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1.日野谷
1-4. 出会い
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岐阜へは傅役の町野新三郎が同行した。険しい山の頂に城があり、山麓には千畳敷館と呼ばれる居館がある。普段、信長はこの千畳敷館にいる。巨大なこの館は千畳敷と呼ばれるに相応しい荘厳な建物で、中は入り組み、多くの部屋がある。知らないものが足を踏み入れても容易に目的の場所へとたどり着くことはできない。
鶴千代はこの千畳敷館に一室を与えられ、信長の小姓の務める傍ら、城下にある瑞龍寺に通って勉学に勤しむようにと命じられた。
「上様は恐ろしく気性の激しいお方。よくよく用心なされよ」
茶坊主の一人にそう忠告された。
信長を恐れているのはこの茶坊主一人だけではない。小姓たちも、他の家臣たちも同じで、この恐れ方は尋常ではなく、主君を敬うこととも少し違う気がする。信長の言うことは絶対であり、異を唱えることは許されない。そして信長は相手が老臣でも、目上の親族でも、誰に対しても尊大な態度だった。
広い千畳敷館はどこへ行っても完璧なまでに清潔で、塵一つ落ちていない。厩に行けば、驚くほどの名馬がずらりと並んでおり、それが皆、信長の馬だという。
朝は夜も明けぬうちから起きだして朝駆け。食事は思いのほか簡素で、酒は飲まない。何百人もいる小姓の名前は全て覚えていて、ある日、唐突に太刀持ち小姓を命じられることがある。
「鶴殿。上様の命じゃ。これより太刀持ちを務めるように」
小姓頭の万見仙千代からそう告げられ、鶴千代は短く返事をして広間へ向かった。
そっと広間の後ろの襖を開け、信長の背後にいる長谷川竹と交代する。長谷川竹が下がっていくと、
「鶴」
と、にわかに呼びかけられた。
「はい」
「岐阜はどうじゃ?」
「町は賑わい、領民たちも皆、安堵して暮らしている様子。これも上様のご威光の賜物かと」
鶴千代が一番目に付いたのはそこだった。信長所有の名馬や名刀は目を見張るものがあるが、それより何より驚いたのは岐阜城下の繁栄だ。城下ではあらゆるものが売られており、連日、数えきれない人の往来がある。この賑わいは都を凌ぐほどだ。
信長は「で、あるか」と短く返事をして、他には何も言わず、手元の絵図を見て何か考えている。斜め後ろからチラリと顔を見たが、表情からは何も読み取ることができない。近くにいるだけで威圧感を感じる者も多いようだが、鶴千代はあまり気にならなかった。
やがて小姓に伴われて広間に家臣が入って来た。
(あれは…)
見覚えがある。日野に来た老臣の滝川一益と、もう一人は見たことがなかった。
二人が平伏し、挨拶しようとするのを信長が軽く制して、
「戸木御所の件は如何なった」
いきなり切り出した。長い挨拶を嫌うと聞いていたが、長いどころか相手は挨拶をする間もない。それも慣れたことなのか、一益は平然としている。
「戸木城を探らせていた者の知らせでは、約定通り、兵を挙げる支度を整えているようにて…」
戸木御所?戸木城?何の話をしているのか、さっぱり分からない。しばらく会話が続き、ひと段落ついたところで茶坊主が茶菓を持って現れた。
静かに信長の前へと近づいたとき、軽く畳縁に足を取られ、持っていた茶碗が揺れ、滴が信長の袴に飛んだ。
アッと気づくと、信長がすくっと立ち上がり、目にも止まらぬ速さで鶴千代の持つ刀を掴んだ。茶坊主が真っ青になり、広間から駆け出した。
信長は物も言わずに茶坊主の後を追いかけて広間を飛び出していく。
(一体、どうなるのか…)
茫然と二人が走り去った方角を見ていると、
「鶴千代。万見仙千代に知らせ、替えの刀を用意いたせ」
一益が鶴千代に声をかける。
「替えの刀?」
「あの者は斬られる。早ういたせ」
「は、はい」
人を斬った刀は手入れが必要になる。
