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5章 最初で最後の贈り物
第5話 最後の贈り物
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白米でお腹を満たした内山さんは、ひなたちゃんを抱きかかえて、満足げな顔で三途の川に向かって行った。
「久々のお腹いっぱいの白米嬉しかった。ありがとう。真守さんにもよろしくお伝えしてね」
その表情はとても晴れ晴れしていて、だからこそ拓真には少しばかりの気掛かりが芽生えた。
内山さんの意識はすっかりとひなたちゃんに向いていて、旦那さんや実のご両親、お舅さんお姑さんへの思いがあまり見られなかったのだ。
ひなたちゃんのことで精一杯だったのかも知れないが、伝え残したことなどは無かったのだろうか。
首をひねりつつも、拓真が内山さんを見送って真守の部屋に戻ると、真守はキッチンで洗い物をしていた。
「あ、おかえり。内山さん無事に逝かれた?」
「おう。ただいま」
綺麗に片付けられたダイニングテーブルを見ると、内山さんが遺したひなたちゃんの命名書きが置かれていた。
「真守」
「んー?」
流水音に混じって真守の返事が届く。
「この命名の紙、内山さんの旦那さんに届けられないかな」
すると水音が止まり、手を拭いた真守がダイニングテーブルにやって来る。
「うん。それは俺も思ってた。でもどうやって? 理由はどうにでも付けられるだろうけど、場所とか分かるかな」
「それは俺が探す。今日亡くなったし死因もはっきりしてるはずだから、多分お通夜は明日だ。友引じゃ無いしな。病院の周辺の葬儀場で内山家の葬儀会場を探して来る。お通夜に乗り込もうぜ」
「乗り込むって物騒だなぁ。それに迷惑にならない? 旦那さんは喪主になるだろうから、会場からそう出られないだろうし」
「そこは行ってみないとな。葬儀場を逃したら、家が分からないからどうにもできなくなる。ともあれこんな大事なもん、俺らが持ってるわけには行かないだろ」
「それはね。じゃあ拓真には会場探しお願いして、俺はいつでも出れる様にしておくよ。この紙は封筒に入れておこう」
真守は大事な大事な命名書きをそっと持ち上げ、部屋に入った。
そうして拓真が探し当てた葬儀場の前に、真守は立っていた。
考えた設定を頭の中で反芻し、目立たない様に忍び込む様に、会場の中へと入って行く。
香典は用意しなかった。渡す時に芳名帳に名前や住所を書かなければならないので、そういう証拠を残すことは避けたかった。
落ち着いた色合いの服装の人たちの中、真守もネイビーの襟付きシャツと黒の薄手のジャケット、黒のボトムで身を包んでいるので、そう目立たないはずだ。
一般的な葬儀場なので、そう長居はできそうにない。真守は焼香の列に並びながら、復習する様に設定を思い返す。
そっと周りを見てみたら、内山さんと同年代の若い参列者が多かった。同級生やかつての職場の同僚などもいるのだろう。友人だろうか、女性が多い印象だ。
皆鎮痛の面持ちで、紫やネイビーのハンカチなどで目頭を押さえている。場はすっかりと悲しみの気配で溢れていた。
「まだ若いのに……」「お腹のお子さんまで……」
そんな囁き声もちらほらと耳に届く。
焼香台に近付くにつれ、祭壇も大きく見えて来る。白い菊や百合の花に彩られた内山さんの遺影は、ゆったりと微笑んでいた。
僧侶のお経が響く中、列はじわじわと進んで行き、真守の番になった。右側に控えるご遺族に一礼する。
真守は不慣れな手付きで焼香を済ませると、またご遺族に頭を下げる。ご遺族のいちばん左にいる、目を真っ赤に腫らした若い男性がおそらく喪主で、内山さんの旦那さんだ。
真守は静かに口を開いた。
「故人さま、内山沙世利さんのご主人でしょうか」
すると男性は虚を突かれた様に、はっと憔悴した顔を上げる。
「あ、は、はい」
「こんな時に申し訳ありません。奥さまからお預かりしているものがあります。あとで少しお時間をいただけないでしょうか」
「え、あなたは」
旦那さんは少し警戒する様な目を向ける。
「姉の代理で参りました。姉が奥さまの友人で」
そう言うと、旦那さんは「ああ。分かりました」と少し安心した様に表情を緩めた。
