54 / 61
第四章「古書店の尼僧」
第47話「堕天使たちの復讐」
しおりを挟む
「物質は欲望と共に在り、欲望は又、悪魔と共に在り。故に、物質と欲望に忠実なるものは強者となりて栄え、物質と欲望とを軽蔑する者は弱者となりて亡ぶ。故に、神と良心を無視し、黄金と肉欲を崇拝する者こそが地上の強者なり! 支配者なり!」
ヴァルダさんの独演会は更に続いた。まるで、ヴァルダさん自身が、そのデュッコとか言う僧侶の生まれ変わりであるかのようだった。
「まあ、ヴァルダさん。ここは一つ落ち着きましょう。他のお客さんもいることですし……」
「そうね。ちょっと一休みしようかしら」
そう言ってヴァルダさんは、熱弁の間にすっかり温くなってしまったお茶を一気に飲み干した。
「ずいぶん温くなってしまったわね。お代わりを入れて上げましょう」
「ありがとうございます」
ヴァルダさんは、いったん奥の給湯室に消え、新しい湯飲みを持って帰ってきた。
「ところで貴方、アダムとイブの逸話は、当然ご存じよね?」
「蛇にそそのかされて知恵の実を食べた二人が、神様の怒りを買って
エデンの園から追放された話ですか?」
「そうそう。その悪魔祈祷書では、その蛇が悪魔そのものになっていてね……」
と、ここからが話が長いのだけど、簡潔に話をまとめると、こういうことだ。
アダムとイブが、神様の言いつけをちゃんと守っている間は、二人の間に子供は生まれなかった。だが、知恵の実を食べた瞬間、お互いの裸体が恥かしくなる。でも、そのお陰で二人の子供がドンドン生まれて、地上には人間が満ち溢れた。そして彼らは、神の言葉も聞かずに、各々好き勝手にやり始めたのである。
だが神様は、自分のいう事を聞かない人類に辟易しつつも、彼らを愛することを止めなかった。それに腹を立てたのが、熾天使ルシファーである。彼は神のしもべとして最高位に位置する最も美しい部下であったのだが、自分たちの事を顧みず、人間ばかりを贔屓する神に対して謀反を起こした。
敗れた彼は、彼に賛同する者たちと共に堕天使となり、地上に降りた。彼らはいつしか、悪魔と呼ばれるようになり、度々人類の前に現れた。そして、神への信仰を捨てることと引き換えに、彼らの力と知識を人類に分け与えたそうである。
「つまり、人類がこの地上で栄えたのは神の思し召しではなく、二人に知恵の実を食べるよう唆し、その子孫たちに魔術と錬金術を与えた、悪魔たちの仕業であると?」
「ご明察。そして、そんな悪魔と契約した者たちの犯した人類の犯罪史みたいなものが、この祈祷書にはジャンジャン書き立ててあるのです」
「例えば、どんなことが書いてあるのですか?」
「そうねえ、有名どころで言えば……」
アポピスと契約したカフラー王は、自分の妻を一晩毎ごとに取換えて、飽きた女を火あぶりにして太陽神に捧げたり、生きたままナイル河の鰐に喰わせたりするのを無上の栄華としていた。
サルワと契約したダレイオス一世の戦争目的は、捕虜にした敵国の女に対する淫虐と、男性に対する虐殺で、勝つたびに宮殿の壁や廊下を敵兵の新しい虐殺屍体で飾り、その中で敵国の妃や王女を犯して楽しんでいた。
ベルゼブルと契約したアレキサンダ―大王はアラビヤ人を亡ぼすために、黒死病《ペスト》患者の屍体を担いだ人夫を連れてゆき、その死体を敵陣に放り込んで病気を流行らせた。しかじか云々。
「なるほど。先の二人はタダの性的異常者だけど、アレキサンダーのやり口は、近代の細菌戦の走りですね。流石は大王だ」
「そうね。でも、祈祷書の中で上げられている例の中で、最も猟奇的で、史実にも近いのは、アルと契約したピョートル大帝なの」
「聞いたことがないな。一体、何の悪魔ですか?」
「出産を妨害する悪魔よ」
「あんまり強くなさそうだなあ……」
「いえいえ、ここが大事な所なのよ。ピョートルは子供の頃から何度も外国人居留地に遊びに行ったり、即位後も使節団の中に潜り込んだりして、『算術、砲術、航海術等の知識を修めてロシアを近代化した』と歴史の教科書には書いてあるけど、これは真っ赤な偽りなの」
