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CHAPTER7 君の決意

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「貴島、誕生日おめでとう」
「私たちからプレゼントがあるの。受け取って」
 その日の夜、僕と沙世子はアクアワールドのショップで買ったものを貴島に渡した。
 プレゼントの包みは直前まで僕のリュックに入れて隠しておいた。夕飯のあとにサプライズだ。
「ええぇぇぇぇー、嘘! わたしにくれるの……?」
 誕生日には数時間早かったが、貴島はリボンのかかった袋を胸にかき抱いて飛び上がった。早速開封して、まずは例のメンダコのぬいぐるみを手に取る。
「わぁー、これかわいい! メンダコだよね?!」
「なんか、朱夏ちゃんに似てるな」
 藤也さんが少し噴き出した。
 その藤也さんと人形劇部の三人組は、広いリビングのソファーで寛いでいる。もう夜の九時を過ぎていて、亨くんと由麻ちゃんは就寝中だ。
「ふーん。朱夏ちゃんは明日が誕生日なのか。俺も何かプレゼントしないとな」
 コーヒーの入ったマグカップを片手に藤也さんが言うと、貴島はぶんぶん首を横に振った。
「えー、そんな。お気持ちだけでいいですよ~」
「そうだ、午前中にケーキでも買ってくるか」
「ケーキ?! わたし、イチゴショートが好きです!」
 お気持ちだけでよかったんじゃないのか、貴島。
 ちなみに、合宿は明日で終わりだ。午後三時には別荘から撤収して、帰路につくことになっている。
「あれ、袋の中、まだ何かある」
 貴島は再びプレゼントの包みを覗き込み、入っていたものを取り出した。途端に、パッと笑みを浮かべる。
「メンダコの次は、シャチだ~!」
 僕と沙世子が選んだもう一つのプレゼントは、シャチのマスコットがついたキーホルダーだった。
 手の平に載るくらいの大きさの布製のマスコットを、ボールチェーンで鍵や鞄の持ち手などに繋ぐ形だ。
「それ、私と宏樹も買ったのよ」
 沙世子の手の上にも小さなシャチが載っていた。僕もポケットから同じものを引っ張り出す。
 このシャチは僕のアイディアだ。「貴島へのプレゼントを兼ねて、人形劇部のメンバーで何かお揃いのものを買おう」と提案した。
「うわー、お揃いとか、すっごく嬉しい! 三人でスクールバッグにつけようよ!」
 貴島は小さなシャチに頬ずりした。
 それから、改まった様子で僕と沙世子に向き直る。
「沙世子、宏樹くん、ありがとう。プレゼント、大事にするね。……わたしの一生の中で、一番嬉しい誕生日だよ」
 どんぐりみたいな瞳が潤んでいた。貴島はそのまま堪えきれずに俯いて、洟をすする。
「朱夏、これ使って」
 沙世子がすぐさまハンカチを差し出した。
 藤也さんは貴島の肩をポンと叩いて、ニッと笑う。
「朱夏ちゃん。一生で一番って決めつけるのはまだ早いぞ。誕生日は、来年もあるんだからな」
「来年……」
 貴島は涙の残る顔を上げて、ポツリと呟いた。
「そうそう。来年、またここで朱夏ちゃんの誕生日を祝おう。今年より喜ばせてみせるから、覚悟しとけよ」
「そうよ、朱夏。来年もみんなで集まりましょう」
 藤也さんと沙世子が明るい口調で言った。もちろん、僕も頷いてみせる。
「来年――来年かぁ……。うん、そうだね」
 貴島は涙を拭いて、口角を引き上げた。
 いつもの向日葵のような笑顔ではなく、少し影があるように見えるのは、泣いたばかりだからだろうか。
「お姉ちゃーん、喉乾いた」
 そのとき、リビングに亨くんが入ってきた。小脇に何か、画用紙のようなものを抱えている。
「亨、寝たんじゃなかったの」
 貴島は驚いた顔をしつつも、弟を手招きして自分の隣に座らせた。
