26 / 41
4章 心と身体の痩せ方太り方
第2話 お茄子さんの悩みごと
しおりを挟む
みのりが「お茄子さん」とこっそり名付けた、痩身の男性のお客さまは、今日もふらりと夜の時間帯に現れた。服装を見ると黒のTシャツにベージュのカーゴパンツとラフな私服で、先週もそんな雰囲気だったので、お仕事帰りと言った様子では無い。
平日がお休みのお仕事か、もしくは学生さんか。それぐらい若く見えた。大学院なら最高5年間が上乗せされるし、医学系の大学なら4年。それぞれ卒業するときには20台後半になる。
お茄子さんは目をきょときょととさせながらおしながきを見つめ、何かを決心した様に「すいません」とみのりに声を掛ける。その声は小さいながらもはっきりとしていた。
「はい。お伺いします」
「あの、たつ……、いや、あの、やっぱり卵、いや、やっぱり竜田……」
竜田揚げと卵焼きを迷っている様に思える。卵焼きは先週も食べていたから、お好きなのだろうと思うのだが、竜田揚げと卵焼きには、明確な違いがある。それは。
みのりは迷うお茄子さんに、言ってみた。
「あの、差し出がましかったら、ほんで勘違いやったらすいません。もしかしたら、竜田揚げが食べたいのに、量が多いとか、あります?」
するとお茄子さんが目を見張った。
「そ、そうっす。力を付けたぁて、竜田揚げを食べたいんすけど、量が多いやろかて」
「すこやか食堂」の竜田揚げは、鶏むね肉を5センチ角ほどの大きさに切って、お醤油と日本酒、お砂糖にしょうがのすり下ろし、コク出しにたまり醤油を少量揉み込み、衣の片栗粉をまぶして揚げて作り、1人分は5個である。個数はおしながきにも書いてある。
お惣菜などと組み合わせることを考えての量である。成人男性であるなら決して多くは無い。それを多そうだと言うのだから、お茄子さんはみのりよりも少食なのかも知れない。
お茄子さんは確かに細いが、身長は一般的な男性ほどある。それでは体力が保たないのでは無いだろうか。
だが食べられないのに、無理に口に突っ込むのは辛い。食べることがしんどくなってしまっては意味が無い。少食であっても美味しく適量を食べる権利があるのだ。
春に秋、冬なら残った分を持ち帰ってもらえるのだが、夏になれば食中毒の恐れがあるためお断りしている。今はその時季だ。となれば。
「それやったら、お惣菜を無しにするか、良かったら半分ぐらいの3個、お揚げしましょうか? お値段はもちろんその分引かせてもらいますし」
「ええんすか? 惣菜はできたら食べたいんで、竜田揚げを減らしてもらえたら助かるす」
お茄子さんがほっとした様に頬を緩める。ほのかだが、お茄子さんがこの「すこやか食堂」で初めて見せた笑顔では無いだろうか。
「ほな、そうさせてもらいますね」
「ありがとうございます。惣菜は水なすのマリネで、発芽玄米の小、お味噌汁でお願いするっす」
「はい。お待ちくださいね」
みのりは冷蔵庫から調味液を揉み込んである鶏むね肉を入れたタッパーを出した。
お茄子さんは整えた定食を、先週よりはかなり穏やかな表情で口に運んでいる。良く噛んでいる様でペースはゆっくりだが、その方が身体には良い。
かりっと揚がった竜田揚げをさくりと噛み、オリーブオイルとお塩と粗挽きこしょうをまとった艶やかな水なすを口に入れる。ずずっとお味噌汁をすすり、ぷちっとした発芽玄米を食む。
お茄子さんは所作が綺麗で、とても良い育てられ方、しつけを親御さんにしてもらったのだなと伺える。みのりも料理人だからか、どうしてもお食事マナーが気になってしまうのだ。自分も完璧では無いのかも知れないが、一緒にいる人を不愉快にさせない、美しい食べ方ができたらと思っている。
やがて、お茄子さんのお皿が空になる。すっかりと平らげてくれた。良かった。みのりはこっそりとほっとする。やはりちゃんと食べなければ、人は動けない。その人にとっての適量を、腹八分目が理想だ。
お茄子さんの視線が、ぐるりと店内を巡る。先週より気持ちに余裕が出ているのかも知れない。今日はため息も聞かなかった。
すると、お茄子さんの目線がある箇所で止まった。細めの目を目一杯見開いている。カウンタの中、厨房の壁に控えめに掲げているそれは。
「あ、あの、店、長、さん……? あの、もしかして栄養士の資格を持ってはるんすか?」
「あ、はい。不肖ながら、持ってますよ」
みのりは栄養学を学んだが、それを生業にしたことは無い。お店のおしながきには目一杯取り入れているが、一人前と言えるかどうかは微妙だと思っていた。