「外でお待ちいたしますので」
真守は頭を下げ、焼香台を後に譲った。
葬儀場を出て、受付から離れたところでスマートフォンを取り出して耳に当てる。
「なかなか良い言い訳だったぜ」
拓真の声が届く。拓真はずっと真守のそばにいたのだ。場所が場所なので真守の側でおとなしくしていた。
拓真の声は真守以外には聞こえないが、真守の声は聞こえるので、こうして電話をする振りをして拓真と話す。
旦那さんの手が空くまでまだまだ時間がありそうだが、こうして拓真と話していたらすぐだろう。
「だったら良かったよ。怪しまれなかったら良いけど」
もちろん真守たちに姉はいない。内山さんの友人を名乗るなら、女性の方が安心してもらえると思ったからだ。それは功を奏した様だ。
その間にも葬儀場には人が入り、そして出て行った。
内山さんは交友関係の広い人だったのかな、と思う。物腰の落ち着いた人という印象だったので、そういうイメージは無かったのだが、真守の家にいた時に見せた笑顔は明るいもので、慕う人は多かったのかも知れない。
そうして1時間も経ったころだろうか。参列者もほとんどいなくなり、すっかりと静かになって来ていた。
この葬儀場は大きな道路沿いにあり、最寄り駅からも徒歩だと遠く、真守もここに来るのにバスを利用した。
そんなところなので、少し離れたところにファミリーレストランの看板の明かりが見える程度。ビルなどの建物はたくさんあるが、どれもシャッターが降りている。
葬儀場からは最寄りの駅まで無料のマイクロバスが出ていて、参列者を乗せたそれを何度か見送った。
そうして受付が片付けを始めたころ、葬儀場から小走りで旦那さんが出て来た。真守を見つけると「大変お待たせしました!」と駆け寄って来る。
「いいえ。この様な時に申し訳ありません」
「いえ。でもあまり時間が無くて。妻から預かっておられるものとは」
真守はクラッチバッグとは別に持っていた黒の紙袋から、封筒を取り出す。そこから内山さんが遺した命名書きを抜き出し、旦那さんに差し出した。折れ曲がったりしない様に、厚紙も一緒に入れておいた。
それを見た旦那さんは、真っ赤な目をこれ以上無いと言うほどに見開いた。驚きが顔に滲む。
「これは」
真守はゆったりと微笑んで口を開いた。
「奥さまが僕の姉に預けたものです。姉から聞いた話です。奥さまはお子さんの誕生を心待ちにして、おひとりでもお名前を巡らせていたのだそうです。これはそんな中で、奥さまの候補として挙げられたものなのだそうです。こうした命名書きに憧れていたそうですよ。なので書いてみたのだと。けどこれは奥さまだけで決められたものです。なので姉に預けたんです。奥さまはご主人と一緒に名前を決められるのを楽しみにしておりました」
旦那さんは震える手で命名書きを受け取ると、それがしわになるのも厭わずに両手で握り締める。
「ああ……」
そう漏らした声は掠れていて、悲哀と感動がない交ぜになった様な表情はうっすらと赤に染まり、あっという間に目尻に光るものが盛り上がった。
「なんてことを……」
旦那さんは迫り上がる涙を手の甲で拭うと、鼻をずずっとすすった。
「お見苦しくてすいません。驚いてしまって」
「いえ。もう少し落ち着いたらとも思ったのですが、一刻も早くこの命名書きをお渡ししたくて」
「いえ、ありがとうございます。僕も名前を考えていたんですけど、決め切れなくて。でもこれで、子どもに名前を呼んであげられます。ひなたちゃん。かわいい名前ですね。女の子だったんですけど、男の子にも付けてあげられる名前です」
「性別は判ってたんですよね? あ、姉に聞いたんですけど」
つい疑問が口をつき、真守は慌てて取り繕う。幸い旦那さんは気にした風では無かった。
「産まれる前はエコーでしか見れなくて、性別もそれで医者が判断するんです。でも実際産まれてみたら違ったなんてことも稀にあるんですよ。角度によって見えなかったりするらしくて。ほら、赤ちゃんは羊水に浮いていて、角度は一定では無いんですね。なので、もし男の子が産まれても大丈夫な様に、両方考えていたりして。でもこの名前ならどちらでも良い名前ですよね」
「そうですね」