「一回寝たけど、少し前に起きちゃった。宿題してたー」
 亨くんはここに夏休みの宿題を持ち込んでいて、僕らが稽古をしている間にちょこちょこと取り組んでいる。
「宿題って、算数ドリルとかかい?」
 藤也さんがキッチンからお茶の入ったグラスを持ってきて、亨くんに差し出しながら聞いた。
「算数ドリルは昨日終わったよ。分からないところがあったけど、宏樹お兄ちゃんに教えてもらったら、すぐできた!」
「へぇ。さすがは宏樹くんだなぁ。そういえば、数学が得意なんだっけ」
 感心したような口調で言う藤也さんに相槌を打ったのは、僕ではなく貴島だった。
「そうなんですよ。宏樹くんはすごいんです! わたしもテスト勉強見てもらったけど、とっても分かりやすかった~! もう、数学の天才って感じ。ね、沙世子」
 視線を向けられた沙世子は、小さく頷いた。
 僕は少し照れて、それを誤魔化すためにわざとらしく眼鏡を押し上げる。
「天才って、大袈裟だろ。単に数学が好きなだけだ」
「ううん、大袈裟なんかじゃないよ。『好き』って、すごいことだよ」
 貴島がぐっと身を乗り出す。
 向けられた瞳の奥に、小さな光が宿っていた。その輝きは純粋無垢で、僕は目が逸らせない。
「好きっていう感情は強いの。好きなものがあれば……好きな人がいれば、もうそれだけで生きていけるんだよ。何かを好きになれたなら、それだけで才能があるんだと思う。だから、宏樹くんはすごい!」
 力説する貴島に、藤也さんも同意した。
「朱夏ちゃんの言う通り、『好き』は強いよな。何かを好きになることは、その道を究める原動力だ。俺も好きってだけで人形作りをしてるわけだし」
「『好き』は、強い……」
 沙世子が独り言のように呟く。
 僕も同じ言葉を心の中で何度も反芻した。『好き』は、強い。『好き』は、強い。『好き』は、強い……。
「あのね、お姉ちゃん。ぼく、さっきまで、向こうの部屋でこれ描いてたんだよ」
 少しその場が静かになったところで、亨くんがずっと小脇に抱えていたものをばさりと広げた。
 画用紙の上半分にクレヨンで絵が描かれていて、下半分には文章が綴られている。夏休みの絵日記のようだ。
「あ、鴨川アクアワールドに行ったときの絵だねー。上手い上手い」
 上半分に描かれていたのはシャチの絵だ。アクアワールドのショーで勢いよく飛び跳ねている場面を切り取ったものらしい。
 周りには人物が描いてある。おそらく、ショーを見ている僕たちだろう。
 貴島は手放しで褒めた。僕から見ても十分に素晴らしい絵だと思う。だけど、亨くん自身は「むー」と不満げに唇を尖らせた。
「この絵、何か違う。やり直したい! ぼくが見たシャチは、もっとすごかったんだ。ねぇお姉ちゃん、どうやって描いたら『すごいシャチ』になる?」
「えー、わたしはこれでも十分上手いと思うけどなぁ。っていうか『すごいシャチ』って何? 亨は、この絵のどこをどう直したいの?」
「それが分からないんだよー。だからお姉ちゃんに聞いてるんだってば」
 姉弟きょうだいのやり取りをそこまで聞いて、僕はようやく重大なことを思い出した。
 目の前で広げられている絵……沙世子は大丈夫だろうか。
 慌てて振り返ると、案の定、華奢な肩が震えていた。沙世子は左手の傷を右手で覆い、唇を噛み締めている。
 やはり、絵を見て父親との件を思い出してしまったようだ。
 画用紙をしまってもらうか、沙世子をどこか別の場所に連れていくか……。
 迷った挙句、決めきれなかった。僕はとりあえず、今にも倒れてしまいそうな細い身体を支えようと手を伸ばす。
 だが指先が触れる直前、沙世子はケロイドの残る左手をぐっと握り締めた。
「亨くん。その絵、ちょっと私に見せてくれるかしら」
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