上 下
18 / 122
5章 初めての振る舞い

第4話 たったひとつの豚汁

しおりを挟む
「お父さまに喜んでいただけて、良かったですねぇ」

 佳鳴かなるが言うと、星野ほしのさんは「はい」とはにかむ。

「本当にあんなに喜んでもらえるなんて思わなかったから、びっくりしちゃって。あの時のスーパーの定員さんにも本当に感謝だよ。何も判らずに野菜とか買ってたら、ちゃんと出来ていたかどうか。でも、作った料理を美味しいって食べてもらえるのって、すごく嬉しいことなんだね。それから僕も、誰かに手料理をごちそうになったら、美味しいって言う様にしてるよ。感謝の気持ちも込めて」

「それは良いですね。私たちも、お客さまに美味しいと仰っていただけたら、本当に嬉しいですもん」

「ここのご飯は本当に美味しいからね」

「ありがとうございます」

 その時、星野さんが何かに気付いた様に「ん」ともらし、手をジャケットの内側に添わせる。取り出されたのはスマートフォンだった。

「ああ、陽子ようこさん」

 画面を見て、星野さんは呟く。女性の名前、彼女さんだろうか。星野さんはスマートフォンを操作して、手帳型のカバーを閉じるとまた内ポケットにしまった。

「陽子さんは父の再婚相手なんだ。ご縁があって2年ほど前に」

「仲良くされてるんですね」

「そうだね。反発する様な歳でも無かったし、父が良いなら良いかなって。まぁ僕はそのタイミングで家を出たんだけどね。一緒に暮らすのは気も使うし、ふたりの邪魔もしたく無かったし」

「なるほどです」

「ただね、父は再婚しても、豚汁だけは僕の作ったものしか食べないって言うんだよね」

 星野さんは呆れた様に、だがどこか嬉しそうに溜め息を吐く。

「自分でだって作れるし、もちろん陽子さんだって作れるよ。それに陽子さんは生の野菜を使うんだから、僕が作るものより絶対に美味しいはずなのに。でも何でかな、父はそう言うんだよねぇ」

「それは、星野さんが最初に作られた豚汁が、お父さまにとって本当に美味しくて、嬉しかったからなんでしょうねぇ」

 千隼ちはやのせりふに、星野さんは「あ~」と空をあおぐ。

「やっぱり影響してると思う? そうだよねぇ。それしか考えられないよねぇ。だから陽子さん、また近いうちに豚汁作りに来てって」

 星野さんの言葉に、佳鳴は「ふふ」と小さく笑う。

「もちろんそれもあるんでしょうけど、お父さまと陽子さんは、単に星野さんのお顔をご覧になりたいのかも知れませんね。ご実家にお電話とかされたりしてます?」

「用が無かったらあんまりしないかなぁ。ひとり暮らしならともかく、陽子さんいるし、あんまり心配してないんだよね。まだまだ元気だし」

「それでもやっぱり、少しお寂しいのかも知れませんね。近々帰ってさしあげてくださいな」

「そうするよ。お味噌も僕が使う用に、出汁入りのやつ用意してくれているんだよ。液体のやつね。陽子さんだったら出汁から作ってくれるのに。でも父は「やっぱりお前の豚汁は美味しいなぁ」ってばくばく食うんだ。陽子さんも一緒になって「本当ねぇ」なんて言いながら食べてくれるんだよ。もう本当に申し訳無いやらなんやらで」

「お父さまは星野さんのお顔が見られて、星野さんの手料理が食べられるのが嬉しいんでしょうね。陽子さんもそれがお判りになるから、こうして星野さんにご連絡を入れられるんでしょうね」

「そうなんだろうねぇ。うん、これも親孝行って言うのかな」

 星野さんはそう言って、お椀に少しだけ残されていた豚汁をそっと飲み干した。



 それから星野さんは、もう少し話をして帰られた。そのあとも営業はつつがなく続き、料理が終わってしまったので、煮物屋さんも閉店である。もうすぐ23時だ。

 後片付けをしながら、姉弟は星野さんの話をする。

「しっかし、星野さんの前の母親、なかなかアバンギャルドな人だったんだな」

「いやぁ、アバンギャルドと言うかデンジャラスって言うか」

 星野さんの実の母親は、後の再婚相手となる男性と駆け落ちした訳だが、数日後記入済みの離婚届を、何の一筆も無く送り付けて来た。

 それは母親にとって、父親への不満を表していたのかも知れないが、父親にとってはそんな身勝手は許せるものでは無かった。

 だが星野さんへの影響を考えたのだろう。父親は聞いてきたのだと言う。「お母さんをらしめて良いか」と。

 星野さんとて傷付いていたのだから、「うん」と考えることも無く頷いた。

 そこで離婚調停を起こしたのだが、その時渋々出廷して来た母親はこう言い放ったのだと言う。

「こんなに退屈な人だなんて思わなかった。毎日同じ時間に出て行って同じ時間に帰って来る、単調で何も無いつまらない生活。もうまっぴらだったわ」

 それは、普通の人の普通の、当たり前の生活である。だが母親はそれが我慢出来なかったのだ。

 母親の再婚相手は画家志望の男性で、ろくに働きもせずに絵ばかりを書いている人だった。

 そんな人と一緒になれば、芽が出ない限りは苦労するのは目に見えている。だが母親はそれを選んだのだ。

 苦労をしたいと言うよりは、刺激的な生活を求めたのだろう。

「そんなの会社勤めだったら、特に役所勤めなんだから結婚前から分かってたことなのに、何で結婚したんだろ、あの人」

 星野さんはそう言って首を傾げていた。

「もしかしたら、前のお母さまのお父さま、星野さんにとってはお母さま方のお祖父さまが、良く飲み歩いたりする方だったんでしょうかね?」

 佳鳴が言うと、星野さんは「ああ」と合点がいった様に声を上げた。

「そうかも知れない。あの人の実家に行ったら、お祖父ちゃんいつでもお酒飲んでた様な覚えがある。それを見て育ったから、男性はそういうもんだって思ってたのかも知れないね。だったらお祖母ちゃんは苦労したのかも。今はあの人もろとも音信不通だけど」

