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22章 家族になれる条件

第3話 偶然は必然

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 ほんの数日後、佳鳴かなる千隼ちはやは煮物屋さんのための買い出しに市場に向かう。

 まずはいつもの肉屋をのぞいていると「わふっ」という小さな鳴き声が千隼の耳に届いた。この様な場所には不自然な声だ。千隼は精肉の陳列棚を見ていた目を「あれ?」と上げた。

「姉ちゃん、今犬の鳴き声しなかったか?」

「え? 私には聞こえなかったよ」

 佳鳴も顔を上げてきょろきょろと辺りを見渡す。下も見るが犬の姿は見付けられなかった。

「見掛けないねぇ。でもこんなところにワンちゃんはいないでしょ。食品扱ってるんだし」

「だよなぁ。気のせいだったのかなぁ」

 千隼は首をかしげる。が、自分の中で勘違いだったと片付てふるりと首を振る。

「まぁ良いか。買い物しないとな」

「うん。今日は何にしようかな~。鶏むね肉が安いかな?」

「じゃあ小麦粉はたいて使うとかどうかな」

「良いねぇ。ん?」

 佳鳴が何かに気付いた様にぱっと顔を上げる。そして目を細めて耳を澄ました。

「千隼、やっぱり何かいるかも。私にもかすかに聞こえた。くぅん、って」

 するとふくよかな肉屋の女将おかみさんが「あれねぇ」と話に入って来る。ほぼ毎日来ているので、もうすっかり顔馴染なじみなのである。

「最近この辺りをうろついてるみたいでねぇ。まだ子犬だと思うんだけど」

「え、ワンちゃんですか?」

「そうそう。あんまり市場の中うろつかれても困るからさぁ、でもお腹空かせてたらかわいそうだから、うちの裏ででたささみ上げて追い返してるんだよ。首輪付けてるからさぁ、飼い犬が逃げたか何だかしたと思うんだけどねぇ、そんなだから保健所に電話して良いものかどうかって、市場の皆と話しててねぇ」

 佳鳴と千隼は驚いた顔を見合わせる。まさか。

「ねぇ女将さん、そのワンちゃん、犬種は何ですか? 首輪の色って分かります?」

「犬の種類? ええっとねぇ、私は犬に詳しく無くて。ええっと確か、何とかダックスって言ったかねぇ。首輪の色は、確か黄色だったよ」

 佳鳴と千隼は陳列棚のカウンタに両手を置いて、がばっと身を乗り出す。女将さんはぎょっと驚いて「なんだいなんだい」と身をらせた。

「その犬、もしかしたらうちの客が探してる犬かも知れません!」

「ええ!?」

 女将さんはまた驚く。

「それじゃあ引き止めておいてやらないとねぇ。あんたたちこっちにおいで。ほら、そこから中に入りな」

 精肉せいにくの陳列棚の左右は開いていて、そこから中に入ることができる。まだ買い物は全然できていないので佳鳴も千隼も身軽なまま、肉屋の中にお邪魔した。

「失礼します!」

「失礼します!」

 女将さんのあとに付いて作業場の奥に進むと、開かれた小さな裏口に白い作業着の男性がしゃがみこんでいて、その前でミニチュアダックスフンドが、発泡スチロールのトレイに乗せられた茹でささみを頬張っていた。

 佳鳴はスマートフォンを出し、ちらしから撮影しておいたマリンちゃんを表示させ、目の前で嬉しそうにささみを食べるミニチュアダックスと見比べる。

 茶色とクリーム2色の毛。ベースの色が茶色で、口鼻の周りや目の上、耳の下半分と尻尾の先がクリーム色だ。長さはふわふわのロング。

 そして首元にはレザー製の黄色い首輪がにぶく光っていた。

「似てるし、首輪の特徴も同じだね。千隼、沢渡さわたりさんに電話してくれる?」

「うん」

 佳鳴はたすき掛けにしたショルダーバッグに、待ち受け画面に戻したスマートフォンをしまい、それを千隼に預けたら、ミニチュアダックスフンドの横にそっと腰を降ろす。

 千隼はサコッシュからスマートフォンを取り出すと、手早く操作し電話を掛ける。いつでも電話ができる様にと、ちらしにあった沢渡さんの番号を電話帳に入れておいたのだ。

 ミニチュアダックスを大声で驚かせたりしない様に、小声で話す。

 やがてミニチュアダックスは茹でささみをすっかりと食べ尽くした。口の周りを拭う様にぺろりと舌で舐める。

 その瞬間佳鳴が両腕を伸ばす。食べ終えたこのタイミングを待っていたのだ。最中だと忍びない。だが食べ切ったらこの場から離れてしまうだろうから、それは困る。

 佳鳴は両手でミニチュアダックスを持ち上げると、そのまま胸元に抱き上げた。幸いミニチュアダックスは抵抗することも無く、すっぽりと収まってくれた。人見知りのしない、人馴れしている子の様だ。