なるほど。内山さんにももちろんこうした知識があったので、この名付けになったのだろう。そう言えば内山さんは「明るい子、暖かい心の子」と言っていた。性別を限定していなかった。
旦那さんは命名書きを見つめ、腫れた目を和らげる。
「お聞きでしょうか。あの、過去に2回流れてしまっていて」
「……はい」
真守は神妙になってしまう。それは内山さんだけで無く、旦那さんにも悲しみと負担を強いたはずだ。だからこそ順調にここまで育った子が産まれるのを、旦那さんも楽しみにしていたに違いない。
「だから名前を考えることにすら至れなくて。やっと付けてあげられます。妻とふたりでああでも無いこうでも無いって名前を考えている時間は、本当に幸せでした」
旦那さんは言って泣き笑いの様な表情になった。
「妻とはいろいろな話をしました。毎日感謝を伝え合って。妻の実家にも良く電話をしていました。伝えたいことは余すこと無く、その瞬間に伝えたいからって」
「それはとても素晴らしいことですね」
真守が笑顔で言うと、旦那さんは「はい」と弱々しいながらも笑みを浮かべた。
内山さんは無事に産んであげられなかったことを悔い、旦那さんは奥さんとお子さんを同時に喪ってしまったことを悲しんでいる。
だが内山さんはひなたちゃんにお乳をあげ、名前を付けてあげて、穏やかに三途の川へと向かってくれた。
旦那さんの悲しみはきっと深く、そう簡単に癒えることは無いだろう。だが内山さんが遺したお子さんの名前で、少しでも癒されてくれたら良いなと思う。
「命名書き、本当にありがとうございました。お姉さまにもよろしくお伝えください」
「はい。今日は突然申し訳ありませんでした。あの、どうかお心落としがありません様に」
真守が深く頭を下げると、旦那さんも深々と頭を下げた。
真守と拓真は家に帰り着き、ようやく話すことができる。
葬儀場から最寄り駅までは、近くで拾ったタクシーを使った。無料のマイクロバスが終わっていたからだ。
そこからは電車を使ったので、スマートフォンを使うことはしなかった。真守も拓真もおとなしく帰路を辿ったのだった。
真守は玄関先で塩を肩に掛け、それを振り払う。本来なら留守番の人にしてもらうことなのだが、真守は生憎とひとり暮らしだ。
「ふぅ」
真守は溜め息を吐きつつ、ジャケットを脱いで部屋着に着替えた。
「拓真、ご飯遅くなっちゃったね。軽く済ませようか」
「そうだな。ありがとう」
拓真が返事をすると、真守は「うん」と頷いてキッチンに立つ。
買い物をしなかったので、冷蔵庫にあるもので整える。手早くできるものということで、わかめとかにかまのごま和え、青ねぎを入れただし巻き卵、水菜とえのきの煮浸し。
それらをダイニングテーブルに並べ、自分用に缶ビールと、拓真用にレモン缶酎ハイを出した。それぞれをグラスに注いで。
「献杯」
「献杯」
軽くグラスを掲げた。
こくりとビールを流し込むと、ほっと心が和らぐ。やはり少し緊張していた様だ。内山さんの遺したものを届けるために嘘まで吐いたのだ。方便とは言え性に合わないのだろう。
内山さんの旦那さんが真摯に話を聞いてくれて本当に良かった。きっと素直な人なのだ。
「あのさ、俺、内山さんがひなたちゃんばっかりだったのが気になってたんだけどさ」
ごま和えにお箸を伸ばしながら、拓真が言う。
「ん?」
「ほら、旦那さんとか両親とかの話と言うか、言い残したこととか、そういうの内山さん言わなかっただろ」
「ああ、そう言えばそうだったね」
確かに思い返してみれば、内山さんの意識はすっかりとひなたちゃんにばかり向いていた。それも無理からぬことだろうと真守は思っていたのだが。
「旦那さんの話聞いて合点がいった。内山さん、生きてる時に言いたいことは全部言ってたんだな。だから思い残すことが無かったんだ」
「そっか。本当にひなたちゃんのことだけが心残りだったってことなんだ」
「ああ。だから命名書き渡せて、本当に良かったなってさ」
「うん」
命名書きを受け取った旦那さんは、悲しみの中にも精一杯の嬉しさを表した。
もちろん1番の幸いは、内山さんもひなたちゃんも無事であったことだろう。だが落ちてしまったものの中からでも、一縷の光があれば、それがきっと支えになる。
「旦那さん、ひなたちゃんの名前、呼んであげられたかな」