 再婚相手の雅号がごうも聞いたとのこと。佳鳴と千隼も教えてもらったのだが、あいにくさっぱりと聞き覚えは無かった。

「ってことは、まだ絵で身を立てれて無いってことかなぁ」

「どうかな。有名で無くても、食べていけるぐらいには売れてる人もいると思うよ」

「ああ、無名の画家ってところか。確かにそう言う人も多いんだろうな。俺らにはあんまり判らない世界だけどさ」

「私たちそっち方面無知だもんねー」

「でもさ、今は親父さんともその再婚相手の人とも仲良くしてるみたいだし、結果オーライってやつなんだろうな」

「そうだね。豚汁の思い出かぁ。何か良いねぇ」

「ああ。何か俺まで嬉しくなったぜ」

「私もだよ。お父さん、星野さんに会えるの楽しみにしてらっしゃるだろうなぁ。親子団らんの食卓、良いよねぇ」

「そうだな」

 それは、佳鳴と千隼にはとても羨ましいことだった。だからこそ星野さんにはその素晴らしい時間を、ぜひ大切にして欲しいと切に願うのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

異世界もふもふ食堂〜僕と爺ちゃんと魔法使い仔カピバラの味噌スローライフ〜

山いい奈
ファンタジー
味噌蔵の跡継ぎで修行中の相葉壱。 息抜きに動物園に行った時、仔カピバラに噛まれ、気付けば見知らぬ場所にいた。 壱を連れて来た仔カピバラに付いて行くと、着いた先は食堂で、そこには10年前に行方不明になった祖父、茂造がいた。 茂造は言う。「ここはいわゆる異世界なのじゃ」と。 そして、「この食堂を継いで欲しいんじゃ」と。 明かされる村の成り立ち。そして村人たちの公然の秘め事。 しかし壱は徐々にそれに慣れ親しんで行く。 仔カピバラのサユリのチート魔法に助けられながら、味噌などの和食などを作る壱。 そして一癖も二癖もある食堂の従業員やコンシャリド村の人たちが繰り広げる、騒がしくもスローな日々のお話です。

私と継母の極めて平凡な日常

当麻月菜
ライト文芸
ある日突然、父が再婚した。そして再婚後、たった三ヶ月で失踪した。 残されたのは私、橋坂由依(高校二年生)と、継母の琴子さん(32歳のキャリアウーマン)の二人。 「ああ、この人も出て行くんだろうな。私にどれだけ自分が不幸かをぶちまけて」 そう思って覚悟もしたけれど、彼女は出て行かなかった。 そうして始まった継母と私の二人だけの日々は、とても淡々としていながら酷く穏やかで、極めて平凡なものでした。 ※他のサイトにも重複投稿しています。

異世界のんびり料理屋経営

芽狐@書籍発売中
ファンタジー
主人公は日本で料理屋を経営している35歳の新垣拓哉(あらかき たくや)。 ある日、体が思うように動かず今にも倒れそうになり、病院で検査した結果末期癌と診断される。 それなら最後の最後まで料理をお客様に提供しようと厨房に立つ。しかし体は限界を迎え死が訪れる・・・ 次の瞬間目の前には神様がおり「異世界に赴いてこちらの住人に地球の料理を食べさせてほしいのじゃよ」と言われる。 人間・エルフ・ドワーフ・竜人・獣人・妖精・精霊などなどあらゆる種族が訪れ食でみんなが幸せな顔になる物語です。 「面白ければ、お気に入り登録お願いします」

マキノのカフェで、ヒトヤスミ ~Café Le Repos~

Repos
ライト文芸
田舎の古民家を改装し、カフェを開いたマキノの奮闘記。 やさしい旦那様と綴る幸せな結婚生活。 試行錯誤しながら少しずつ充実していくお店。 カフェスタッフ達の喜怒哀楽の出来事。 自分自身も迷ったり戸惑ったりいろんなことがあるけれど、 ごはんをおいしく食べることが幸せの原点だとマキノは信じています。 お店の名前は 『Cafe Le Repos』 “Repos”るぽ とは フランス語で『ひとやすみ』という意味。 ここに訪れた人が、ホッと一息ついて、小さな元気の芽が出るように。 それがマキノの願いなのです。 - - - - - - - - - - - - このお話は、『Café Le Repos ~マキノのカフェ開業奮闘記~』の続きのお話です。 <なろうに投稿したものを、こちらでリライトしています。>

僕の主治医さん

鏡野ゆう
ライト文芸
研修医の北川雛子先生が担当することになったのは、救急車で運び込まれた南山裕章さんという若き外務官僚さんでした。研修医さんと救急車で運ばれてきた患者さんとの恋の小話とちょっと不思議なあひるちゃんのお話。 【本編】+【アヒル事件簿】【事件です!】 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう
ライト文芸
とある病院の救命救急で働いている東出先生の元に運び込まれた急患は何故か川で溺れていた一人と一匹でした。救命救急で働くお医者さんと患者さん、そして小さな子猫の二人と一匹の恋の小話。 【本編完結】【小話】 ※小説家になろうでも公開中※

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

処理中です...