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29章 相容れない人
第1話 だからこその友情
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「かんぱーい!」
「かんぱぁ~い」
土曜日の夕方、そう言いながら生ビールのグラスを重ねるのは、常連さんの坂巻さんと渥美ナナオ、本名渥美悟さんだ。
おふたりはとあるバーで知り合ったらしい。各々適当に食事を摂ったあとにバーで落ち合っていたのだが、どうにも馬が合う様で、なら夕飯も一緒にしようと言う話になったのだそう。
もともと煮物屋さんの常連さんだった坂巻さんが、ナナオさんをお連れしたのだった。
ナナオさんは煮物屋さんのシステムに目を丸くしつつも、味を気に入ってくださり、それからふたりで時折来てくださる様になった。
ナナオ、と言うのは通称だ。戸籍や住民票にはばっちり「悟」と記載される。
男性の身体を持ちながら心が女性のナナオさんは、某女優さんへの憧れもあって、この名を名乗る様になった。
基本お名前を存じている常連さんは苗字でお呼びするのだが、ご本人の希望もあってナナオさんと呼ばせていただいている。
身長こそ男性並みに高いナナオさんだが、ほっそりとした身体はしなやかで、背中まで伸びた髪はお手入れを怠らないのか、黒々と輝いている。
お気に入りなのだろうか、いつもロングのスカートかワンピースで身を包んでいて、それがとても似合っていた。もともと中性的なお顔立ちなのだ。
そしてご一緒の坂巻さんも端正な容姿をお持ちだった。きっと女性人気も高いのだろう。
坂巻さんとナナオさんは競う様に生ビールを傾け、ごっごっごっと喉を鳴らす。そしてほぼ同時に「ぷはぁ!」「はぁ~」と溜め息を吐いた。
「やっぱり生ビール旨ぇ! 煮物屋さんが生ビール始めてくれた時には、よっしゃって思ったぜ」
「ふふ、私もよぉ。瓶ビールも渋くて良いけど、なんだか生ビールってお外で飲める特別なものって感じがするのよねぇ~」
「分かるぜ」
坂巻さんは言って、にっと口角を上げた。
おふたりの分でサーバのビールが切れたので、佳鳴が新しいボトルに入れ替える。
「店長さんたちは大変そうだけどな」
くくっと笑いながらそんなことを言う坂巻さん。佳鳴は「あら」と微笑む。
「もう大分慣れましたよ。業務用の大きいのに比べたら、入れ替えも楽ですしね」
大容量の業務用なら、そう頻繁に取り替える必要が無い。だが煮物屋さんで使っている家庭用は2リットルが最大だ。
「確かに他の居酒屋とかで樽の入れ替え見ることもあるけどよ、あれ重そうでさぁ、女性とか特に大変そうだもんなぁ。ここのだとそうでもねぇか」
「はい。重さは2キロぐらいですから」
佳鳴は言いながらサーバの栓を閉めた。横で千隼が整えたお料理をおふたりにお出しする。
「お待たせしました」
今日のメインは海老と大根、白菜と椎茸の煮物だ。彩りに茹でたほうれん草を添えている。
臭みを抜いた海老に塩を振って小麦粉をまぶし、表面を焼き付け、煮たお野菜に加えて優しい火加減で煮て行く。
ベースは昆布と鰹の合わせ出汁だが、そこに炒めた海老の頭や殼を入れふんだんに旨味を煮出して煮汁にしている。
味付けはお酒やお醤油などいつもとそう変わらないのだが、海老のしっかりとした風味が豊かな味わいを醸し出している。
厚めのいちょう切りにした大根にはしっかりと煮汁が沁み込み、とろっとろになった白菜や椎茸にはしっとりと絡む。海老にまぶした小麦粉のお陰で煮汁にほのかなとろみが付いて、素材が蓄えるのだ。
小鉢のひとつはパプリカのマスタード炒めだ。太めの千切りにした赤と黄色のパプリカを、粒マスタードで炒めている。
