獅子の末裔

卯花月影

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22.骨肉の争い

22-7. 勝てぬ相手

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 峯城からほど近い亀山城。
 夜討ちは失敗に終わり、結局、城を取り囲んだまま、秀吉本隊の到着を待つことになった。
「やはり、関様の仰せの通りにござりまするな。あのような堅城に夜討ちを仕掛けるなど、いささか無謀な策にて」
 町野左近がそう呟くのを、忠三郎はただ黙して聞いていた。
(されど…叔父上は確か、戦に勝たんと欲すれば夜討ちがよし、と、そう言い切っておられたはずではなかったか…?)
 考えれば考えるほど、叔父・関盛信の策が二転三転する様がどうにも解せない。
「若殿、そうそう、申し忘れておりましたが――聞いて参りましたぞ」
「何を聞いて参ったと申すか?」
「お忘れで?関様のことを知りたいとそう仰せだったではありませぬか」 
 そうだった。いろいろなことがありすぎて、すっかり忘れていた。

 森を抜けて、佐治新介から逃れ、どうにか夜明け前に本陣へ戻りついた忠三郎と堀久太郎。二人が戻ったことを知り、関盛信は慌てた様子で二人を出迎えた。
「無事で何よりにござる」
 そう口にしつつも、どこか白々しい響きがあった。忠三郎の心には、妙な違和感が拭えない。
(我らが無事に戻ることが意外であったかのような口振りよ…)
 その場では何も言わなかったものの、盛信の態度は日々に不可解になっていく。

「恐れながら…」町野左近は少し声を潜め、目を伏せて続けた。
「どうやら、関様は織田家…さらには、我が蒲生家のことも深く恨んでおいでのご様子にござります」
 忠三郎は思わず眉をひそめた。
「叔父上が?」
 左近は慎重に言葉を選びながら、語り始めた。
「関様が長きの間、日野に幽閉されていたことをお忘れで?」
 無論、忠三郎もその話は覚えている。祖父・快幹が信長の命を受け、関盛信を日野へ迎え入れたこと。その折、盛信のために一つの庵を築き、失意の叔父を慰めるべく尽力したことも。だが、その裏で――いや、表沙汰にならぬ形で――多くの者が苦境に立たされていたのもまた事実だった。
「伊勢に残された関家の者たちは、行く末に困窮し、家を守ること叶わず、ある者は田を耕し、またある者は他家に仕える身となり果てた、とお聞き及びではありせぬか」

 その事実を、忠三郎は知らぬわけではなかった。だが、あまりにも遠い過去のことであり、また織田家の力を背景にした正当な処置と信じて疑わなかった。

「されば、それが叔父上の怨みとなり、我が家にまで向けられておると申すのか?」
 忠三郎は口調を強め、町野左近に問うた。
 町野左近は苦い顔で頷きながらも言葉を続けた。
「はい。かの庵で慰められたその時こそ、関様の表向きのご様子は実に穏やかでありました。しかしながら、内心ではその屈辱を決してお忘れにならず…いや、それどころか、その恨みをより深めておいでだったのではと。それゆえ、右府様が討たれたと知るや、俄かにその態度を急変なされたのでござりましょう」
「俄かに態度を急変、とは?」
 忠三郎は眉間に皺を寄せ、左近の顔をじっと見つめた。

「右府様が本能寺にて討たれた折、関様は神戸三七様に従い四国攻めに加わるべく堺湊においででした。その途上で異変の報せを受けるや否や、三七様の許しを得ずに国元へ戻られたのでござります」
「叔父上が…国に戻り、挙兵を試みられたと申すか?」
 忠三郎は声をひそめつつ問い返した。
 左近は一拍の間を置いてから、さらに慎重に言葉を紡いだ。
「はい。恐らくは、織田家への深き怨念を抱きつつ、明智勢に呼応する形で、その恨みを晴らそうとされたのでありましょう」

 何も知らなかった。あの時は迫りくる明智勢や江南の縁戚のことばかりが頭にあり、峠を越えた伊勢でそんな動きあったとは思いもよらない。
「されど、若殿が北畠家へ援軍を要請され、大軍を率いた北畠勢が峠を越えようとしていた。それゆえ関様はそれ以上動かれることも敵対されることもなく、何食わぬ顔で中立の立場を装われたものと存じまする」

