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裏約束 お七更紗

一…①

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 いい身体してんなぁ……。
 と口にしかけて、佐彦ははっと我に返った。
 その『いい身体』の持ち主が、すぐ傍にいるのだ。褒め言葉とはいえ、いくらなんでも直截すぎる。
 それに、身体の上には、泣く子も逃げ出すほど恐ろしい顔がくっついているのである。
「佐彦、手が止まっているがどうした。疲れたのか」
 そうこうしているうちに、当の仏頂面が振り向いた。
「い、いえ。なんでもねぇです」
 まさか「あなたさまの身体に見惚れておりました」などとは言えず、佐彦は曖昧に笑って誤魔化す。
 今日、市之進は非番だった。だが、せっかくの休みだというのに、この堅物は朝から馬乗り袴と刺し子の稽古着を纏い、青木家の庭で素振りに勤しんだ。
 挙句、まきを割り始めてしまった。なんでも、心身を鍛えるのに一番いいとか。割った薪は煮炊きに使えるので一石二鳥だ。
 仕えている家の若旦那が力仕事をしているのに、下男がいつまでも夜具にくるまっているわけにはいかない。
 こうして佐彦もしぶしぶ起き出して、斧を握る羽目になったのである。
 じきに初霜が降りる季節だというのに、身体を動かしているうちに暑くなったのか、市之進は刺し子の稽古着を片肌脱ぎにしていた。
 あらわになった腕や胸板にはしっかりと筋肉がついていて、同じ男同士なのに容赦なく惹き込まれてしまう。
 鋼のようなこの身体を、思う存分描き留めておきたい……。
(――おっといけねぇ。また動きが止まっちまった)
 佐彦はぶるんと頭を振ると、斧を握り直した。
 しばらく二人で薪を割っていると、誰かが息せき切って走ってきた。青木家で下働き兼掃除係をしている十七の娘、おこうである。
「若旦那さまぁ~。ふみが届きましたよぅ」
 ふくら雀のような身体つきをしたおこうは、餅に似た頬を揺らしながら市之進のもとへやってきて、その手に折り畳まれた紙を押し付けた。
「ついさっき届いたんです。ちゃあんと、お渡ししましたからね。すぐ読んだ方が、いいと思いますよ」
 すぐですよ、すぐ。おこうは何度も念を押してから家の中に戻っていった。なにやら、妙ににやにやしていたのが気になる。
 市之進もおこうの振る舞いに首を傾げつつ、半ば押し付けられた文をじっと見つめた。
 薄くて上等な紙だった。上の端に赤い線が入っている。きっちり折り畳まれていたそれを、男らしい手ががさがさと広げる。
「――!」
 まず市之進が息を呑んだ。少し遅れて、佐彦が声を上げる。
「……こ、これ、桐花花魁からの文じゃねぇか!」
 紙の上には流麗な女文字が綴られていた。
 このところ、明け六つの大門が寒さに震えているようでございまする――などと一応は季節の挨拶が添えてあったが、そのあとに続いていたのはたった一言。
『来て』
 文の端には桐花の名。そして最後に、くっきりと紅の跡がついていた。ただの紅ではない。どこに塗られていたか一目瞭然である。
 奈落大夫が、そこに自分の唇を押し当てたのだ。
「な、これは……!」
 市之進は大きく仰け反った。
 今までに見たこともないほど驚いている見習与力を眺めつつ、佐彦は先ほどのおこうの振る舞いが腑に落ちてぽんと手を叩く。
(市之進さまのところに持ってくる前に、文を見たんだな)
 おそらく、盗み見をしたのはふくら雀のような下女だけではないだろう。市之進が女から――とびきり美しい花魁から熱の籠もった文をもらったことは、すでに家じゅうの者が知っていると思われる。
「桐花はなぜ、かような文をわたしに……?!」
 ようやく落ち着いたらしい市之進が、紙を握り締めたまま何度も瞬きをした。
 佐彦は文を指さす。
「なぜって、そこに書いてあるじゃねぇですか。花魁は、市之進さまにまた登楼してもらいたい――つまり、裏を返してほしいって言っるんですよ」
「なら、素直にそれだけ書けばいいであろう。こんな……紅などっ」
 毎日素振りをかかさないせいか、市之進の肌はほどよく日に焼けている。ゆえにはっきりとは分からないが、心なしか頬が赤いように見えた。
 あの石部金吉が、照れている。
 こりゃ明日は槍が降るぜ……佐彦はそんなことを考えて僅かに口角を上げつつ、長身の見習与力に尋ねた。
「……で、裏を返すんですかい、市之進さま」
「わたしは吉原にはもう行かぬ! そんな暇はない!」
 市之進はつんとそっぽを向くと、片肌脱ぎにしていた着物を直し、早足で家の中に入っていった。
 奈落大夫からの文を、懐の奥にそっと差し込んで。
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