獅子の末裔

卯花月影

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3.江州騒乱

3-4. 上様団子

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 七月に入り、忠三郎はようやく日野へと戻って来た。城に入ると、思いがけず、父・賢秀が出迎えてくれた。
「大儀であった!此度も手柄を立てたのか。皆の武功話を聞かせてもらわねばならぬな」
 賢秀はいつになく上機嫌だ。

「父上…お加減は…」
「大事ない。次の戦さはわしも参陣する。天下に蒲生の名を轟かさねばなるまいて」
 別人のように饒舌で、活力に満ちている。この変わりようはどうしたことだろうか。
「それは上様もお喜びになりましょう」
 と言ったものの、不自然なほどに気力に満ちた父の変貌ぶりが妙に気になった。

 家臣たちを家へ帰すと、城内は急に静かになった。
(確かに、戦さばかりしている)
 この数か月は城にいるときも軍議だの出陣準備だのと慌ただしく、ゆっくりと腰を落ち着ける暇もなかった。

 自分の居間へ戻り、襖を開けて外を見ると、綿向山が見える。今日は夏らしく、青い空に白く細長い雲がかかっているのが見えた。

 ずっと遠くから眺めているだけだった日野を守る山に初めて登ったのは三年前。佐助に誘われ、二人で頂上を目指した。
 そこには遠くから見ているだけでは知ることのできない、新しい綿向山の姿が広がっていた。一帯を覆うブナやコナラの林。木々の下でひっそりと下を向いて咲く淡い桃色の花。

『アザミは日当たりのいい草原や道端、野原に生えるもの。されど綿向山のアザミは特別なアザミで、薄暗い場所を好んで咲きまする』
 そして根を乾燥させたものが解毒薬となると、そう教えてくれた。

『この山に生える草木は、全てといってもよいほど、薬草・薬木。とはいえ、全てを一度に覚える必要はありませぬ』
 また来年くればいいと、そう言って笑った。
 寂しさが胸に広がる。あの日々が確かに存在したことを知りながら、それが決して戻らないという現実が、冷たい風のように心をかすめる。

(もう、供に綿向山に登ることもない)
 月日が目まぐるしく過ぎ、佐助と過ごしたあの頃が、少しずつ遠のいていく。鮮やかだった思い出も、今では少しずつ色褪せ、指の間からこぼれ落ちる砂のように、手の届かない場所へと消えていく。
 あの時の笑い声やぬくもりは今も心の片隅に残っている。しかし時間という残酷な流れが、佐助と過ごした日々を少しずつ遠ざけ、静かに消し去っていく。

 夜になると城内は更に静まり返った。遠征で疲れが溜まっている。早く寝ようと明かりを消すと、一人になったせいか、暗闇の中に炎に包まれた民家が浮かび上がった。目を閉じるたびに意識は深まり、心が覚醒していくのを感じる。

 空にたなびく黒煙。響き渡る悲鳴や怒声。小谷で見た乱取りの光景がはっきりと思い起こされた。
(眠れぬ…)
 振り払って寝ようとするが、波のように忌まわしい記憶が繰り返し襲ってくる。

(人を殺すことおおきには、悲哀をもって之にのぞみ、戦い勝てば、喪礼を以てこれに処る。夜の静寂によって疲れが癒されるのは善人のみなのか)

 忠三郎は寝るのを諦め、襖を開ける。
 愛してやまない故国で見る月の光は、まるで空からの優しい囁きのように、すべてを静かに包み込んでいる。
 月明かりが綿向山を穏やかに照らし出し、その柔らかな光が山肌を撫でるように広がっている。綿向山の輪郭がくっきりと浮かび上がり、昼間には見えなかった細部までもが、その神秘的な光に照らし出されている。

 眠れぬままに過ごすこの時間さえも、やがて過ぎ去り、朝が訪れるだろう。そのことを知りながら、今はただ、優しい光に包まれ、静かに心を沈めることにした。
 
 翌日。

 日野で火縄銃が作られるようになったのは今から十五年前だから忠三郎が生まれる前になる。

 すでに室町幕府が江北の国友に住む刀鍛冶たちに火縄銃を渡し、国友で鉄砲生産が行われていた。
 火縄銃の威力を知った祖父・快幹が城下の鍛冶村に住む刀鍛冶の半分を鉄砲鍛冶としたことで、日野城下で銃の生産が始まった。

 いまや日野筒は蒲生家の武力の源となり、また貴重な財源のひとつになった。
 次の戦さに備えて、頼んでおいた火縄銃の出来栄えを確かめようと鉄砲鍛冶村へと足を向けると、見おぼえのある顔がちらほらと見えた。

 滝川助太郎だ。
「あ、鶴様」
 助太郎が気づいてこちらを見るのと、店から鉄砲を抱えた義太夫が出てくるのが同時だった。
「義太夫ではないか」
「おぉ、鶴。日野に銭を落としにきてやったわい」
「滝川家の鉄砲は日野筒か」
 気づかなかった。しかしよく見ると火縄銃ではない。

「それは?」
「水鉄砲じゃ」
「水鉄砲?妙なものを作らせておるな」
「甘く見ておろう?わしが設計した水鉄砲はただの水鉄砲ではない。これは火縄式水鉄砲。火力により恐ろしい速さで水が飛び出す、特別な水鉄砲。敵が気絶すること間違えなし」

 なんとも返事のしようがない。水鉄砲に火縄をつけ、火力で水を飛ばして敵を気絶させるとは。
(何を誤れば、そんな奇策を思いつくのか)
 助太郎も呆れ顔だ。

「義太夫殿。そのような遊興にわしを巻き込まんでくだされ」
「お?二人とも、その顔は、こいつの威力を侮っておるな。よし、見せてやる。鶴、城へ案内せい」

 水鉄砲を作る程であれば、同じ材料と手間をかけて火縄銃を作ったほうがよいという発想には至らないようだ。
 城へと向かう途上で聞くと、一益と義太夫の二人で、それぞれ新しい武器を考案し、日野の鉄砲鍛冶に作らせているという。

「で、義兄上の考案した武器は?」
「それを期待してきたが、まだ出来てはおらなんだ」
「何故、日野の鉄砲鍛冶に頼んだ?」
「堺も国友も上様に抑えられておる。かようなことを頼めるのは日野の鍛冶屋しかない」

 確かに、今の信長は一丁でも火縄銃を多く揃えたいと思っているところだ。それが水鉄砲を作らせていると知られたら激怒するだろう。

 家臣たちに見せるのも憚られ、居間に面した庭へ二人を案内する。
「ようく見ておれ。そして、恐れおののけ」
 義太夫が得意げに火縄式水鉄砲に水を入れ、火縄に火をつける。
「あれなる木の枝をへし折る」

 と銃を構えると、松の木の枝に狙いを定めて引き金を引いた。
 忠三郎と助太郎が心得て松の木を見る。次の瞬間、城中に銃声が轟き、水鉄砲が激しい水しぶきをあげて松の木の枝ならぬ、義太夫の顔を直撃した。

「あ!」
 忠三郎と助太郎が同時に声を上げると、矢のような水の勢いに義太夫が横転する。
「義太夫!」
 あわてて駆け寄ると、義太夫が水鉄砲を抱えたまま、どうにか身体を起こす。まともに食らったらしく、鼻が真っ赤に腫れている。

「あいたたた…ちと設計を誤ったようじゃ…」
 義太夫が鼻を抑え、何度も鼻をかむ。
「それに、この距離でも気絶しておらぬようで…」
 助太郎がやれやれと義太夫に手を差し出すと、義太夫がふらふらと立ち上がる。

「何が悪かったか、一から見直さねばなるまいて」
 まだ諦めないらしい。成功したとしても戦場で使えるとは思えないのだが。
「まぁ、よい。もう日も暮れる。鶴、飯と酒を馳走になろうか」
 しゃあしゃあとそう言われ、忠三郎は笑って手を打ち、町野左近を呼んだ。
 
 乱世には甘口の酒が好まれるという。その例外にもれず、滝川家では米と米麹と水で作る濁り酒が常より飲まれていたが、この夜の酒は大盃で飲むと卒倒しそうな清酒。

(こりゃあ、控えねば腰もたたなくなる)
 当たり前のように飲む忠三郎の横で、義太夫がちびちびと飲んでいると、
「義太夫、如何した。遠慮などおぬしらしゅうもない」
 とぐいぐいと勧めてくる。

「いやはや、これはちと…」
「百済寺酒は口にあわぬか」
 日野からほど近い位置にある百済寺ひゃくさいじ。この百済寺で作る百済寺酒は贈答品としても名高い高級な酒だ。

(これが噂の百済寺酒か)
 言われてみると、まろやか。口当たりもよく、混じりけのない酒で、悪酔いすることもなさそうだ。
(伊勢に持ち帰りたいのう)
 忠三郎が酔いつぶれるのを待って、竹筒に入れて持ち帰ろうかと考えていると、

「ひとつ頼みがある」
 随分と真剣な顔で義太夫を見た。
「如何した。改まって」
「最近、眠れぬ。わしより先に寝ないでくれ」

 渡りに船で、さっさと寝てくれるのを待っていたので断る理由もない。
「お、おぉ。妙な頼みではあるが、よかろう」
「それと、わしが寝ておるからというて、黙って厠にいくな」

 義太夫はエッと驚いたが、寝てしまえば分からないだろうと、適当に頷く。
 それを見た忠三郎は安心したように、その場に横になった。
夜噺よばなしを聞かせてくれ、義太夫」
「夜噺?手がかかるのう」

 早く寝かしつけなければ、どんどん癖の悪い酒になっていく。義太夫はうむむと唸り、話し始めた。
「遠い、いにしえの頃、織田何某なる天下様がおった」
「織田何某?…ふむ…」
「この方、都の団子が大層お気に召して、よう所望なされる。京童どもは面白がり、『上様団子』と言うていた」

 なにやら聞いたような話だ。忠三郎は目を閉じ、うんうんと頷く。
「ところが粗忽なる小姓が、御前ごぜん近きところで、この話をしてしもうた。上様は大変ご立腹なされた」

 ますます聞いたような話だ。つい最近の出来事だったような気がする。ただ、その後をよく知らない。

「そこで話を聞いた典医の曲直瀬まなせ道三が、『上様。これは誉れ高きこと。昔、天子様が粽を見て、面白き粽と仰せになり、京童が内裏粽だいりちまきと言うたのが、今に伝えられたのでござります』と口から出まかせをいうた」

 大和の饅頭屋、川端道喜が売り出した粽が内裏粽と呼ばれている。
「これを聞いた上様の機嫌は直り、小姓を赦免なされ…。おや…」

 気づく結末を聞かずに忠三郎がすぅすぅと寝息をたてている。
(眠れぬなどと言うていたが、よう寝ておるではないか)
 よく見ると義太夫の袴の端をつかんで寝ている。

(これは…黙って厠にいくなと、戯れでもなんでもなく、そう言うておるのじゃな)
 そっと足を引こうとすると、忠三郎の眉がピクリと動いた。
(拙い…)

 義太夫は忠三郎を起こさないように、片足だけをその場に残し、うつぶせになり、手を伸ばして襖を開けようとするが、爪がかかるだけで、わずかに襖に届かない。

(これ以上、身体を伸ばすと鶴の手が…)
 中指の爪の先を襖にかけて開けようとすると、爪がはがれそうになる。

「くぅぅぅ…助太郎…」
 小声で呼ぶと、助太郎が音もなく現れた。
「義太夫殿。いかに酔っておるからというて、床の上で泳ぐとは…」

 右の袴を忠三郎に掴まれたまま、腕をのばして襖に指先をかける姿は、まるで潰れた蛙のようだ。

「やんごとなき事情ゆえじゃ。…で、如何であった?」
「城の中も、城下もくまなく調べましたが、隠し部屋もなければ、怪しげな屋敷もござりませぬぞ」

 義太夫はうーんと唸る。一益からの密命を受け、快幹が横流ししている武器を見つけ、伊勢に持ち帰るようにと言われてきたのだが。
(やはりこの城ではないのか)
 そうなると、快幹に見張りでもつけなければ見つけることは難しい。

(どこか…快幹が密かに通いつめている場所があるはず)
 そこに忠三郎の兄なる人物がいるはずだが、これもまだ見つけられていない。

「まだ探したほうが?」
「いや。あまり動くと城の者に悟られる。此度は収穫なしで戻ることとしよう」
 義太夫はそっと襖を閉め、明かりを消す。

(にしても今日の鶴はまた、常とは違うておったのう。やはりまだまだ童か)
 このまま起きていても厠に行きたくなるだけだ。義太夫も目を閉じ、眠ることにした。
 
 翌朝、起きると義太夫が隣で寝ていた。
(珍しいこともあるもの)
 日野に泊まったときは大抵、夜明け前には出立し、峠を越えて伊勢に戻っていた義太夫が、今日に限っては朝になっても旅立つ素振りを見せない。

「義太夫、まだよいのか?」
 声をかけると目を覚ました。
「おぉ。朝か」
 大欠伸をして起き上がると、のそのそと伊勢に戻る支度をはじめる。

「阿波(徳島)で動きがある」
「阿波とはまた…遠方ではないか」
 随分と遠い。さして脅威とは思えない。
「存ぜぬか。三好勢は海賊衆を味方につけておる」
「海賊?では…瀬戸内海を海路で畿内へ向かってくると?」

 信長が将軍・足利義昭を伴って上洛してから二年がたつ。六角氏を下し、日野の蒲生家を従えた信長は、その足で京へ向かい、その頃、都を占領していた三好三人衆を京から追放した。

 それ以来、畿内は信長の支配下にあったが、北近江の浅井長政が寝返ったことで信長の天下統一に暗雲が立ち込めた。六角・浅井のどちらも息の根を止めるには至らず、火種はくすぶったままだ。

 信長は琵琶湖に面した城に武将たちを配置。畿内から織田家の主だった将を動かし、いま、畿内は手薄になっている。

「然様。摂津あたりが戦場になるやもしれぬ」
「摂津…では我等にもまた出陣の振れが…」
「いや、それはどうかのう。六角の残党がおる。近江を開けることも叶うまい。されば動かすとすれば大和・摂津あたりの将であろう」

 六角、浅井、朝倉。さらに三好三人衆。だんだんと敵が増え、囲まれていく。
(弱みを見せれば一瞬にして付け込まれるということか)

 信長はこの状況をどう打破するつもりなのだろうか。
「油断せず、いつでも兵を挙げられるようにしておけ。銃は多いほどよいと、殿はそう仰せであった。殿が鉄砲鍛冶に作らせた新しい銃を少し置いていく故、足軽共に試し撃ちさせておけ。今日にはできると言うておった」

「新しい銃?」
「然様。大鉄砲じゃ」
 早速、義太夫と共に城下の鍛冶村に行くと、鉄砲鍛冶が新作の銃を持ってきた。口径が大きい火縄銃で、これまでと同じように使うものには見えない。

「反動が大きい。抱えて撃つには相当な力が必要じゃ。足軽に持たせるのであれば、地に据えて撃つがよい」
「義兄上が想定しておる敵は、伊勢の国衆ではなかろう。これは何を考えて作らせたものじゃ」
 これまでの火縄銃だけでは抗えない敵がいると、そう考えているのではないか。

 義太夫は、ほぅと感心して
「鶴にしては上出来じゃ。まだ話せぬが、じきに分かる。また伊勢が戦場となった折にはよろしゅう頼む」
 義太夫はそう言い残すと伊勢へと戻っていった。

(伊勢が戦場?かような銃を使わねばならぬ相手とは…)
 一益が考えている敵は、これまでとは比較にならないほどの巨大な敵ではないだろうか。
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