点ける。シャンデリアが部屋を照らした。真っ白な内装の部屋だった。実験室、あるいは研究室といった印象を受けた。部屋の大きさは私の寝室の何倍もあった。
 その部屋の中頃には間仕切りが置かれていたので、その奥がどうなっているのか分からない。分かるのは手前側半分だった。
 左手には、壁に面して、四つのディスプレイがデスクに三つ並べられ、一つがアームか何かで上段に設置されていた。パソコン本体はデスク下にあり、そこから配線が間仕切りの向こうへ続いていた。その左横に印刷機や本棚が並んでいる。
 右手にはベッドが壁に接して置かれ、薬品棚のようなものが並んでいた。
 この無機質な、およそ少女の部屋とは思えない空間に、一際違和感を放つものがあった。
 魚の抱き枕がベッドに置かれていた。背中は青く、腹は白い。可愛いが目だけやたらリアルだった。
「なにこれ?」
 私は思わず聞いてしまった。
「サバ」
「サバ? 好きなの?」
「そうだな」
 相変わらず声のトーンから感情がうかがえなかった。ただ彼女が寝るときに、そのサバを抱きしめて寝ていると思うと、意外で可愛かった。
 虹架はディスプレイの前の椅子に座る。
「まずこの実験の目的と、内容を説明する。座ってくれ」
 事前に用意された椅子があったので、私と杏奈も向かい合うように座った。虹架は細く長い脚を組んでこちらを向いていた。スカートの裾からのぞく白い腿に、私は目を奪われる。思わず唇を舐め、生唾を呑み込んだ。
「赤星杏奈には今回、助手として。西塚小夜子くんには被験者として、実験に協力してもらう。二人とも、よろしく頼む」
「うん、よろしくね」
 虹架は相手をフルネームで呼ぶ。彼女の低く澄んだ声でそう呼ばれると、どきりとした。
「この実験では、人には未来を予知する能力、予知的感覚があるのか測定する。いわゆる未来予知という超能力が人に存在するかの検証を目的としている」
 虹架は椅子をくるりと回し、パソコンに向かう。細く長い、美しい指でキーボードを鳴らし、マウスを走らせる。パソコンを操作して各ディスプレイにそれぞれ別の、何かを計測しているような画面が映し出された。
「これは脳波を計測する。次に心電位や心拍数の計測、いわゆる心電図。そして皮膚電位を計測して記録する」
 そこで杏奈を向く。
「赤星杏奈には被験者への機材の取り付けなどをしてもらう。私は機材の管理や調整をする」
 虹架は再びパソコンを操作した。
「被験者には実験用のスペースで、いくつかの画像を見てもらうことになる。その際に起こる生理現象を、これらのシステムで計測する。画像の表示はコンピューター側で制御され、あらかじめ用意した画像の中からランダムに表示される。何が表示されるかは私にも分からない」
 いくつかサンプル画像が表示される。海辺の風景、花の写真など。対して戦争写真だろうか、モノクロの、銃口を向けられた子供や、倒壊する建物の写真。
「画像には二つの種類がある。一つは感情を高ぶらせ、緊張や興奮させるもの。もう一つは感情を落ち着かせ、弛緩や鎮静させるもの。それらが交互にではなく、先に言った通りランダムに表示される。暴力的なものも混ざっていて、精神的な苦痛を感じる可能性もあるが、そこは大丈夫だろうか?」
「まあ、グロ画像とか、見慣れてるし。大丈夫だと思う」
 杏奈にはとても勧められない漫画などで、大概のグロ耐性はもっているつもりだった。
「もし体調不良などを感じたら、遠慮せずに中断してくれ。私が個人的な趣味でやっている実験だ。気楽に受けてほしい」
「分かった」
 虹架は続ける。
「過去に行われた同様の実験で、感情を高ぶらせる画像が表示される場合、画像が表示されるより先に、被験者の皮膚電位に変化が起きたという報告がある。つまり表示されるものを事前に察知、予感していたことになる。単純に身構えていた、その緊張がグラフに反映されただけ、という可能性もあるが、その検証もしたいと考えている。また今回の実験では、皮膚電位の変化だけでなく、脳波も含めて検証する。特に大脳皮質の後頭葉は視覚に関する領域だ」
 そういって虹架は脳の3Dモデルをメインディスプレイに映す。それをくるくると回転させた。色分けされた領域にマウスポインターを重ね、脳の各領域をざっくり説明した。