 では何故、関盛信は、今回、羽柴につくか柴田に付くかの去就を決めるときに、蒲生家と足並を揃えたいと申し出たのだろうか。
「これまで、明智方に組みした者は、羽柴筑前守により厳しく処罰されておりまする。関様は羽柴の追及を逃れんがため、何も知らぬ若殿を頼られたのでございましょう」
 町野左近の言葉に、忠三郎はふっと微笑を浮かべた。
(叔父上もずいぶんと表裏のあるお方よ)
 心中で呟きながらも、そこに含まれる批判の色は薄い。むしろ、そんな振る舞いもまた、家を守るための必死の策であろうと、どこか同情するような思いさえ漂う。

 忠三郎はそっと目を伏せ、胸の内で考えを巡らせた。
「では、此度はまことに、我らと同心しておるのか」
「いえ、それが…」
 町野左近は一瞬言葉を探すように黙り込み、やがて慎重に口を開いた。

「蒲生家と足並みを揃えとう存ずると申されたるは、羽柴殿への恭順を示さんがための方便に過ぎませぬ。さりながら、その御心根は、はなはだ我らと同じとは申し難く、我が家と同心と称しつつも、一族たる峯家はすでに滝川左近様の調略を受け、柴田様に与することと相成りし模様にござりまする」
「峯家が調略されていたと?」
 忠三郎の眉がわずかに動く。知らぬ間に、一益の策が幾重にも張り巡らされ、次々に先を越されていることへの気持ちが胸を刺す。

「さては、峯城の攻略がかくも早かりしは…」
「峯家が加勢したためかと」
 少しずつ、霧が晴れるように謎が解けていく。もともとの城主たる峯家が滝川勢に協力していたのであれば、城攻めにさしたる困難はなかったに違いない。
 しかし、亀山、そして関の二城が相次いで陥落し、叔父が城を追われる事態となったその裏には、いかなる事情が潜んでいたのか。

「峯家が滝川様に従っておったことを、関様は存じ上げなかったのでございましょう。されど、亀山を奪われ、日野へ向かわれる途上にて、事の次第を知り給うたものかと」
「事の次第とは?」
「亀山城も、関城も、攻め落とされたものではございませぬ。実のところ、関様の三男にあたる関十兵衛様が、城中の家臣を味方につけ、内より城を奪い取り給うたのでござります」
「十兵衛が…」
 関十兵衛。幼き日の記憶がよみがえる。かつて、関盛信が幽閉の身となったとき、十兵衛は人質として柴田家に送られ、そのときに幾度か顔を合わせたことがあった。その頃の彼はまだあどけなく、幼さの中にも秘めたる気丈さが見え隠れする印象的な少年だった。

 後年、柴田勝家の元で、家臣として仕えていると耳にしたときも、それは当然の成り行きのように感じたものだ。そうして伊勢を遠く離れたと思っていた十兵衛が、今また、この地に戻っていたとは――。
「関十兵衛が伊勢に戻っておったのか」
 町野左近は静かに頷く。その顔に浮かぶは、微かなる懸念の色だ。
「十兵衛様は柴田様の密命を帯び、伊勢へ舞い戻られたのでござりましょうな。関様もまた、それを知らされ、城の奪還を断念せざるを得なかったやもしれませぬ。そして、一族と足並を揃えるべく、密かに滝川様に通じられたと見受けられまする」
 町野左近の声は低く、慎重に言葉を紡ぐ。風が微かに木々を揺らし、遠くから松明の光がぼんやりと揺らめく。
「では、新介とともに、わしを討たんと追いすがってきた者の中に、十兵衛がおったやもしれぬな」
 忠三郎は静かに夜空を仰いだ。澄んだ月光が雲間より差し込み、忠三郎を柔らかく照らし出す。その光は、遥か昔の記憶を鮮明に蘇らせるかのようだ。

