海軍日記

総統閣下 天宮

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開戦前の静けさ

上層部との出会い

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1939年10月新しい軍服に身を包み海軍省へと向かった。その足は軽く新部署を楽しみにしているようにも見える。しかしこの人物が後の海軍の秀才と呼ばれる、天宮海軍少将である。この日は海軍の司令官の任命日である。
 コノ通リノ配置トス
海軍大臣      米内光政大将 
連合艦隊司令長官  山本五十六大将
第一機動艦隊    天宮海斗少将
第二機動艦隊    山口多聞少将
第三機動艦隊    小澤治三郎中将
第一艦隊      近藤信竹中将
第二艦隊      古賀峯一中将
第三艦隊      南雲忠一中将
第四艦隊      高須四郎中将
第五艦隊      志摩清英中将
第六艦隊      清水光美中将
第八艦隊      三川軍一中将
第九艦隊      遠藤喜一中将
大抵のものが中将で選ばれているが3人だけ少将である。
機動艦隊は異例の全員少将である。実際大日本帝国海軍では艦隊司令官になるのは中将、大将が普通なためこのようなことは本当にないことだ背後で米内大将と山本大将が動いたのだろう。
 各艦隊司令官での話し合いの場が設けられ、各艦隊の配置、このあとの行動案などなどだ、結論から言うと第一機動艦隊は南太平洋方面に配属されることになった。第二機動艦隊は西太平洋。第三機動艦隊は北太平洋である。他の艦隊は機動部隊とそろって行動か、インド洋方面への展開となる。第一機動艦隊は第五艦隊と第八艦隊で動くこととなり南方方面艦隊となった。自分と志摩清英中将、三川軍一中将で会話をした結果。両中将ともに山本派であり、この任命に文句はないようだ。話し合いの末第五艦隊が直属の護衛をし第八艦隊が前哨戦として敵の偵察などを行うこととなった。もう一つこの話し合いでわかったことは日本軍上層部大本営は米英との開戦準備を行っていることだ。この話が噂だけだといいんだが…
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