「視覚情報は網膜から脳の視床に、そこから後頭葉の視覚野に送られ、ここで初めて認識される。視覚野に到達する速度は1000分の1秒未満とされる。この領域を含む脳全体の活動をモニタリングし、もし予知反応があるのなら、脳の領域が相互に作用しているのか、独立した性質なのかも検証したい。──ここまで、何か質問はあるか?」
 私はよく分からなかったので、質問のしようがなかった。

 実験のため、私は間仕切りの裏で着替える。心電図を取るためブラジャーも脱ぐ。そして上下に分かれた、病院の検査着のような服に着替えた。上は甚平や浴衣のように左右を交差させて紐で結び右前に着る。下は膝丈のパンツだった。ニット素材で着心地がよかった。
 その間仕切りの裏には、歯医者にあるような椅子があった。椅子の横にはアームが取り付けられ、その先にディスプレイがあった。大量の配線が繋がれた機材や、機器を載せた台車があった。
「着替えおわった?」
 杏奈が間仕切りの向こうから聞いてくる。
「おわったよ」
「入るね」
 私は椅子に座り杏奈を待った。
「機材を取り付けるね」
 そう言って杏奈が私の頭に、複数の配線がつながれたネットを被せる。顎の下にベルトを通し固定された。脳波を測定する装置らしい。その配線は隣の機材に繋がっていた。
「心電位の電極は私が取り付ける」
 不意に虹架は私の上衣の紐を解き、前を開ける。まさか杏奈の目の前で脱がされるとは思ってもいなかった。私は恥ずかしくなったが、杏奈は気づいた様子もなく、配線が絡まないよう直している。それはそれで複雑な気分だった。それよりも杏奈もこの実験に協力していたということは、虹架の前で素肌を晒したということなのか。
 もやもやしていると、虹架の美しい指先で、ひんやりとしたアルコール臭のするウェットティッシュで肌を拭われる。思わず声が漏れそうになった。それから彼女は胸の上の間に二つ、左胸の下の肋骨に沿わせるように四つの電極を取り付ける。
 虹架は私の胸を見ても顔色一つ変えない。機械的に一つ一つの作業を進めていく。彼女の顔を間近で見ると、その美しさに、冷たく澄んだ水の底に吸い込まれるような気持ちになった。
「皮膚や筋肉、心臓への脳の情報伝達は異なる神経系を介して行われる。また心臓の興奮の調節をする洞房結節という部位がある。脳波を含む三つの計測データから、たとえば筋肉の緊張からくる誤った情報などを排除し、純粋な予知反応を抽出する」
 虹架が何か説明していたが、私はそれより杏奈だった。
 杏奈がその手で私の右腕を取り、ウェットティッシュで拭ってから、右の手のひらと、前腕部に二つ、計三つの電極を取り付ける。
 まるで美少女二人に体を好き放題されているようで、私はなんだか美味しい気分だった。
「装着できたよ」
 虹架は各機材の電源を入れ、動作などを確認している様子だった。
 並行して杏奈が、椅子の横から伸びるディスプレイのアームを調整する。
「見えづらかったら言ってね」
「あ、この位置が見やすいかも」
「ここね」
 アームが固定される。
 次に虹架が言う。
「最初は灰色の画面が表示される。こちらで脳波や心拍数など、数値が落ち着いたタイミング、リラックス状態であることが確認できたら画像を表示する。画像は五秒間表示して、再び何も映さない灰色の画面になる。それから数値が安定したタイミングで次の画像を表示。これを百回以上繰り返す。問題はないか?」
「うん、大丈夫」
「それでは実験を始める」
 間仕切りの裏に虹架と杏奈が移動する。
 私は一人残され、心細いような気持ちになった。
「何かあったら言ってね!」
 そんな杏奈の言葉に私は安心した。
 私は目の前のディスプレイを見る。灰色の画面がずっと映っていた。
 少しして、田園風景の画像が映し出された。それは五秒ほど経つとフェードアウトしていった。内心、ショッキングな画像だったらどうしようかと思っていたので気が抜けた。
 穏やかな写真が三度ほど続いた後、顔面が黒く陥没した女性、後ろ足がいくつも生えた蛙、何匹ものガラス面に張り付いたヤツメウナギの口内、など。思わず身構えるような画像が映し出される。裸の女性や扇情的なものもいくつかあった。
 虹架の趣味で選んだものなのか、無作為に集めたものなのか。
 なんとなくスマートフォンなどで見るのに比べて、こんな形で怖い画像を見せられると、いつもより数段不安な気持ちになった。
