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CHAPTER11 秋の始まり
①
しおりを挟む台風が過ぎ去ってから、気温が若干下がった気がする。
逆に、藤也さんの指導には熱が入った。二週間と少し……空気がだんだん秋めいていく中、僕たちは休まずに稽古を続けた。
今日は九月の第二週目の土曜日。いよいよ文化祭の本番だ。
人形劇部は午前十一時から体育館のステージで発表を行った。
なんとか完成させた僕らの人形劇『手ぶくろを買いに』は、温かい拍手と声援を受けながら無事幕を閉じた。
観覧用の椅子は埋まり、立ち見が出るほどの大盛況だ。
文化祭では、生徒や教師だけでなく外部の人も校内に入ることができる。これほど客が多かったのは、ひとえに藤也さんと貴島のお陰だろう。
藤也さんは稲高のOB・OGたちと連絡を取り、ステージの宣伝をしてくれた。
人形劇部が久々に復活したと聞いて、結構な人数が駆けつけたそうだ。もちろん、藤也さん本人も、由麻ちゃんの写真とともに客席から僕らを見守っていた。
貴島も顔の広さを活かして、あらゆる人にコンタクトを取った。
弟の亨くんの友達にも声をかけたところ、客席の前半分は小学生たちが座るという結果になった。ちなみに亨くんの席は最前列の真ん中だ。
何よりも宣伝効果が抜群だったのは、あのご当地ヒーローだろう。
貴島はなんと、メッセージアプリを使ってイナライガーを文化祭に呼んでいた。二人は『人形劇やります!』と書かれた札を持ち、校内を練り歩いた。
全身スーツのヒーローは、やたらと目を引く。いちいち決めポーズを取ってみせたのがよかったのか、そのうち生徒たちが握手を求めて駆け寄ってきた。学校の敷地を回り終えるころ、イナライガーはすっかり人気者になっていた。
もろもろの宣伝が功を奏し、満員御礼となった客席を見て、僕と沙世子は少し緊張していた。
幕が上がる直前、貴島はそんな僕たちを呼び寄せ、三人で手を重ねようと言い出した。
「宏樹くん、沙世子、大丈夫だよ! わたしたちで作り上げた劇、見てもらおう!」
三人分の手が一つになっている。貴島の『大丈夫』が、とても頼もしい。
それらを心の支えにして、僕は練習したことをすべて出しきった。
客席から湧き起こる拍手を聞いたとき、腰が抜けた。隣で涙ぐみながら微笑んでいる沙世子を見て、初めて嬉しさが込み上げた。
やり遂げたんだ。僕らは。この舞台を――。
「あー、無事に上演できてよかったー!」
貴島が芝生にゴロンと寝そべる。
発表が終わったあと、僕と貴島は二人でここ……稲高の中庭までやってきた。
腰を下ろしている僕の目に、晴れ渡った秋の空が眩しく映る。ついこの間まで蝉が鳴いていたのに、どこへ行ったのだろう。もう、夏は完全に過ぎ去った。
「お客さんがたくさん来てくれてよかったねー。お疲れさま、宏樹くん」
「貴島もな。……あと、この間は由麻ちゃんの件でひどいことを言って悪かった」
僕は頭を下げた。文化祭の準備でごたごたしていたが、やっと謝罪ができた。
「あはは。いつの話してるの? わたしの方こそ、いろんなことを黙っててごめんね。……それより、これから文化祭を見て回るの、楽しみだね!」
沙世子は今、クラスの出し物の関係で二年B組の教室にいる。頃合いを見て迎えに行き、三人で校内を回る予定だ。
「ねぇ、三年C組の焼きそば屋と、サッカー部のフランクフルト屋には必ず行こうね。あと、先生方が駄菓子屋さんやってるんだって。それも行きたい! あとはかき氷と、パスタと、あんみつもね!」
寝そべっていた貴島が、ガバッと起き上がって言う。