それでも「この方が説得力があるから」との赤塚さんのアドバイスで、調理師免許と栄養士の免状をシンプルな額に入れて張り出してあるのだった。
「ああ、だからメニューに栄養素とか何にええか書いてあったんすね。あの、それやったら知ってはれへんすか?」
「何でしょ。私でお役に立てたらええんですけど」
「……健康的に、太れる方法なんすけど」
みのりはお茄子さんの遠慮がちなせりふに、目をぱちくりとさせた。
平日がお休みのお仕事か、もしくは学生さんか。それぐらい若く見えた。大学院なら最高5年間が上乗せされるし、医学系の大学なら4年。それぞれ卒業するときには20台後半になる。
お茄子さんは目をきょときょととさせながらおしながきを見つめ、何かを決心した様に「すいません」とみのりに声を掛ける。その声は小さいながらもはっきりとしていた。
「はい。お伺いします」
「あの、たつ……、いや、あの、やっぱり卵、いや、やっぱり竜田……」
竜田揚げと卵焼きを迷っている様に思える。卵焼きは先週も食べていたから、お好きなのだろうと思うのだが、竜田揚げと卵焼きには、明確な違いがある。それは。
みのりは迷うお茄子さんに、言ってみた。
「あの、差し出がましかったら、ほんで勘違いやったらすいません。もしかしたら、竜田揚げが食べたいのに、量が多いとか、あります?」
するとお茄子さんが目を見張った。
「そ、そうっす。力を付けたぁて、竜田揚げを食べたいんすけど、量が多いやろかて」
「すこやか食堂」の竜田揚げは、鶏むね肉を5センチ角ほどの大きさに切って、お醤油と日本酒、お砂糖にしょうがのすり下ろし、コク出しにたまり醤油を少量揉み込み、衣の片栗粉をまぶして揚げて作り、1人分は5個である。個数はおしながきにも書いてある。
お惣菜などと組み合わせることを考えての量である。成人男性であるなら決して多くは無い。それを多そうだと言うのだから、お茄子さんはみのりよりも少食なのかも知れない。
お茄子さんは確かに細いが、身長は一般的な男性ほどある。それでは体力が保たないのでは無いだろうか。
だが食べられないのに、無理に口に突っ込むのは辛い。食べることがしんどくなってしまっては意味が無い。少食であっても美味しく適量を食べる権利があるのだ。
春に秋、冬なら残った分を持ち帰ってもらえるのだが、夏になれば食中毒の恐れがあるためお断りしている。今はその時季だ。となれば。
「それやったら、お惣菜を無しにするか、良かったら半分ぐらいの3個、お揚げしましょうか? お値段はもちろんその分引かせてもらいますし」
「ええんすか? 惣菜はできたら食べたいんで、竜田揚げを減らしてもらえたら助かるす」
お茄子さんがほっとした様に頬を緩める。ほのかだが、お茄子さんがこの「すこやか食堂」で初めて見せた笑顔では無いだろうか。
「ほな、そうさせてもらいますね」
「ありがとうございます。惣菜は水なすのマリネで、発芽玄米の小、お味噌汁でお願いするっす」
「はい。お待ちくださいね」
みのりは冷蔵庫から調味液を揉み込んである鶏むね肉を入れたタッパーを出した。
お茄子さんは整えた定食を、先週よりはかなり穏やかな表情で口に運んでいる。良く噛んでいる様でペースはゆっくりだが、その方が身体には良い。
かりっと揚がった竜田揚げをさくりと噛み、オリーブオイルとお塩と粗挽きこしょうをまとった艶やかな水なすを口に入れる。ずずっとお味噌汁をすすり、ぷちっとした発芽玄米を食む。
お茄子さんは所作が綺麗で、とても良い育てられ方、しつけを親御さんにしてもらったのだなと伺える。みのりも料理人だからか、どうしてもお食事マナーが気になってしまうのだ。自分も完璧では無いのかも知れないが、一緒にいる人を不愉快にさせない、美しい食べ方ができたらと思っている。
やがて、お茄子さんのお皿が空になる。すっかりと平らげてくれた。良かった。みのりはこっそりとほっとする。やはりちゃんと食べなければ、人は動けない。その人にとっての適量を、腹八分目が理想だ。
お茄子さんの視線が、ぐるりと店内を巡る。先週より気持ちに余裕が出ているのかも知れない。今日はため息も聞かなかった。
すると、お茄子さんの目線がある箇所で止まった。細めの目を目一杯見開いている。カウンタの中、厨房の壁に控えめに掲げているそれは。
「あ、あの、店、長、さん……? あの、もしかして栄養士の資格を持ってはるんすか?」
「あ、はい。不肖ながら、持ってますよ」
みのりは栄養学を学んだが、それを生業にしたことは無い。お店のおしながきには目一杯取り入れているが、一人前と言えるかどうかは微妙だと思っていた。