「きっとな。明日の火葬まで、いや、納骨までそばにいて、呼んでやれるさ」
「うん。……届くと良いな」
「そうだな」
真守はほんの少しの苦味を飲み込む様に、ぐいとビールを流し込んだ。
「久々のお腹いっぱいの白米嬉しかった。ありがとう。真守さんにもよろしくお伝えしてね」
その表情はとても晴れ晴れしていて、だからこそ拓真には少しばかりの気掛かりが芽生えた。
内山さんの意識はすっかりとひなたちゃんに向いていて、旦那さんや実のご両親、お舅さんお姑さんへの思いがあまり見られなかったのだ。
ひなたちゃんのことで精一杯だったのかも知れないが、伝え残したことなどは無かったのだろうか。
首をひねりつつも、拓真が内山さんを見送って真守の部屋に戻ると、真守はキッチンで洗い物をしていた。
「あ、おかえり。内山さん無事に逝かれた?」
「おう。ただいま」
綺麗に片付けられたダイニングテーブルを見ると、内山さんが遺したひなたちゃんの命名書きが置かれていた。
「真守」
「んー?」
流水音に混じって真守の返事が届く。
「この命名の紙、内山さんの旦那さんに届けられないかな」
すると水音が止まり、手を拭いた真守がダイニングテーブルにやって来る。
「うん。それは俺も思ってた。でもどうやって? 理由はどうにでも付けられるだろうけど、場所とか分かるかな」
「それは俺が探す。今日亡くなったし死因もはっきりしてるはずだから、多分お通夜は明日だ。友引じゃ無いしな。病院の周辺の葬儀場で内山家の葬儀会場を探して来る。お通夜に乗り込もうぜ」
「乗り込むって物騒だなぁ。それに迷惑にならない? 旦那さんは喪主になるだろうから、会場からそう出られないだろうし」
「そこは行ってみないとな。葬儀場を逃したら、家が分からないからどうにもできなくなる。ともあれこんな大事なもん、俺らが持ってるわけには行かないだろ」
「それはね。じゃあ拓真には会場探しお願いして、俺はいつでも出れる様にしておくよ。この紙は封筒に入れておこう」
真守は大事な大事な命名書きをそっと持ち上げ、部屋に入った。
そうして拓真が探し当てた葬儀場の前に、真守は立っていた。
考えた設定を頭の中で反芻し、目立たない様に忍び込む様に、会場の中へと入って行く。
香典は用意しなかった。渡す時に芳名帳に名前や住所を書かなければならないので、そういう証拠を残すことは避けたかった。
落ち着いた色合いの服装の人たちの中、真守もネイビーの襟付きシャツと黒の薄手のジャケット、黒のボトムで身を包んでいるので、そう目立たないはずだ。
一般的な葬儀場なので、そう長居はできそうにない。真守は焼香の列に並びながら、復習する様に設定を思い返す。
そっと周りを見てみたら、内山さんと同年代の若い参列者が多かった。同級生やかつての職場の同僚などもいるのだろう。友人だろうか、女性が多い印象だ。
皆鎮痛の面持ちで、紫やネイビーのハンカチなどで目頭を押さえている。場はすっかりと悲しみの気配で溢れていた。
「まだ若いのに……」「お腹のお子さんまで……」
そんな囁き声もちらほらと耳に届く。
焼香台に近付くにつれ、祭壇も大きく見えて来る。白い菊や百合の花に彩られた内山さんの遺影は、ゆったりと微笑んでいた。
僧侶のお経が響く中、列はじわじわと進んで行き、真守の番になった。右側に控えるご遺族に一礼する。
真守は不慣れな手付きで焼香を済ませると、またご遺族に頭を下げる。ご遺族のいちばん左にいる、目を真っ赤に腫らした若い男性がおそらく喪主で、内山さんの旦那さんだ。
真守は静かに口を開いた。
「故人さま、内山沙世利さんのご主人でしょうか」
すると男性は虚を突かれた様に、はっと憔悴した顔を上げる。
「あ、は、はい」
「こんな時に申し訳ありません。奥さまからお預かりしているものがあります。あとで少しお時間をいただけないでしょうか」
「え、あなたは」
旦那さんは少し警戒する様な目を向ける。
「姉の代理で参りました。姉が奥さまの友人で」
そう言うと、旦那さんは「ああ。分かりました」と少し安心した様に表情を緩めた。
「外でお待ちいたしますので」
真守は頭を下げ、焼香台を後に譲った。
葬儀場を出て、受付から離れたところでスマートフォンを取り出して耳に当てる。
