獅子の末裔

卯花月影

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11.旭日昇天の勢い

11-1. 薩摩の酒

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 天正四年

 蒲生家の寄親、柴田勝家が北陸平定を任されることになった。
 琵琶湖から日野一帯と勝家の居城・長光寺城は全て公儀、すなわち信長の蔵入領(直轄領)とされた。

「それは如何なることで?この日野は当家のものではないと?」
 町野左近をはじめとする家臣たちは、信長の言わんとしていることが分かりかねるようだ。
「我らが柴田殿の陪臣ではなく、上様直属となったということじゃ。これも皆の長年の骨折りにより、上様が我等、江南の者どもを深く信頼していることの証」
 忠三郎が笑顔で説明すると、一部の家臣は腑に落ちない様子だったが、町野左近らは安心してくれた。

(爺は、ときどき、鋭いことを申すのう)
 なんとかうまく取り繕ったが、その実、町野左近の指摘が正しい。
 日野に限らず、すべての織田領は信長と連枝衆のものであり、家臣たちは領地を与えられているのではなく、貸し与えられているにすぎない。
 城を築くのにも信長の命なしでは行うことができず、逆に城を築けと命令されれば、場所や縄張り(設計図)、果ては石垣、瓦に至るまで、信長の細かい指示が与えられる。

 織田家の支配地が広がるにつれて、今後も勝家のように居城を明け渡し、全く異なる国へ向かわされる者が増えるだろう。
「若殿。よもや、我が家も直に国替えなどということにはなりますまいな」
 町野備前守が不安そうに尋ねると、その場は再びざわめき、家臣たちの間に動揺が走った。
「そっ、そのようなことが誠に?」
「わしは何があっても日野からは動きませぬ。どうあってもと仰せであれば、武士をやめ、百姓になりまする」
「おぉ、ではわしは家に戻り、家業を継ごうかのう」
 皆、口々に言いたいことをいいはじめる。

「待て、待て、案ずるな。そのようなことにはならぬ。我等は上様の直臣。そしてわしは娘婿じゃ。連枝衆同様の扱いを受けておる。なにも案ずることはない。我が家の者は、いつまでもこの日野にいて、よいのじゃ」
 忠三郎が声を大きくして家臣たちをなだめると、ようやくその場は静かになった。
(なにやら少し、息苦しさは感じるが…)

 それが天下泰平に繋がるのであれば、甘んじて受け入れるしかない。特にこの江南においては、今後、信長の厳しい目が光ることになる。
 それと言うのも、信長は日野からそう遠くない、安土に新しい城を築かせている。岐阜城は嫡男信忠に譲り、この安土の新城を居城にするという。
「我が家からも人員を出し、滞りなく上様の居城を築けと言うご命令じゃ」
 人員や木材など全て、命じられた者が負担しなければならない。財力のある蒲生家ならばさほど痛手にはならないが、城下町を持たない者には大きな負担になる。

(上様は天下を治めるために、江南を選ばれた。これは大変、誉れ高いこと)
 皆が負担に感じているのも今だけだ。江南に天下人の城が築かれる。安土に荘厳な城が完成し、城下町が形成されれば人の往来も多くなり、江南全体が潤う。そうなれば皆の暮らしもらくになる。
 今はそれを期待して築城に従事するしかない。

 家臣たちがざわざわと広間を出て行った後、 留守居をしていた町野備前守が、一通の書状と酒樽を運ばせてきた。
「これは?」
「薩摩から都まで船で運び、都からここまで運んできたと、商人どもはそう申しておりました
 薩摩と聞いて思い当ることがあった。
(島津中務なかつかさ殿か)
 島津中務とは島津四兄弟の末の弟の島津中務大輔家久のことだ。添えられていた書状を見ると、やはり島津家久だった。

 一年前、家久は伊勢神宮に参拝するため薩摩からはるばる都までやってきた。
 家久が京の都に見物に現れたとき、ちょうど織田軍は大坂本願寺攻めを終えたところだった。
 連歌師・里村紹巴からの紹介で、たまたま都にいた忠三郎に声がかかった。
 家久から見ると、年若い忠三郎は信長の近侍の一人くらいにしか見えなかったろう。しかし家久は忠三郎を侮るようなこともなく、両者は丁寧に挨拶を交わした。

『上様も都にお戻りでござります』
『存じております。昨日、戻ってこられたお姿を遠目で…』
 偶然、信長を見たらしい。忠三郎があぁ、と軽く流そうとすると、
『とてもお疲れのご様子で、馬上で居眠りしておられました』
 家久はなんの頓着もなく、そう言って笑った。
(随分と歯に衣着せぬ物言いをなさる方じゃ)
 信長が馬上で寝ていたなどと、たとえその姿を見たとしても、軽々しく口にできることではない。ここまで信長を恐れない者を見たのは初めてだ。驚きを通り越して爽快なものを感じた。

