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第四章「古書店の尼僧」

第49話「祈祷書の秘密」

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「彼らは金とキリスト教を使って、民意を操作することが出来る。だから、どんなに軍事力を持っていようと、民主主義国家であるアメリカは怖くないの。だけど、二人のような独裁者……つまり、国の権力を掌握してる上に、悪魔と契約してる人間たちだけは怖かった……」

「何が言いたいのかわかる?」と、ヴァルダさんは僕に問うた。 

「分かります。第二次大戦は自由主義陣営とファシストの戦いではなく、ユダヤの長老たちと、悪魔たちの戦いだったという事ですね。そして彼らはアメリカを参戦させて、ナチスと日本を潰すことに成功した」
「ご明察。だけど、ここで新たな問題が起こったの」
「問題?」
「長老たちの利益の源泉の一つであり、世界制覇のスキームのかなめである戦争が出来なくなってしまったのよ。ナチスと日本を斃すために、ユダヤ人の科学者たちがを作っちゃったからね」
「アレって?」
「原子爆弾。いくら敵を潰したって、征服すべき世界そのものが無くなっちゃったら意味がないでしょ?」

 核による偽りの平和が七五年も続いて、大戦終結時に約二十億人だった人口は七十七億人となり、二十五年後には百億人に達すると予想されてる。にもかかわらず、対処する手段がないのだとヴァルダさんは言った。

「ところで貴方、世界人口が十億から二十億人になるのに、何年かかったか知ってる?」
「知りません」
「百二十五年よ。二十億に初めて到達したのが一九二七年。そしてその人数は、大戦終結の四五年でもほとんど変わってない。これが、戦争の【お陰】でなくて何なのかしら?」

 第二次大戦では、八千万人が亡くなったと言われている。ヴァルダさんの統計が正しいのなら、人口の自然増加分を、戦死者がそのまま相殺したのだろう。

「核さえなければ、二十億人を維持とまではいかなくとも、こんな馬鹿げた数字にはならずに済んだ。この数字は、この地球が養える人口を遥かに超えているわ」
「食料が足りなくなるという事ですか?」
「ええ。現時点でも、総人口の約一割が飢餓に苦しんでいると言われているわ。そう遠くない未来に、一般大衆は食料を求めて争いを始めるでしょう。原始時代に逆戻りね」
「食糧の増産には、物理的な限界がありますからね」

 なぜ突然、ヴァルダさんがこんな話を持ち出したのか、僕には良く分からなかった。この人は、世界のどこかで子供たちが飢えに苦しんでいようと、それを悲しむような人ではないはずだ。

「ところで貴方、ネイサン・ロスチャイルドは知ってる?」
「詳しくは知らないです」
「ロスチャイルド家の三男坊。ロンドン・ロスチャイルド家の創始者。つまり、二百万ポンドの賞金を懸けて、悪魔祈祷書を探してた張本人よ」
「もしかして、ワーテルローの戦いの途中、わざとイギリス公債を空売りして、暴落後に途転ドテン買いして大儲けした人ですか?」
「そう。ネイサンは英国の勝利を見越して【わざとそうした】の。自分が売りに回れば、皆が公債を投げ売ると確信してね」

 彼は、大陸封鎖令で暴落したイギリス国内の商品を買い集め、物資に困ってるヨーロッパ諸国に密かに横流ししていた。彼が強力な情報網を大陸に持っていることは周知の事実であったため、ネイサンの動向を市場は注視していたのだという。

「なるほど、自ら市場を総悲観に追い込んでおきながら、その裏で淡々と投げ売られた公債を買い集めていた訳ですね」

 ウェリントン公爵イギリス軍がナポレオンに勝利したことが知れ渡れば、値段は元に戻るだけでなく、更に上昇するに決まってる。子供にだってわかる理屈だ。

「彼の行動は、『ネイサンの逆売り』と呼ばれて伝説となったわ。でもそれは、彼の手掛けた密貿易の利益に比べれば大したものじゃない。仕入れは格安なうえに、相手には言い値で売れるんだから、ボロ儲けに決まってるわよね」
「ナポレオン戦争の唯一の勝利者が、彼という事ですね」
「そうね」

 欧州のほとんどはナポレオンに蹂躙された。そして、そのフランスも最後は連合軍にパリを占領されて、奪った領土をすべて取り返されてしまった。笑ったのは、ネイサンを始めとするユダヤ人の商人だけだ。

「だけど彼は慢心しなかった。この時すでに、現在の人口爆発を予見していたの。だから彼は、大枚をはたいて悪魔祈祷書を探していたのよ」
「どういうことですか?」
「当時の世界人口は約十億人。自然増を0.5%まで抑え込んだとしても、年間五百万人も増える。いくら戦争を起こしたところで、彼らの武器では殺し切れないわ」
「それは分かりますけど、その事と祈祷書に何の関係があるんですか?」
「鈍い男ね。だからさっき、『ここが大事なところだ』と言ったじゃない。ピョートルと契約した悪魔は誰だった? その特技は?」

 ヴァルダさんにそう言われて、僕は二十分ほど前の彼女との会話を、必死に思い出そうとしていた。

*************

「そうね。でも、祈祷書の中で上げられている例の中で最も猟奇的で、史実にも近いのは、アルАлыと契約したピョートル大帝なの」
「聞いたことがないな。一体、何の悪魔ですか?」
「出産を妨害する悪魔よ」
「あんまり強くなさそうだなあ……」
「いえいえ、ここが大事な所なのよ。ピョートルは何度も外遊をして……」
***************

「アル……。出産を妨害する悪魔……」
「人口を抑制するためには、【産ませなければ】いい。祈祷書に記されたアルの秘法があれば、誰にも怪しまれることなく、ヒトを不妊化させたり、子供を流産させたりする事ができる。彼らはその秘密が知りたかったの」
「ヒトを不妊化する毒薬と、堕胎術……」
「そう。それを手に入れれば、彼らは人口を人為的にコントロールすることが出来る。そして、結果として、同胞の優秀な遺伝子のみを後世に残すことが出来るのよ」
「ひどすぎる……」
「だから、悪魔よりも恐ろしいのは人間だって、最初から言ってるじゃない。神様だってわかったもんじゃないわ。ヒトは神様に似せて作られたそうですからね」

 なんだか本当に、神に反逆した悪魔ルシファーの方が正しい気がしてきた。望まぬ妊娠をしてしまう女性は、この世には沢山いる。だから、百歩譲って堕胎術は認めるにしても、断種や不妊化が一部の人間の意志で決められていいはずがない。

「案外、その秘法は既に流出してて、一部の人たちの体の中に取り込まれているかもしれないわね。たとえば、特定の病気に対するワクチン接種なんかを通して……」
「まさか」
「先進国の出生率は、軒並み2.0を割ってるわ。つまり、既に人口減に向かっている。妊産婦の死亡率は劇的に減少してるというのに、女性の社会進出だけで、この現象を説明できるかしら?」

 ヴァルダさんの言葉を聞いて、僕はゾッとした。女性の晩婚化や、経口避妊薬の認可など、出生率減少の理由は他にもある。だが、そもそも人類の歴史において、『これほどまでに、不妊に悩む人々が存在した時代』が存在しただろうか?

《続く》
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