それでも「この方が説得力があるから」との赤塚さんのアドバイスで、調理師免許と栄養士の免状をシンプルな額に入れて張り出してあるのだった。
「ああ、だからメニューに栄養素とか何にええか書いてあったんすね。あの、それやったら知ってはれへんすか?」
「何でしょ。私でお役に立てたらええんですけど」
「……健康的に、太れる方法なんすけど」
みのりはお茄子さんの遠慮がちなせりふに、目をぱちくりとさせた。
38
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
心の落とし物
緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも
・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ )
〈本作の楽しみ方〉
本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。
知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。
〈あらすじ〉
〈心の落とし物〉はありませんか?
どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。
あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。
喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。
ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。
懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。
〈主人公と作中用語〉
・添野由良(そえのゆら)
洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。
・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉
人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。
・〈探し人(さがしびと)〉
〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。
・〈未練溜まり(みれんだまり)〉
忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。
・〈分け御霊(わけみたま)〉
生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。
小さなパン屋の恋物語
あさの紅茶
ライト文芸
住宅地にひっそりと佇む小さなパン屋さん。
毎日美味しいパンを心を込めて焼いている。
一人でお店を切り盛りしてがむしゃらに働いている、そんな毎日に何の疑問も感じていなかった。
いつもの日常。
いつものルーチンワーク。
◆小さなパン屋minamiのオーナー◆
南部琴葉(ナンブコトハ) 25
早瀬設計事務所の御曹司にして若き副社長。
自分の仕事に誇りを持ち、建築士としてもバリバリ働く。
この先もずっと仕事人間なんだろう。
別にそれで構わない。
そんな風に思っていた。
◆早瀬設計事務所 副社長◆
早瀬雄大(ハヤセユウダイ) 27
二人の出会いはたったひとつのパンだった。
**********
作中に出てきます三浦杏奈のスピンオフ【そんな恋もありかなって。】もどうぞよろしくお願い致します。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
飯屋の娘は魔法を使いたくない?
秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。
魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。
それを見ていた貴族の青年が…。
異世界転生の話です。
のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。
※ 表紙は星影さんの作品です。
※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる