獅子の末裔

卯花月影

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3.江州騒乱

3-3. 野戦

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 賢秀が向かった先は佐久間信盛のいる永原城。忠三郎がついたときには、すでに江南の国衆が一堂に会して軍議が開かれていた。

 末席には従弟の後藤喜三郎や叔父の青地駿河守の姿が見える。賢秀と忠三郎は織田家の縁戚なので、広間の奥、柴田勝家の傍へと案内された。

「敵の主力は三雲三郎左。まずは三雲三郎左を討つことをお勧めいたす」
 一益を彷彿とさせる強面の武将が進言する。誰だろうか。岐阜では見たことがない。
 それよりも三雲三郎左衛門という名前に聞き覚えがある。

(佐助が恨んでいたという、三雲家の頭領か)
 そうだ。一益がそう言っていた。佐助の手紙にも、三雲本家が六角親子とともに反旗を翻すだろうと書かれていた。

 柴田勝家が頷き、
「で、多羅尾たらお殿には何か策がおありかな」
「相手は甲賀者。山中での戦さには慣れておっても、平地での戦さは不慣れ。味方をふたつに分け、この河原へ敵をおびき寄せて取り囲み、三雲を確実に討ち取るのでござる」

 多羅尾と呼ばれた男が自信ありげに言うと、
「さりとて三雲三郎左一人を討ったとて、他の甲賀衆がそう易々と我が方に寝返るとは…」
 織田家筆頭の佐久間信盛の嫡子・甚九郎がそう言う。すると、多羅尾は鼻先で笑った。

「御案じめさるな。残りの甲賀衆はわしと滝川左近ですでに調略済み。三雲の親父さえ倒してしまえば、形勢不利と悟った甲賀衆は皆、こちらへ寝返るものかと」

 その口ぶりから多羅尾という男が甲賀者であることはわかったが、一益と供に甲賀衆を調略していたとは思いもよらない。
(いつの間にそんなことを)
 それにしても、近づきにくい雰囲気と高飛車な態度は一益の上を行く。

「されば、先陣はこの多羅尾作兵衛が務めさせていただきとう存ずる」
(多羅尾作兵衛…)
 思い出した。以前、聞いた、博打で負けた腹いせに、三雲城に火を放った一益の悪友とは、この多羅尾作兵衛ではなかっただろうか。

「心強いのう、多羅尾殿。では先陣は多羅尾殿にお任せいたそう」
 柴田勝家が進言を受け入れたので、多羅尾作兵衛の案が通った。

 その後、多羅尾作兵衛が六角勢を川までおびき寄せ、六角勢が川向こうに現れたところで、柴田・佐久間の軍勢で取り囲むことが決まり、軍議は終わった。

 諸将が広間を出ていく中、忠三郎は多羅尾作兵衛の後を追った。ところが作兵衛は足が早く、なかなか追いつけない。大手門を潜ったところで作兵衛が馬に乗ろうとしているのが見えた。

「多羅尾殿!お待ちを!」
 忠三郎が走り寄ると、多羅尾作兵衛はこちらを振り向き、鐙にかけた足を下ろした。
卒爾そこつながら、我等も先陣に加えてくだされ!」
 佐助が恨んでいたという三雲三郎左。佐助の代わりに三雲三郎左の首をこの手であげたい。

「おぬしが蒲生の子倅か」
「はい。蒲生忠三郎でござります」
 悪気はないのだろうが、誰に対しても居丈高な物言いで、ますます一益を彷彿とさせる。

「わしは構わぬが、おぬしは上様の娘婿。柴田殿や佐久間殿がよいと言うとは思えぬ」
「そこを曲げて、曲げてお頼み申し上げる」

 多羅尾作兵衛は少し考え、いや、と首を横に振る。
「左近がうるさい。後々、面倒なことになる」
 全く取り合ってもらえない。

 作兵衛が馬に乗ろうとするのを、忠三郎は取り縋り、
「多羅尾殿!わしは佐助の…佐助の恨みを晴らしたいのでござります」
 と懇願すると、
「佐助とは?」
「三雲佐助!昔、穴に落ちた多羅尾殿を助けたという…」

 そこまで言うと、作兵衛は思い出したらしく、突然、大声で笑いだした。
「あの者は蒲生家に行ったのであったな。息災か?」
 作兵衛が笑って尋ねると、忠三郎の表情がみるみるうちに曇った。

「佐助は…」
「死んだのか?」
「…わかりませぬが、もう二年、消息が掴めぬままで…」

 死んだとは言いたくなかった。まだ望みは捨ててはいない。
 忠三郎はちらりと作兵衛を見る。作兵衛はもう笑ってはいなかった。しばしのとき、じっと忠三郎を見ていたが、
「よかろう。小童こわっぱ、我らの隣に陣を張れ。陣太鼓が聞こえたら、早々に後に続いて参れ」
「まことによろしいので?」
 作兵衛は頷き、馬に乗る。

「遅れをとるな。決して味方から離れるでないぞ」
 忠三郎に声をかけると、城の外へと去っていった。
(あのお方も義兄上同様、心の根のよい方なのかもしれぬ)
 忠三郎にとっては初めての野戦になる。かつての主、六角親子と戦う日も近い。
 
 伊勢と近江の間にある御在所山。その御在所山から琵琶湖に流れる川が野洲やす川だ。

 かつて、比叡山延暦寺を建てるときには、野洲やす川の上流から用材を切り出したと伝わる。そのため山からは雨のたびに土砂が流れ出して下流に溜まり、いくつもの洲が形成された。
野洲やす川とは八つの洲からなる川という意味があるという。

 多羅尾作兵衛が六角勢との戦いの場と定めたのは、この野洲河原。作兵衛は野洲河原の右岸に陣を張ると、忠三郎を呼んだ。
「よいか、小童。戦さの勝敗などというものは、おおよそ戦う前から決まっておる」

「戦う前から?」
「然様。敵よりも早う戦場に着き、戦いに有利な場所を抑えたら、あとはこちらの思惑通りに敵を動かし、敵の虚を討てば勝てる。尤も、そのためには味方の兵を自在に動かす将の統率力が必要となるが」

 多羅尾作兵衛は自信たっぷりだ。
「ひとつ、教えてくだされ」
 不思議に思っていることがある。
 作兵衛もそうだが、一益と二人で調略したという甲賀衆は皆、なぜ、恩義ある六角ではなく、織田に鞍替えしたのだろうか。

 それを聞くと作兵衛は笑って、
「おぬしは甲賀者が分かっておらぬな」
「…それは、如何なることで?」

「甲賀の者は銭で動く。織田の殿は金払いがいい。それに比べて六角のお館は領地を失って以来、金に困り、我らに金を払うどころか、己の飯を食うのがやっと。何度もおぬしの爺様に金を借りておるではないか」

 作兵衛は当たり前のように言うが、そんな話は初耳だ。
「お爺様が…六角のお館様に金を貸している?」
「知らなんだか。証文まで取っておるらしいが」

 甲賀では、そんなことまで知れ渡っているのだろうか。
「そのこと、滝川左近殿は存じておいでで?」
「無論、存じておろう。敵を知り己を知れば百戦殆からず。敵を知らずして戦さに勝つことなどはできぬ」

 戦う前から勝敗が決まっているとは、そういうことか。一益は伊勢を攻略するために、何年も前から六角家や蒲生家のことを調べていた。だからこそ、六角親子の動きが手に取るように分かる。そうでなければ、全てを自分に任せろなどとは言えないだろう。

「あれを見よ。我等におびき出された敵が左岸に集まりだしておる」
 作兵衛の言う通り、川を挟んだ向こう側におびただしい兵が見えた。
「勝ったぞ。鉄砲隊を前面に出し、敵が川を渡りだしたら一斉に撃て。火力勝負であれば、こちらが上回る。敵が崩れだしたら、一気に追撃するのじゃ」
「はい!」

 六月四日。野洲川をはさんで両軍が激突した。
 六角勢が川を渡りだしたところで柴田・佐久間勢が敵を取り囲み、一斉射撃で敵の先鋒を崩すと、多羅尾勢が矢のような速さで敵に向かっていくのが見えた。

