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2章 なりたいものになるために

第6話 暖かな風

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 松村まつむらさんがお昼ごはんを持参してくれると言うので、甘えることにした。ゆうちゃんに言うと同席したいと言うので、松村さんに伝える。

「そりゃそうやな。3人分任しとき!」

 松村さんは快諾かいだくしてくれて、守梨まもりは早い時間から家事と「テリア」のお掃除に励む。松村さんが来たら、フロアに通すつもりだ。懐かしいと思ってくれたら良いなと思う。

 松村さんが「テリア」に来るのは久しぶりである。独立してからも「マルチニール」定休日の日曜日に、お客として来てくれることがたまにあった。週末のため守梨が手伝っている時もあり、話はできないまでも、ご主人と楽しそうに食事をしているシーンは微笑ましかった。

「お父さん、お母さん、今日な、松村さんが来てくれんねん」

 お掃除を終えた「テリア」のホールを見渡しながら、守梨は語り掛ける。今両親がどの場所にいるのか、守梨にはわからない。なので全体に響く様に。

「ここ再開させるための相談さしてもらおう思って。松村さんやったらお父さんらも信用してるし、私も安心やし。でもなぁ」

 守梨は罪悪感を感じ、自嘲気味に目を伏せる。

「松村さんもお忙しいのに、申し訳無いなぁって。松村さん、ええ人やん? こんなに頼ってもてええんかなぁとも思うんよ。でも、ひとりやと難しくて。お父さんらがおった時に、もっと話聞いてれば良かったわ。私お料理できなさすぎるから、跡継ぐとか考えたことあらへんかったし、そんな話したこと無いもんね」

 守梨はまた視線を巡らす。お父さん、お母さん、どこやろか。姿は見えず、声も聞こえない。だがいてくれていることだけは分かる。なぜかそう確信ができるのだ。

「せやから不安なことも多いんやけど、また「テリア」が再開できるかもて思ったら、嬉しくて。私だけで、ううん、ちゃうな、松村さんとか祐ちゃんとか、頼ってしもてるけど、できるだけひとりでできる様に頑張るから、応援してな?」

 ……気のせいかも知れないが、フロア内に暖かな空気がふんわりと流れた。守梨はそれを両親からの返事なのだと、じんわりと噛み締める。

 大丈夫や、お父さんとお母さんも応援してくれてる。私、頑張れるわ。

 守梨は「ありがとう」と微笑んだ。



 そうして約束の12時、時間より少し前に松村さんは訪れた。住居の方の玄関である。

「守梨ちゃん、こんにちは!」

「こんにちは。今日はわざわざすいません。祐ちゃんはまだで」

「大丈夫大丈夫。祐樹くんが来たらすぐに食べられる様にしとこか。えっと、ダイニングとかの方やろか」

「いいえ、お店の方がええかなと思って」

 守梨が言うと、松村さんはふわっと表情を綻ばせた。

「そりゃ嬉しいわ。前に私が来たん、もう1年以上も前やもん。あれから変わった?」

「全然。テーブルクロスを新しくしたぐらいで。今は外してもうてるんですけど」

 営業している時は、テーブルには撥水性はっすいせいのあるベージュのテーブルクロスを掛けていた。今は全て丁寧に畳んで、控え室に置いてある。

「そっかそっか。ほな丁寧に使いたいなぁ。傷付けたく無いもんなぁ」

 松村さんは明るく言うと、担いで来た大きなトートバッグをそっとテーブルに置き、ジッパーを開けた。取り出したのはいくつかのタッパーである。

「素っ気無くてごめんやで。ほんまは重箱とか持って来たかったんやけど、汁物が多いから。守梨ちゃんに食べて欲しくて、春日さんに習うた煮物とかも作って来てん」

「ほんまですか!? 嬉しいです!」

 守梨が歓喜してタッパーを見ると、薄い透明感のあるブルーの蓋を通して、茶色や赤色や白色やらが見える。タッパーは全部で4個あった。守梨が触ってみると、まだほの温かいものもある。ひとつは陶製のココットで、重ねたラップでぴっちり蓋がしてあった。

「作ってすぐ詰めて持ってきたからな。あっためた方がええのもあるけど、厨房のレンジはまだ現役やろか」

 「テリア」のお料理を作るのに電子レンジは必要無い。だが賄いで使うことがあるので、以前レンジ機能だけのシンプルなものを買っていたのだ。

「ありますよ。あっためましょう」

 守梨と松村さんは連なって厨房に入る。松村さんはあちこちを見渡して「ほぅ」と溜め息を吐いた。

「私がおった時と変わらんなぁ。ほんまに綺麗にしてはって。何や嬉しいわ。懐かしいわぁ」

「ふふ」

 守梨は笑みを浮かべながら、手にしていたタッパーを作業台に置いて、蓋を開ける。赤いのはトマトの煮込み、白いのはクリームの煮込み。そして茶色いのは、ドミグラスソースを使った煮込みだった。

「ドミグラスソースやぁ……」

 守梨が嬉しさで目をうるませると、松村さんは「これは外せんからな!」と得意げに言う。

「今日は合挽き肉で肉団子にして、ドミで煮込んでん。豚の風味も溶け出て美味しいで。ほんまにな、春日さんのドミは何でも包んでくれるから」

「はい」

 タッパーにふんわりラップを掛けてレンジで温め、終わったものから器に盛り付けて行く。洗い物は後でまとめてしようと、水でさっとすすいでシンクに置いた。

「後は箸休めにピクルスと、鳥レバのパテな。バケットも持って来たから」

「え! ほんまに何から何まですいません」

 あまりにも至れり尽くせりで、守梨は恐縮してしまう。そんな守梨を松村さんは「ええって!」と笑い飛ばし、ピクルスを器に盛り付けた。

「電車で来はったんでしょ? かなり重たかったんや無いですか?」

 松村さんの自宅の最寄り駅は、大阪メトロ四ツ橋線の四ツ橋駅である。「テリア」で修行していた時から暮らしていて、だから隣駅の本町に「マルチニール」を興したのである。この辺りは1駅の間隔が短く、自転車での行き来が容易なのだ。

 その四ツ橋駅からあびこまでは、大国町駅での乗り換えを含み、乗車時間だけで20分ほど掛かる。この荷物量だと、かなり大変だったのでは無いだろうか。

「全然平気や。飲食店経営者は力持ちやで~。体力もあるしな」

 あっけらかんと松村さんは言って、温めたお料理をフロアに運んで行く。守梨も取り皿やフォーク、取り分け用のスプーンなどをトレイに乗せて追い掛けた。

 テーブルにセットしていると、厨房から祐ちゃんが姿を現した。

「遅れてすいません」

「ううん、大丈夫」

祐樹ゆうきくんこんにちは! あれ? もしかして玄関の鍵開いてた?」

 松村さんが焦る様な素振りを見せると、祐ちゃんは「いや」とキィケースをじゃらりと回した。

「この家の合鍵、預かってるんで」

「あらま」

 松村さんは驚いたのか、目を丸くした。

 祐ちゃんが平日お父さんにお料理を習う様になってから、もし守梨の方が帰りが遅くなっては待たせてしまうので、合鍵を渡して、勝手に入ってもらえる様にしているのだった。
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