 それから一時間程度だろうか。私はずっとディスプレイを見ているのが、徐々に苦痛になっていった。ただ座って画像を見ているのは退屈で、眠らないように苦心した。
「おつかれさま」
 杏奈の声で私は実験が終わったことに気づいた。
「大丈夫だった? 怖くなかった?」
 その心配する様子に私は笑った。
「全然」
 杏奈が私の体から機材を外す。彼女の指が一瞬私の胸に触れて、体がびくっとした。
「あ、ごめんね」
「ううん……」
 杏奈の指が私に触れたということが嬉しかった。

 それから私たちは浅羽邸の食堂に案内され、昼食をとる。浅羽邸の一階にあり、窓から庭の緑が見えた。
 虹架の対面に、杏奈と私は座った。
「虹架の家の料理、美味しいんだよ」
 また私は胸がちくりと痛んだ。
 それも束の間、目の前に料理が置かれる。大きな皿に小さな料理が乗せられていた。運んできたのはドライバーの女性だった。
「南部さん、ありがとう」
 杏奈がお礼を言って、初めて彼女の名前が南部史佳だということが分かった。浅羽家の使用人というやつだろうか。
 一皿ずつ運ばれてくる。今まで食べたことのない、この先一生食べることもないような料理が出てきた。
 デザートが出てきた時はもう終わりかと思ったが、その後に出てきたステーキが最高に美味しかった。生まれて初めてフォアグラというものを食べた。三、四口で食べ切るサイズだったのが残念だった。叶うのなら十皿ぐらい食べたかった。
 虹架はその細く白い指で、銀のカトラリーを手に、肉を切り分ける。それをあの唇に運び入れ、捕食する姿は、先ほど見せられた猟奇的な画像群のせいか、退廃的な美しさを感じた。
 杏奈が虹架に聞く。
「結局さっきの実験の結果はどうだったの?」
 私は気にもしていなかった。
 虹架が口元を軽く拭って答える。
「先の実験の欠陥としては、被験者の精神状態に引きずられる部分がある。また研究者自身のバイアスによって結果が歪められることも。十分なサンプル数の蓄積ができてから結論づけたい」
 結局どうなのか分からなかったが、特に私としては関心がなかった。
 それよりも気になることがあった。
「このあとは杏奈もやるの?」
 彼女も実験を受けるのなら、もしかしたら素肌を見ることができるかもしれない、という下心だった。
「虹架、どうする?」
「試したい別の実験があるのだが。赤星杏奈には助手として、西塚小夜子くんには被験者として、協力してもらえないだろうか」
「私はいいけど、西塚さんは?」
 少し残念ではあるが、また私が被験者となるのは構わなかった。
「私もいいよ」
 杏奈が被験者になるということは、彼女の素肌を虹架に見られるということだった。美少女二人の絡みを見たい気持ちもあるが、私の脳が耐えられる自信がなかった。

 食後、虹架が杏奈を連れて離席する。
「少し、次の実験の打ち合わせをしたい。西塚小夜子くんは休憩していてくれ。何か必要なことがあれば彼女に申しつけてくれ」
 二人っきりにさせるのは不安だったが、どうすることもできなかった。
 私は食堂に残され、部屋の隅に南部さんが控えているのが気まずかった。
「大きな家ですね」
 思わずそんなつまらないことを口にしてしまった。
「浅羽家は代々、医者や学者の家系で、病院の経営や、脳神経関連の研究をしています」
「へぇ」
 それでこんなに金持ちなのだと理解した。
「浅羽さんはなんであんな実験をしているんですか?」
 虹架自身に聞くべきことだったが、なんとか場の空気を繋ぎたかった。
「お嬢様は人の感覚機能の拡張性に興味があり、その研究をしているようです」
「へぇ……」
 この人もよく分からないことを言う人だった。
「昔からあんな感じなんですか?」
 それに南部さんは少し笑った。
「同年代のご友人がいなかったので、今は大変楽しそうにされていますよ」
 あれで楽しそうにしているのなら、そうではない時はどんなだったのだろうか。
 ぽつぽつと雑談していると、虹架が戻ってきた。
「準備ができた。来てくれ」
 私は南部さんに会釈して虹架についていく。

 私はまたあの椅子に座り、二人に機材を装着される。
「次は形式が少し変わる」
 今度は両腕に皮膚電位の電極をつけられた。
「利き腕はどっちだ?」
「右」
「そうか。実験が終わるまで、右手だけで操作してくれ」
