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22章 家族になれる条件

第4話 大切な家族だから

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 買い物を終えて煮物屋さんに帰り着き、仕入れた材料を店に運ぶと、佳鳴かなるは急いで居住スペースに上がりシャワーを浴びて着替えた。

 数日外にいたであろう動物を抱いたのである。そのままで飲食店に立つことはできない。

 ドライヤーで髪を乾かしながら、佳鳴は髪が短くて良かったとしみじみ思った。

 慌てて煮物屋さんの厨房に降りると、千隼ちはやはすでに支度を始めている。

「ごめんね、お待たせ」

「おう。ひじき戻してるぞ。タイマーセットしてる」

「ありがとう。あと5分ね」

 そして佳鳴もエプロンを着け腕まくりをして、支度に加わった。



 仕込みの時間がやや少なくなってしまったが、どうにか開店時間に間に合わせることができた。

 しばらくすると、笑顔の沢渡さわたりさんがひとりの若い男性を伴って訪れた。

「いらっしゃいませ」

「いらっしゃいませー」

「よう。昼は本当にありがとうな。助かった」

 沢渡さんが軽く手を挙げて言うと、一緒にいた男性が「ありがとうございました!」とがばっと深く腰を折った。他のお客さまが何事かと驚いた顔を上げる。

「あ、すいません! お騒がせしてすいません!」

 男性は慌てて方々に頭を下げた。

「とりあえず松下まつしたさん、座ろうぜ」

「は、はい」

 男性は焦ったまま沢渡さんが引いた椅子に掛けた。沢渡さんもその横に腰を降ろす。佳鳴はおふたりにおしぼりをお渡しした。

「ありがとうな」

「ありがとうございます」

 おふたりは手を拭いて、沢渡さんは顔も拭いて、落ち着いた様に「ふぅ」と息を吐いた。

「店長さん、ハヤさん、この人な、松下さん。マリンちゃんの飼い主だ。さっき仕事終わりの松下さんと待ち合わせして、店長さんたちに確保してもらった犬見せたらマリンちゃんだった。人懐っこい犬だなって思ってたけど、やっぱり飼い主の松下さん相手だと尻尾振るのも凄かったよ」

「そうなんですね。本当に良かったです」

 佳鳴も千隼もふわりと笑みを浮かべる。きっとマリンちゃんも飼い主さん、松下さんに会いたかったのだろう。

「あの、本当にありがとうございました。沢渡さんに聞いて、ぜひおふたりにお礼がしたいって、連れて来てもらいました。週末市場のお肉屋さんにもお礼に行くつもりです」

「いえいえ。そんなお気になさらないでください。私たちも偶然でしたし、弟がマリンちゃんの声に気付かなかったら、そのままその場を去ってしまっていたと思いますし」

「僕もたまたま聞こえただけでしたから。肉屋の茹でささみが良かったんですよ」

「いえ、本当に見付けてもらえてラッキーでした。あんなところまで行ってるなんて思わなくて。もともと好奇心が強い子みたいなんですけど、ドア開けた瞬間に走って出て行っちゃって、僕の足じゃ追い付けなくて、見失っちゃったんです」

「ちらし貼る範囲広げて、いよいよ罠置かなきゃいけないかなって思ってたところだったからさぁ。せずに済んで良かったよ。あれあんまり動物に良く無いらしいからさぁ。あ、注文だな。松下さんはどうする?」

 沢渡さんは既に松下さんに煮物屋さんの注文方法を説明されている様だ。

「飲み物のメニューを見せてもらって良いですか?」

「はいよ。俺はハイボールよろしくな」

 沢渡さんが松下さんにドリンクメニューを渡しながら注文をする。松下さんもざっとメニューを眺めて「じゃあ僕は酎ハイのライムをお願いします」と言った。

「はい。お待ちくださいね」

 佳鳴が飲み物を作り、千隼が食事を用意する。

 今日のメインは鶏むね肉とお揚げと野菜の煮物だ。昆布とかつおのお出汁でざく切りにしたきゃべつと短冊切りの人参、厚めにスライスした椎茸と油抜きしたお揚げを煮て、そこにそぎ切りして下味を付けて小麦粉を叩いた鶏むね肉を入れる。

 味付けは砂糖と酒、薄口醤油であっさりと。小麦粉をまとった鶏むね肉は柔らかく煮上がっている。煮汁に柔らかなとろみが付いた一品だ。

 小鉢ひとつめは長ひじきとツナのサラダだ。戻した長ひじきをさっと茹でてしっかりと水気を切り、オイルを切ったツナと合わせ、ドレッシングは塩とこしょう、少量のマヨネーズ。ツナがオイル漬けのものなので、しつこくならない様に気を付けた。

 もうひとつは突きこんにゃくといんげん豆のきんぴらだ。あく抜きした突きこんにゃくと、こんにゃくに長さを合わせて切ったいんげん豆をごま油で炒め、酒とみりん、醤油で味を整えて、白すりごまをたっぷりと振った。

 小鉢はいつもの様に佳鳴が作ったのだが、今日は少し時間が少なくなってしまったので、あまり包丁を使わずに作れる献立になった。だがいつもの様に心を込めて作らせてもらった。

「お待たせしました」

 飲み物に続けて料理もお出しすると、松下さんは「わぁ」と顔を綻ばせる。

「美味しそうですね! あったかそうで、良いなぁ」

 松下さんは言って目元をぬぐう。するとそこからほろっと涙がこぼれた。佳鳴も千隼も驚いて手が止まってしまう。

「松下さん」

 沢渡さんが優しく呼んで、松下さんの背中を労わる様にぽんぽんと叩く。松下さんはふるっと両肩を震わせて、おしぼりで涙を拭って目をしばたかせた。

「大丈夫です。すいません。僕、こんなあったかそうなご飯が食べたかったなぁって」

 松下さんは言って、両手でそっと煮物の器を包んだ。それは確かに物理的に温かいものであるが、そういうことを仰っているのでは無いことは佳鳴にも千隼にも判る。

「まぁ食え食え。ここの飯旨いぜ」

「は、はい」

 松下さんは箸を取ると、まず煮物に手を伸ばす。鶏むね肉ときゃべつを重ねて口に運んでゆっくりと噛み締めると、「美味しいなぁ~あったかい~」と満たされた様にきゅっと目を閉じた。

「店長さんハヤさん、松下さんは前も俺のお客さんだったんだけどさ、そっちはまぁ、あれだ」

 沢渡さんは普段浮気・不倫調査が多いとのことなので、そういうことなのだろう。過失が松下さんのものなのかお相手のものなのかは、聞かないし聞けないが。

 なので佳鳴も千隼も「大変でしたね」と言うにとどめるしか無い。

「いえ。すいません。僕結婚していたんですけど、相手が、もう元が付きますね、元相手が家事を全然しない人で」

「以前の奥さまもお仕事をされていたんですか?」

「はい。なので家事は分担しようね、ご飯は元相手、掃除は僕、洗濯は週末に一緒にって話をして結婚したんです。でも「疲れてる」って何もしなくて。ご飯の用意はしてくれるんですけど、朝は買って来た惣菜パンで、それは良いんですけど、夕飯は全部冷凍食品かレトルトで、洗い物も全部押し付けられました。仕事後で疲れてるのは僕も一緒です。だから協力しようねって話だったんですけど、言うとキレられて怒鳴られてしまって」

「それは、大変でしたね」

 佳鳴がまなじりを下げると、松下さんは「本当に」とうなだれる。

「週末の洗濯も結局僕が全部やってました。元相手はリビングでスマホ見てだらだらしてましたよ。洗濯物一緒に干そうって言っても「週末ぐらいゆっくりさせろ」って言われて。そんなの僕も一緒なんですけどねぇ」

「そうですねぇ。ですから協力してってお話だったんですもんねぇ」

「はい。それでも半年がんばったんですけど限界が来て。支え合えないなら結婚してる意味無いなって。情も冷めてしまって。じゃあ離婚だって話なんですけど、なんだか腹が立って来て。それで調査会社調べて沢渡さんに辿り着いたんです。初めてのことでよく判らなかったんで地元で選びました」

「何か以前の奥さまに怪しいところでもあったんですか?」

「いえ、全然。ただの思い付きだったんです。もし元相手に何かあれば、堂々と離婚ができるぞって、それだけで。そしたら元相手の不倫が出てきちゃいました。今にして思えば第六感ってものだったのかなって」