 忠三郎は慌てて後を追うが、多羅尾作兵衛率いる一隊のあまりの速さに距離がみるみるうちに開いていく。
「若!お待ちを!これ以上、急かせては馬がもちませぬ」

 懸命に馬を走らせる町野左近に言われて見ると、真夏の炎天下で酷使された忠三郎の乗る馬にも疲れが見えた。一方、多羅尾勢の騎乗する馬は、疲れた素振りがみえない。

(馬が違うのであろうか)
 甲賀は名馬の産地ではない。それが何故、こうも差がでたのか、わからない。馬を潰してしまっては身動きがとれなくなるので、致し方なく進撃を止めた。

 振り返ると、父が率いる一隊がはるか遠くに見えた。
「どうにも多羅尾殿にはかなわぬようにて…」
 町野左近は笑っているが、そんなことでいいのだろうか。

 多羅尾勢が怒涛のごとく攻め入ると、敵兵が徐々に戦場から離れていくのが見て取れた。
「多羅尾殿に恐れをなし、退却をはじめたようでござりますな」
 多羅尾勢の勢いに圧されてはいるように見えるが、それだけではないだろう。事前の諜報活動や調略、有利な場所への布陣、圧倒的な火力、それら全てが勝利へと導いた。

「開戦からわずか一刻(二時間)あまりで勝敗を決するとは…」
 織田勢の圧勝だった。一刻あまりで三雲三郎左ら主だった甲賀衆の頭領をはじめ、この日に討ち取られた甲賀衆は七百人を超えた。

 六角親子は身ひとつで逃げ去り、この勝利により江南は再び織田家の統治に置かれることとなった。
 
 野洲河原の勝利からわずか十日後、江北・鎌刃城の浅井家家臣が織田方に寝返ったのを皮切りに、再び浅井・朝倉征伐の出陣命令が下りた。

「上様は一両日中に岐阜を出立、関ヶ原を超えて江北に入るとのことにござります。江南衆も急ぎ駆け付けよとの命にて、同じ知らせは江南各将へと届いたものかと」

 町野左近に告げられ、忠三郎は再び出陣の支度を整える。
「殿が…」
「父上が如何した?」
「ひどくお疲れのご様子にて」
 戦さ嫌いという評判の賢秀が遠征に乗り気でないのは分かっている。

「織田家に臣従してこの方、戦さ続きで休まる暇もなく、殿はもとより、家臣たちにも不満の声があがっておりまする」

 蒲生家では十年以上、大きな戦さをしていなかった。
 このため父の代から蒲生家に仕える家臣たちは戦さ慣れしていない者が多い。その上、六角勢により荒らされた地の復興が手つかずであり、同じ近江といっても江北は他国に等しい他家の領地。領国を守るわけでもない遠征では気乗りしないようだ。

 この辺りの事情は、一年中戦さをしている織田家の譜代の臣とは大きく異なる。尾張・美濃では兵農分離が進んでいるが、近江は未だ半農半士であり、家臣たちは城下には屋敷をもたず、村落に屋敷をもつ。
 雑兵・足軽といった戦さの主流となる者も、平時には農業に従事している。それがこうも戦場に駆り出されていては田畑は荒れ、収穫もままならなくなる。

(家臣たちは兎も角、父上がこうでは士気もあがるまい)
 浅井・朝倉との大事な戦を前にしてこれでは行く前から不安になる。
「父上は参陣されぬと仰せか」
「いえ、そのようなことは…。ただ、殿ご自身も思いあぐねておられまする」

 合戦前に思いあぐねるとは如何なることか。賢秀の真意が伺いしれないが、行く気があるとは思えない。

 忠三郎は戦さ支度の手を止め、手文庫の書物に目を移した。
(猛きもののふの心をも慰むるは歌なり)
 かつての自分も、武芸が苦手で、いにしえ人の息吹を感じて慰めを得ていた。そして佐助は無骨な武士には作ることのできない泰平の世を築くものとなることを願っていると、そう綴った。

(されど、戦わずして泰平の世が訪れようか)
 岐阜で過ごした九か月で忠三郎は大きく変わった。

 敵味方に畏れられる信長。その信長の傍にいて、君主とは、また武士とはどのようなものかをつぶさに見た。
 常に新しいものに目を向け、誰も考えないような奇策を打ち出し、戦乱の世を治め、誰も成し得なかった天下統一を果たそうとしている。