「では、実際には何を学んでいたと?」
「堕胎術と、毒薬の製法」
「えっ?」
思わず僕は、声を上げてしまった。
「悪魔と契約したピョートルは、その二つの知識で政敵を暗殺し、国内外の名家を潰し、ロシアの宮廷をも支配して、見事、大ロシア帝国の皇帝になったって訳」
「つまり、その後のソ連やロシア連邦の礎を築いたのは、神様ではなくて悪魔であると、デュッコはそう主張しているのですね?」
「話はロシアに限らないわ。当時ヨーロッパに存在した専制君主の全てが、何某かの悪魔と契約していたそうよ。百年前には、この世界のほとんど全てが欧米列強の支配下にあったんだから、悪魔が地球を制覇したのと同じことよね」
そこからまた話が長いのであるが、簡単にまとめればこういう事だ。一切の科学の初まりは、悪魔が人類にもたらした錬金術である。悪魔の目的は、人間を神から解放し、彼らに良心を捨てさせることにあった。つまり悪魔たちは、神の愛した人類を滅ぼすのではなく、彼らから『神に対する信仰を奪う』ことで、その復讐を果たしたのである。
「なるほど。一度、快楽を知ってしまうと、人間はなかなか元には戻れないものですからね。いや、悪魔たちもよく考えたものだ」
「ええ。私たちは歴史に欺かれてはならない。悪魔的な視点で歴史を読んで行かないと、とんでもない間違いに陥ることがあるわ」
僕はヴァルダさんの言葉に至極納得しながらも、何だか違和感を感じていた。だが、その違和感の正体が何なのか、その時の僕にはわからなかった。
「科学万能の社会を作り上げ、人類の大半に信仰を捨てさせた悪魔たちは、作戦を第二段階に移したの」
「具体的には、何をしたのですか?」
「契約者たちに戦争を焚きつけたの。そして、今だに信仰を捨てない人たちを弾圧した。二十世紀に実在した、悪魔のような人間と言えば、あの二人しかいないでしょ?」
「ヒトラーとスターリンですか?」
「ご明察。二人は当初、同じ目的のために手を組んでた。つまり、ユダヤ人に対する迫害ね。貴方、『シオンの議定書』の存在は知ってる?」
念のため聞いておくという口ぶりで、ヴァルダさんはそう尋ねた。多分、僕が何にも知らないと思っているのだろう。だが、三度の飯より陰謀論が好きな僕は、この手の知識だけはたんまりあるのである。ヴァルダさんの『悪魔祈祷書』の話に食いついてるのも、そういう訳だ。
「勿論、知ってますよ。第一回シオニスト会議の席上で発表された、【二十四人の長老】による決議文とされる文章の事でしょう?」
「あら、知ってるのね。見直したわ」
やはりヴァルダさんは、僕の事を少し馬鹿にしていたらしい。
「中二病患者なら、一度は通る道ですからね。簡単に言ってしまえば、ユダヤ教の長老たちの作った、世界征服のための計画書ですよね」
「ええ。長老たちは、キリストを十字架にかけた時から壮大な陰謀を仕組んでいたの。キリスト教を世界に普及させた後で、腑抜けになった人類を支配するつもりでいたのよ。悪魔もびっくりの計画よね」
そういって、ヴァルダさんは不敵に笑った。
『シオンの議定書』は、典型的な陰謀論の一つであり、偽書であることが現在では判明している。だがこの本は、ヒトラーを始めとする世界中の反ユダヤ主義者に多大な影響を与えた。そして、ナチスによる大量虐殺を実際に引き起こしたのだ。
(続く)
ヴァルダさんの独演会は更に続いた。まるで、ヴァルダさん自身が、そのデュッコとか言う僧侶の生まれ変わりであるかのようだった。
「まあ、ヴァルダさん。ここは一つ落ち着きましょう。他のお客さんもいることですし……」
「そうね。ちょっと一休みしようかしら」
そう言ってヴァルダさんは、熱弁の間にすっかり温くなってしまったお茶を一気に飲み干した。
「ずいぶん温くなってしまったわね。お代わりを入れて上げましょう」
「ありがとうございます」
ヴァルダさんは、いったん奥の給湯室に消え、新しい湯飲みを持って帰ってきた。
「ところで貴方、アダムとイブの逸話は、当然ご存じよね?」
「蛇にそそのかされて知恵の実を食べた二人が、神様の怒りを買って