「あら」

 佳鳴が驚きに目を開くと、松下さんは「いやぁ」と苦笑する。

「元相手、営業職だったんですけど、その隙間に相手と会っていたみたいで。帰りが遅くなるとか休日にひとりで出掛けるとか、そういうのが滅多に無かったんで、気付けなかったんです」

「いやさぁ、これはただの通説つうせつなんだけどさ、女は男の浮気にすぐ気付くけど、逆は気付かれにくいってな。これは元奥さんも巧かったと思う。俺は調査始めてから元奥さんの営業先も尾行したから、浮気相手と会うところを撮れたけど、そうじゃ無かったら分からないわなぁ」

 沢渡さんは少し顔をしかめ、息を吐く。

「確かにいつもと変わらなければ判らないものなんでしょうねぇ。こう言ってはなんですが、それですっきりとお別れすることができたんでしたら、良かったのかも知れませんねぇ」

 佳鳴が言うと、松下さんは「本当にそれです」と何度も頷く。

「浮気が情を無くすとどめでした。そうなったらもう早く別れたくて別れたくて。慰謝料とかもいらないからって。沢渡さんに弁護士さん紹介してもらって、離婚できました。ちょっと揉めましたけどね、元相手がごねて。浮気は本気じゃ無かったって。僕的には浮気もですけど、その前にもう離婚の気持ちは固まってたんで、謝られてもなぁって感じだったんです。向こうにしてみれば、家事押し付けられる便利な旦那と別れたく無かったのかも知れませんけど」

「それに関してはなぁ、元奥さんがどう思ってたかは判らないけどな。松下さんに情があって別れたく無かったのかも知れないし、でもまぁ、今更だな」

「はい。今はマリンとふたり暮らしです。ひとりだとちょっと寂しくなって。僕ひとり暮らしの経験無かったんで、思い切ってペットショップで買ったんです。保護犬とかも考えたんですけど、子犬から飼いたかったので。そしたら寂しさなんてもう全然無くて。ひとりと1匹楽しく暮らしてます。今は大事な家族ですよ」

「それは良かったですね。本当にマリンちゃんが無事に見付かって良かったです」

「本当に。毎日のご飯もマリンと一緒なので、コンビニご飯でも美味しく感じます。ご飯もね、別に僕は弁当でもコンビニでも良かったんですよ。仕事の後にご飯作るのって大変なんだろうなって思いますから。でもたまにはこんな身も心もあったまりそうなご飯が食べたかったです。週末は外食だったんですよ。良いんですけど、結局元相手は結婚してる時1回も料理らしい料理をしなかったなぁって」

「松下さんはお掃除とお洗濯、されていたんですものね」

「はい。掃除は毎日。会社から帰ってからトイレ掃除して、お風呂は入った時にやって、床はワイパー掛けて、週末には掃除機使ってって」

「どちらかに労力が大きく掛かってしまえば、どうしてもしんどいと思いますよ。なんで自分だけって思ってしまっても当然だと思います。半年も本当に良くされましたね」

 佳鳴がいたわる様に穏やかに言うと、松下さんは一瞬ぽかんとし、次にはふにゃりと表情を崩した。

「ありがとうございます。そう言ってもらえると救われます」

「本当になぁ。俺は結婚したことも無いしひとり暮らしも長いから、あんまり言えることも無いけど、他人と暮らすって難しいよな。価値観がどうとかってのも良く聞くけど、相手をどれだけ気遣えるかってのも大きいよな」

「はい。僕は他人と暮らすのは結婚生活が初めてだったんですけど、それは本当に思います。これから先再婚とかどうなるか判りませんけど、互いに気遣える女性と一緒になりたいなって思います」

「素敵な出会いがあると良いですね」

「はい。あの、家でマリンが待ってるのでそう頻繁には来れないと思いますけど、また来て良いですか? またあったかいご飯が食べたいです」

「はい、もちろんです。いつでもどうぞ。定休日は月曜日ですよ。煮物と小鉢でしたらお持ち帰りもできますから、いつでもお越しくださいね」

「あ、それは良いですね! うわぁ、毎日来ちゃいそうだ」

 嬉しそうに肩を揺する松下さんに、佳鳴は「ふふ」と小さく笑った。
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