味付けにはコンソメ顆粒を使うのだが、煮切ったみりんとお醤油も加えるので、ちゃんと和食の風味になる。
ぴりっとした粒マスタードがパプリカの甘さを生かし、良い味わいの一品になるのだ。
小鉢のもうひとつは厚揚げの生姜醤油煮である。お出汁にみりんやお醤油などで味を付けて、たっぷりの千切り生姜を加えて厚揚げを煮るのである。
厚揚げの表面から出る甘みと生姜の風味が厚揚げの切り口から沁み込み、さっぱりとしつつも旨味のある一品に仕上がった。
「今日も旨そうだな」
「ええ。楽しみだわぁ。いただきま~す」
「いただきます」
坂巻さんとナナオさんは揃ってお箸を取ると、まるで示し合わせた様にパプリカの小鉢を持ち上げた。
口に運び、しゃくしゃくと音を立てながらじっくりと味わっている。
「美味しい~。不思議、粒マスタードなのに、和食って感じがするのよねぇ」
「本当だな」
「味付けにみりんとお醤油も使っていますからね。だからだと思いますよ」
佳鳴が言うと、おふたりは目を丸くして「なるほどね~」「なるほどな」と口を揃えた。
「そうよね。メインの煮物と合う様に作っているのよね。あ、厚揚げ生姜が効いてて良いわねぇ」
「煮物も安定の旨さだよな。白菜って歯ごたえ残ったしゃきしゃきしたのも旨いけど、煮物とかにするんだったら、やっぱりとろっとしたのが俺は好きだな」
「煮汁にとろみが付いてるから、しっかり味が絡んで美味しいわよねぇ~。海老の風味が凄い」
坂巻さんとナナオさんは感想を言いながら、お料理を次々と口にし、生ビールを傾けては満足げに頬を緩めた。
「家でだったらこんなに作るの面倒だしねぇ」
「なんだよ、女だったらそこ面倒がるなよ」
「あ、坂巻くんそれセクハラ~。男性でもお仕事面倒だって思うことあるでしょ? それと一緒よぅ。私料理するのは好きだからできるだけ自炊する様にしてるけど、だからこそ上げ膳据え膳が幸せだって思うのよ。だから煮物屋さんでいただくご飯は本当にご馳走なの。坂巻くんは作らないんでしょ?」
「ああ。俺はもっぱら外食か弁当かコンビニだな。そう思うと確かに毎日作るのって面倒臭いか」
「もちろん苦にならない人もいると思うけどねぇ。ねぇ、店長さんたちはお休みの日のご飯はどうしてるの?」
話がこちらに向いたので、佳鳴は他のお客さまのカルピスサワーを作りながら、緩やかに「そうですねぇ」と口を開く。
「家で作ることもありますし、外出したら外で食べることもありますよ。確かに上げ膳据え膳は幸せですよねぇ。うちではご飯は千隼が作ってくれるんですよ。洗い物は私で」
「わぁっ、作ってくれる人がいるなんて羨ましい~」
ナナオさんは心底そう思っている様に言って、天を仰いだ。
「だーから、ナナオも早く彼氏見つけろよ。作ってくれるかも知れねぇぞ」
坂巻さんの軽口に、ナナオさんはぷぅと頬を膨らませる。
「そんな理由で彼氏は作らないわよ~。それに彼氏ができたら、多分私尽くしちゃうし」
「ああ、なるほどな。俺んとこは俺もあいつも尽くしたりするタイプじゃ無ぇからな。さばさばしたもんだ」
「互いが良ければ良いんじゃ無い?」
「まぁな。不満は無ぇよ」
坂巻さんは苦笑しつつも満更でも無い様子で、生ビールを傾けた。
ナナオさんは心が女性なのだが、坂巻さんは同性愛者なのだった。なのでさきほど坂巻さんがおっしゃった「あいつ」は同性、つまり男性の恋人のことだ。
おふたりはゲイバーなどが集まる界隈の、様々なタイプのトランスジェンダーが集うバーで知り合ったのだそうだ。
互いが恋愛対象で無いふたりは、だからこそこうして良好な友人関係が築けているのだとおっしゃっていた。
だから坂巻さんもナナオさんに煮物屋さんを紹介したのだろう。
お料理に舌鼓を打ち、お酒を飲み交わし、他愛の無い会話を楽しむ。おふたりはきっと親友とも言える間柄なのだと思う。