エデンの園から追放された話ですか?」
「そうそう。その悪魔祈祷書では、その蛇が悪魔そのものになっていてね……」
と、ここからが話が長いのだけど、簡潔に話をまとめると、こういうことだ。
アダムとイブが、神様の言いつけをちゃんと守っている間は、二人の間に子供は生まれなかった。だが、知恵の実を食べた瞬間、お互いの裸体が恥かしくなる。でも、そのお陰で二人の子供がドンドン生まれて、地上には人間が満ち溢れた。そして彼らは、神の言葉も聞かずに、各々好き勝手にやり始めたのである。
だが神様は、自分のいう事を聞かない人類に辟易しつつも、彼らを愛することを止めなかった。それに腹を立てたのが、熾天使ルシファーである。彼は神のしもべとして最高位に位置する最も美しい部下であったのだが、自分たちの事を顧みず、人間ばかりを贔屓する神に対して謀反を起こした。
敗れた彼は、彼に賛同する者たちと共に堕天使となり、地上に降りた。彼らはいつしか、悪魔と呼ばれるようになり、度々人類の前に現れた。そして、神への信仰を捨てることと引き換えに、彼らの力と知識を人類に分け与えたそうである。
「つまり、人類がこの地上で栄えたのは神の思し召しではなく、二人に知恵の実を食べるよう唆し、その子孫たちに魔術と錬金術を与えた、悪魔たちの仕業であると?」
「ご明察。そして、そんな悪魔と契約した者たちの犯した人類の犯罪史みたいなものが、この祈祷書にはジャンジャン書き立ててあるのです」
「例えば、どんなことが書いてあるのですか?」
「そうねえ、有名どころで言えば……」
アポピスと契約したカフラー王は、自分の妻を一晩毎ごとに取換えて、飽きた女を火あぶりにして太陽神に捧げたり、生きたままナイル河の鰐に喰わせたりするのを無上の栄華としていた。
サルワと契約したダレイオス一世の戦争目的は、捕虜にした敵国の女に対する淫虐と、男性に対する虐殺で、勝つたびに宮殿の壁や廊下を敵兵の新しい虐殺屍体で飾り、その中で敵国の妃や王女を犯して楽しんでいた。
ベルゼブルと契約したアレキサンダ―大王はアラビヤ人を亡ぼすために、黒死病《ペスト》患者の屍体を担いだ人夫を連れてゆき、その死体を敵陣に放り込んで病気を流行らせた。しかじか云々。
「なるほど。先の二人はタダの性的異常者だけど、アレキサンダーのやり口は、近代の細菌戦の走りですね。流石は大王だ」
「そうね。でも、祈祷書の中で上げられている例の中で、最も猟奇的で、史実にも近いのは、アルと契約したピョートル大帝なの」
「聞いたことがないな。一体、何の悪魔ですか?」
「出産を妨害する悪魔よ」
「あんまり強くなさそうだなあ……」
「いえいえ、ここが大事な所なのよ。ピョートルは子供の頃から何度も外国人居留地に遊びに行ったり、即位後も使節団の中に潜り込んだりして、『算術、砲術、航海術等の知識を修めてロシアを近代化した』と歴史の教科書には書いてあるけど、これは真っ赤な偽りなの」
「では、実際には何を学んでいたと?」
「堕胎術と、毒薬の製法」
「えっ?」
思わず僕は、声を上げてしまった。
「悪魔と契約したピョートルは、その二つの知識で政敵を暗殺し、国内外の名家を潰し、ロシアの宮廷をも支配して、見事、大ロシア帝国の皇帝になったって訳」
「つまり、その後のソ連やロシア連邦の礎を築いたのは、神様ではなくて悪魔であると、デュッコはそう主張しているのですね?」
「話はロシアに限らないわ。当時ヨーロッパに存在した専制君主の全てが、何某かの悪魔と契約していたそうよ。百年前には、この世界のほとんど全てが欧米列強の支配下にあったんだから、悪魔が地球を制覇したのと同じことよね」
そこからまた話が長いのであるが、簡単にまとめればこういう事だ。一切の科学の初まりは、悪魔が人類にもたらした錬金術である。悪魔の目的は、人間を神から解放し、彼らに良心を捨てさせることにあった。つまり悪魔たちは、神の愛した人類を滅ぼすのではなく、彼らから『神に対する信仰を奪う』ことで、その復讐を果たしたのである。
「なるほど。一度、快楽を知ってしまうと、人間はなかなか元には戻れないものですからね。いや、悪魔たちもよく考えたものだ」