 その後、饗応を任された明智光秀から茶を勧められたが、
『茶の湯は不心得。それゆえ白湯にしてくだされ』
 卑下することもなく、堂々とそう言った。清々しいほどはっきりと物を言う。
(いとも面白きお方じゃ)

 薩摩の国の者がみな、家久のような気質なのか、それとも家久が特別なのかはわからなかったが、薩摩のものは豪快さと実直さを兼ね揃えていると聞いたことがあった。
 薩摩という国や、島津家、家久本人にも興味が湧き、いろいろと話を聞きたくなった。忠三郎がぜひにと武功話を求めると、家久は快く応じてくれた。

『少ない兵を敵の前面に向かわせ、すぐに退却させる。逃げた兵を追う敵を袋小路までおびきよせ、敵が術中にかかったときに、左右に配置した伏兵で一斉に取り囲み、討ち取る。これが人呼んで島津の釣り野伏せなる戦法でござる』
 将・兵ともに高い練度と将の指揮能力が要求される戦術で、これにより島津は多くの戦さで勝利を収めている。

 祖父・島津忠良に『軍法戦術に妙を得たり』と称された家久の武功話は耳にしたことのない戦術ばかりで、戦さ場における島津四兄弟の息の合った掛け合いも面白く、年若い忠三郎の心を躍らせた。
 家久は秀逸な戦術眼をもち、将としての統率力の高さは目を引くものがある。話をきいているうちに、豪胆な反面、細やかな心遣いもできる文武に秀でた勇将であることがよくわかった。

 その後、紫式部が源氏物語を起筆したと伝わる石山寺を見物したいというので、大津まで案内した。
 和歌を嗜むという家久に、明智光秀が歌会の誘いを送って来たが、これも丁重に断られた。家久の舅、樺山玄佐は近衛前久から古今伝授を受けた風流人だ。どんな歌を詠むのかと内心興味を持ったが、無理強いするわけにもいかない。
 家久が織田家の武将はどのような城を居城としているのかと興味を示したので、そのことを光秀に伝え、光秀の居城、坂本城まで送った。
 そのときには家久の人柄にすっかり惚れこみ、もっと話を聞いてみたいと思った。しかし城の中では光秀が待っている。致し方なく、坂本城の城下で別れることにした。

 別れ際、忠三郎は
『薩摩とは如何なる国で?』
と聞いてみた。家久はしばしの時、考えていたが
『薩摩は日々、白き煙を吐く桜島同様の熱き国。薩摩隼人はすべからく勇猛果敢。熱い心を持つものが多く、酒は美味い』
『酒が美味い?』
 忠三郎が興味深そうに問い返したので、酒好きと気づいたのだろう。家久はそのとき、はじめて笑顔を見せ、豪快に笑った。
『忠三郎殿も相当な酒好きと見た。戻ったら、今日のお礼に薩摩の酒を送りましょう。なんなら一度薩摩へ参られよ。わしが案内してつかわそう』
 家久と別れ、都へ戻る道すがら、その日に聞いた話が頭から離れなかった。
 島津家久は上方にはいない、魅力ある、印象的な人物だった。

 そして届いた酒。早速、町野備前守と供に、飲んでみることにした。
「まずはそれがしがお毒味を…」
 備前守は緊張した面持ちで、盃に注がれた酒をじっと見ている。
「如何した?」
「これは、普通の酒ではありませぬな」
「なんでも、琉球より伝わった方法で、あわ・ひえ・きびから作ると仰せになっていたような…」
 町野備前守は一口飲み、いきなりむせ返った。胸を抑え、顔を赤らめたまま、咳こんでいる。
「大事ないか?」
「薩摩の酒は、つ、強うござりますな」
 備前守は息を整え、誤魔化すように言い訳を口にする。
「然様か。何事もないのであれば、わしも…」
 楽しみに待っていた薩摩の酒をやっと飲める。毒味とか言う余計なひと手間のせいで、いつも忠三郎は家来の次だ。
(これは…)
 いつも飲んでいる酒と違い、ずいぶんと喉越しがいい。
「美味い!これはよい。爺も呼び、今宵は酒宴としよう」
 近侍に命じて町野左近も呼び、三人で薩摩の酒を堪能することにした。