「可愛いね~良い子だね~」

 佳鳴がミニチュアダックスの頭をそっと撫でる。するとミニチュアダックスは「くふん」と小さく鼻を鳴らした。

「ねぇ、あなたマリンちゃん?」

 佳鳴が訊くと、ミニチュアダックスは「わふっ」と吠えた。やはりこの子はマリンちゃんなのだろうか。

 その時通話を終えた千隼が戻って来た。

「沢渡さんすぐに来るって」

「分かった。私このままここでこの子抱いて待ってるよ。千隼、先に買い物しててくれる?」

「オッケー」

 すると女将さんが「ならこのままうちで預かるよ」と申し出てくれる。

「逃げない様にしてたら良いんだろう?」

「そんなお手間は掛けられません。衛生的に抱くのは駄目ですし、下に降ろしちゃったら逃げちゃうかも知れません。なので私が外に出てこのままお客さまを待ちます。お邪魔になってしまってすいません」

 佳鳴が頭を下げると、女将は「いやいやぁ」と首を振る。

「細っこいあんたひとりいたところで邪魔でも何でも無いよぉ。でも何だか悪いねぇ」

「いえ、こちらこそご迷惑をお掛けしてしまってすいません。女将さんたちが餌付えづけしてくださっていて助かりました。ありがとうございます」

「えらい人懐っこい子だからね。この辺の惣菜なんかの匂いでも嗅ぎつけたんだろうねぇ」

 女将さんが小さく息を吐いて両手を腰にやった。

「じゃあ女将さん、僕買い物行って来ます。あとで鶏むね肉買いに来ます。姉ちゃん、あとよろしくな」

「うん、よろしくね」

 千隼は女将さんにぺこりと頭を下げると、買い物に出て行った。

「さすがに犬は中に入れられないからさぁ。ごめんねぇ佳鳴ちゃん」

 女将さんが申し訳無さげに言う。佳鳴は「いいえぇ」と慌てて首を振った。

「とんでも無いです。こちらこそ軒先のきさきお借りしてしまって、ありがとうございます」

「裏口だし全然構わないよぅ。それよりもその子、お客さんが探してる犬だったら良いねぇ」

「はい」

 佳鳴は小さく頷いて、ミニチュアダックスの背中を優しく撫でた。



 しばらくしてから、小型犬用のゲージを抱えた沢渡さんが走ってやって来た。

「て、店長さん、お待たせ」

「沢渡さん。急がせてしまってすいません」

 佳鳴は頭を下げる。沢渡さんはぜいぜいと息を荒くしていた。市場までは車で来られただろうが、中を走って来てくれたのだろう。

「いやとんでもない。こっちこそ仕入れの途中に手間掛けさせてしまって」

「大丈夫ですよ。沢渡さん、この子がマリンちゃんかも知れない子です。どうですか?」

 沢渡さんは佳鳴に抱きかかえられたままのミニチュアダックスをじっと見つめる。

「うーん、多分この子だと思うんだけど。ちょっと待ってな」

 沢渡さんはビジネスバッグからタブレットを出すと、慣れた手付きで操作する。

「あのちらしに使った以外にも、飼い主から写真預かってるんだよ。えーっと」

 沢渡さんはダブレットを左右にスワイプしながら、ミニチュアダックスと見比べる。そして。

「マリンちゃん」

 ミニチュアダックスにそう呼び掛けた。するとミニチュアダックスは嬉しそうに「わふっ」と吠えた。

「うん。多分この子だ。あとは飼い主に見てもらったら確実だ。店長さんありがとう。本当に助かった」

「いえ。このお肉屋さんの方々が、迷い込んで来たマリンちゃんにご飯をあげてくれていたそうで。それが無ければ見付けられませんでした」

「じゃあこの店の人にも礼をしないとな。今度菓子折りでも持って来るか」

 すると開けっ放しになっていた裏口から女将さんが顔を覗かせた。

「佳鳴ちゃん、お客さんは来られたのかい?」

「はい。お陰さまでどうやらこのワンちゃんだったみたいです」

「ああ、そりゃあ良かった」

 女将さんは笑顔になって、こちらに寄って来た。

「あなたがここの店の方で?」

「ああ。一応女将なんてものをさせてもらってるよ」

「お陰で助かりました。ありがとうございます。また後日あらためてお礼に伺います」

 沢渡さんが深く頭を下げると、女将さんは「よしておくれよぉ」とからから笑う。

「この子、無事に飼い主さんのところに戻してあげておくれねぇ」

「はい。それはもうきっちり。本当に助かりました」

 沢渡さんは佳鳴からマリンちゃんを受け取って、「はーい、入ってな~」とゲージに入れた。



 沢渡さんがマリンちゃんを連れて帰って行き、佳鳴も女将さんに礼を行って買い物に出る。その前に千隼に電話を掛けると間も無く反応があった。

 聞いてみるといつもの八百屋さんにいるとのことなので、急いで合流する。見ると千隼が肩から掛けている大きなエコバッグは少し膨らんでいた。

「千隼、お待たせ。何買ったの?」

「豆腐屋でお揚げ。煮物用な。厚揚げにしようかなと思ったんだけど、今日はお揚げがお得だった」

「そっかぁ。じゃあ今日のお味噌汁はお揚げさんは無しで、そうだなぁ」

 佳鳴はお献立を巡らせながら、所狭しと並べられた色とりどりの新鮮なお野菜を眺めた。
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