獅子の末裔

卯花月影

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10.越前の白き想い

10-1. 百姓の持ちたる国

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 長かった長島願証寺攻めを終えて、忠三郎が日野に戻ったのは天正二年が終わろうとしている冬の寒い日だった。

 忠三郎は戻ってきた翌日、留守居をしていた町野備前守を呼んだ。
「おさちと子は如何なった?」
 知らせを受けてから、十か月が経過している。戦場にいたこともあり、その間、一切消息を知らされていない。
「若殿、まだそのような…」
「何か隠しておろう?わしを見る喜三郎の顔を見ればわかる。包み隠さず話さねば、義兄上か義太夫に頼んで探させる」
 一歩も引かぬ勢いで迫ると、町野備前守は眉間にしわを寄せ、
「後藤喜三郎とはまた笑止な。若殿はあの姉弟にたばかられておる」
 とよくわからないことを言った。
「謀るとは?おさちと喜三郎が偽りごとを申しておると?」
「あの者どもは浄土真宗の門徒でござります」
 咄嗟に何を言わんとしているのかが理解できなかった。
「おさちが、一向宗?」
 荒唐無稽な話だ。俄かに信じがたい。まして喜三郎は、つい先ごろまで共に長島攻めに加わっていた。

「それゆえ、後藤喜三郎は先年の合戦でも六角親子に呼応し、我が領内で一揆を先導していたのでござります」
「何をもってそのような…」
「これは風聞なれど、喜三郎は密かに生まれた和子と姉を越前に逃がしたとか」
「越前?」
 昨年八月、朝倉氏が滅び、旧臣たちが織田家に臣従した。その後、信長は木下秀吉、滝川一益、明智光秀の三名に越前の仕置きを任せて兵を引いた。その後、三人は北ノ庄にそれぞれ代官を置き、統治を旧臣の一人・前波吉継に任せて引き上げた。

 ところが今年の一月、前波吉継の統治に不満を持った朝倉家の旧臣たちが一揆を扇動、三万の兵力をもって前波吉継と一族を根絶やしにすると代官三名のいる館を取り囲んだ。三代官は朝倉家の旧臣たちの仲裁により助命され、京へ逃げ帰っている。

 その後、一向宗の勢いは留まるところを知らず、一向宗の治める国であった隣の加賀から本願寺の坊官を呼び、この五月、織田家に恭順しようとした朝倉家の旧臣たちをも討ち取り、越前一国が本願寺の手に落ちた。それ以来、越前は加賀同様、百姓の持ちたる国と呼ばれている。
(越前などと…何故、そんなことに…)
 後藤喜三郎は忠三郎が約定を違えたことを怒って、そんなことをしたのだろうか。
(まずは喜三郎と話をせねば…)
 喜三郎もすでに伊勢から戻っている筈だ。忠三郎は町野左近を伴い、後藤館へと足を向けた。

 城下が賑わい、人の出入りの激しい日野・中野城下と違って、後藤館のある観音寺城は城代がいるだけの城で、城下は物寂しく、後藤家の屋敷はいつもながらにひっそりとしている。
 町野左近が門番に声をかけると、門番はこれまでとは異なり、警戒した素振りを見せた。
(何かが違うておるような)
 しばらく待たされた後に中へと通されたが、家人たちの視線がこれまでとは違う。どこか怯えたような、怪しむような、不穏な空気を感じつつ、広間へ入った。
「ようも平然とここへ来たものじゃ」
 喜三郎は口を開くなり、そう言った。
 
 忠三郎は笑顔を称えて
「そう怒るな。約定を違えるつもりはない。まずは御台に事と次第を話してから…」
「では何ゆえに刺客を差し向けてきたのじゃ!」
 喜三郎が今にも抜刀するかという勢いで怒鳴った。
「刺客?とは…」
 あまりに唐突な話で、咄嗟に喜三郎の言う言葉の意味が分からない。
「白々しい!おぬしの差し金であることは明々白々。姉上は危うく命を落とすところであった」
 刺客だの、命を落とすだのと穏やかではない。何かの行き違いで、誤解が生じているのかと思った忠三郎は、喜三郎を落ち着かせようとする。

「物騒なことを申すな。思い違いも甚だしい。わしは何も…」
「ではそこにいる町野左近に聞いてみよ!」
 忠三郎が驚いて振り向くと、町野左近がハッとなって下を向く。
「何を申す。これなる町野左近は我等と供に伊勢におったではないか。のう、爺」
 喜三郎は何を勘違いしているのか。忠三郎が笑って同意を求めると、町野左近はちらちらと忠三郎の顔色を伺いながら、重い口を開く。
「いえ、それはその…確かに、それがしも知らぬことでござりましたが…。父が勝手に…どうかお許しくださいませ」
 言い逃れできないと悟った町野左近が小刻みに震えて平伏したので、留守の間、知らないところで何かが起こっていることが分かった。
「一体、如何なることか」

 おさちとその子に刺客が差し向けられたのは忠三郎や喜三郎が長島に出陣していたころだった。
 喜三郎は万一に備え、後藤館に匿っていた一向宗の門徒に、警護を頼んでいた。危機を察知した後藤家の家人たちは、襲ってきた刺客を返り討ちした。しかし館にそのまま留めおくのは危ういと判断し、家人の一人がおさちと幼い子を連れ、親類を頼って織田家の追跡の及ばない越前へ逃れた。
(それで備前守は、喜三郎とおさちが一向宗の門徒であることを知ったのか)
 最初、町野備前守に話を聞いた時から、頻繁に後藤館に出入りしていた忠三郎でさえ知らないことを、何故、知っていたのかと不思議に思っていた。

「で、その方は如何する?我らが本願寺に通じていることを上様や柴田殿に話すか?」
 喜三郎は怒ったように言うが、その目が怯えている。
(上様が恐ろしいのか)
 それも不思議はない。長島で三万以上の門徒を葬ってきたばかりだ。
「そのようなことをする筈もない。我等は…」
 我等は幼い頃から親しくしてきた。大事な従弟を売り渡すようなことが出来ようか。そう言おうとして、やめた。

 家人が刺客を送ってしまっている。どんなに言葉を尽くして説明したとしても、喜三郎は信じてはくれないだろう。
(そこまでわしが疑わしいか)
 全く信用されていないのかと思うと、もう何かを言う力もでない。家人が勝手にしたことだとも言えず、忠三郎は町野左近を促し、早々に後藤館を後にした。
(もう、ここにおさちはいない)
 かつて明るく輝いていたおさちとの幸福な日々は、今ではただの記憶の欠片となり、心の中でひび割れながら崩れ落ちていく。
「爺」
 忠三郎は力なく町野左近に声をかけ、呼び止めた。
「おぬしの父は誰の命でそのようなことをしておる?」
 仮にも後藤家は縁戚であり、かつ、おさちの産んだ子は主筋になる。それを密かに闇に葬ろうとは、町野備前守一人の判断とは思えない。
「は…それは…」
 町野左近が言いよどむ。誰の命であったとしても、今ここで言うつもりはないようだ。
(所詮、こやつもわしを監視するためにつけられた家人か)

 そして喜三郎とおさち。二人はこれまで一向宗の門徒であることなど、おくびにも出さなかった。喜三郎はともかく、心から分かり合えると思っていたおさちにまで裏切られていたのだろうか。
(もう誰を信じたらよいのかもわからぬ。いや、誰をも信じることなどできぬ。それが戦国の世か)
 かつて曽祖父の高郷と祖父の快幹が毒殺した蒲生秀紀。その蒲生秀紀に毒を盛ったのも気心の知れた茶人だったという。心を許し、隙を見せれば足をすくわれる。それが戦国の世だ。
(例えそうだとしても…)
 それでもおさちに会いたい。何故、何も話してくれなかったのかと聞きたい。おさちが去った今、すべてが遠くかすめて見える。遠い越前へ旅立ってしまったおさちは、今頃、どうしているだろうか。

 天正三年正月。年賀の挨拶のために岐阜に赴いた忠三郎は、そのまま岐阜に留まるようにと命じられた。
「日野の守りは父の賢秀がおろう。鶴は予の元におるがよい」
 何故、そう命じられたのか、信長の真意が分からなかったが信長の元にいると、まつりごとや軍略など、学ぶことは多い。夕暮れ時には城下の一益の屋敷に戻るので、滝川家の面々から諸国の情報を仕入れることもできた。

 その日もいつものように千畳敷館での仕事を終え、城下の屋敷に戻った。馬屋を見ると、見慣れない馬が繋がれている。
(客人であろうか)
 馬屋番をしている弥助なる小者に声をかけて聞いてみた。
「武藤様がおいでで」
 織田家家臣の一人、武藤宗右衛門は越前攻め以来、織田家に仕えている。宗右衛門は越前の入口、敦賀にある花城山城を任され、敦賀一帯を領していた。
 花城山は越前の一向宗を監視する重要な拠点だ。そのこと一つ見ても、武藤宗右衛門が如何に信長に信頼されているのかが分かる。
(越前仕置きの件か)
 一益が越前の代官として置いた津田元嘉が一向宗によって越前を追われたのがちょうど一年前。越前仕置きの件で何か相談事があって屋敷を訪れたのだと思われた。

 詰所に行くと義太夫、佐治新介、木全彦一郎がまた博打に興じていた。
「義太夫、武藤殿がお見えとか…」
 声をかけると義太夫はずいぶんと負けているらしく、こちらを振り向きもしない。
「鶴殿。今宵の義太夫は負け博打じゃ。おぬしと戯れておる暇などないと言うておるわい」
 新介が勝ち誇ったように笑うと、義太夫は怒り心頭で
「戯けたことを申すな。最後はこの義太夫様が勝つのじゃ」

 博打に夢中で誰も彼も全く話にならない。終わるまで待つしかないのかと思い、致し方なく待っていると、廊下の向こうを武藤宗右衛門が歩いていく姿が見えた。
「お、いかん!客人がお帰りじゃ!すぐに片付けよ!」
 三人が慌てて片づけをはじめると、ほどなく助太郎が姿を見せた。
「また博打を打っておられたか」
「助太郎、客人が帰る素振りを見せたら知らせよと申し付けたであろう?客人に見られたら如何するのじゃ」
 狭い屋敷だ。今更片付けたとしても、すでに目に入っているだろう。

 助太郎は呆れた顔をして三人を見ていたが、
「殿がお呼びで」
「な、なに!殿に露見したか?呼ばれたのは誰じゃ」
 義太夫と新介が顔色を変えると、助太郎はため息をつき、
「もうとうの昔に露見しておるものかと。呼ばれているのは忠三様と義太夫殿で」
 忠三郎はエッと顔をあげる。
「濡れ衣じゃ。わしは何も…」
「まぁ、よいではないか。供に詫びをいれてくれ」
 義太夫も新介も笑っている。全くもって酷い話だ。
「何故にわしまでが巻き添えを食らわねばならぬのか」
「兎も角、共に詫びるのじゃ」
「だから、何故にわしが詫びねばならぬ」
 ここで詫びては更に誤解される。二人は常の如く、揉めながら一益の前に伺候した。

「此度の件はまことに面目なき次第にて…」
 義太夫が平伏すると、一益は怪訝な顔をする。
「また何かしでかしたか?」
 義太夫は、これは早合点であったと気づいたが、忠三郎は気づかず、
「博打のことを咎めだてされるものと思うて…」
 と、余計な話をはじめたので、義太夫があわてて忠三郎の袖を引く。
「博打?」
「いやいや、これは鶴の勘違いでござります。我らが法度を犯して博打などと根も葉もないこと。して、ご用向きは?」
 胡麻化そうとして胡麻化しになっていない。一益は二人の態度に呆れながら手を振り、助太郎に命じて襖を閉めさせた。
 どうやら博打の話ではなく、何か人に聞かれたくない話のようだ。

「義太夫。そなた、手の者を動かし、敦賀辺りを探らせていたであろう」
 俄かに敦賀と言われ、義太夫は思わずエッと声を漏らし、忠三郎も驚いて義太夫を見る。
「それはもしや…武藤殿に露見したので?」
「然様。我が家の家人が敦賀辺りをうろついておると、宗右衛門が内密に知らせてきたのじゃ」
 宗右衛門は敦賀近辺で不審な者を捕らえた。ところが掴まえてみるとそれは滝川家の家人だった。

 宗右衛門は信長に知られないように一益に教えてくれたようだ。
「何ゆえに、かような勝手な真似をした?」
 一益は怒ってはいないようだったが、口調がやや厳しく、下手な言い訳はかえって火に油を注ぐ。
(敦賀とは…もしや義太夫は…)
 以前、義太夫におさちの消息を追ってくれと頼んだことがある。義太夫はもしや、おさちが越前に向かったことを知り、一益に黙って探してくれていたのではないか。
 そして、今ここに忠三郎が呼ばれたのは、義太夫が何故、そんな勝手なことをしたのか、一益は薄々気づいているということだ。
「義兄上、お察しの通り、義太夫はそれがしの頼みを聞き、越前を探っていたものかと…」
 一益に嘘は通用しない。忠三郎は恐る恐る正直に話した。
「関所を突破して敦賀を越えた一群があったというが…例の後藤家のものか?」
「義兄上はそこまで存じておいでで」
 宗右衛門からの情報と思われた。後藤家の家人らしき一行は、何食わぬ顔をして関所を通ろうとして見咎められ、関所の番人を二人、斬って逃げている。例え宗右衛門が黙っていたとしても、信長に知られるのは時間の問題だ。
(思うていたよりも、大事になっている)
 どうしようかと義太夫の顔を見ると、義太夫は何を考えているのか意に介した様子もなく、頭を掻く。
「そのことは上様には…」
「宗右衛門は上様に知られる前に、ぬしらがコソコソと動いているのを止めよと、暗にそう申しておるのじゃ」
 何もかも武藤宗右衛門に見通されているようだ。二人はバツ悪そうに俯いた。

「越前は今、危うい状況にある」
「危うい状況とは?」
 宗右衛門の話によると、新しく越前入りした本願寺の坊官と、越前の国人衆や元々越前にあった寺との間で利害が対立。その上、両者から二重の年貢負担を強いられた百姓たちの不満が高まりつつあるという。
「越前は一触即発の状態。いつ、何が起きてるやも知れぬ」
 おさちと子は無事だろうか。話を聞けば聞くほど、不安になる。
(助けに行くことも叶わぬか)
 越前は敵地だ。そう易々と人探しができる場所でもない。
「義太夫、許せ。わしが無理を言うた。されどこれ以上、家人を動かせば武藤殿も上様に告げざるを得なくなるであろう。もはや仕舞いにせねばなるまい」
「それは…探さずともよいと?」
 義太夫が、本当によいのか、と言いたげに忠三郎を見る。
 このままでは一益の立場を悪くしてしまう。忠三郎は苦渋の思いで頷いた。
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