 幼き日の十兵衛――かつては屈託のない笑みを浮かべ、純真な瞳で周囲を見つめていた少年。あの姿は、月明かりの中でさえ、なおはっきりと心の内に浮かんでいた。
 だが今や、その少年は柴田勝家の密命を帯び、伊勢の地に舞い戻り、自らを討たんとする追手となった。
「十兵衛め…いかにしてここまでの恨みを抱くに至ったのか…」
 胸の内には、ただ驚きや悲しみばかりではない。かつての友が敵となり、自らを狙う運命を作り上げたものが何かを思えば、痛烈な無力感と苦悩が広がる。
 忠三郎の呟きは、風に乗って夜の闇へと溶けていく。その声には、敵意というよりも、何か深い哀惜が滲んでいた。

「若殿。関様の件、羽柴筑前に知らせたほうがよろしいのでは?」
 町野左近の言うことは筋が通っている。伊勢攻略の戦略全体を見れば、些細な裏切りの芽も摘み取っておくのが肝要だ。だが、忠三郎は穏やかながらも断固とした調子で首を横に振った。
「このことは他言無用じゃ」
 微笑んでそう言う忠三郎からは、関盛信の裏切りに対して怒りの色は微塵も感じられない。すべてを許容し、静かに見守ろうとしているかのようだった。
 この様子に、町野左近は驚きを隠せず、忠三郎をじっと見つめた。
「確たる証拠があるわけでもなし」
 忠三郎は静かな口調で続けた。その声音には、焦りや苛立ちといった感情が全く感じられない。
「なによりも関一族は我が縁戚。事を荒立てるつもりはない」
 この場において、即断即決で断罪するのではなく、あくまで冷静に事を収めようとする忠三郎の姿勢に、町野左近は内心驚きを隠せなかった。

「恐れながら、若殿は章姫様の折にも、お命を狙われながらもこれを咎められず、今回また、関様の裏切りをご存じでありながら、事を荒立てるべからずと仰せられます。まことに若殿らしい、広き御心の沙汰とは存じますれど、それでは周りの者に侮られるのではないかと、いささか心許なく思う次第にございます」
 忠三郎は町野左近の思いを知ってか知らずか、微笑を崩さない。その姿に、左近はなおも言葉を重ねる。
「そうでなくとも、戦場においては、軽き大将と囁かれることさえございます。若殿が先陣を切って飛び出される勇ましさをも、また、何がしかの軽率さと受け取られておりまする」
「侮るのか、皆が?」
 忠三郎は首を傾げるように問い返す。その仕草はあくまで穏やかで、この場の緊張を忘れさせるかのようだった。

「はい。若殿はこれまで、関家のため右府様へ幾度となく取り成され、亀山城へ帰参できるようにとご尽力なさいました。そして章姫様の件におきましても、周囲が驚くほどの御寛恕を示されました。それを、これほどあっさりと裏切られてなお、腹がたたぬので?」
 左近の問いには真剣な思いがこもっていたが、忠三郎はどこまでも柔らかく、明るい笑顔を浮かべた。
「爺。そう怒るな。皆、争いごとに巻き込まれておるだけのこと。誰も誠心から争いたいと思うておるわけではない」

 その声は、戦場や策謀に満ちた世の中にあって、あまりに穏やかで、どこか達観しているようにも響いた。
 町野左近の脳裏に、十余年前の姿が浮かぶ。初めて出会ったころの忠三郎は、まだ幼さの残る温厚な少年だった。あれから幾度も戦場を駆け、織田家の旗頭として各地を転戦してきたが、その内にあるものは、あの頃のまま変わっていないように思える。

「若殿は、いつまでたっても若殿であられる」
 忠三郎は目元をわずかに緩めた。いつもの掴みどころのない、その独特の微笑み――戦国の世にあって、時に大胆に、時に悠然と構え、まるで一陣の風のように振る舞う忠三郎ならではの表情だった。
「爺、ようわからぬことを申すな」
 軽く口元で笑いながらそう返すその姿に、どこか幼い頃の面影が残るような気がして、町野左近は思わず笑みを漏らし、帷幕を後にした。