「ええ。私たちは歴史に欺かれてはならない。悪魔的な視点で歴史を読んで行かないと、とんでもない間違いに陥ることがあるわ」
僕はヴァルダさんの言葉に至極納得しながらも、何だか違和感を感じていた。だが、その違和感の正体が何なのか、その時の僕にはわからなかった。
「科学万能の社会を作り上げ、人類の大半に信仰を捨てさせた悪魔たちは、作戦を第二段階に移したの」
「具体的には、何をしたのですか?」
「契約者たちに戦争を焚きつけたの。そして、今だに信仰を捨てない人たちを弾圧した。二十世紀に実在した、悪魔のような人間と言えば、あの二人しかいないでしょ?」
「ヒトラーとスターリンですか?」
「ご明察。二人は当初、同じ目的のために手を組んでた。つまり、ユダヤ人に対する迫害ね。貴方、『シオンの議定書』の存在は知ってる?」
念のため聞いておくという口ぶりで、ヴァルダさんはそう尋ねた。多分、僕が何にも知らないと思っているのだろう。だが、三度の飯より陰謀論が好きな僕は、この手の知識だけはたんまりあるのである。ヴァルダさんの『悪魔祈祷書』の話に食いついてるのも、そういう訳だ。
「勿論、知ってますよ。第一回シオニスト会議の席上で発表された、【二十四人の長老】による決議文とされる文章の事でしょう?」
「あら、知ってるのね。見直したわ」
やはりヴァルダさんは、僕の事を少し馬鹿にしていたらしい。
「中二病患者なら、一度は通る道ですからね。簡単に言ってしまえば、ユダヤ教の長老たちの作った、世界征服のための計画書ですよね」
「ええ。長老たちは、キリストを十字架にかけた時から壮大な陰謀を仕組んでいたの。キリスト教を世界に普及させた後で、腑抜けになった人類を支配するつもりでいたのよ。悪魔もびっくりの計画よね」
そういって、ヴァルダさんは不敵に笑った。
『シオンの議定書』は、典型的な陰謀論の一つであり、偽書であることが現在では判明している。だがこの本は、ヒトラーを始めとする世界中の反ユダヤ主義者に多大な影響を与えた。そして、ナチスによる大量虐殺を実際に引き起こしたのだ。
(続く)
0
お気に入りに追加
46
あなたにおすすめの小説
もうダメだ。俺の人生詰んでいる。
静馬⭐︎GTR
SF
『私小説』と、『機動兵士』的小説がゴッチャになっている小説です。百話完結だけは、約束できます。
(アメブロ「なつかしゲームブック館」にて投稿されております)
カレンダー・ガール
空川億里
SF
月の地下都市にあるネオ・アキバ。そこではビースト・ハントと呼ばれるゲーム大会が盛んで、太陽系中で人気を集めていた。
優秀なビースト・ハンターの九石陽翔(くいし はると)は、やはりビースト・ハンターとして活躍する月城瀬麗音(つきしろ せれね)と恋に落ちる。
が、瀬麗音には意外な秘密が隠されていた……。
[恥辱]りみの強制おむつ生活
rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。
保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。
群生の花
冴木黒
SF
長年続く戦争に、小さな子供や女性まで兵力として召集される、とある王国。
兵士を育成する訓練施設で精鋭部隊の候補生として教育を受ける少女はある日…
前後編と短めのお話です。
ダークな感じですので、苦手な方はご注意ください。
Wanderer’s Steel Heart
蒼波
SF
もう何千年、何万年前の話だ。
数多くの大国、世界中の力ある強者達が「世界の意思」と呼ばれるものを巡って血を血で洗う、大地を空の薬莢で埋め尽くす程の大戦争が繰り広げられた。命は一発の銃弾より軽く、当時、最新鋭の技術であった人型兵器「強き心臓(ストレングス・ハート)」が主軸を握ったこの惨禍の果てに人類は大きくその数を減らしていった…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる