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5.桃源郷
5-4. 幻の仙境
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音羽城で曲者に取り囲まれた忠三郎主従を助けたのは、一益の命により忠三郎の後をつけてきた滝川助太郎、助九郎をはじめとする滝川家の素破たちだった。
「殿の命にて、後をつけて参りました」
「義兄上の?」
一益は以前から、日野に素破を放っていたようだ。音羽城目指して大勢の素破が走っていくのが見えた。
「義兄上はさほどにわしが信用ならぬか」
忠三郎が微笑を浮かべたまま言うが、不快に感じていることは、その声色からでも分かったようだ。助太郎が戸惑っている。
「信用ならぬなどと…。殿はただ、忠三郎様を案じて…」
いらぬ世話をやくなと言いたかったが、その言葉を飲み込んだ。
「我等も城の中へ入ろう」
助太郎たちと城の中へ足を踏み入れると、雑木は取り払われ、館が修繕されているのも見える。
(破城とは偽りであったか)
忠三郎が生まれる前、確かに破城されたのかもしれない。しかし、その後、何者かの手により修復され、使われていたようだ。
(お爺様が武器・弾薬を密かに集め、売りさばくために…)
いや、違う。もっと前から、この城は使われていた筈だ。
(見覚えがある)
かつては難攻不落と詠われた音羽城。湿地にあり、山から水が湧き出ていて、井戸がいくつもある。その一つ、庭園脇の井戸は、宗家の正室が落城の折に身を投げたと伝わる井戸だ。
(あの井戸が…恐ろしかった)
井戸の横を通るときは、母の後ろに隠れて通った覚えがある。そして、そんなことはものともせず、井戸の周りで遊んでいた子供がいた。
(重丸か)
思い出した。あの子供こそ、兄・重丸だ。重丸は何故、井戸を恐れなかったのか。
(重丸は知っていた。井戸に身を投げた話は、嘘だと)
長い間、封印されていた記憶が呼び戻される。
井戸に身を投げた話は、井戸の底にある間道から人々を遠ざけるための嘘だと、重丸はそう言った。忠三郎がなかなか重丸の話を信じないので、幼い忠三郎を井戸の底まで連れて行き、死者の躯などはないと証明した。
蒲生秀紀の正室は井戸に身を投げたのではなく、井戸の底にある間道を通って、城から落ち延びようとした。そのときに後ろから斬られた。
(あの日もそうだった)
六角のお家騒動のとき、母・お桐は離縁され、後藤家に帰されることになった。お桐は日野を去ることが決まり、音羽城に閉じ込められたままの重丸を連れだし、この間道を使って逃げようとした。
(されど、あの日。母上が日野を離れると聞き、わしは城を飛び出し、一人でここまで歩いて…)
母の後を追って音羽城まで来た。日野・中野城から音羽城までの道は、幼い子供の足では途方もなく長く、険しかった。
重丸を連れ、井戸へ向かうお桐を見つけたとき、城内が騒がしくなった。見張りが気づいて追ってきたのだ。お桐は重丸を井戸の底へ下ろすと、幼い忠三郎を背に負って井戸の底へと降りた。
(その時、母上が矢で討たれた)
井戸の上から矢が射かけられ、お桐は忠三郎を庇って倒れた。奇しくも三十八年前、蒲生秀紀の内室が討たれたときと同じ井戸で。
(蒲生秀紀の内室はお爺様の妹)
宗家を監視するために送られていた快幹の妹。皆、井戸に身を投げたと信じているため、どんな理由で、誰に討たれたのかも分かっていない。
すでに間道の中にいた重丸は、お桐に取り縋って泣く忠三郎を促し、間道の外まで手を引いて逃げた。
間道の外は大きな池があった。そこで重丸は忠三郎に、中野城へ戻るようにと、そういった。
『供に行くことはできぬ』
何故かという問いには答えず、数歩歩いて振り返った時にはもう、重丸の姿はなかった。幼い忠三郎には、重丸が忽然と姿を消したように見えた。
(間道に入り、音羽城に戻ったのであろうな)
暗く、長い道をどうやって中野城まで戻ったのかは覚えていない。どうにか城下にたどり着いたときには東の空が明るくなっていた。
その時以来、音羽城を訪れることもなく、重丸の姿も見ていない。
今、振り返ると、母がどうしてあのとき、重丸を連れて逃げようとしたのかも分かる。重丸は、快幹が家督を奪いとるための道具だ。お桐は不憫な息子を置いて家を去ることができず、密かに連れ出して後藤家に連れ帰ろうとした。
(されどお爺様の手の者に見つかり、命奪われた)
そして忠三郎を逃がした重丸は、音羽城以外に自分の居場所がないことを知っていた。表に出れば、また賢秀の命により討ち取られてしまう。そう考えて、音羽城に戻ったのだろう。
井戸に行ってみると、案の定、折り鶴が落ちていた。
(風花殿か)
誰かが井戸から風花を連れて、逃げたようだ。
「誰か!この間道の先は鎌掛谷に通じておる。鎌掛谷を探せ!」
声をかけ、井戸の底へ降りて後を追うことにした。
間道を進むと、鎌掛峠の入り口にでた。
(あの頃と同じか)
鎌掛峠の向こう、山の奥深くにある鎌掛谷、そして鎌掛城。その昔、祖父快幹が従兄の蒲生秀紀を暗殺した、いわくつきの場所だ。
(ここで重丸と別れた)
見ると甲賀衆が辺りを探し回っている。
「忠三郎様!どうやらすでに御台様は連れ去られた後のようにて・・」
滝川助太郎が現れてそう告げる。
向かった先は鎌掛谷だろう。鎌掛谷の先には甲賀・土山に抜ける古い道がある。
「鶴千代!」
ふいに声がした。忠三郎はドキリとして顔をあげる。暗くて顔がよく見えないが、誰なのかは察しがついた。
(重丸)
目の前に立つ兄の姿が、信じられなかった。幼い頃、失われたとばかり思っていた重丸が、今、まぎれもなく自分の前にいる。血の通った温もりを感じさせるその姿に、忠三郎の胸は喜びと驚愕に揺れ動き、懐かしさでいっぱいになった。
あれからどうしていたのか。今になって何故、姿を見せてくれるのか。聞きたいことは山ほどある。しかし次の瞬間、重丸が刀を抜いているのが分かった。その姿は、まるで古びた岩のように冷ややかで重々しく、威圧感を放っている。
(わしと争うつもりか)
何故なのだろう。それほどに家督が欲しいのか。幼き日のことを忘れてしまったのか。
「忠三郎様、お下がりくだされ!」
背後から助太郎の声が響き、手裏剣が重丸の太ももに突き刺さる。重丸はよろけながら、立ち上がり、後ずさりする。
「待て、重丸!」
重丸が足を押さえ、一瞬、忠三郎を見た。
「何故…」
忠三郎が何か言おうとすると、重丸が踵を返して走り去る。それ追おうとする助太郎を、忠三郎が制した。
「追うな!」
「忠三郎様。何故に賊をみすみす逃すので?」
助太郎が責めるように言うが、もう忠三郎の耳には届かない。
(何があった。何があって、わしの命を狙うのか)
すべて祖父の差し金なのか。それとも重丸の思いなのか。何もわからない。
(この呪われた鎌掛谷で会うたのも偶然ではないのか)
かつて曽祖父や祖父が宗家と争ったように、再び家督を巡って血で血を洗う争いをしなければならないのだろうか。
素破たちの協力により、音羽城に捕らわれていた一益の一子・八郎を無事奪還した。しかし風花は連れ去られた後だった。
(日野にいたとは…)
もっと早く音羽城を調べていればと悔いが残る。そして曲者を追って行った先には、死んだ筈の兄・重丸がいた。
(あれは本気だった)
重丸は本気で忠三郎に斬りかかろうとした。何もかも佐助と一益の言った通りだと認めざるを得ない。
(何故、そうまでして…)
争わなければならないのか。
忠三郎は城に戻ると、祖父の部屋に向かった。
「お爺様」
「おお。如何いたした。また戦か」
快幹が何事もなかったかのようにそう答える。忠三郎は怒りを抑えながら、
「いえ。音羽城に不審な者がおり、一掃してきたところでござります」
祖父は然様か、と軽やかに答えると、忠三郎を一瞥し、
「近頃は物騒じゃ。わしも気をつけねばな」
顔色ひとつ変えずにそう言った。
「はい。付近には六角の残党が潜んでおります。お爺様もあまり出歩かれませぬように」
釘を差すつもりで言うと、快幹は冷笑して、
「鎌掛谷には行くでないぞ。あそこは呪われた蒲生家当主の墓場じゃ」
なんとも白々しいことを言う。
「遅うなりましたので、今宵はもう休むことと致しまする」
平静を装い、祖父の部屋を後にする。心配そうについてくる町野左近を振り返ることもなく、無言で居間に戻ると、後ろ手に襖をしめた。
(呪われた当主の墓場とは…)
一人になり、にわかに可笑しさがこみ上げる。鎌掛谷を呪われた墓場としたのは誰でもない、祖父・快幹だ。毒を盛られた秀紀は快幹を深く恨み、快幹を呪って堀に身を投げたのだ。
(我らが呪われておるのであれば、それはすべてお爺様の行いによるものではないか)
それをそしらぬ顔をして鎌掛谷に行くなとは。そもそも、何故、自分までが命を狙われることになるのか。
祖父・快幹か、忠三郎か。どちらかが葬られることでしか、この古里の山河を守ることはできないのだろうか。
晴れた日には田畑を耕し、雨の降る日は家にいて書物を読む。三国時代、諸葛亮が蜀の軍師として迎えられる前は、そんな生活をしていたという。世にいう晴耕雨読のことだ。
晴耕雨読を理想とした宋の詩人・陶淵明。陶淵明によって千年以上前に書かれた桃花源記のことを教えてくれたのは佐助だった。
『この日野谷はまさに桃源郷でござりますな』
佐助は晴れ渡った青空の下、一面、黄金色に輝く稲穂を見てそう言った。
『桃源郷?』
『それがしも人から聞いた話なれど、いにしえの頃、書かれた書物にある仙境のことで』
ある日、漁師が乗った舟が流され、桃の花が咲き誇る林にたどり着いた。一帯がまばゆいばかりの桃の花で溢れ、草の香りは心地よく、目の前には無数の花びらが散り乱れている。
漁師が更に奥へと舟を進めると、小さな穴の開いた山があった。その穴からはわずかな光が溢れていた。
人が一人通れるほどの小さな穴の先には道が続いている。漁師は細い道をひたすら歩いた。
やがて道が開け、村が見えた。そこには見渡す限りの美しい田園。水を湛えた池。桑や竹が見える。鳥や犬の鳴き声も聞こえてきた。
人が往来し、田畑を耕し、種を撒いている。老人や子どもが楽し気に過ごしているのが見えた。
人々は漁師を見て驚き、どこから来たのかと尋ねた。漁師が事細かに話すと、村人は家に招き入れ、酒と食事を用意してくれた。そればかりか、村人が次々に集まり、挨拶をしてきた。
村人の話では、彼らの先祖は始皇帝が死んだときに、世の騒乱から逃れ、この地にやってきたという。そして争いを避けるために、二度とここからは出ることなく、外の世界と離れたのだと。
漁師は連日、村人の家に招かれ、歓待を受けた。そして漁師がいよいよこの地を去る時、村人は言った。
『この地のことは誰にも話さぬように』
漁師は家に戻る道すがら、再び戻ってくることができるようにと目印を付けた。
家に帰った漁師は、太守にこの村の話をした。それを聞いた太守は人を遣わし、漁師とともに村へ向かうようにと命じた。漁師は再び、仙境へ向かうため、目印を探した。しかし付けたはずの目印は一向に見つからない。
『ついに見つけることができなかったと、そこで話は終わるそうで』
『では、桃源郷とは幻の土地のことか?』
『おそらくは。されど、それがしが甲賀から日野谷に来た折、世に桃源郷があるとすれば、この日野谷のようなところかと、そう思うた次第でござります』
綿向山に抱かれた日野谷は、一年を通して美しい土地だった。谷を囲む山々は敵の侵入を防ぎ、快幹が日野に城を築いて以来、戦禍に見舞われたことがない。水草が生えるほどに水源が豊富で、実り豊かな地では、飢える者も、戦乱に苦しむ者もいない。
一方、佐助が育った甲賀は、東に鈴鹿の山々、西に信楽山と、大小の山々が入り乱れている。平地はほぼなく、傾斜地であるため日に照らされる時間が長く、日照りの日も多いために稲作には不向きな土地だった。
『稲ばかりか、夏麦さえも育たぬ地。海もなく、山で採れる僅かな食料を巡っては絶えず争いが起き、飢えて死ぬものも後を絶ちませぬ』
貧しさゆえの差別があり、争いがある。
佐助が思い描く桃源郷は、桃の花が咲き乱れる夢想の地ではなく、戦火の手を逃れ、飢うることなく、乾くことなき日野谷のごとき穏やかさに包まれた地だった。
江南と一口に言えど、山一つ隔つる甲賀とはかくも異なるかと思う。佐助の言葉が蘇る。
『ゆえに、この地はまさに仙境。桃源郷にてござりまする』
今にして思えば、佐助はこの日野谷が守るに値する宝の地であると、そう伝えたかったのだろうか。
(されど、守るべき地ゆえに争いも絶えぬもの)
祖父・快幹の手により、この地は自ら呪われし場所と化しつつある。一益の言葉が脳裏をよぎる。
(義兄上の言うように、お爺様の周りを切り崩すか)
古里を戦禍に巻き込むことだけは、決して許すことはできない。
「殿の命にて、後をつけて参りました」
「義兄上の?」
一益は以前から、日野に素破を放っていたようだ。音羽城目指して大勢の素破が走っていくのが見えた。
「義兄上はさほどにわしが信用ならぬか」
忠三郎が微笑を浮かべたまま言うが、不快に感じていることは、その声色からでも分かったようだ。助太郎が戸惑っている。
「信用ならぬなどと…。殿はただ、忠三郎様を案じて…」
いらぬ世話をやくなと言いたかったが、その言葉を飲み込んだ。
「我等も城の中へ入ろう」
助太郎たちと城の中へ足を踏み入れると、雑木は取り払われ、館が修繕されているのも見える。
(破城とは偽りであったか)
忠三郎が生まれる前、確かに破城されたのかもしれない。しかし、その後、何者かの手により修復され、使われていたようだ。
(お爺様が武器・弾薬を密かに集め、売りさばくために…)
いや、違う。もっと前から、この城は使われていた筈だ。
(見覚えがある)
かつては難攻不落と詠われた音羽城。湿地にあり、山から水が湧き出ていて、井戸がいくつもある。その一つ、庭園脇の井戸は、宗家の正室が落城の折に身を投げたと伝わる井戸だ。
(あの井戸が…恐ろしかった)
井戸の横を通るときは、母の後ろに隠れて通った覚えがある。そして、そんなことはものともせず、井戸の周りで遊んでいた子供がいた。
(重丸か)
思い出した。あの子供こそ、兄・重丸だ。重丸は何故、井戸を恐れなかったのか。
(重丸は知っていた。井戸に身を投げた話は、嘘だと)
長い間、封印されていた記憶が呼び戻される。
井戸に身を投げた話は、井戸の底にある間道から人々を遠ざけるための嘘だと、重丸はそう言った。忠三郎がなかなか重丸の話を信じないので、幼い忠三郎を井戸の底まで連れて行き、死者の躯などはないと証明した。
蒲生秀紀の正室は井戸に身を投げたのではなく、井戸の底にある間道を通って、城から落ち延びようとした。そのときに後ろから斬られた。
(あの日もそうだった)
六角のお家騒動のとき、母・お桐は離縁され、後藤家に帰されることになった。お桐は日野を去ることが決まり、音羽城に閉じ込められたままの重丸を連れだし、この間道を使って逃げようとした。
(されど、あの日。母上が日野を離れると聞き、わしは城を飛び出し、一人でここまで歩いて…)
母の後を追って音羽城まで来た。日野・中野城から音羽城までの道は、幼い子供の足では途方もなく長く、険しかった。
重丸を連れ、井戸へ向かうお桐を見つけたとき、城内が騒がしくなった。見張りが気づいて追ってきたのだ。お桐は重丸を井戸の底へ下ろすと、幼い忠三郎を背に負って井戸の底へと降りた。
(その時、母上が矢で討たれた)
井戸の上から矢が射かけられ、お桐は忠三郎を庇って倒れた。奇しくも三十八年前、蒲生秀紀の内室が討たれたときと同じ井戸で。
(蒲生秀紀の内室はお爺様の妹)
宗家を監視するために送られていた快幹の妹。皆、井戸に身を投げたと信じているため、どんな理由で、誰に討たれたのかも分かっていない。
すでに間道の中にいた重丸は、お桐に取り縋って泣く忠三郎を促し、間道の外まで手を引いて逃げた。
間道の外は大きな池があった。そこで重丸は忠三郎に、中野城へ戻るようにと、そういった。
『供に行くことはできぬ』
何故かという問いには答えず、数歩歩いて振り返った時にはもう、重丸の姿はなかった。幼い忠三郎には、重丸が忽然と姿を消したように見えた。
(間道に入り、音羽城に戻ったのであろうな)
暗く、長い道をどうやって中野城まで戻ったのかは覚えていない。どうにか城下にたどり着いたときには東の空が明るくなっていた。
その時以来、音羽城を訪れることもなく、重丸の姿も見ていない。
今、振り返ると、母がどうしてあのとき、重丸を連れて逃げようとしたのかも分かる。重丸は、快幹が家督を奪いとるための道具だ。お桐は不憫な息子を置いて家を去ることができず、密かに連れ出して後藤家に連れ帰ろうとした。
(されどお爺様の手の者に見つかり、命奪われた)
そして忠三郎を逃がした重丸は、音羽城以外に自分の居場所がないことを知っていた。表に出れば、また賢秀の命により討ち取られてしまう。そう考えて、音羽城に戻ったのだろう。
井戸に行ってみると、案の定、折り鶴が落ちていた。
(風花殿か)
誰かが井戸から風花を連れて、逃げたようだ。
「誰か!この間道の先は鎌掛谷に通じておる。鎌掛谷を探せ!」
声をかけ、井戸の底へ降りて後を追うことにした。
間道を進むと、鎌掛峠の入り口にでた。
(あの頃と同じか)
鎌掛峠の向こう、山の奥深くにある鎌掛谷、そして鎌掛城。その昔、祖父快幹が従兄の蒲生秀紀を暗殺した、いわくつきの場所だ。
(ここで重丸と別れた)
見ると甲賀衆が辺りを探し回っている。
「忠三郎様!どうやらすでに御台様は連れ去られた後のようにて・・」
滝川助太郎が現れてそう告げる。
向かった先は鎌掛谷だろう。鎌掛谷の先には甲賀・土山に抜ける古い道がある。
「鶴千代!」
ふいに声がした。忠三郎はドキリとして顔をあげる。暗くて顔がよく見えないが、誰なのかは察しがついた。
(重丸)
目の前に立つ兄の姿が、信じられなかった。幼い頃、失われたとばかり思っていた重丸が、今、まぎれもなく自分の前にいる。血の通った温もりを感じさせるその姿に、忠三郎の胸は喜びと驚愕に揺れ動き、懐かしさでいっぱいになった。
あれからどうしていたのか。今になって何故、姿を見せてくれるのか。聞きたいことは山ほどある。しかし次の瞬間、重丸が刀を抜いているのが分かった。その姿は、まるで古びた岩のように冷ややかで重々しく、威圧感を放っている。
(わしと争うつもりか)
何故なのだろう。それほどに家督が欲しいのか。幼き日のことを忘れてしまったのか。
「忠三郎様、お下がりくだされ!」
背後から助太郎の声が響き、手裏剣が重丸の太ももに突き刺さる。重丸はよろけながら、立ち上がり、後ずさりする。
「待て、重丸!」
重丸が足を押さえ、一瞬、忠三郎を見た。
「何故…」
忠三郎が何か言おうとすると、重丸が踵を返して走り去る。それ追おうとする助太郎を、忠三郎が制した。
「追うな!」
「忠三郎様。何故に賊をみすみす逃すので?」
助太郎が責めるように言うが、もう忠三郎の耳には届かない。
(何があった。何があって、わしの命を狙うのか)
すべて祖父の差し金なのか。それとも重丸の思いなのか。何もわからない。
(この呪われた鎌掛谷で会うたのも偶然ではないのか)
かつて曽祖父や祖父が宗家と争ったように、再び家督を巡って血で血を洗う争いをしなければならないのだろうか。
素破たちの協力により、音羽城に捕らわれていた一益の一子・八郎を無事奪還した。しかし風花は連れ去られた後だった。
(日野にいたとは…)
もっと早く音羽城を調べていればと悔いが残る。そして曲者を追って行った先には、死んだ筈の兄・重丸がいた。
(あれは本気だった)
重丸は本気で忠三郎に斬りかかろうとした。何もかも佐助と一益の言った通りだと認めざるを得ない。
(何故、そうまでして…)
争わなければならないのか。
忠三郎は城に戻ると、祖父の部屋に向かった。
「お爺様」
「おお。如何いたした。また戦か」
快幹が何事もなかったかのようにそう答える。忠三郎は怒りを抑えながら、
「いえ。音羽城に不審な者がおり、一掃してきたところでござります」
祖父は然様か、と軽やかに答えると、忠三郎を一瞥し、
「近頃は物騒じゃ。わしも気をつけねばな」
顔色ひとつ変えずにそう言った。
「はい。付近には六角の残党が潜んでおります。お爺様もあまり出歩かれませぬように」
釘を差すつもりで言うと、快幹は冷笑して、
「鎌掛谷には行くでないぞ。あそこは呪われた蒲生家当主の墓場じゃ」
なんとも白々しいことを言う。
「遅うなりましたので、今宵はもう休むことと致しまする」
平静を装い、祖父の部屋を後にする。心配そうについてくる町野左近を振り返ることもなく、無言で居間に戻ると、後ろ手に襖をしめた。
(呪われた当主の墓場とは…)
一人になり、にわかに可笑しさがこみ上げる。鎌掛谷を呪われた墓場としたのは誰でもない、祖父・快幹だ。毒を盛られた秀紀は快幹を深く恨み、快幹を呪って堀に身を投げたのだ。
(我らが呪われておるのであれば、それはすべてお爺様の行いによるものではないか)
それをそしらぬ顔をして鎌掛谷に行くなとは。そもそも、何故、自分までが命を狙われることになるのか。
祖父・快幹か、忠三郎か。どちらかが葬られることでしか、この古里の山河を守ることはできないのだろうか。
晴れた日には田畑を耕し、雨の降る日は家にいて書物を読む。三国時代、諸葛亮が蜀の軍師として迎えられる前は、そんな生活をしていたという。世にいう晴耕雨読のことだ。
晴耕雨読を理想とした宋の詩人・陶淵明。陶淵明によって千年以上前に書かれた桃花源記のことを教えてくれたのは佐助だった。
『この日野谷はまさに桃源郷でござりますな』
佐助は晴れ渡った青空の下、一面、黄金色に輝く稲穂を見てそう言った。
『桃源郷?』
『それがしも人から聞いた話なれど、いにしえの頃、書かれた書物にある仙境のことで』
ある日、漁師が乗った舟が流され、桃の花が咲き誇る林にたどり着いた。一帯がまばゆいばかりの桃の花で溢れ、草の香りは心地よく、目の前には無数の花びらが散り乱れている。
漁師が更に奥へと舟を進めると、小さな穴の開いた山があった。その穴からはわずかな光が溢れていた。
人が一人通れるほどの小さな穴の先には道が続いている。漁師は細い道をひたすら歩いた。
やがて道が開け、村が見えた。そこには見渡す限りの美しい田園。水を湛えた池。桑や竹が見える。鳥や犬の鳴き声も聞こえてきた。
人が往来し、田畑を耕し、種を撒いている。老人や子どもが楽し気に過ごしているのが見えた。
人々は漁師を見て驚き、どこから来たのかと尋ねた。漁師が事細かに話すと、村人は家に招き入れ、酒と食事を用意してくれた。そればかりか、村人が次々に集まり、挨拶をしてきた。
村人の話では、彼らの先祖は始皇帝が死んだときに、世の騒乱から逃れ、この地にやってきたという。そして争いを避けるために、二度とここからは出ることなく、外の世界と離れたのだと。
漁師は連日、村人の家に招かれ、歓待を受けた。そして漁師がいよいよこの地を去る時、村人は言った。
『この地のことは誰にも話さぬように』
漁師は家に戻る道すがら、再び戻ってくることができるようにと目印を付けた。
家に帰った漁師は、太守にこの村の話をした。それを聞いた太守は人を遣わし、漁師とともに村へ向かうようにと命じた。漁師は再び、仙境へ向かうため、目印を探した。しかし付けたはずの目印は一向に見つからない。
『ついに見つけることができなかったと、そこで話は終わるそうで』
『では、桃源郷とは幻の土地のことか?』
『おそらくは。されど、それがしが甲賀から日野谷に来た折、世に桃源郷があるとすれば、この日野谷のようなところかと、そう思うた次第でござります』
綿向山に抱かれた日野谷は、一年を通して美しい土地だった。谷を囲む山々は敵の侵入を防ぎ、快幹が日野に城を築いて以来、戦禍に見舞われたことがない。水草が生えるほどに水源が豊富で、実り豊かな地では、飢える者も、戦乱に苦しむ者もいない。
一方、佐助が育った甲賀は、東に鈴鹿の山々、西に信楽山と、大小の山々が入り乱れている。平地はほぼなく、傾斜地であるため日に照らされる時間が長く、日照りの日も多いために稲作には不向きな土地だった。
『稲ばかりか、夏麦さえも育たぬ地。海もなく、山で採れる僅かな食料を巡っては絶えず争いが起き、飢えて死ぬものも後を絶ちませぬ』
貧しさゆえの差別があり、争いがある。
佐助が思い描く桃源郷は、桃の花が咲き乱れる夢想の地ではなく、戦火の手を逃れ、飢うることなく、乾くことなき日野谷のごとき穏やかさに包まれた地だった。
江南と一口に言えど、山一つ隔つる甲賀とはかくも異なるかと思う。佐助の言葉が蘇る。
『ゆえに、この地はまさに仙境。桃源郷にてござりまする』
今にして思えば、佐助はこの日野谷が守るに値する宝の地であると、そう伝えたかったのだろうか。
(されど、守るべき地ゆえに争いも絶えぬもの)
祖父・快幹の手により、この地は自ら呪われし場所と化しつつある。一益の言葉が脳裏をよぎる。
(義兄上の言うように、お爺様の周りを切り崩すか)
古里を戦禍に巻き込むことだけは、決して許すことはできない。
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揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。
一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。
二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。
三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。
四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。
五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。
六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。
そして、1907年7月30日のことである。
連合航空艦隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1929年のロンドン海軍軍縮条約を機に海軍内では新時代の軍備についての議論が活発に行われるようになった。その中で生れたのが”航空艦隊主義”だった。この考えは当初、一部の中堅将校や青年将校が唱えていたものだが途中からいわゆる海軍左派である山本五十六や米内光政がこの考えを支持し始めて実現のためにの政治力を駆使し始めた。この航空艦隊主義と言うものは”重巡以上の大型艦を全て空母に改装する”というかなり極端なものだった。それでも1936年の条約失効を持って日本海軍は航空艦隊主義に傾注していくことになる。
デモ版と言っては何ですが、こんなものも書く予定があるんだなぁ程度に思ってい頂けると幸いです。
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