 そういってリモコンのようなものを右手に持たされた。いくつかのボタンがあったが、使うのは三角形がそれぞれ左右を指す、二つのボタンだけだった。
「この実験では画像のあるパネルを選択する確率を計測する」
 虹架が実験内容を説明する。
「ディスプレイに二つの伏せられたパネルが表示される。選択した方のパネルだけが開かれる。片方には画像が隠されていて、もう片方には何もない。画像は左右のどちらかに、ランダムに隠されている。君は画像が隠されていると思うパネルを、左右のボタンから選択してくれ」
「どんな画像が隠されてるの?」
 ネガティブな画像なら、むしろ正解を回避したかった。
「女性の性的な画像だ」
「え」
「先行研究において、人は性的画像に対してわずかに正解率があがることが報告されている。それが真であるか、真であるのならば脳波および電位の変化を観測し、検証したい」
 私はそれよりもどんな画像なのか知りたかった。
 また正解を重ねれば、スケべなやつと杏奈に蔑まれるのではと不安だった。
 別に実験に対して乗り気なわけでもないし、性的画像ならあとで家で検索すればいいし、真剣に取り組む理由もない。
 杏奈にスケベだと露見しないように、クールに進めていくことにした。
 実験が始まる。ディスプレイにパネルが二つ表示された。
 私は右を選んだ。
 画像が表示された。正解だ。
 そしてどんな画像か見てみると、手で目元を隠した下着姿の女性だった。膝をついて座り、上から撮られていた。ピンクのレースのついた下着が可愛い。Dカップはある胸は寄せられて谷間を作っていた。素人AV女優のアダルトグラビアや、個人の裏アカウントにありそうな写真だった。
 好みの肉付きだなと思ったのも束の間、そこで私は息を呑んだ。その肢体に、左の内腿にあるホクロに見覚えがあった。夏の日に、制服姿の彼女が床に座った際、無防備にパンツがちらりと見えたことがあった。その時、左の内腿に小さなホクロがあるのを見つけた。
「え、赤星さん⁉︎ これ赤星さんだよね?」
 動揺を抑えられなかった。私は思わず声に出してしまった。
「今回の実験用の画像が不足していてな。そこで私の写真を撮って使用するつもりだったのだが、赤星杏奈からの申し出で、彼女に協力してもらった」
 間仕切りの向こうから虹架が言った。
 杏奈は虹架に下着姿を見せたということか。どういうことなのか。それに杏奈から撮らせたというのか。虹架の写真は混ざっていないのだろうか。
「心拍数が上がっている。深呼吸して落ち着いてくれ」
 そうは言われても頭の中がごちゃごちゃだった。内心、もう実験どころではなかった。
 ただ杏奈に、彼女の体を見て興奮しているとも思われたくない。
 私は深呼吸をして平静を装う。
 とにかくこの実験を終わらせて、事実確認をしなければ。
 私の心拍数が落ち着いたことが確認されたのか、次のパネルが表示される。次も杏奈の写真か分からないが、こうなったらすべて当ててやると気概が込み上げた。
 しかし二回連続で外す。
 次に正解を引き当てた。やはり杏奈だった。両膝を立てて寝そべる下着姿の彼女を、斜め上から撮ったものだった。
 彼女のあられもない姿を見られて嬉しいと思うけれども、それを第三者が撮っているという事実に、私の脳は破壊されそうだった。心拍数や各数値は今頃どうなっているのだろうか。私の内心まで見透かされているのではないかと気が気でなかった。
 一時間ほど、二百から三百回は繰り返しただろうか。杏奈の写真もあれば、彼女以外のものもあった。
 実験終了後、私は杏奈の顔をまともに見ることができなかった。どうしても下着姿の彼女と、左の内腿のホクロが鮮明に浮かんでしまう。
 杏奈と虹架が仲良さそうに会話しているのも辛かった。
「それで西塚さんに超能力はありそう?」
 杏奈がからかうような声音で言う。
「まだ分からない。情報を精査してみる必要がある。正解率は約五十二パーセント。現段階では有意な数値ではない。ただ興味深いデータも取れた」
 それからも何か話していたが、私は二人の会話が頭に入ってこなかった。

 夕方、私たちは駅まで車で送ってもらった。
 帰りの電車で、席は空いているのに、杏奈は座ろうとしなかった。彼女は扉近くの仕切りに背中を預けて、窓の外を見ていた。
 横顔もまた綺麗なのだが、今までにない不穏な気配に、私は気が気でなかった。
 なぜか杏奈が不機嫌そうだった。顔をそらして、目も合わせない。
 疲れたのだろうか。それとも私は彼女の機嫌を損ねるようなことをしたのだろうか。
「赤星さん、どうしたの? 疲れた?」
「ううん」
 どこか気のない様子だった。杏奈はどんな嫌なことがあっても、それを表に出すことがない。その彼女がこんな態度を取るということは、何か相当なことがあったに違いない。その原因が私なのではないかと、全身に冷や水をかけられたような緊張が走った。
 杏奈が顔をそらしたまま続ける。
「西塚さんて美人に弱いよね」
「いや、そんなこと──」
 杏奈が美人なので否定しきれない。しかしなぜそんなことを言い出すのか分からなかった。
「だって虹架のことばっか見てたじゃん」
「私は別に──」
 確かに性的な目で彼女を見ていたことは否定できない。
「西塚さんは美人なら誰でもいいんでしょ」
「そんなことないよ」
 まだ彼女が何の話をしてるのか分からなかったが、ここで私は不満を抑えきれなくなった。
「赤星さんだって! 浅羽さんにあんな写真撮らせて! 赤星さん、浅羽さんのこと──」
「だって嫌だったんだもん」
「え?」
 杏奈が私を見る。いつもより顔色が赤かった。
「最初は虹架が自分の裸を撮るつもりだったけど、西塚さんに見てほしくなかったから……」
「それって、どういう?」
「西塚さん、美人に弱いし……」
 最初に言っていたことだった。もしかしたら杏奈は、やきもちを焼いているのだろうか。などと都合のいいことを考えてしまった。
「私は赤星さんが、一番美人だと思うよ」
 それに杏奈は不満そうな顔をした。
「虹架より?」
「うん」
「そういうことじゃないんだけどな」
 そう小さく言って、ため息を漏らした。
 何かもっと別のことを言うべきだった気がした。
「私は浅羽さんと、もう会わないから」
「うん」
 ただ杏奈の機嫌は直ってきたようだ。この隙に私の要望を言う。
「だから赤星さんも、実験とかで浅羽さんの前で脱いだり、写真を撮らせたりしないで」
「分かった。西塚さんにしか、見せないから」
「うん」
 杏奈がようやく微笑んでくれた。そして所在なげに立つ私の手を握ってくれた。
 私は言いたいことが他にもあった気がするが、どうでもよくなった。

   *  *  *

 現在──
 浅羽虹架の超能力実験が、今の現象にどう関わっているのか分からなかった。それに杏奈が警戒するような危険人物とも思えなかった。
 過去に戻る研究や実験をするのは、もっと後のことなのかもしれない。
 私はあの一度きりしか会っていないので、その後の彼女がどうなったか知らない。杏奈がそれ以降も会って、その過程で過去に戻れるようになったのだろうか。
 もしことの真相を知る必要があるのなら、今の虹架に直接会うか。
 ただそれよりも問題が起きた。
 朝起きると、杏奈が不機嫌そうだった。
 いつもだったら起きた瞬間に抱きついてきたり、キスしようとしてくるのだが、目も合わせようとしない。ベッドに腰掛けたまま、私が抱き起こそうと、触れようとするのも、体を振って拒否する。
「杏奈、どうしたの?」
「サヨちゃん、虹架に会った」
「え──」
「約束破った」
「ごめん……」
 杏奈の中に、私が昨夜した虹架と会わないという約束と、過去を変えたことによって生まれた記憶が並存しているようだ。そして私が約束を破った結果、生まれた記憶だと認識しているのか。
「ごめん、杏奈。怒らないで」
「サヨちゃんの嘘つき」
「本当にごめん」
 どうしたものか。抱きしめることも拒まれるし、キスをしようとしても顔をそらされる。
 不意に杏奈が言った。
「サヨちゃん、虹架の方がいいんだ」
 ここで杏奈の不機嫌の理由と、会わせたくなかった理由が分かった。
 私は強引に杏奈を抱きしめる。腕の中で杏奈が暴れた。
「本当にごめんね。私が好きなのは杏奈だけだから、心配しないで」
 それに杏奈がやっと落ち着く。
「本当?」
 私は体を離して杏奈の顔を見つめる。杏奈は目を潤ませて、今にも泣きそうだった。
「本当だよ」
「じゃあ、仲直り! キスして!」
「うん」
 杏奈が嬉しそうに、ふんわりと笑う。
 私は杏奈の柔らかい唇に、私の唇を重ねた。
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