「なかなか良い言い訳だったぜ」
拓真の声が届く。拓真はずっと真守のそばにいたのだ。場所が場所なので真守の側でおとなしくしていた。
拓真の声は真守以外には聞こえないが、真守の声は聞こえるので、こうして電話をする振りをして拓真と話す。
旦那さんの手が空くまでまだまだ時間がありそうだが、こうして拓真と話していたらすぐだろう。
「だったら良かったよ。怪しまれなかったら良いけど」
もちろん真守たちに姉はいない。内山さんの友人を名乗るなら、女性の方が安心してもらえると思ったからだ。それは功を奏した様だ。
その間にも葬儀場には人が入り、そして出て行った。
内山さんは交友関係の広い人だったのかな、と思う。物腰の落ち着いた人という印象だったので、そういうイメージは無かったのだが、真守の家にいた時に見せた笑顔は明るいもので、慕う人は多かったのかも知れない。
そうして1時間も経ったころだろうか。参列者もほとんどいなくなり、すっかりと静かになって来ていた。
この葬儀場は大きな道路沿いにあり、最寄り駅からも徒歩だと遠く、真守もここに来るのにバスを利用した。
そんなところなので、少し離れたところにファミリーレストランの看板の明かりが見える程度。ビルなどの建物はたくさんあるが、どれもシャッターが降りている。
葬儀場からは最寄りの駅まで無料のマイクロバスが出ていて、参列者を乗せたそれを何度か見送った。
そうして受付が片付けを始めたころ、葬儀場から小走りで旦那さんが出て来た。真守を見つけると「大変お待たせしました!」と駆け寄って来る。
「いいえ。この様な時に申し訳ありません」
「いえ。でもあまり時間が無くて。妻から預かっておられるものとは」
真守はクラッチバッグとは別に持っていた黒の紙袋から、封筒を取り出す。そこから内山さんが遺した命名書きを抜き出し、旦那さんに差し出した。折れ曲がったりしない様に、厚紙も一緒に入れておいた。
それを見た旦那さんは、真っ赤な目をこれ以上無いと言うほどに見開いた。驚きが顔に滲む。
「これは」
真守はゆったりと微笑んで口を開いた。
「奥さまが僕の姉に預けたものです。姉から聞いた話です。奥さまはお子さんの誕生を心待ちにして、おひとりでもお名前を巡らせていたのだそうです。これはそんな中で、奥さまの候補として挙げられたものなのだそうです。こうした命名書きに憧れていたそうですよ。なので書いてみたのだと。けどこれは奥さまだけで決められたものです。なので姉に預けたんです。奥さまはご主人と一緒に名前を決められるのを楽しみにしておりました」
旦那さんは震える手で命名書きを受け取ると、それがしわになるのも厭わずに両手で握り締める。
「ああ……」
そう漏らした声は掠れていて、悲哀と感動がない交ぜになった様な表情はうっすらと赤に染まり、あっという間に目尻に光るものが盛り上がった。
「なんてことを……」
旦那さんは迫り上がる涙を手の甲で拭うと、鼻をずずっとすすった。
「お見苦しくてすいません。驚いてしまって」
「いえ。もう少し落ち着いたらとも思ったのですが、一刻も早くこの命名書きをお渡ししたくて」
「いえ、ありがとうございます。僕も名前を考えていたんですけど、決め切れなくて。でもこれで、子どもに名前を呼んであげられます。ひなたちゃん。かわいい名前ですね。女の子だったんですけど、男の子にも付けてあげられる名前です」
「性別は判ってたんですよね? あ、姉に聞いたんですけど」
つい疑問が口をつき、真守は慌てて取り繕う。幸い旦那さんは気にした風では無かった。
「産まれる前はエコーでしか見れなくて、性別もそれで医者が判断するんです。でも実際産まれてみたら違ったなんてことも稀にあるんですよ。角度によって見えなかったりするらしくて。ほら、赤ちゃんは羊水に浮いていて、角度は一定では無いんですね。なので、もし男の子が産まれても大丈夫な様に、両方考えていたりして。でもこの名前ならどちらでも良い名前ですよね」
「そうですね」
なるほど。内山さんにももちろんこうした知識があったので、この名付けになったのだろう。そう言えば内山さんは「明るい子、暖かい心の子」と言っていた。性別を限定していなかった。
旦那さんは命名書きを見つめ、腫れた目を和らげる。
「お聞きでしょうか。あの、過去に2回流れてしまっていて」
「……はい」
真守は神妙になってしまう。それは内山さんだけで無く、旦那さんにも悲しみと負担を強いたはずだ。だからこそ順調にここまで育った子が産まれるのを、旦那さんも楽しみにしていたに違いない。
「だから名前を考えることにすら至れなくて。やっと付けてあげられます。妻とふたりでああでも無いこうでも無いって名前を考えている時間は、本当に幸せでした」
旦那さんは言って泣き笑いの様な表情になった。
「妻とはいろいろな話をしました。毎日感謝を伝え合って。妻の実家にも良く電話をしていました。伝えたいことは余すこと無く、その瞬間に伝えたいからって」
「それはとても素晴らしいことですね」
真守が笑顔で言うと、旦那さんは「はい」と弱々しいながらも笑みを浮かべた。
内山さんは無事に産んであげられなかったことを悔い、旦那さんは奥さんとお子さんを同時に喪ってしまったことを悲しんでいる。
だが内山さんはひなたちゃんにお乳をあげ、名前を付けてあげて、穏やかに三途の川へと向かってくれた。
旦那さんの悲しみはきっと深く、そう簡単に癒えることは無いだろう。だが内山さんが遺したお子さんの名前で、少しでも癒されてくれたら良いなと思う。
「命名書き、本当にありがとうございました。お姉さまにもよろしくお伝えください」
「はい。今日は突然申し訳ありませんでした。あの、どうかお心落としがありません様に」
真守が深く頭を下げると、旦那さんも深々と頭を下げた。
真守と拓真は家に帰り着き、ようやく話すことができる。
葬儀場から最寄り駅までは、近くで拾ったタクシーを使った。無料のマイクロバスが終わっていたからだ。
そこからは電車を使ったので、スマートフォンを使うことはしなかった。真守も拓真もおとなしく帰路を辿ったのだった。
真守は玄関先で塩を肩に掛け、それを振り払う。本来なら留守番の人にしてもらうことなのだが、真守は生憎とひとり暮らしだ。
「ふぅ」
真守は溜め息を吐きつつ、ジャケットを脱いで部屋着に着替えた。
「拓真、ご飯遅くなっちゃったね。軽く済ませようか」
「そうだな。ありがとう」
拓真が返事をすると、真守は「うん」と頷いてキッチンに立つ。
買い物をしなかったので、冷蔵庫にあるもので整える。手早くできるものということで、わかめとかにかまのごま和え、青ねぎを入れただし巻き卵、水菜とえのきの煮浸し。
それらをダイニングテーブルに並べ、自分用に缶ビールと、拓真用にレモン缶酎ハイを出した。それぞれをグラスに注いで。
「献杯」
「献杯」
軽くグラスを掲げた。
こくりとビールを流し込むと、ほっと心が和らぐ。やはり少し緊張していた様だ。内山さんの遺したものを届けるために嘘まで吐いたのだ。方便とは言え性に合わないのだろう。
内山さんの旦那さんが真摯に話を聞いてくれて本当に良かった。きっと素直な人なのだ。
「あのさ、俺、内山さんがひなたちゃんばっかりだったのが気になってたんだけどさ」
ごま和えにお箸を伸ばしながら、拓真が言う。
「ん?」
「ほら、旦那さんとか両親とかの話と言うか、言い残したこととか、そういうの内山さん言わなかっただろ」
「ああ、そう言えばそうだったね」
確かに思い返してみれば、内山さんの意識はすっかりとひなたちゃんにばかり向いていた。それも無理からぬことだろうと真守は思っていたのだが。
「旦那さんの話聞いて合点がいった。内山さん、生きてる時に言いたいことは全部言ってたんだな。だから思い残すことが無かったんだ」
「そっか。本当にひなたちゃんのことだけが心残りだったってことなんだ」
「ああ。だから命名書き渡せて、本当に良かったなってさ」
「うん」
命名書きを受け取った旦那さんは、悲しみの中にも精一杯の嬉しさを表した。
もちろん1番の幸いは、内山さんもひなたちゃんも無事であったことだろう。だが落ちてしまったものの中からでも、一縷の光があれば、それがきっと支えになる。
「旦那さん、ひなたちゃんの名前、呼んであげられたかな」
「きっとな。明日の火葬まで、いや、納骨までそばにいて、呼んでやれるさ」
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