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5章 親愛なる3人目
第5話 親子になれるとき
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木曜日になった。やっとだ。月曜日、いや、日曜日からこの日を心待ちにしていた。「すこやか食堂」を切り盛りしながら、1日1日が長く感じる日々だった。
不安が無いわけでは無い。今村お父さんに拒絶されてしまったらどうしよう、そんなことだって思うのだ。
だが、うじうじしていても何も始まらない。当たって砕けろという言葉は、きっとこういうときに使うのだろう。できるなら砕けたくは無いが。
14時のオーダーストップを迎え、40分を過ぎるころにはお客さまはみんな帰って行く。それからはいつもなら、夜の営業まで休憩を挟みつつ、みのりはお惣菜の作り足し、悠ちゃんがお掃除などをしてくれるのだが、今日はお昼営業の前にたっぷりとお惣菜を作っておいた。
だから悠ちゃんと手分けしてお掃除をして、15時過ぎ。みのりは高鳴る心臓を押さえる。
「悠ちゃん、行ってくるね」
「僕も行くわ」
「え、でも」
「とりあえずな。行こか」
みのりはためらうが、悠ちゃんはエプロンを外してみのりの背を軽く押した。みのりとしては今村お父さんとふたりのほうが良いのではと思うのだが、まぁ悠ちゃんのことだ、きっと空気を読んでくれるだろう。
みのりもエプロンを外し、外に出てしっかりと施錠をする。そしてエレベータで2階に上がった。
ガラス張りのドアからそっと中を覗く。するとアイランドキッチンで今村お父さんが赤塚さんの指導を受けながら、包丁を動かしていた。
だめだ、今行ったら驚いた拍子に手を怪我してしまうかも知れない。タイミングを図らなくては。そうしてじっと見つめていると、やがて包丁を置いて手を洗い出した。
今や! みのりは思い切ってドアを開ける。するとその音に驚いたのか今村お父さんが顔を上げ、みのりと目が合うと、虚を突かれた様に目を見開いて息を飲んだ。
みのりはごくりを喉を鳴らす。そして、思い切って言った。
「お父さん」
すると今村さんの目がつり上がる。そして次には水に濡れた両手で顔を覆った。
「……みのりちゃん」
そう掠れた声で言うと、今村お父さんはその場にくずおれてしまったのだ。
みのりは今村お父さんとふたり、赤塚さんのお料理教室のダイニングテーブルで、向かい合わせに座っていた。
赤塚さんは「沙雪さんとこにおるからな~ちゃんと話しや~」と軽い調子で言って、悠ちゃんを連れて行ってくれた。悠ちゃんは「僕も」とこの場にいようとしたのだが、赤塚さんが有無を言わさず、文字通り首根っこを掴んで行ってくれたのだ。
例え悠ちゃんでも、この場は今村お父さんとふたりが良いと思っていたので、助かったという気持ちが大きかった。
今村お父さんはペーパータオルで濡れた手と顔を拭き、今は膝の上で手持ちのオレンジ色のハンカチを握り締めている。それで時折目元を拭った。
初めて会ったときの様にも着ていた、体型隠しだと思われるゆとりのあるワンピースは今日は鮮やかな黄緑色だった。
ふたりの間に、しばしの沈黙が流れる。それを破ったのは今村お父さんだった。
「悟くんとかのこちゃん……お父さんとお母さんに聞いたんよね。驚かしてしもてごめんね。……私、不甲斐なくてごめんねぇ。みのりちゃんがここに見学に来たとき、赤塚ちゃんに苗字だけ聞いて、いくらなんでもまさかって思ったんやけど、みのりちゃんたら、若いころのかのこちゃんそっくりで、可愛くて。少しでも一緒におれて、ほんまに嬉しかったんよ」
呟く様に紡がれた言葉に、みのりはふるふると首を振る。
「ううん、お父さん、あの、産まれたばかりの私を抱いてくれたて聞きました。嬉しかったです」
今村お父さんはまたハンカチで目元を拭った。
「私ね……、何言うても言い訳にしかならんねんけど、覚悟してかのこちゃんと結婚したつもりやったんよ。何やおかしいな、自分変なんかなって思いながら、でも年齢的にも結婚してもおかしないし、周りにもすすめられたし、何よりかのこちゃんが素敵なええ子やったから、この子やったら大丈夫やって」