鶴千代も立ち上がり、奥に下がって万見仙千代に事と次第を話す。鶴千代が再び広間に戻ると、間もなく、信長が抜身の刀を手にして戻って来た。
それと同時に万見仙千代が現れ、鶴千代に替えの刀を渡すと、信長から刀を受け取り、下がっていく。
「まこと、みごとに切れる太刀であった」
「あれなるは長谷部国重の太刀でござりますな」
一益がそう言うと、信長は頷き、
「小癪な茶坊主めが台所まで逃げ、膳の棚下に隠れおったゆえ、棚の上から刀を差し、成敗してやったわ」
追いかけて行ったのも驚いたが、棚下に隠れた者を上から刺し殺したとは、いかにも執念深い信長の性格を表している。
「あの太刀を圧切と名付けよう」
信長が満足そうに言う。
信長が着座すると、何事もなかったかのように一益が話を続ける。この一瞬の出来事に、驚くものは誰もいない。
(そうか…。これが…これが織田家での日常か)
日野で送っていた平穏な暮らしとは全く違う。これがこれからの当たり前の日常になっていく。信長の傍に半年もいれば、こんなことはごく普通のことになり、他の者たちのように驚くこともなくなっていくのだ。
岐阜での生活に戸惑うことも少なくなった頃、年の瀬を迎えた。
「若。なんでも上様が正月に歌会を催されるとか」
「歌会?」
町野新三郎がどこで聞きつけて来たのか、そんな話を耳にして教えてくれた。
「歌なれば若の得意中の得意とするところ。何か歌を用意しておかれては」
鶴千代は尤もなことである、と頷き、新古今から本歌取りしようと、持参の書物に目を通した。
そして永禄十二年。鶴千代は岐阜に来て初めての正月を迎えた。
岐阜城では信長お気に入りの小姓たちが集まり、毎年恒例の相撲大会が開かれる。
「歌会ではなく、相撲?」
話を聞いた町野新三郎が青くなって告げてきた。
「お許しくだされ。わしは確かに、歌会と聞いたのですが…」
妙な話だと思い、
「歌会の話は誰から聞いた?」
「小姓頭の万見仙千代殿で」
その名を聞いて納得した。小姓頭の万見仙千代。信長お気に入りの小姓の一人だが、その態度や言葉から、どうも自分は好かれていないようだと、うすうす気づいていた。
「案ずるな、新三郎」
鶴千代が笑ってそう言うと、
「されど…相撲とは又、若には…」
言いにくそうにしているが、武芸が苦手な鶴千代が年賀に集まる織田家の人々の前で恥をかくことを恐れているようだ。
「今更、慌ててもどうにもならぬ。意地を見せるしかあるまい」
そうは言うものの、内心、心穏やかではいられなかった。
佐助は鶴千代が好まないことは無理強いしなかった。そのため、武芸の稽古などはまともにしたことがない。
筋力も腕力もない。その上、万見仙千代、堀久太郎、長谷川竹丸といった優勝候補は皆、鶴千代よりも三つ・四つ年上だ。彼らと並ぶと、鶴千代の貧弱な体が殊更に貧弱に見えた。
対峙したのは堀久太郎。町野新三郎が案じていたように、鶴千代はいとも容易く投げ飛ばされた。
(明らかに勝つと分かっていながら、偽りを教えるとは…)
だんだんと腹がたってきて、叶わぬまでも意地を見せねばと思い始めた。
「もう一番!」
悔しさにそう叫んだ。しかし、何度やっても結果は変わらなかった。腕や足が青く腫れ、擦り傷だらけになっても鶴千代は諦めなかった。見るに見かねた信長は、軽く手をあげ、小姓たちに命じて鶴千代を強引に下がらせた。
鶴千代は怪我の手当てをしようとする町野新三郎の手を振りほどき、館の外へ向かって駆けだした。
こんな惨めな姿は誰にも見られたくない。鶴千代は川のそばまでひた走りに走り、川辺まできてようやく足を止めた。
目の前に流れる大川は長良川。故国の日野川とは種類の違う、木曽の山々から流れる川だ。見上げると遠くに山が連なっているのが見えるが、これも綿向山とは異なる名も知らぬ山。
(ここは敵地同様か)
織田家の人々が使う言葉は、近江で聞く言葉とは違いがあり、出てくる食べ物の味も違う。使っている暦も違う。国が違うとはこういうことなのか。
(佐助…おぬしがいたら、今のわしに何と声をかけてくれる?)
