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4章 再開に向かって

第9話 さらに上を目指すために

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 早々に食後のお茶を飲み終えたゆうちゃんの両親が、松村まつむらさんの元に挨拶に行っている。

「いつもほんまにありがとうございます」

「こちらこそ、ありがとうございます」

 何度も頭を下げながらの応酬おうしゅうである。そして次には榊原さかきばらさんご夫妻の元へ。

祐樹ゆうき守梨まもりちゃんを助けてくれて、ほんまにありがとうございました」

「いえいえ、とんでも無いですよ」

 こちらでもまた、お礼と謙遜けんそんのやりとりが続く。

 そんな中、祐ちゃんの両親と一緒に来た男性は、ゆったりとコーヒーを楽しんでいた。

 本当に、この男性は一体何者なのか。両親のお連れなのだから、出自に問題は無いはずである。守梨は思い切って声を掛けてみた。

「あの、お楽しみいただけました?」

 すると男性はきょとんとした様な顔になり、次ににっこりと笑みを浮かべた。祐ちゃんのお父さんとあまり歳が変わらない様に見えていたのだが、笑うととても若々しく見える。

「うん。めっちゃ美味しかったし、めっちゃゆっくりできた。ええお店やねぇ」

「ありがとうございます」

 守梨がほっとしてお礼を言い言葉を切ると、一瞬沈黙が流れる。そのが気まずくて、何か言わなければと守梨が口を開き掛けると、男性が「ほんまに」と口火を切る。

「ふたりとも頑張りはったんやなぁて思うわ。良かったなぁ」

 優しい声色で言ってもらえ、守梨の心にふわりと暖かなものが灯る。この人がどこの何者なのかは未だ分からないのだが、祐ちゃんの両親から話を聞いているのかも知れない。

「ありがとうございます」

 さっきと同じことしか言えない語彙力ごいりょくの無さにがっかりしつつも、本当に嬉しいので、その感謝を言葉に込めた。

「うん」

 そこで男性がさりげなく視線を逸らしたので、そのタイミングで守梨はお辞儀をしてその場を辞した。

 そして少しばかり歓談の時間になり、ご夫妻たちは「美味しかったねぇ」なんて言いながら、和やかな時間を過ごす。その頃には祐ちゃんも洗い物を終えて、フロアに出て来ていた。

 皆さんの様子を見ていると、おおむね好評なのでは無いだろうかとの希望が沸いて来る。皆さん全部のお皿を綺麗に空にしてくれていたし、言葉の通り、きっと美味しいと思ってくれたのだと思いたい。

「さてと、ほな、そろそろおいとましましょか」

 祐ちゃんのお母さんが言い、「そうですねぇ」と皆さんもならうう。守梨と祐ちゃんはお見送りのために出入り口に向かった。

「ありがとうございました」

 守梨と祐ちゃんが声を揃えて頭を下げる。感想を言葉で欲しいと思う裏腹、怖いとも思ってしまう。絶対に大丈夫だと信じていても、揺らいでしまうのだ。

 なので守梨から「どうでした?」なんて聞けない。特に松村さんには。あの男性には世間話のていで軽く聞けたのに。祐ちゃんも何も言わないので、同じことを思っているのかも知れない。

 すると、松村さんが守梨たちの前に立つ。その表情は慈しみに満ちていた。松村さんの両手が、守梨たちをふわりと抱き締める。

「……松村さん?」

 守梨は目を見張る。祐ちゃんも息を飲むのが判った。

「まだな、未熟なとこもある。せやけど、ふたりとも、ほんまに良う頑張った。充分及第点やわ」

 松村さんは腕を解き、守梨と祐ちゃんの顔を交互に見る。

「やっぱりな、私にとっても春日かすがさんと代利子よりこさんは高い壁なんよ。まだまだ追い付ける気がせんのよねぇ。せやから守梨ちゃんと祐樹くんのことも厳しく見てまうんやと思う。でもな、「テリア」が復活してくれるん、何より守梨ちゃんと祐樹くんがやってくれるんが、ほんまに嬉しいんよ。せやから、私はこれからも、特に祐樹くんには厳しく言うてまうと思う。あんな、私が祐樹くんが作ってくれるまかないいについて、何も言わん理由、分かる?」

「あ、いえ」

 祐ちゃんは戸惑っている。守梨も先週聞いたばかりの、祐ちゃんの悩みだった。

「祐樹くん、ドミグラスのことだけや無くて、最初から「テリア」の料理人になるつもりやったやろ」

「そうなん!?」

 守梨は驚いて、目を丸くした。祐ちゃんは苦笑している。

「守梨ちゃん以外は皆気付いとったで。せやから私もそのつもりで祐樹くんを鍛えたんやもん」

 全然分からなかった。自分はこんなにも鈍感だっただろうか。守梨はショックで混乱し、目を白黒させてしまう。

「賄いはな、最初は「祐樹くんの味」やった。当たり前やんな。まだ「テリア」の味の勉強を始めたばっかりやったもんな。でも、進むに連れな、少しずつやけど、春日さん、「テリア」の癖が出て来た。春日さんがのこしはったレシピ見て、毎日頑張ってるんやなぁて分かった。味が近付いて来たんももちろんやけど、その努力を見て、ドミスラスソースを託したんや」

 松村さんは守梨たちの肩を強く掴んだ。感じるのは痛みでは無く、強い意志である。

「慢心はあかん。今のままで、もっと上を目指して欲しい。あの春日さんたちを追い抜く勢いで研鑽けんさんしてって欲しい。正直、迷ってん。祐樹くんの料理の個性を潰してもええもんかって。でも「テリア」を継ぐんやから、そんな甘いこと言うてられへんもんな。レシピを見んでも「テリア」の料理を作れる様にならなあかんねんから」

「……はい」

 祐ちゃんは力強く頷いた。それは百も承知だと、そして大いに納得したと言う意思の表れだった。

「ほんまに美味しかった。ありがとう。昔を思い出した。嬉しかったわ」

 穏やかな笑顔でそう言う松村さんの後ろで、榊原さんご夫妻も祐ちゃんの両親も微笑んでいる。ああ、良かった、きっと皆さんに満足してもらえたんだ。守梨の中に安堵あんどと歓喜がない交ぜになって広がった。ひとりだったら飛び跳ねていただろう。

「ほんまに、ありがとうございました!」

 守梨と祐ちゃんは、深く深く、頭を下げた。どれだけ感謝をしたら足りるだろうか。言葉を尽くせば伝わるだろうか。分からない。だからただただ、ありきたりであっても率直に伝えるしかできなかった。

 守梨は心の中で叫ぶ。お父さん、お母さん、私ら頑張れたで! 幽霊の姿でこの場にいるはずの両親も、きっと見てくれている。お父さんら、喜んでくれてるかな。守梨の目尻がじわりと滲んだ。



 外に出て皆さんを見送り、フロアに戻って来た守梨はぎょっとした。祐ちゃんの両親と一緒だった男性が、悠然ゆうぜんと椅子に掛けていたからだ。

「え?」

 守梨が声を上げると、祐ちゃんが平然と口を開いた。

弥勒みろくさん」

「へ?」

 守梨はまた驚く。祐ちゃんを見上げると、祐ちゃんは言った。

「この人は弥勒さん。俺の先生、霊能者や」

「……え!?」

 守梨は今日何度目か分からなくなった驚きを表し、目をいた。
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