入籍してお式を挙げて、今村お父さんとお母さんふたりの生活が始まった。それは穏やかで、今村お父さんにとっても心地の良いものだったそうだ。だからこのまま思いやり合って添い遂げて行けたら。そう思っていたのだが。
お母さんから妊娠したと聞いたとき、今村お父さんは恐怖心でいっぱいになってしまったのだ。
「ああ、もうこれで、私は一生男でおらなあかんねやって、決定付けられた気がして。あほやねんけど絶望してもて。女性と子どもを儲けられる身体してるくせして、自分の中身が女になりたがってて、でもそんなん不自然やって頭では思ってて。ごめん、言うてることめちゃくちゃやな」
みのりはまた小さく首を振る。それほど、そのときのお父さんの心中は千々に乱れたのだ。みのりの立場で理解することは難しい。性別の壁や区切りで思い悩むことなんてこれまで1度も無かったのだから。それでもみのりは寄り添いたいと思う。それは今、みのりが幸せでいれているからだと思う。
お父さんとお母さん、そして悠ちゃんに囲まれて、支えられて、みのりは受け入れる心が作られている。今村お父さんにだってどうしようも無かったのだ。誰も悪く無いのだ。
「お父さん、私、お父さんが私が産まれたんを喜んでくれたって聞いて、お母さんと今のお父さんに祝われて産まれてきたんやって聞いて、それで充分やなって思ったんです。せやからお父さん、そんな風に自分を悪う言うんやめて欲しいです」
みのりが穏やかに言うと、今村お父さんの目がまた潤む。それをそっとハンカチで押さえた。
「……私、逃げたのに、みのりちゃんの父親であることから逃げたのに、今、お父さんて呼ばれるんがめっちゃ嬉しいんよ。勝手でほんまにごめんねぇ……」
また今村お父さんの目に透明なものが盛り上がる。それでも完璧に施されているアイメイクはほとんど崩れていなかった。こんなときなのにみのりは「凄いお化粧品やな」なんて思ってしまう。そんな自分がおかしくなる。それだけ心が落ち着いているのだろう。
「いいえ。嬉しいて思ってくれはることが、私には嬉しいです。私も勝手言いますけど、お父さんとかお母さんとか、男性とか女性とかや無くて、私っていう人間の親やって思ってくれはったら嬉しいです」
「……ありがとう。みのりちゃん、ほんまにありがとう……!」
今村お父さんは目尻を下げ、流れ伝う涙を拭いながら、柔らかく微笑んだ。
不安が無いわけでは無い。今村お父さんに拒絶されてしまったらどうしよう、そんなことだって思うのだ。
だが、うじうじしていても何も始まらない。当たって砕けろという言葉は、きっとこういうときに使うのだろう。できるなら砕けたくは無いが。
14時のオーダーストップを迎え、40分を過ぎるころにはお客さまはみんな帰って行く。それからはいつもなら、夜の営業まで休憩を挟みつつ、みのりはお惣菜の作り足し、悠ちゃんがお掃除などをしてくれるのだが、今日はお昼営業の前にたっぷりとお惣菜を作っておいた。
だから悠ちゃんと手分けしてお掃除をして、15時過ぎ。みのりは高鳴る心臓を押さえる。
「悠ちゃん、行ってくるね」
「僕も行くわ」
「え、でも」
「とりあえずな。行こか」
みのりはためらうが、悠ちゃんはエプロンを外してみのりの背を軽く押した。みのりとしては今村お父さんとふたりのほうが良いのではと思うのだが、まぁ悠ちゃんのことだ、きっと空気を読んでくれるだろう。
みのりもエプロンを外し、外に出てしっかりと施錠をする。そしてエレベータで2階に上がった。
ガラス張りのドアからそっと中を覗く。するとアイランドキッチンで今村お父さんが赤塚さんの指導を受けながら、包丁を動かしていた。
だめだ、今行ったら驚いた拍子に手を怪我してしまうかも知れない。タイミングを図らなくては。そうしてじっと見つめていると、やがて包丁を置いて手を洗い出した。
今や! みのりは思い切ってドアを開ける。するとその音に驚いたのか今村お父さんが顔を上げ、みのりと目が合うと、虚を突かれた様に目を見開いて息を飲んだ。
みのりはごくりを喉を鳴らす。そして、思い切って言った。
「お父さん」
すると今村さんの目がつり上がる。そして次には水に濡れた両手で顔を覆った。
「……みのりちゃん」
そう掠れた声で言うと、今村お父さんはその場にくずおれてしまったのだ。