決して一人にはしないと、そう約束してくれた佐助は、もうどこにもいない。ふいに涙がこみ上げ、両手で涙を拭う。しかし拭っても拭っても、とめどなく涙が溢れてきた。
鶴千代は冬の寒空の下、川の水をすくって顔を洗う。川の水は氷るように冷たく、傷口にしみて痛み、顔まで怪我をしていたと気づいた。
「派手にやられたのう。傷が痛むであろう」
背後から声がして驚いて振り向くと、誰もいないはずの河原に怪しげな男が立っている。
「何故…」
人が近づいてきた気配は全く感じなかった。いつから後ろにいたのだろうか。
驚く鶴千代に、貧相な身なりの男が笑って近づいてくる。
「如何した?手当してやろうか?」
「無礼な。いらぬ世話をやくな」
嫌なところを見られ、鶴千代が不機嫌にそう言うと、相手は少し驚いた様子で、
「常より余裕の笑顔を絶やさぬおぬしも、腹がたつことがあるか」
言われてハタと気づいた。
何故だろう。いつも気を付けていた筈なのに。
「まぁ、よいわ。むしろそのほうが面白い。如何じゃ、鶴殿。あのままでは口惜しかろう。堀久太郎に勝つ秘訣を伝授しようか?」
一体誰なのか。鶴千代のことを知っていて、あの相撲を見ていたようだ。
「勝つ秘訣?そのようなものが真にあると?」
「おぉ、乗って来たのう。特別に伝授しようではないか。鶴殿、我が屋敷に参られよ」
織田家に仕える者だろうが誰だろうか。道すがら尋ねてみる。
「そこもとはわしを存じておるのか?」
「会うたことがある故のう」
「会うたことがある?」
何度か思い出そうとしたが、わからない。岐阜に来てからは大勢の人に会っているが、信長の周りにいる近侍は皆、煌びやかないで立ちの者ばかりで、こんなに見すぼらしい男に会った覚えがない。
言われるままについていくと、長良川から程近くに、その屋敷はあった。中に入ると、なんとも簡素な屋敷で、厠の木戸が半壊しかけていて、中が丸見えだ。その上、庭木が一本もない。薄汚れた襖には絵がない。畳もなく、天井には板もない。ないものはないという位、何でも兼ね揃えている信長の館とは対照的だ。
(かように粗末な館は初めて見た)
一応、掃除はされているようだが、廊下を歩くと床が激しく軋む音を立てた。これは余程貧しい家なのだろう。
(怪しげな場所に連れて来られた。大丈夫だろうか)
だんだんと不安になる。これは話に聞く河原者の館ではないだろうか。
連れて行かれた詰所には、家人と思しき数名の男が輪になって何か話していた。いずれも異類異形の様相で、鶴千代に気づくと、皆、おや、とこちらを見る。
「義太夫。小童相手に喧嘩か?」
「何を言うか。わしは童などは相手にせぬわ」
小童だの童だのと、ずいぶんな子供扱いだ。
「こっちじゃ。遠慮のう座れ」
「は、はい」
座ることを躊躇したのは遠慮したからではなく、袴が汚れそうだと思ったからだが、致し方なく、その場に座った。
やがて酒肴の用意がされ、皆が当たり前のように酒を勧めてくる。
「おぉ、新介。鶴殿にたんと馳走せい」
「鶴殿?待て。この小童…ではなく、ご仁はもしや、あの上様のお気に入りという噂の日野の…」
新介と呼ばれた男が鶴千代をまじまじと見た。鶴千代は軽く会釈し、
「いかにも、蒲生鶴千代でござります」
と名を名乗ると、新介は慌てて鶴千代から盃を取り上げ、
「大層な小袖を着ていると思えば。拙いではないか。殿の留守中に、よりにもよって蒲生鶴千代を…」
「案ずるな。先ほどから見ていると、鶴殿はなかなかいける口。のう、鶴殿」
と盃を返してきた。
「久太郎のことよりも…一人で馬に乗れるようになったか?」
鶴千代は驚いて義太夫の顔を見る。すると義太夫は笑って、
「あぁ、よいよい。わしが教えて進ぜよう。まずは馬術じゃ」
「義太夫。そのような勝手な真似をして、後で殿に叱られても知らんぞ」
二人の会話を聞きながら鶴千代はあれ、と気づいた。この義太夫と新介。どちらからも、織田家でよく耳にする尾張訛りがない。妙な親しみを感じたのは、二人が使う言葉に聞き覚えがあるからだ。
(佐助と同じ訛りか。ということは甲賀の…)
もしやと思い、尋ねてみる。
「このお屋敷の主はもしや…」
「滝川左近様じゃ。義太夫、おぬし、名も身分も告げずに拾うてきたか」
新介があきれたように言うと、義太夫がカハハと笑う。
「そうか、忘れておった。わしは滝川左近の甥で当家の一番家老、滝川義太夫じゃ」
「誰が一番家老じゃ。ようもぬけぬけと。わしは滝川左近の甥、佐治新介。こっちは家人の滝川助太郎と助九郎じゃ」
驚いたことに二人は滝川一益の甥だという。不愛想な一益の顔を思い出し、にわかに心配になった。
「義太夫殿。左近殿の留守に、かような宴会を開いて大事ないのであろうか」
すでに顔を真っ赤にした義太夫が、三度ほど頷き、