楽しそうに笑い合うおふたりに、佳鳴もつい笑みをこぼすのだった。
「かんぱぁ~い」
土曜日の夕方、そう言いながら生ビールのグラスを重ねるのは、常連さんの坂巻さんと渥美ナナオ、本名渥美悟さんだ。
おふたりはとあるバーで知り合ったらしい。各々適当に食事を摂ったあとにバーで落ち合っていたのだが、どうにも馬が合う様で、なら夕飯も一緒にしようと言う話になったのだそう。
もともと煮物屋さんの常連さんだった坂巻さんが、ナナオさんをお連れしたのだった。
ナナオさんは煮物屋さんのシステムに目を丸くしつつも、味を気に入ってくださり、それからふたりで時折来てくださる様になった。
ナナオ、と言うのは通称だ。戸籍や住民票にはばっちり「悟」と記載される。
男性の身体を持ちながら心が女性のナナオさんは、某女優さんへの憧れもあって、この名を名乗る様になった。
基本お名前を存じている常連さんは苗字でお呼びするのだが、ご本人の希望もあってナナオさんと呼ばせていただいている。
身長こそ男性並みに高いナナオさんだが、ほっそりとした身体はしなやかで、背中まで伸びた髪はお手入れを怠らないのか、黒々と輝いている。
お気に入りなのだろうか、いつもロングのスカートかワンピースで身を包んでいて、それがとても似合っていた。もともと中性的なお顔立ちなのだ。
そしてご一緒の坂巻さんも端正な容姿をお持ちだった。きっと女性人気も高いのだろう。
坂巻さんとナナオさんは競う様に生ビールを傾け、ごっごっごっと喉を鳴らす。そしてほぼ同時に「ぷはぁ!」「はぁ~」と溜め息を吐いた。
「やっぱり生ビール旨ぇ! 煮物屋さんが生ビール始めてくれた時には、よっしゃって思ったぜ」
「ふふ、私もよぉ。瓶ビールも渋くて良いけど、なんだか生ビールってお外で飲める特別なものって感じがするのよねぇ~」
「分かるぜ」
坂巻さんは言って、にっと口角を上げた。
おふたりの分でサーバのビールが切れたので、佳鳴が新しいボトルに入れ替える。
「店長さんたちは大変そうだけどな」
くくっと笑いながらそんなことを言う坂巻さん。佳鳴は「あら」と微笑む。
「もう大分慣れましたよ。業務用の大きいのに比べたら、入れ替えも楽ですしね」
大容量の業務用なら、そう頻繁に取り替える必要が無い。だが煮物屋さんで使っている家庭用は2リットルが最大だ。
「確かに他の居酒屋とかで樽の入れ替え見ることもあるけどよ、あれ重そうでさぁ、女性とか特に大変そうだもんなぁ。ここのだとそうでもねぇか」
「はい。重さは2キロぐらいですから」
佳鳴は言いながらサーバの栓を閉めた。横で千隼が整えたお料理をおふたりにお出しする。
「お待たせしました」
今日のメインは海老と大根、白菜と椎茸の煮物だ。彩りに茹でたほうれん草を添えている。
臭みを抜いた海老に塩を振って小麦粉をまぶし、表面を焼き付け、煮たお野菜に加えて優しい火加減で煮て行く。
ベースは昆布と鰹の合わせ出汁だが、そこに炒めた海老の頭や殼を入れふんだんに旨味を煮出して煮汁にしている。
味付けはお酒やお醤油などいつもとそう変わらないのだが、海老のしっかりとした風味が豊かな味わいを醸し出している。
厚めのいちょう切りにした大根にはしっかりと煮汁が沁み込み、とろっとろになった白菜や椎茸にはしっとりと絡む。海老にまぶした小麦粉のお陰で煮汁にほのかなとろみが付いて、素材が蓄えるのだ。
小鉢のひとつはパプリカのマスタード炒めだ。太めの千切りにした赤と黄色のパプリカを、粒マスタードで炒めている。
味付けにはコンソメ顆粒を使うのだが、煮切ったみりんとお醤油も加えるので、ちゃんと和食の風味になる。
ぴりっとした粒マスタードがパプリカの甘さを生かし、良い味わいの一品になるのだ。