 江南の国衆の子供に過ぎなかった忠三郎にとって、信長はまさに神であり、畏敬の対象だった。
 信長のように強くならなければ、家臣は誰も従わず、敵対するものは後を断たない。

(父上が戦さが嫌いと仰せであれば、わしが代わりに戦わねば国を守ることなどできぬ)
 父を、そしてあの祖父をも超える武将となり、国を守る。それしか選び取る道はない。
「もうよい。上様には父上は持病とお伝えしよう。明日には出陣する」
「ハハッ」
 武功をあげ、織田家でも並ぶ者なき勇将となれば、もう誰にも何も言われず、祖父もつまらない謀略を巡らせることもなくなる。
 忠三郎は決意も新たに江北へと向かった。
 
 六月二十一日。信長本隊と合流した忠三郎は、信長と共に浅井長政の居城である小谷城まで進軍した。
 信長は虎御前山に陣を敷き、城下一帯を焼き払うようにと命じた。更に、人狩りや乱取りを奨励したので付近の村々は雑兵たちによって襲われ、略奪は夜遅くまで続いた。

 こうして信長は浅井長政が溜まりかねて城からでてくるのを待った。

「ここまで酷い乱取りを見るのは初めてでござります」
 町野左近が青ざめている。忠三郎は無言でうなずくが、他の家臣たちも同じだろう。以前、大河内城攻めで見た乱取りとは比較にならないほどに酷い。

(いささかやりすぎではなかろうか。義兄上が仰せになっていたのは、かようなことか)
 賢秀が共にいなくてよかった。温厚な父には耐えられなかったかもしれない。
 しかし浅井長政は挑発には乗らず、城から出ることはなかった。

「これは朝倉の援軍待ちと思われまする」
 森可成からの知らせを受け、一旦、引いて徳川勢を待つことになった。

 徳川勢が到着すると、敵方も朝倉勢が到着していた。

 二十八日、未明。両軍が姉川を挟んで激突。押し太鼓の音が鳴り響き、両軍入り乱れる大乱戦になった。

 森可成の与力として活躍する叔父の青地駿河守が勇猛果敢に敵と戦う姿が見えた。しかし柴田勢と行動を共にしていた忠三郎は、なかなか前に出してもらえなかった。

「柴田殿。我等も出馬させてくだされ」
 たまりかねてそう言うと、
「忠三郎殿。そう功を焦らずともよい」

 前回の野洲河原の合戦で、忠三郎が飛び出していったのを知っているようだ。忠三郎はいつまで待っても動くことができなかった。

 見ると家臣たちは及び腰であり、これでは勝家が許してくれるはずもない。忠三郎は仕方がなく、渡河する敵を討とうと、ひそかに鉄砲隊を引き連れて陣営を離れた。

(多少、兵の士気が低くとも、鉄砲隊であれば敵を倒せる)
 川近くの藪の中に身を潜め、敵が河を渡り始めたのを見て、一斉射撃を命じた。

 川の水が飛び散り、敵の槍部隊が倒れるのが見えた。それを何度か繰り返していると、やがて両軍、疲れが見え始め、敵が少しずつ崩れていくのが分かった。

(敵が退き始める)
 追撃の機会だ。忠三郎は鉄砲隊に射撃の準備を命じる。足軽たちが火縄に火をつけたところで、ちょうど、浅井勢が雪崩を打って敗走をはじめた。
「よし、逃がすな!撃て!」

 激しい銃声が鳴り響き、背を向けて逃げる敵兵が倒れていく。その直後、思った通り、掛り太鼓が鳴り、織田勢が我先にと敵を追って川を渡っていくのが見えた。
「若!我らは追わずともよろしいので?」

 町野左近が槍を構えて敵を追おうとする。急にやる気を出した町野左近に苦笑しながら、
「もはや勝敗は決した。これ以上、逃げる敵を追うのは忍びない」
 忠三郎はそう言うと、陣払いを命じた。
 
 その後、織田勢は逃げる浅井勢を追って小谷城まで迫ったが、
 小谷城は険しい山の上にある。味方にさらなる犠牲がでることを恐れた信長は、城攻めを諦め、引き上げ命令をくだした。そして丹羽長秀に佐和山城攻めを命じて自らは馬廻り衆を連れて京へと向かっていった。
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