みのりは今村お父さんとふたり、赤塚さんのお料理教室のダイニングテーブルで、向かい合わせに座っていた。
赤塚さんは「沙雪さんとこにおるからな~ちゃんと話しや~」と軽い調子で言って、悠ちゃんを連れて行ってくれた。悠ちゃんは「僕も」とこの場にいようとしたのだが、赤塚さんが有無を言わさず、文字通り首根っこを掴んで行ってくれたのだ。
例え悠ちゃんでも、この場は今村お父さんとふたりが良いと思っていたので、助かったという気持ちが大きかった。
今村お父さんはペーパータオルで濡れた手と顔を拭き、今は膝の上で手持ちのオレンジ色のハンカチを握り締めている。それで時折目元を拭った。
初めて会ったときの様にも着ていた、体型隠しだと思われるゆとりのあるワンピースは今日は鮮やかな黄緑色だった。
ふたりの間に、しばしの沈黙が流れる。それを破ったのは今村お父さんだった。
「悟くんとかのこちゃん……お父さんとお母さんに聞いたんよね。驚かしてしもてごめんね。……私、不甲斐なくてごめんねぇ。みのりちゃんがここに見学に来たとき、赤塚ちゃんに苗字だけ聞いて、いくらなんでもまさかって思ったんやけど、みのりちゃんたら、若いころのかのこちゃんそっくりで、可愛くて。少しでも一緒におれて、ほんまに嬉しかったんよ」
呟く様に紡がれた言葉に、みのりはふるふると首を振る。
「ううん、お父さん、あの、産まれたばかりの私を抱いてくれたて聞きました。嬉しかったです」
今村お父さんはまたハンカチで目元を拭った。
「私ね……、何言うても言い訳にしかならんねんけど、覚悟してかのこちゃんと結婚したつもりやったんよ。何やおかしいな、自分変なんかなって思いながら、でも年齢的にも結婚してもおかしないし、周りにもすすめられたし、何よりかのこちゃんが素敵なええ子やったから、この子やったら大丈夫やって」
入籍してお式を挙げて、今村お父さんとお母さんふたりの生活が始まった。それは穏やかで、今村お父さんにとっても心地の良いものだったそうだ。だからこのまま思いやり合って添い遂げて行けたら。そう思っていたのだが。
お母さんから妊娠したと聞いたとき、今村お父さんは恐怖心でいっぱいになってしまったのだ。
「ああ、もうこれで、私は一生男でおらなあかんねやって、決定付けられた気がして。あほやねんけど絶望してもて。女性と子どもを儲けられる身体してるくせして、自分の中身が女になりたがってて、でもそんなん不自然やって頭では思ってて。ごめん、言うてることめちゃくちゃやな」
みのりはまた小さく首を振る。それほど、そのときのお父さんの心中は千々に乱れたのだ。みのりの立場で理解することは難しい。性別の壁や区切りで思い悩むことなんてこれまで1度も無かったのだから。それでもみのりは寄り添いたいと思う。それは今、みのりが幸せでいれているからだと思う。
お父さんとお母さん、そして悠ちゃんに囲まれて、支えられて、みのりは受け入れる心が作られている。今村お父さんにだってどうしようも無かったのだ。誰も悪く無いのだ。
「お父さん、私、お父さんが私が産まれたんを喜んでくれたって聞いて、お母さんと今のお父さんに祝われて産まれてきたんやって聞いて、それで充分やなって思ったんです。せやからお父さん、そんな風に自分を悪う言うんやめて欲しいです」
みのりが穏やかに言うと、今村お父さんの目がまた潤む。それをそっとハンカチで押さえた。
「……私、逃げたのに、みのりちゃんの父親であることから逃げたのに、今、お父さんて呼ばれるんがめっちゃ嬉しいんよ。勝手でほんまにごめんねぇ……」
また今村お父さんの目に透明なものが盛り上がる。それでも完璧に施されているアイメイクはほとんど崩れていなかった。こんなときなのにみのりは「凄いお化粧品やな」なんて思ってしまう。そんな自分がおかしくなる。それだけ心が落ち着いているのだろう。
「いいえ。嬉しいて思ってくれはることが、私には嬉しいです。私も勝手言いますけど、お父さんとかお母さんとか、男性とか女性とかや無くて、私っていう人間の親やって思ってくれはったら嬉しいです」
「……ありがとう。みのりちゃん、ほんまにありがとう……!」
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