すこやか食堂のゆかいな人々

山いい奈

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2章 肉食野郎と秘密のお嬢さん

第7話 本当のこと

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 卵は、アレルゲンの特定原材料8品目に指定されている食材である。日本人の食物アレルギーの4割ほどを占め、最も多い。

 卵アレルギーを発症すると、多くは蕁麻疹じんましんなどの皮膚症状が出る。他に呼吸困難などの呼吸器症状や消化器症状、意識障害などの神経症状、血圧低下などの循環器症状などを引き起こす。その程度は人によるが、生命に関わる場合もある。

 卵アレルギーの原因のほとんどは、卵白に含まれているアレルゲンである。卵白の半分を占めるオボアルブミン、そして1割を占めるオボムコイド。オボアルブミンは加熱をしたらアレルゲン性が低下するが、オボムコイドは熱耐性がある。

 どちらがその人のアレルゲンなのかを専門機関で検査をして特定する。オボアルブミンの場合なら、20分程度加熱したゆで卵などだと食べられる場合がある。オボムコイドなら火を通しても無理だ。

 卵には卵黄消化管アレルギーというものもある。こちらはその名の通り、発症は消化器官に限られる。ただこれは乳児に起こるとされているので、もう大人の佐竹さんはきっと当てはまらない。

 加工食品などは特定原材料8品目を表示する義務がある。外食ならファミリーレストランのほとんどがメニューで表示しているので避けられる。

 だがそうでは無い飲食店が圧倒的に多いのだ。特に卵は日本での汎用性が高く、いろいろなものの味付けや繋ぎ、衣に使われる。

 だから佐竹さたけさんはヴィーガンレストランを指定したのだ。確実に卵を使わない、卵アレルギーに人にとって安全なお食事ができるからだ。

「卵、アレルギー……」

 浦安うらやすさんがぽかんと呟く。佐竹さんは「はい……」と縮こまってしまっている。

「そんなん、卵料理食わへんかったらええんとちゃうん?」

 そんな浦安さんの言葉に、佐竹さんは泣きそうな顔でふるふると首を振った。

「……外食やと、卵ってほんまに何に使われてるんか分からんで、怖くて」

 消え入りそうな声だ。浦安さんに嘘を言ってしまった罪悪感もあるのだろう。

「浦安さん、日本って卵をめっちゃ使う国なんですよ。生でも食べられるぐらい安全性が保証されてますからね」

「そうなん?」

 みのりの言葉に浦安さんは目を丸くする。

「ハンバーグや肉団子の繋ぎ、とんかつや唐揚げの衣、マヨネーズ、パン、ケーキとかのスイーツ、和菓子、かまぼことかの練り物、他にもいろいろ。表立ってへん、こっそりと使われてる卵ってめっちゃあるんです。うちではそういう使い方はなるべくせん様にしてますけど、どこに爆弾が潜んでるか分からんのですよ」

 佐竹さんは小さくなってこくりと頷く。

 食物アレルギーは成長するにつれ治っていくことも多いのだが、佐竹さんの場合はそうはなってくれなかったのだ。

「私、外食もアレルゲン表示してあるお店でしか食べられへんで、会社とかの飲み会も怖いし、うっかりしたら迷惑になるから参加できひんで、ケーキとかクッキーとか、アイスクリームとかも市販のものは食べられへんで。でもせっかく先輩が誘ってくれはったから、こわごわせんでも楽しく思いっきりごはんが食べれたらと思って、ヴィーガンレストランをお願いしたんです」

「そうやったんや……」

 佐竹さんは俯いたまま、蚊の泣く様な声で「ごめんなさい」と言った。

「そんなん、アレルギーって気合いとか食べたら治るとか、火ぃ通したら大丈夫とか、そんなんは無いんか?」

「好き嫌いや無いですからねぇ。アレルギーはそうや無いんです。確かに加熱したらアレルゲンが分解される場合もありますけど、食材によります。卵は難しいんですよ」

 みのりがそっと眉根を寄せると、浦安さんは「そっか」と残念そうに目を伏せた。

 食物アレルギーには特効薬などが存在しない。だが、治療のひとつとして経口免疫療法がある。アレルゲンとなる食材を症状が出ない少量で摂取し、耐性を取得するものだ。だがこの治療法は危険と隣り合わせである。専門家の指導、管理下のもと、慎重に行わなければならない。

「先輩、嘘いてほんまにごめんなさい。アレルギーて理解してくれへん人もたまにおって、好き嫌いとごっちゃにされがちで、うちの祖父母もそうやったりしたから。せやからそういう人とは距離取ってて、分かってくれるお友だちとヴィーガンレストランに行ったりしてるんです。そこやったら安心やから」

 今でこそ食物アレルギーの危険性は広く知られているが、昔は症例も少なくあまり認識されていなかったからか、ある一定の年齢以上の人には理解されにくいと聞いている。それで起こる痛ましい事故も耳に入ってくる。佐竹さんのご祖父母もそうなのだろう。

「ちょっとぐらいやったら大丈夫やろ」

 そんなことを言ってお孫さんに卵ボーロを食べさせて大惨事になった、なんて話を聞いたときには耳を疑ったものだ。

「でもそれやったら、卵以外は食えるっちゅうことやんな? 牛肉の旨さも知ってるってことや」

 浦安さんはそんなことを言う。佐竹さんは「はい……」とおずおずと頷いた。それを聞いた浦安さんはにっと笑った。

「それやったらええねん。良かったわ。佐竹さんの事情も分かった。そら怖いやんな。いや、俺もな、アレルギーや無いんやけど、ねばねば系が苦手やねん。おくらとか納豆とか。食感があかんねん。それ食えって言われたら嫌やもんな。俺、あほ過ぎるわ。いや、アレルギーと同列にしたらあかんやんな」

 浦安さんは笑顔のまま、佐竹さんに穏やかに語り掛ける。佐竹さんはすがる様な目で浦安さんを見上げた。

「嘘とか、そんなん気にせんでええで。俺はアレルギーのことに詳し無いから、さっきもとんちんかんなこと言うてもうたし。気合いとかってほんまあほか。俺は気が利かんし無神経やから、それぐらいしてもらわなあかんかったと思う。自分なりにはがんばってるつもりなんやけど、どうしても行き届かんでな」

 佐竹さんはふるふると首を振る。そんなことは無いと全身で表している様だ。

「今度、そのヴィーガンレストラン? やっけ、一緒に行こうや。でもここもええ店なんやで。ここはな、健康に気遣った飯が食えんねん。店長、卵使わん料理、いけるやんな?」

「はい、もちろんですよ。今日はお惣菜にも卵使って無いですし、メインの卵料理とひと口かつを避けてもろたら大丈夫ですよ。うちは食物アレルギーにもできる限り配慮しているつもりなので。小麦粉とか牛乳とかも使って無いですしね。卵も必要最小限です」

 浦安さんは気分を害してなんていない。驚いただろうが、事情が分かって納得している様だ。みのりも佐竹さんに安心して欲しくてにっこりと微笑む。

「ありがとう、ございます……!」

 佐竹さんは目をうるませて、深く頭を下げた。
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