「大事ない。大事ない。おぉ、そうじゃ、鶴殿。よいことを教えて進ぜよう。殿は常より仏頂面ではあるが、見た目ほど恐ろしい方ではない」
唖然とするほど無礼なことを言い始めた。
「あの外見では想像もつかぬであろうが、ああ見えて、かなり甘いお方。家人を手討ちにしたことなどは一度もないゆえ安堵されよ。それと、時折、突き放すような口ぶりになるが、これは言葉とは裏腹じゃ。気になっていることを隠すとき、腹の内を探られまいと、冷たく言い放つ癖がある」
次々と暴露しはじめる。義太夫は呂律が回っていない。義太夫ばかりではなく、気づくと皆、相当に酔い、何人かはすでに潰れている。
(随分と酒に弱い方々じゃ)
滝川家で家人たちが普段飲む酒は安価な濁り酒。鶴千代が普段から口にしている清酒を飲むのは盆と正月くらいのものだ。今日は正月とあって信長から滝川家に酒樽が送られていた。
そんなことは知らない鶴千代は、酒に弱い滝川家の家人たちを意外に思いながらも盃を傾けた。すると義太夫がにわかに肩に寄りかかり、
「鶴殿。久太郎に勝つ秘策であるが…」
一番聞きたいと思っていた話がようやく始まった。これは一言も聞き逃すまい、鶴千代はそう思って義太夫を見る。義太夫はうつらうつらとしつつ、かろうじて目を開けて、
「我が家にある腹下し薬。こいつを相撲の前に仕込んで久太郎に飲ませるべし」
「腹下し薬?」
驚いて義太夫を見ると、すでに寝息を立てている。
「義太夫殿!」
揺り動かすが、全く目を覚まさない。仕方がないので身体を動かし、その場に横たえた。
「全く、義太夫め、なんとも酷い秘策じゃ」
新介はそういって大笑いしたあと、おや、と耳を澄ませる。
「助九郎。もしや殿がお戻りではないか?」
「エッ?殿が?…これは拙いところに…」
助九郎と呼ばれた家人が慌てて立ち上がり、玄関口へと走っていった。
「左近殿がお戻り?」
留守中に屋敷に上がり込み、酒を飲むとは随分と無作法なことをしているが、普段であれば気になることも、酒のせいか気が大きくなり、さして気にならない。
(もしやこれは…思うたよりも酔うておる)
知らず知らずに相当な量を飲んでいて、瞼が妙に重く、目を閉じるとクラクラと回っている。
遠くのほうから誰かの話し声が聞こえてきた。腹下し薬がどうの、堀久太郎がどうのと説明している。
(そう、それが久太郎に勝つ秘策。その薬を忘れずに貰うて帰らねば)
うつらうつらとしながら、そう思った時、
「義太夫!」
大きな声がして、ハッとして目を開けた。気づくと一益が目の前に立ち、鶴千代の横で寝ている義太夫を睨んでいた。
(これは拙い)
そう思い、義太夫を揺り動かすが、義太夫は心地よさげな寝息をたてるばかり。
「殿。酒の上での戯れでござります。お許しあれ」
佐治新介が笑ってそう言う。
一喝するかと思った一益は、深くため息をつくと背を向け、庭に降りて行った。
(義太夫殿の言う、甘いお方とは、かようなことか)
主の留守に酒盛りして寝入っている。ここは怒ってしかるべきだろう。それが何も咎め立てせず、行ってしまうとは。正月だから大目に見ると、そういうことだろうか。
(腹下し薬をもらわねば…)
鶴千代は立ち上がり、一益の後を追った。
庭にでると、月が煌々と照り輝いていた。知らない内に日が沈んでいたようだ。月を見上げる一益の後姿が見えた。
鶴千代は一益の背後に近づき、声をかける。
「わしは戯れではないのじゃが」
一益が無表情に振り向いた。
「よもや本気で言うておるのか」
「はい。他に久太郎に勝つ手立てがありましょうか」
大人と子供ほどの体格の差がある。余程の手を使わねば、どう足掻いても勝つことなどできない。
「そうまでして久太郎に勝ちたいか」
「勝ちたい。腹下し薬をくだされ」
断られるのを覚悟の上で言うと、
「大概にせい」
一益が吐き捨てるように言う。
(これはもしや、義太夫殿の話にあったことか)
義太夫は何と言っていたか。冷たく言い放つときは、一益が心にかかることを隠すときだと、そう言っていた。
(わしのことを少なからず気にかけて…。もし、そうだとしたら…)
自分の素直な気持ちをぶつけよう。そう思った。
「では負けたままでおれと?上様や織田家中の面前で負けたままでおれと、そう仰せか」
口に出してから、酒の力は恐ろしいと気づいた。常であれば、目上の者に対してこんな礼儀に反することは言えない。これが祖父や父であれば、一喝されて終わるところだ。あの義太夫という妙な男の可笑しな雰囲気や勢いに影響されているのだろうか。
一益は怒らなかった。しばしのとき、鶴千代をじっと見ていたが、
「鶴千代、そなたは武士《もののふ》である」
静かにそう言った。一益の言うことが分からず、首を傾げて次の言葉を待った。
