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2章 肉食野郎と秘密のお嬢さん

第5話 ビフテキさんの憂き目

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 また数日後、寒さに震えながらやって来たビフテキさんは、心なしか元気が無かった。先日はあんなにも溌剌はつらつとしていたのに。

 聞いて欲しいと思ったら、話してくれるかも知れない。それまで普通に接客をする。

 注文はいつものビーフステーキ、白ごはんの大にお味噌汁、お惣菜は里芋の煮っころがしを選んだ。思わず青いものを頼んで欲しくなる組み合わせだが、余計なことは言わない。ビフテキさんはいつも素揚げのパセリも残さず食べてくれるので、有能なパセリに願いを込めて。

 ミディアムレアに焼き上げたビーフステーキをナイフとフォークで切り分けて、口に運ぼうとするビフテキさん。だが、その手は途中で止まってしまった。

 ビフテキさんが大好きなビーフステーキ。いつもいちばん最初に口に入れていた。今日もそうだ。それほどまでに大好きな牛肉なのに、口に入れるのをためらうなんて。

「……なぁ、店長さん」

「はい」

「動物食べるんて、あかんことなんかなぁ」

 みのりは目を丸くする。何があったのだろうか。ビフテキさんの表情は曇っていた。ナイフと、ステーキが刺さったままのフォークをかちゃんとお皿に置いた。

「この前言うてた同僚の女の子な、ベジタリアンなんやって」

「あら、そうなんですか?」

 なんと言うことだ。なら肉バルなんて、お肉の美味しいお店なんて難しいでは無いか。ワインだって物によっては飲めない。

 ワインは製造過程で濁りを除去するために清澄剤せいちょうざいを使うのだが、それに卵白やゼラチンなどが使われている場合があるのだ。ゼラチンは動物の皮や骨に含まれるコラーゲン由来のたんぱく質から作られている。

「そう。でな、食事する店、ベジタリアン? なんやっけ、それ向けのレストランがええって言われて」

 ヴィーガンカフェやレストランのことだろうか。

 今やヴィーガン向けや対応してくれるお店は増えている。日本人相手にもそうだが、外国人観光客が増えていることも原因だろう。ベジタリアンやヴィーガンは日本人よりも外国人のほうがぐっと多いし、宗教上の理由で特定のお肉類を禁忌にしている場合もある。そういう人たちにとって安心して利用できるお店なのだ。

 「すこやか食堂」はかつお昆布出汁を使っていて、お味噌汁はもちろんお惣菜に使うこともある。なのでベジタリアンやヴィーガンのお客さまに対応するのは現状難しい。もちろん請われればどうにかするのだが。

「いや、食の好みはそれぞれやで? でもな、肉を食わん人生って幸せやと思う? こんなに旨いのに。肉を食わん人生てありえへんやろ!」

 ビフテキさんは力説する。確かにお肉は美味しい。みのりも好きだし、貧血対策のために赤身肉を良く食べる。だが菜食主義の人を否定したりはしない。

 その人にはその思いがあって、動物性を食べないと決めたのだ。ならそれは尊重されるべきだ。ビフテキさんの思い人もきっとそうなのだろう。

「肉を食わん人生とか考えられへんわ。いやまぁ、あの子がベジタリアンのレストランに行きたいて言うんやったら、とりあえずは探すけど、肉を食わん人生なんておもんないやろ」

 ビフテキさんはなかなか思い込みの激しい人なのだろうか。確かにお肉は美味しいが、お野菜を好む人だって。そんな価値観だってあるのだ。

「あ、なぁ店長、その子、ここに連れて来てみてええやろか?」

「うちにですか?」

 みのりは目を丸くする。もちろん対応はできる。お味噌汁は他のお客さまにも出すのだから同じものは難しいが、お惣菜は動物性を使わないもので揃えたら良いし、根菜や厚揚げなどを使えばボリュームも出せる。材料があればリクエストにお応えすることだって可能だ。それが個人店の強みでもある。

「うちは構いませんが。あ、でもいつになるか教えてもらえたら助かります」

「そりゃそやな。店長には面倒掛けてまうけど。俺、彼女に肉の美味しさを知って欲しいねん。店長も協力してな!」

 ビフテキさんはそう言って力む。ああ、これは黙ってはいられない。ベジタリアンの人にはそうなった事情があるのだから、無理強いはいけない。

 だが、みのりの立場で口を挟んで良いのだろうか。しかしビフテキさんの思い人が嫌な思いをしてしまったら。ああ、どうしよう。

 みのりが考え込みつつも他のお客さまの定食を整える間に、ビフテキさんはぺろりとお料理を平らげ、悠ちゃんに会計をしてもらって去って行ってしまった。



 その日の営業終わり、厨房を片付けているときにみのりはゆうちゃんに聞いてみた。

「なぁ悠ちゃん、ベジタリアンの人にお肉をすすめるって、どうなんやろ」

「みのりがビフテキってあだ名付けたお客か」

 やはりそう広く無い店内、悠ちゃんにも話は聞こえていた様だ。特に力のこもったビフテキさんの声は大きかった。

「そう。私は、ごはんにしてもスイーツにしても食べるときは、好きなもんを食べるからこそ幸せになれるんやって思ってる。そりゃあ偏食が過ぎたらバランスとか心配になるけど、特に外食ではそんなん気にせんと楽しんで欲しいなぁって」

 悠ちゃんは消毒液とダスターでテーブル席を拭き上げながら「う~ん」と唸る。

「それは僕も思う。けど自分の好きなもんを、好きな人に知って欲しい、分かって欲しいって気持ちも分からんでも無いかな。言うても押し付けは僕もあかんと思うけどな」

「やんねぇ……」

 ビフテキさんの思い人が不快にならない様にするにはどうしたら良いのか。

「みのり、多分ビフテキさんは多少のことではめげへん人や。ついでに思い込みが激しそうや。せやから少しぐらいはっきり言うても大丈夫やと思うで」

「そう、やろか」

 みのりは人に強く言うことが苦手である。そんなみのりにできるだろうか。

「目に余ったら僕も助け舟出すから、やってみたらええわ。ごはんは好きなもんを楽しく食べる。そのことはきっとビフテキさんも分かってはるはずやねんから」

 みのりはおしながきに無いビーフステーキを食べるビフテキさんの笑顔を思い出す。そうだ、そのはずだ。ただ今は少し暴走気味なだけだ。

 ビフテキさんにも思い人にも、楽しくごはんを食べてもらいたい。そうできる様にするのもみのりのお仕事だ。

「うん」

 みのりは気合いを入れる様に、ぐっとこぶしを握り締めた。
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