 一人残された忠三郎は、静けさに包まれた空間の中、深い思案の渦へと引き込まれていく。
「叔父上よりも恐ろしいのは…」
 絞り出されるように漏れた言葉は、自分自身に向けられた圧力を噛み締めるかのようだった。表情は微動だにしないが、目の奥には鋭い光が宿っている。
 何よりも恐ろしいのは、義兄・一益が巧みに張り巡らせた二重三重の策謀の網である。その網は、単に敵を絡め取るためのものではない。忠三郎の動きのすべてを予見し、予め仕組まれた罠であるかのように思えた。
(義兄上は…我が歩みを遥か先まで見透かしておるのか…)
 忠三郎は静かに指先を握りしめた。焦燥を内に秘めつつ、いかなる時も冷静さを保つという自戒の表れでもあった。

 戦場のみならず、策謀の網が幾重にも絡みつくこの乱世の中にあって、ただ武勇をもって切り抜けることはもはや叶わない。十兵衛の動き、叔父の度重なる変心、そして一益の策。すべてが絡まり合い、まるで己を試し、追い詰めるかのように感じられる。

 忠三郎はしばし天を仰ぎ、その胸に湧き上がる重圧を受け止めた。

(義兄上の狙いは…)
 忠三郎の瞳に微かな憂いが宿る。
 一益が挑む真の相手は、自分などではない。――秀吉だ。十倍もの大軍勢を率いて伊勢を攻める秀吉に対し、一益はすでにその先を読み切り、巧みに先手を打ちながら寄せ手を翻弄している。その一挙手一投足は冷静沈着で、どこまでも計算し尽くされたものだ。

 まさに戦巧者と呼ぶに相応しいその手際は、敵を威圧し、味方をも驚嘆させるほどの凄絶さを帯びている。一益が編み出す策のひとつひとつが、目に見えぬ罠となって秀吉の軍勢を縛り、進軍の歩みを鈍らせている。

 忠三郎は唇を引き結び、月明かりの下、静かにその思いを巡らせた。
(義兄上の相手たるは、このわしではなく、羽柴筑前。その猛攻をいかにして退けるか、義兄上はそのすべてを見据えた上で、先手先手を打っておられるに違いない)
 忠三郎は静かに息を吐く。一益の底知れぬ才覚に触れるたび、自身の至らなさを痛感せざるを得ない。しかし同時に、その策略の中にある義兄上の真意を掴み取ろうと、胸中で問い続けてきた。

 町野左近は言葉を飲み込み、じっと忠三郎の横顔を見つめていた。常ならば、戦の最中ともなれば誰しもが気を張り詰め、神経を研ぎ澄ませるものである。
だが、目の前の忠三郎は、いかなる状況にあろうとも、その面持ちには不思議な穏やかさが漂い、周囲を慌てさせるどころか、逆にその場の空気を和らげる。

(兵の数が如何に多かろうと、歴戦の義兄上に正面から勝つことは叶うまい。されば、この戦さ、大軍勢をもってなお勝てぬ相手と知る戦さにせねばなるまい)
 つまりなすべきは勝とうとすることではなく、互角に持ち込み、容易に勝ちを得させぬことだ。それが蒲生家の名誉を守る道でもある。

 忠三郎は、手にした軍扇を静かに揺らしながら、月明かりに照らされた帳の中で唇をそっと動かしていた。その姿には、戦場の策謀や兵法などどこか遠くに置き去り、悠然と和歌の一句でも紡いでいるような趣があった。

 山里は 冬ぞ寂しさ まさりける
           人目も草も かれぬと思へば
(『古今集』冬・三一五)

 詠む声は小さく、月の光に溶けるように儚げだ。

 帷の外へ目をやると、古の歌人が詠んだかのごとき冬枯れの景色が広がっている。木々の葉は散り、霜をまとった大地には人影もなく、寒さの中にただ静寂が満ちていた。
 その姿を目にした者がいれば、戦場の緊張感をどこ吹く風と受け取ったに違いない。むしろそれは、戦乱の世に生きる武将の姿というよりも、平安の貴族が紅葉を愛でる庭園でのひとときにも似た風情を漂わせていた。
 その余裕と平穏の中に、果たして何を秘めているのか。忠三郎の面持ちは柔らかいが、どこか底知れぬ深さを湛えていた。
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