小鉢のもうひとつは厚揚げの生姜醤油煮である。お出汁にみりんやお醤油などで味を付けて、たっぷりの千切り生姜を加えて厚揚げを煮るのである。
厚揚げの表面から出る甘みと生姜の風味が厚揚げの切り口から沁み込み、さっぱりとしつつも旨味のある一品に仕上がった。
「今日も旨そうだな」
「ええ。楽しみだわぁ。いただきま~す」
「いただきます」
坂巻さんとナナオさんは揃ってお箸を取ると、まるで示し合わせた様にパプリカの小鉢を持ち上げた。
口に運び、しゃくしゃくと音を立てながらじっくりと味わっている。
「美味しい~。不思議、粒マスタードなのに、和食って感じがするのよねぇ」
「本当だな」
「味付けにみりんとお醤油も使っていますからね。だからだと思いますよ」
佳鳴が言うと、おふたりは目を丸くして「なるほどね~」「なるほどな」と口を揃えた。
「そうよね。メインの煮物と合う様に作っているのよね。あ、厚揚げ生姜が効いてて良いわねぇ」
「煮物も安定の旨さだよな。白菜って歯ごたえ残ったしゃきしゃきしたのも旨いけど、煮物とかにするんだったら、やっぱりとろっとしたのが俺は好きだな」
「煮汁にとろみが付いてるから、しっかり味が絡んで美味しいわよねぇ~。海老の風味が凄い」
坂巻さんとナナオさんは感想を言いながら、お料理を次々と口にし、生ビールを傾けては満足げに頬を緩めた。
「家でだったらこんなに作るの面倒だしねぇ」
「なんだよ、女だったらそこ面倒がるなよ」
「あ、坂巻くんそれセクハラ~。男性でもお仕事面倒だって思うことあるでしょ? それと一緒よぅ。私料理するのは好きだからできるだけ自炊する様にしてるけど、だからこそ上げ膳据え膳が幸せだって思うのよ。だから煮物屋さんでいただくご飯は本当にご馳走なの。坂巻くんは作らないんでしょ?」
「ああ。俺はもっぱら外食か弁当かコンビニだな。そう思うと確かに毎日作るのって面倒臭いか」
「もちろん苦にならない人もいると思うけどねぇ。ねぇ、店長さんたちはお休みの日のご飯はどうしてるの?」
話がこちらに向いたので、佳鳴は他のお客さまのカルピスサワーを作りながら、緩やかに「そうですねぇ」と口を開く。
「家で作ることもありますし、外出したら外で食べることもありますよ。確かに上げ膳据え膳は幸せですよねぇ。うちではご飯は千隼が作ってくれるんですよ。洗い物は私で」
「わぁっ、作ってくれる人がいるなんて羨ましい~」
ナナオさんは心底そう思っている様に言って、天を仰いだ。
「だーから、ナナオも早く彼氏見つけろよ。作ってくれるかも知れねぇぞ」
坂巻さんの軽口に、ナナオさんはぷぅと頬を膨らませる。
「そんな理由で彼氏は作らないわよ~。それに彼氏ができたら、多分私尽くしちゃうし」
「ああ、なるほどな。俺んとこは俺もあいつも尽くしたりするタイプじゃ無ぇからな。さばさばしたもんだ」
「互いが良ければ良いんじゃ無い?」
「まぁな。不満は無ぇよ」
坂巻さんは苦笑しつつも満更でも無い様子で、生ビールを傾けた。
ナナオさんは心が女性なのだが、坂巻さんは同性愛者なのだった。なのでさきほど坂巻さんがおっしゃった「あいつ」は同性、つまり男性の恋人のことだ。
おふたりはゲイバーなどが集まる界隈の、様々なタイプのトランスジェンダーが集うバーで知り合ったのだそうだ。
互いが恋愛対象で無いふたりは、だからこそこうして良好な友人関係が築けているのだとおっしゃっていた。
だから坂巻さんもナナオさんに煮物屋さんを紹介したのだろう。
お料理に舌鼓を打ち、お酒を飲み交わし、他愛の無い会話を楽しむ。おふたりはきっと親友とも言える間柄なのだと思う。
楽しそうに笑い合うおふたりに、佳鳴もつい笑みをこぼすのだった。
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