「行きたいなら付き合うが、そんなに食べられるのか。……草、ついてるぞ」
僕は貴島の髪に引っかかっていた芝生をそっと取った。
トレードマークのおかっぱヘアは、あちこちがぴょんぴょん跳ねている。ここ最近はずっとこんな感じで、寝癖がひどい。
まぁ、貴島は『稲高のお笑い芸人』だ。髪型が多少おかしくても、ご愛敬といったところだろう。
「宏樹くん、一つ聞いていいかな」
貴島は座ったまま自分の膝を抱えた。
「何だ」
「あのさ、宏樹くんて――沙世子のこと、好きでしょ」
心臓が誰かに掴まれたようにぎゅっと縮み、反動で一気に膨れた。
咄嗟に言葉が出てこなかった。僕はしばらくしてぶはっと息を吐き、やっとのことで「は?!」と声を発して目を見開く。
貴島は僕の方ににじり寄り、じとーっと顔を覗き込んできた。
「宏樹くん、耳まで真っ赤だよ。めちゃくちゃ動揺してるじゃん。やっぱり、沙世子のことが好きなんだね」
「な、何言ってるんだよ。僕は……僕は、えーと」
「はっきりしないなぁ。好きなの? 嫌いなの?」
「いや……えーと……」
人生最速のペースで脈打つ胸を押さえながら、深く呼吸する。
僕にとって、沙世子は大事な幼馴染みだ。昔からずっと一緒にいたし、この先も離れたくない。
でも、この気持ちは『幼馴染みだから』の一言で説明が付くのだろうか。
僕は沙世子の一挙手一投足が気になる。沙世子が悲しそうな顔をしていたら心が締め付けられるし、嬉しそうにしていると破顔してしまう。
沙世子のことを考えただけで、自分の鼓動すら制御できなくなるんだ。今みたいに。
この気持ちの正体は……。
「あのね、前にも言ったかもしれないけど、わたしと二人でいるとき、沙世子は宏樹くんの話ばかりするんだよ」
貴島が遠くを見つめて口を開いた。
「沙世子は僕のどんな話をするんだ」
大変な目に遭っているときに連絡一つ寄越さない薄情な幼馴染み……とでも言っていたのだろうか。
「昔お泊まり会をしたとか、絵を見てもらったとか、そういう話だよ。沙世子って美人でクールでちょっと近寄りがたい雰囲気があったし、他の人のことなんて興味がないと思ってた。実際、宏樹くんが転校してくるまで、誰かの話題を自分から口にしたことなんてなかったんだよ。そんな沙世子が、聞いてもいないのに宏樹くんのことを話してて、わたし、ちょっとびっくりしちゃった。沙世子の頭の中には、いつも宏樹くんがいたんだと思う。離れ離れになっている間も、ずっとね」
胸のあたりがじんわりと温かくなった。自然と頬も緩んでくる。
すると貴島は、そんな僕にビシッと人差し指を向けた。
「宏樹くん、今、すごーく嬉しそうな顔してる。沙世子が話題にしてたってだけでその表情。分かりやすーい!」
「えっ!」
僕は慌てて口元に手を当てたが、もう遅い。
「やっぱり宏樹くんは沙世子のこと、好きなんだよね。幼馴染みとしてじゃなく、女の子として。――そうなんでしょ!」
「……ああ、好きだ」
僕はとうとう頷いた。
落ち着いて向き合ってみて、やっと自分の気持ちに気が付いた。自覚するのが少し遅すぎたな。
沙世子のことが、こんなにも好きだったのに。
「よし、じゃあ告白しよう、宏樹くん!」
「――は、はあ?!」
貴島の突然の発言に、僕はずっこけそうになった。すんでのところで堪えて、首を左右に振る。
「告白とか、何言ってるんだよ。玉砕するに決まってる」
「えー、そうかな。沙世子も宏樹くんのこと好きだと思うよ。さっきも言ったけど、他の子のことは気にも留めてないのに、宏樹くんの話はするし」