 町野備前守と町野左近の親子は、飲みにくさを感じて控えめに飲んでいたが、忠三郎はいつものように杯を重ねた。笑い声が高まり、常の如く、時の流れを忘れるほど機嫌よく、余裕を崩すことなく振る舞っていた。
 ふと気づけば、忠三郎の瞳の奥に宿っていた確かな光が、次第に霞んでいく。静かな海がいつしか波にさらわれていくように、確固たる意思の彼岸が遠のいていく。

 忠三郎の手はゆるりと杯を持つ。今までの確かな握力は消え失せ、まるで空気を掴もうとするかのように頼りなげだった。まぶたは重く垂れ、無言の沈黙が一瞬、場を包んだ。

「若殿?如何なされた?」
 忠三郎の様子がおかしいことに気付いた町野左近が盃を置き、傍に近寄ろうとする。
 忠三郎は倒れ込む瞬間、糸が切れた人形のように崩れ、柔らかな畳に吸い込まれるように横たわった。

「これは…若殿にしては珍しきこと」
「いやはや、薩摩の酒はやはり、相当に強い酒に違いない」
 薩摩の酒とは南蛮酒とも呼ばれ、暹羅タイから琉球に伝わった蒸留酒。酒粕や雑穀を蒸留して作られたもの。
 忠三郎の寝顔は驚くほど安らかで、まるで幼子が母の腕の中で眠るかのようであった。
 町野父子は口を閉ざし、その光景を見守った。酒に強い忠三郎が、酔いの深淵に引きずり込まれるのは、まるで自然の摂理の一部のようであり、抗うことのできない静かな瞬間だった。

 安土の築城が進み、町に移り住む人が増え始めた。これまであった街道を安土に通したことで人の往来が増え、商いをする者も出始めている。
 忠三郎は普請を監督している信長の嫡男・織田信忠の傍近くで、日夜、人足手配やら、使い番など、細かい作業に従事している。

 信忠に仕える家臣は、尾張・美濃以来の織田家の譜代の臣ばかりで、付き合いづらい者が多いが、信忠自身は姉の婿ということもあり、一つ年上の忠三郎を信頼し、譜代の臣同様に扱ってくれている。
「忠三郎、待っておったぞ」
 その日も朝、信忠の前に伺候すると、嬉しいことばをかけてくれた。
「なんとも嬉しいお言葉でござります」
 忠三郎が笑顔で答えると、信忠は立ち上がり、安土の町へ忠三郎を連れ出した。

「父上はこの場所へ、キリシタンのための南蛮寺を建てよと仰せられる」
 連れていかれた場所は、城が建つ安土山の麓近く。町の中ではかなりの好立地と思われた。
「上様は安土の城から南蛮寺を見たいとお考えなのでしょう」
「おぬし、如何思うか」
「…それは…如何様なことで?」
 信忠が気にかけていること。それは伴天連をはじめとする南蛮人の国であるスペインのことだ。
「筑前が申すには、かの者たちは、この国を支配せんがために伴天連を送りこみ、我らを監視し、内情を探っておるのではないかと」

 筑前とは、木下から名を改めた羽柴秀吉のことだろう。秀吉だけではない。大和を領する松永久秀も度々、イエズス会との接触を危険なものと訴えている。
「いささか考えすぎとも思われますが、それに対して上様は何と?」
「笑うておいでであった」
 信長らしいと思った。例え秀吉の言う通りであったとしても、恐れるほどの相手ではないと、そう思っているようだ。

(さすがは上様。下賤な猿とは器の大きさが異なる)
 信長はそんな小さなこともよりも南蛮文化や南蛮人がもたらす硝石・鉛といった火薬の材料となるものに重きを置いている。
「上様が気にも留めぬと仰せであれば、さしたる問題にはなりますまい。所詮は下衆の勘繰り。あのような下賤な者の申すことなど、お気に止めまするな」

 信忠は生真面目に頷く。
「おぬしがそう申すのであれば、案じることではないかもしれぬ」
「近江を制するものは天下を制すと申します。もはや、上様の天下を揺るがすものなどはありませぬ」
 南蛮寺の予定地から少し歩くと、織田家の家臣たちの屋敷が並ぶ。すでに完成しているもの、未だ建築途中のものなど、すべてを合わせると百を下らない。

 信忠はその中でも建設途中の屋敷の前で馬を下りた。
「ここに父上であっても御せぬ者がおる」
「上様であっても…。おや、ここは…」
 織田家宿老・滝川一益の屋敷だ。
(上様が御せぬ者とは…もしや義兄上のことか)
 そうは思えなかったが、信忠に続き、忠三郎も後に従って屋敷の中へ入った。
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