すこやか食堂のゆかいな人々

山いい奈

文字の大きさ
上 下
36 / 41
5章 親愛なる3人目

第5話 親子になれるとき

しおりを挟む
 木曜日になった。やっとだ。月曜日、いや、日曜日からこの日を心待ちにしていた。「すこやか食堂」を切り盛りしながら、1日1日が長く感じる日々だった。

 不安が無いわけでは無い。今村いまむらお父さんに拒絶されてしまったらどうしよう、そんなことだって思うのだ。

 だが、うじうじしていても何も始まらない。当たって砕けろという言葉は、きっとこういうときに使うのだろう。できるなら砕けたくは無いが。

 14時のオーダーストップを迎え、40分を過ぎるころにはお客さまはみんな帰って行く。それからはいつもなら、夜の営業まで休憩を挟みつつ、みのりはお惣菜の作り足し、ゆうちゃんがお掃除などをしてくれるのだが、今日はお昼営業の前にたっぷりとお惣菜を作っておいた。

 だから悠ちゃんと手分けしてお掃除をして、15時過ぎ。みのりは高鳴る心臓を押さえる。

「悠ちゃん、行ってくるね」

「僕も行くわ」

「え、でも」

「とりあえずな。行こか」

 みのりはためらうが、悠ちゃんはエプロンを外してみのりの背を軽く押した。みのりとしては今村お父さんとふたりのほうが良いのではと思うのだが、まぁ悠ちゃんのことだ、きっと空気を読んでくれるだろう。

 みのりもエプロンを外し、外に出てしっかりと施錠をする。そしてエレベータで2階に上がった。

 ガラス張りのドアからそっと中を覗く。するとアイランドキッチンで今村お父さんが赤塚あかつかさんの指導を受けながら、包丁を動かしていた。

 だめだ、今行ったら驚いた拍子に手を怪我してしまうかも知れない。タイミングを図らなくては。そうしてじっと見つめていると、やがて包丁を置いて手を洗い出した。

 今や! みのりは思い切ってドアを開ける。するとその音に驚いたのか今村お父さんが顔を上げ、みのりと目が合うと、虚を突かれた様に目を見開いて息を飲んだ。

 みのりはごくりを喉を鳴らす。そして、思い切って言った。

「お父さん」

 すると今村さんの目がつり上がる。そして次には水に濡れた両手で顔を覆った。

「……みのりちゃん」

 そうかすれた声で言うと、今村お父さんはその場にくずおれてしまったのだ。



 みのりは今村お父さんとふたり、赤塚さんのお料理教室のダイニングテーブルで、向かい合わせに座っていた。

 赤塚さんは「沙雪さゆきさんとこにおるからな~ちゃんと話しや~」と軽い調子で言って、悠ちゃんを連れて行ってくれた。悠ちゃんは「僕も」とこの場にいようとしたのだが、赤塚さんが有無を言わさず、文字通り首根っこを掴んで行ってくれたのだ。

 例え悠ちゃんでも、この場は今村お父さんとふたりが良いと思っていたので、助かったという気持ちが大きかった。

 今村お父さんはペーパータオルで濡れた手と顔を拭き、今は膝の上で手持ちのオレンジ色のハンカチを握り締めている。それで時折目元を拭った。

 初めて会ったときの様にも着ていた、体型隠しだと思われるゆとりのあるワンピースは今日は鮮やかな黄緑色だった。

 ふたりの間に、しばしの沈黙が流れる。それを破ったのは今村お父さんだった。

さとるくんとかのこちゃん……お父さんとお母さんに聞いたんよね。驚かしてしもてごめんね。……私、不甲斐なくてごめんねぇ。みのりちゃんがここに見学に来たとき、赤塚ちゃんに苗字だけ聞いて、いくらなんでもまさかって思ったんやけど、みのりちゃんたら、若いころのかのこちゃんそっくりで、可愛くて。少しでも一緒におれて、ほんまに嬉しかったんよ」

 呟く様に紡がれた言葉に、みのりはふるふると首を振る。

「ううん、お父さん、あの、産まれたばかりの私を抱いてくれたて聞きました。嬉しかったです」

 今村お父さんはまたハンカチで目元を拭った。

「私ね……、何言うても言い訳にしかならんねんけど、覚悟してかのこちゃんと結婚したつもりやったんよ。何やおかしいな、自分変なんかなって思いながら、でも年齢的にも結婚してもおかしないし、周りにもすすめられたし、何よりかのこちゃんが素敵なええ子やったから、この子やったら大丈夫やって」

 入籍してお式を挙げて、今村お父さんとお母さんふたりの生活が始まった。それは穏やかで、今村お父さんにとっても心地の良いものだったそうだ。だからこのまま思いやり合って添い遂げて行けたら。そう思っていたのだが。

 お母さんから妊娠したと聞いたとき、今村お父さんは恐怖心でいっぱいになってしまったのだ。

「ああ、もうこれで、私は一生男でおらなあかんねやって、決定付けられた気がして。あほやねんけど絶望してもて。女性と子どもを儲けられる身体してるくせして、自分の中身が女になりたがってて、でもそんなん不自然やって頭では思ってて。ごめん、言うてることめちゃくちゃやな」

 みのりはまた小さく首を振る。それほど、そのときのお父さんの心中は千々ちぢに乱れたのだ。みのりの立場で理解することは難しい。性別の壁や区切りで思い悩むことなんてこれまで1度も無かったのだから。それでもみのりは寄り添いたいと思う。それは今、みのりが幸せでいれているからだと思う。

 お父さんとお母さん、そして悠ちゃんに囲まれて、支えられて、みのりは受け入れる心が作られている。今村お父さんにだってどうしようも無かったのだ。誰も悪く無いのだ。

「お父さん、私、お父さんが私が産まれたんを喜んでくれたって聞いて、お母さんと今のお父さんに祝われて産まれてきたんやって聞いて、それで充分やなって思ったんです。せやからお父さん、そんな風に自分を悪う言うんやめて欲しいです」

 みのりが穏やかに言うと、今村お父さんの目がまた潤む。それをそっとハンカチで押さえた。

「……私、逃げたのに、みのりちゃんの父親であることから逃げたのに、今、お父さんて呼ばれるんがめっちゃ嬉しいんよ。勝手でほんまにごめんねぇ……」

 また今村お父さんの目に透明なものが盛り上がる。それでも完璧に施されているアイメイクはほとんど崩れていなかった。こんなときなのにみのりは「凄いお化粧品やな」なんて思ってしまう。そんな自分がおかしくなる。それだけ心が落ち着いているのだろう。

「いいえ。嬉しいて思ってくれはることが、私には嬉しいです。私も勝手言いますけど、お父さんとかお母さんとか、男性とか女性とかや無くて、私っていう人間の親やって思ってくれはったら嬉しいです」

「……ありがとう。みのりちゃん、ほんまにありがとう……!」

 今村お父さんは目尻を下げ、流れ伝う涙を拭いながら、柔らかく微笑んだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

小さなパン屋の恋物語

あさの紅茶
ライト文芸
住宅地にひっそりと佇む小さなパン屋さん。 毎日美味しいパンを心を込めて焼いている。 一人でお店を切り盛りしてがむしゃらに働いている、そんな毎日に何の疑問も感じていなかった。 いつもの日常。 いつものルーチンワーク。 ◆小さなパン屋minamiのオーナー◆ 南部琴葉(ナンブコトハ) 25 早瀬設計事務所の御曹司にして若き副社長。 自分の仕事に誇りを持ち、建築士としてもバリバリ働く。 この先もずっと仕事人間なんだろう。 別にそれで構わない。 そんな風に思っていた。 ◆早瀬設計事務所 副社長◆ 早瀬雄大(ハヤセユウダイ) 27 二人の出会いはたったひとつのパンだった。 ********** 作中に出てきます三浦杏奈のスピンオフ【そんな恋もありかなって。】もどうぞよろしくお願い致します。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

飯屋の娘は魔法を使いたくない?

秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。 魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。 それを見ていた貴族の青年が…。 異世界転生の話です。 のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。 ※ 表紙は星影さんの作品です。 ※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

心の落とし物

緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも ・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ ) 〈本作の楽しみ方〉  本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。  知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。 〈あらすじ〉  〈心の落とし物〉はありませんか?  どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。  あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。  喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。  ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。  懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。 〈主人公と作中用語〉 ・添野由良(そえのゆら)  洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。 ・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉  人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。 ・〈探し人(さがしびと)〉  〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。 ・〈未練溜まり(みれんだまり)〉  忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。 ・〈分け御霊(わけみたま)〉  生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...