「武士ならば戦場で手柄をたて、弓矢をもって久太郎を打ち負かせ」
「戦場で、手柄を…」
今年、元服するようにと信長から言い渡された。そうなれば初陣となる。槍働きには自信がない。一益は、そんな鶴千代の考えを見透かしたように
「この屋敷には誰かしら、我が家の者がおる。皆に言い含めておくゆえ、お役目の合間をみてここに来て、武芸に励め」
意外なことを言った。
鶴千代は少しの間、言われたことの意味を考える。もしや、一益は鶴千代の初陣を考え、そう言ってくれたのではないだろうか。
(不思議なご仁じゃ。もしや、佐助が…)
佐助が自分を案じて、一益に引き合わせてくれたのかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなくなり、部屋に走って徳利と盃を掴んできた。
「左近殿!今日からこの鶴千代を誠の弟と思うてくだされ!これは兄弟の固めの杯じゃ!」
鶴千代の勢いに、一益が圧倒されているのが分かる。意外な一面を見たような気がして可笑しくなった。
鶴千代はこの千畳敷館に一室を与えられ、信長の小姓の務める傍ら、城下にある瑞龍寺に通って勉学に勤しむようにと命じられた。
「上様は恐ろしく気性の激しいお方。よくよく用心なされよ」
茶坊主の一人にそう忠告された。
信長を恐れているのはこの茶坊主一人だけではない。小姓たちも、他の家臣たちも同じで、この恐れ方は尋常ではなく、主君を敬うこととも少し違う気がする。信長の言うことは絶対であり、異を唱えることは許されない。そして信長は相手が老臣でも、目上の親族でも、誰に対しても尊大な態度だった。
広い千畳敷館はどこへ行っても完璧なまでに清潔で、塵一つ落ちていない。厩に行けば、驚くほどの名馬がずらりと並んでおり、それが皆、信長の馬だという。
朝は夜も明けぬうちから起きだして朝駆け。食事は思いのほか簡素で、酒は飲まない。何百人もいる小姓の名前は全て覚えていて、ある日、唐突に太刀持ち小姓を命じられることがある。
「鶴殿。上様の命じゃ。これより太刀持ちを務めるように」
小姓頭の万見仙千代からそう告げられ、鶴千代は短く返事をして広間へ向かった。
そっと広間の後ろの襖を開け、信長の背後にいる長谷川竹と交代する。長谷川竹が下がっていくと、
「鶴」
と、にわかに呼びかけられた。
「はい」
「岐阜はどうじゃ?」
「町は賑わい、領民たちも皆、安堵して暮らしている様子。これも上様のご威光の賜物かと」
鶴千代が一番目に付いたのはそこだった。信長所有の名馬や名刀は目を見張るものがあるが、それより何より驚いたのは岐阜城下の繁栄だ。城下ではあらゆるものが売られており、連日、数えきれない人の往来がある。この賑わいは都を凌ぐほどだ。
信長は「で、あるか」と短く返事をして、他には何も言わず、手元の絵図を見て何か考えている。斜め後ろからチラリと顔を見たが、表情からは何も読み取ることができない。近くにいるだけで威圧感を感じる者も多いようだが、鶴千代はあまり気にならなかった。
やがて小姓に伴われて広間に家臣が入って来た。
(あれは…)
見覚えがある。日野に来た老臣の滝川一益と、もう一人は見たことがなかった。
二人が平伏し、挨拶しようとするのを信長が軽く制して、
「戸木御所の件は如何なった」
いきなり切り出した。長い挨拶を嫌うと聞いていたが、長いどころか相手は挨拶をする間もない。それも慣れたことなのか、一益は平然としている。
「戸木城を探らせていた者の知らせでは、約定通り、兵を挙げる支度を整えているようにて…」
戸木御所?戸木城?何の話をしているのか、さっぱり分からない。しばらく会話が続き、ひと段落ついたところで茶坊主が茶菓を持って現れた。
静かに信長の前へと近づいたとき、軽く畳縁に足を取られ、持っていた茶碗が揺れ、滴が信長の袴に飛んだ。
アッと気づくと、信長がすくっと立ち上がり、目にも止まらぬ速さで鶴千代の持つ刀を掴んだ。茶坊主が真っ青になり、広間から駆け出した。
信長は物も言わずに茶坊主の後を追いかけて広間を飛び出していく。
(一体、どうなるのか…)
茫然と二人が走り去った方角を見ていると、
「鶴千代。万見仙千代に知らせ、替えの刀を用意いたせ」
一益が鶴千代に声をかける。
「替えの刀?」
「あの者は斬られる。早ういたせ」
「は、はい」
人を斬った刀は手入れが必要になる。
鶴千代も立ち上がり、奥に下がって万見仙千代に事と次第を話す。鶴千代が再び広間に戻ると、間もなく、信長が抜身の刀を手にして戻って来た。
それと同時に万見仙千代が現れ、鶴千代に替えの刀を渡すと、信長から刀を受け取り、下がっていく。
「まこと、みごとに切れる太刀であった」
「あれなるは長谷部国重の太刀でござりますな」
一益がそう言うと、信長は頷き、
「小癪な茶坊主めが台所まで逃げ、膳の棚下に隠れおったゆえ、棚の上から刀を差し、成敗してやったわ」
追いかけて行ったのも驚いたが、棚下に隠れた者を上から刺し殺したとは、いかにも執念深い信長の性格を表している。
「あの太刀を圧切と名付けよう」
信長が満足そうに言う。
信長が着座すると、何事もなかったかのように一益が話を続ける。この一瞬の出来事に、驚くものは誰もいない。
(そうか…。これが…これが織田家での日常か)
日野で送っていた平穏な暮らしとは全く違う。これがこれからの当たり前の日常になっていく。信長の傍に半年もいれば、こんなことはごく普通のことになり、他の者たちのように驚くこともなくなっていくのだ。
岐阜での生活に戸惑うことも少なくなった頃、年の瀬を迎えた。
「若。なんでも上様が正月に歌会を催されるとか」
「歌会?」
町野新三郎がどこで聞きつけて来たのか、そんな話を耳にして教えてくれた。
「歌なれば若の得意中の得意とするところ。何か歌を用意しておかれては」
鶴千代は尤もなことである、と頷き、新古今から本歌取りしようと、持参の書物に目を通した。
そして永禄十二年。鶴千代は岐阜に来て初めての正月を迎えた。
岐阜城では信長お気に入りの小姓たちが集まり、毎年恒例の相撲大会が開かれる。
「歌会ではなく、相撲?」
話を聞いた町野新三郎が青くなって告げてきた。
「お許しくだされ。わしは確かに、歌会と聞いたのですが…」
妙な話だと思い、
「歌会の話は誰から聞いた?」
「小姓頭の万見仙千代殿で」
その名を聞いて納得した。小姓頭の万見仙千代。信長お気に入りの小姓の一人だが、その態度や言葉から、どうも自分は好かれていないようだと、うすうす気づいていた。
「案ずるな、新三郎」
鶴千代が笑ってそう言うと、
「されど…相撲とは又、若には…」
言いにくそうにしているが、武芸が苦手な鶴千代が年賀に集まる織田家の人々の前で恥をかくことを恐れているようだ。
「今更、慌ててもどうにもならぬ。意地を見せるしかあるまい」
そうは言うものの、内心、心穏やかではいられなかった。
佐助は鶴千代が好まないことは無理強いしなかった。そのため、武芸の稽古などはまともにしたことがない。
筋力も腕力もない。その上、万見仙千代、堀久太郎、長谷川竹丸といった優勝候補は皆、鶴千代よりも三つ・四つ年上だ。彼らと並ぶと、鶴千代の貧弱な体が殊更に貧弱に見えた。
対峙したのは堀久太郎。町野新三郎が案じていたように、鶴千代はいとも容易く投げ飛ばされた。
(明らかに勝つと分かっていながら、偽りを教えるとは…)
だんだんと腹がたってきて、叶わぬまでも意地を見せねばと思い始めた。
「もう一番!」
悔しさにそう叫んだ。しかし、何度やっても結果は変わらなかった。腕や足が青く腫れ、擦り傷だらけになっても鶴千代は諦めなかった。見るに見かねた信長は、軽く手をあげ、小姓たちに命じて鶴千代を強引に下がらせた。
鶴千代は怪我の手当てをしようとする町野新三郎の手を振りほどき、館の外へ向かって駆けだした。
こんな惨めな姿は誰にも見られたくない。鶴千代は川のそばまでひた走りに走り、川辺まできてようやく足を止めた。
目の前に流れる大川は長良川。故国の日野川とは種類の違う、木曽の山々から流れる川だ。見上げると遠くに山が連なっているのが見えるが、これも綿向山とは異なる名も知らぬ山。
(ここは敵地同様か)
織田家の人々が使う言葉は、近江で聞く言葉とは違いがあり、出てくる食べ物の味も違う。使っている暦も違う。国が違うとはこういうことなのか。
(佐助…おぬしがいたら、今のわしに何と声をかけてくれる?)
決して一人にはしないと、そう約束してくれた佐助は、もうどこにもいない。ふいに涙がこみ上げ、両手で涙を拭う。しかし拭っても拭っても、とめどなく涙が溢れてきた。
鶴千代は冬の寒空の下、川の水をすくって顔を洗う。川の水は氷るように冷たく、傷口にしみて痛み、顔まで怪我をしていたと気づいた。
「派手にやられたのう。傷が痛むであろう」
背後から声がして驚いて振り向くと、誰もいないはずの河原に怪しげな男が立っている。
「何故…」
人が近づいてきた気配は全く感じなかった。いつから後ろにいたのだろうか。
驚く鶴千代に、貧相な身なりの男が笑って近づいてくる。
「如何した?手当してやろうか?」
「無礼な。いらぬ世話をやくな」
嫌なところを見られ、鶴千代が不機嫌にそう言うと、相手は少し驚いた様子で、
「常より余裕の笑顔を絶やさぬおぬしも、腹がたつことがあるか」
言われてハタと気づいた。
何故だろう。いつも気を付けていた筈なのに。
「まぁ、よいわ。むしろそのほうが面白い。如何じゃ、鶴殿。あのままでは口惜しかろう。堀久太郎に勝つ秘訣を伝授しようか?」