「それは幼馴染みだからだろ。沙世子は美人だし、僕みたいな取り柄のない奴が告白しても、振られるだけだ……」
自分の身の程は、自分が一番よく分かっている。
以前に貴島が話していたが、沙世子は『サッカー部のエースで超イケメン』から告白されても断ったんだ。
僕なんて、もっと相手にされないのでは……。
「宏樹くん、このまま何もしなくていいの?!」
貴島が僕の背中をパァンとはたいた。
軽い痛みと衝撃で、俯きがちだった顔が上がる。
「何も言わなかったら、一生伝わらないよ。宏樹くんの気持ちが無駄になるなんて、わたしは嫌だよ!」
「貴島……」
「それにね、沙世子を笑顔にできるのは宏樹くんだけだと思う。宏樹くんと沙世子には、わたしよりも百倍……ううん、もっともっと幸せになってほしいの。二人のこと、大好きだから!」
僕を見つめる貴島の眼差しは、強くてまっすくだ。言葉の一つ一つが心に染み込んできて、温かく包んでくれる気がする。
何も言わなかったら、一生伝わらない。その通りだ。
僕は沙世子の傍にいたい。ただの幼馴染みとしてではなく。
「……分かった。沙世子に告白する」
「ホント?!」
目の前で、向日葵のような笑顔が咲き誇った。
貴島は「やった、やった」と大喜びでその場を駆け回ったあと、もとの場所に戻ってきて僕の腕をぐいぐい引っ張る。
「よーし、じゃあ早速『好き』って伝えちゃおう。今日これから、宏樹くんと沙世子を二人っきりにしてあげる!」
「え、待て。今日?!」
貴島に引っ張られて立ち上がった僕は、そのまま盛大に顔を顰めた。いくらなんでも気が早すぎるだろ。
「善は急げって言うでしょ。人形劇部の発表も終わったことだし、ちょうどいいって。ねぇ宏樹くん、告白しちゃいなよ。ねぇねぇ、ねぇってば~!」
腕を掴まれ、ひたすら身体を揺さぶられる。
放っておいたらずっとこのままだろう。何せ今まで、猪猛進タイプの貴島に巻き込まれ続けてきたんだ。
第二視聴覚室から引っ張り出されたことからすべてが始まった。そして今……僕は沙世子に対する気持ちをやっと自覚した。貴島のお陰で。
「あー、分かった分かった! やればいいんだろ。分かったから、いい加減に腕を離してくれ!」
「え、今日告白するの?!」
「……するよ」
こうなったら、覚悟を決めるしかない。
「わーい! そうこなくっちゃ!」
貴島は僕の腕を解放してニンマリと笑みを浮かべた。
完全に押し切られた形だが、怒る気にはなれない。『二人のこと、大好き』なんて言われたらなぁ……。
「そろそろ時間だし、宏樹くんは沙世子を迎えに行きなよ。わたしは藤也さんと亨と、三人で文化祭を回るから気にしないで。……あ、イナライガーも一緒だから四人か」
「イナライガー? あいつ、まだ学校の中にいるのか」
「うん。あちこちのクラスで呼び込み係を任されちゃったみたいで、文化祭の終わりまでその辺を歩いてるはずだよ」
イナライガーの仕事は商店街の宣伝だ。こんなところで一日じゅう油を売っていていいのだろうか。中の人に報酬が発生していたら問題になりそうな気がする。それとも、ボランティアなのか……?
ひたすら心の中で突っ込んでいると、貴島が肩をポンと叩いてきた。
「宏樹くん。早く沙世子を迎えに行っておいでよ。ほらほら!」
そのまま背中をぐいぐい押される。
「わっ、やめろ。転ぶだろ。ちゃんと行くから押すなって」
前につんのめりそうになりながらも、足を一歩踏み出す。
貴島の「告白頑張ってねー!」という声援を背中に受けながら、僕は改めて気合いを入れ直していた。
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