一体誰なのか。鶴千代のことを知っていて、あの相撲を見ていたようだ。
「勝つ秘訣?そのようなものが真にあると?」
「おぉ、乗って来たのう。特別に伝授しようではないか。鶴殿、我が屋敷に参られよ」
織田家に仕える者だろうが誰だろうか。道すがら尋ねてみる。
「そこもとはわしを存じておるのか?」
「会うたことがある故のう」
「会うたことがある?」
何度か思い出そうとしたが、わからない。岐阜に来てからは大勢の人に会っているが、信長の周りにいる近侍は皆、煌びやかないで立ちの者ばかりで、こんなに見すぼらしい男に会った覚えがない。
言われるままについていくと、長良川から程近くに、その屋敷はあった。中に入ると、なんとも簡素な屋敷で、厠の木戸が半壊しかけていて、中が丸見えだ。その上、庭木が一本もない。薄汚れた襖には絵がない。畳もなく、天井には板もない。ないものはないという位、何でも兼ね揃えている信長の館とは対照的だ。
(かように粗末な館は初めて見た)
一応、掃除はされているようだが、廊下を歩くと床が激しく軋む音を立てた。これは余程貧しい家なのだろう。
(怪しげな場所に連れて来られた。大丈夫だろうか)
だんだんと不安になる。これは話に聞く河原者の館ではないだろうか。
連れて行かれた詰所には、家人と思しき数名の男が輪になって何か話していた。いずれも異類異形の様相で、鶴千代に気づくと、皆、おや、とこちらを見る。
「義太夫。小童相手に喧嘩か?」
「何を言うか。わしは童などは相手にせぬわ」
小童だの童だのと、ずいぶんな子供扱いだ。
「こっちじゃ。遠慮のう座れ」
「は、はい」
座ることを躊躇したのは遠慮したからではなく、袴が汚れそうだと思ったからだが、致し方なく、その場に座った。
やがて酒肴の用意がされ、皆が当たり前のように酒を勧めてくる。
「おぉ、新介。鶴殿にたんと馳走せい」
「鶴殿?待て。この小童…ではなく、ご仁はもしや、あの上様のお気に入りという噂の日野の…」
新介と呼ばれた男が鶴千代をまじまじと見た。鶴千代は軽く会釈し、
「いかにも、蒲生鶴千代でござります」
と名を名乗ると、新介は慌てて鶴千代から盃を取り上げ、
「大層な小袖を着ていると思えば。拙いではないか。殿の留守中に、よりにもよって蒲生鶴千代を…」
「案ずるな。先ほどから見ていると、鶴殿はなかなかいける口。のう、鶴殿」
と盃を返してきた。
「久太郎のことよりも…一人で馬に乗れるようになったか?」
鶴千代は驚いて義太夫の顔を見る。すると義太夫は笑って、
「あぁ、よいよい。わしが教えて進ぜよう。まずは馬術じゃ」
「義太夫。そのような勝手な真似をして、後で殿に叱られても知らんぞ」
二人の会話を聞きながら鶴千代はあれ、と気づいた。この義太夫と新介。どちらからも、織田家でよく耳にする尾張訛りがない。妙な親しみを感じたのは、二人が使う言葉に聞き覚えがあるからだ。
(佐助と同じ訛りか。ということは甲賀の…)
もしやと思い、尋ねてみる。
「このお屋敷の主はもしや…」
「滝川左近様じゃ。義太夫、おぬし、名も身分も告げずに拾うてきたか」
新介があきれたように言うと、義太夫がカハハと笑う。
「そうか、忘れておった。わしは滝川左近の甥で当家の一番家老、滝川義太夫じゃ」
「誰が一番家老じゃ。ようもぬけぬけと。わしは滝川左近の甥、佐治新介。こっちは家人の滝川助太郎と助九郎じゃ」
驚いたことに二人は滝川一益の甥だという。不愛想な一益の顔を思い出し、にわかに心配になった。
「義太夫殿。左近殿の留守に、かような宴会を開いて大事ないのであろうか」
すでに顔を真っ赤にした義太夫が、三度ほど頷き、
「大事ない。大事ない。おぉ、そうじゃ、鶴殿。よいことを教えて進ぜよう。殿は常より仏頂面ではあるが、見た目ほど恐ろしい方ではない」
唖然とするほど無礼なことを言い始めた。
「あの外見では想像もつかぬであろうが、ああ見えて、かなり甘いお方。家人を手討ちにしたことなどは一度もないゆえ安堵されよ。それと、時折、突き放すような口ぶりになるが、これは言葉とは裏腹じゃ。気になっていることを隠すとき、腹の内を探られまいと、冷たく言い放つ癖がある」
次々と暴露しはじめる。義太夫は呂律が回っていない。義太夫ばかりではなく、気づくと皆、相当に酔い、何人かはすでに潰れている。
(随分と酒に弱い方々じゃ)
滝川家で家人たちが普段飲む酒は安価な濁り酒。鶴千代が普段から口にしている清酒を飲むのは盆と正月くらいのものだ。今日は正月とあって信長から滝川家に酒樽が送られていた。
そんなことは知らない鶴千代は、酒に弱い滝川家の家人たちを意外に思いながらも盃を傾けた。すると義太夫がにわかに肩に寄りかかり、
「鶴殿。久太郎に勝つ秘策であるが…」
一番聞きたいと思っていた話がようやく始まった。これは一言も聞き逃すまい、鶴千代はそう思って義太夫を見る。義太夫はうつらうつらとしつつ、かろうじて目を開けて、
「我が家にある腹下し薬。こいつを相撲の前に仕込んで久太郎に飲ませるべし」
「腹下し薬?」
驚いて義太夫を見ると、すでに寝息を立てている。
「義太夫殿!」
揺り動かすが、全く目を覚まさない。仕方がないので身体を動かし、その場に横たえた。
「全く、義太夫め、なんとも酷い秘策じゃ」
新介はそういって大笑いしたあと、おや、と耳を澄ませる。
「助九郎。もしや殿がお戻りではないか?」
「エッ?殿が?…これは拙いところに…」
助九郎と呼ばれた家人が慌てて立ち上がり、玄関口へと走っていった。
「左近殿がお戻り?」
留守中に屋敷に上がり込み、酒を飲むとは随分と無作法なことをしているが、普段であれば気になることも、酒のせいか気が大きくなり、さして気にならない。
(もしやこれは…思うたよりも酔うておる)
知らず知らずに相当な量を飲んでいて、瞼が妙に重く、目を閉じるとクラクラと回っている。
遠くのほうから誰かの話し声が聞こえてきた。腹下し薬がどうの、堀久太郎がどうのと説明している。
(そう、それが久太郎に勝つ秘策。その薬を忘れずに貰うて帰らねば)
うつらうつらとしながら、そう思った時、
「義太夫!」
大きな声がして、ハッとして目を開けた。気づくと一益が目の前に立ち、鶴千代の横で寝ている義太夫を睨んでいた。
(これは拙い)
そう思い、義太夫を揺り動かすが、義太夫は心地よさげな寝息をたてるばかり。
「殿。酒の上での戯れでござります。お許しあれ」
佐治新介が笑ってそう言う。
一喝するかと思った一益は、深くため息をつくと背を向け、庭に降りて行った。
(義太夫殿の言う、甘いお方とは、かようなことか)
主の留守に酒盛りして寝入っている。ここは怒ってしかるべきだろう。それが何も咎め立てせず、行ってしまうとは。正月だから大目に見ると、そういうことだろうか。
(腹下し薬をもらわねば…)
鶴千代は立ち上がり、一益の後を追った。
庭にでると、月が煌々と照り輝いていた。知らない内に日が沈んでいたようだ。月を見上げる一益の後姿が見えた。
鶴千代は一益の背後に近づき、声をかける。
「わしは戯れではないのじゃが」
一益が無表情に振り向いた。
「よもや本気で言うておるのか」
「はい。他に久太郎に勝つ手立てがありましょうか」
大人と子供ほどの体格の差がある。余程の手を使わねば、どう足掻いても勝つことなどできない。
「そうまでして久太郎に勝ちたいか」
「勝ちたい。腹下し薬をくだされ」
断られるのを覚悟の上で言うと、
「大概にせい」
一益が吐き捨てるように言う。
(これはもしや、義太夫殿の話にあったことか)
義太夫は何と言っていたか。冷たく言い放つときは、一益が心にかかることを隠すときだと、そう言っていた。
(わしのことを少なからず気にかけて…。もし、そうだとしたら…)
自分の素直な気持ちをぶつけよう。そう思った。
「では負けたままでおれと?上様や織田家中の面前で負けたままでおれと、そう仰せか」
口に出してから、酒の力は恐ろしいと気づいた。常であれば、目上の者に対してこんな礼儀に反することは言えない。これが祖父や父であれば、一喝されて終わるところだ。あの義太夫という妙な男の可笑しな雰囲気や勢いに影響されているのだろうか。
一益は怒らなかった。しばしのとき、鶴千代をじっと見ていたが、
「鶴千代、そなたは武士《もののふ》である」
静かにそう言った。一益の言うことが分からず、首を傾げて次の言葉を待った。
「武士ならば戦場で手柄をたて、弓矢をもって久太郎を打ち負かせ」
「戦場で、手柄を…」
今年、元服するようにと信長から言い渡された。そうなれば初陣となる。槍働きには自信がない。一益は、そんな鶴千代の考えを見透かしたように
「この屋敷には誰かしら、我が家の者がおる。皆に言い含めておくゆえ、お役目の合間をみてここに来て、武芸に励め」
意外なことを言った。
鶴千代は少しの間、言われたことの意味を考える。もしや、一益は鶴千代の初陣を考え、そう言ってくれたのではないだろうか。
(不思議なご仁じゃ。もしや、佐助が…)
佐助が自分を案じて、一益に引き合わせてくれたのかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなくなり、部屋に走って徳利と盃を掴んできた。
「左近殿!今日からこの鶴千代を誠の弟と思うてくだされ!これは兄弟の固めの杯じゃ!」
鶴千代の勢いに、一益が圧倒されているのが分かる。意外な一面を見たような気がして可笑しくなった。
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